第17話 vs観客

 給与支払日ペイデイ直後の週末、大入の観客に沸く闘技場の端。俺はベローズの隣に立って、緊張を隠せずにいた。

 今日の目玉は、急遽組まれた異色の対戦カード。地下闘技場所属の戦奴が参戦するに至った事情は、伏せられているようだが……。

 どうみても“口頭での伝播かぜのうわさ”で周知されているな。明らかに、客の入りと熱気が違う。


「ここまで来てオタオタするな。なるようにしかならん」

「はい。わかってます」

「興行の段取りを気に病むとしたら興業進行管理人おれだろうが。結果に関してなら興行主公爵閣下だ。少なくとも、戦奴おまえじゃねえよ」

「……ええ、その通りです」


 もちろん、頭では理解している。最低限の用意は済ませたつもりだが、準備万端と言うには程遠い。望んでいた仕込みは、せいぜい半分といったところ。

 そんなもんだ。これまでの人生でも、万全の態勢で試合に挑めることなど、ほとんどなかった。それをどうにかするのがプロってもんだ。


「それまで! 勝者! ホーミー!」


「「ホーミー! ホーミー! ホーミー!」」

「いいぞ! お前は俺たちの、幸運の女神だ!」

「おう! ハゲた小太りの女神に乾杯だ!」


 観客席から声援と笑い声が上がる。勝った中堅戦奴は嬉しそうに拳を突き上げ、負けた方は悔しそうに退場していった。

 戦奴たちは番号ではなく、最初から名前で呼ばれるようにしてもらった。興行主のイールソン公爵と事前交渉した結果だ。見世物として戦い、使い潰されるだけの消耗品というネガティブな意識を変える狙いも、あるにはある。だが主な目的は戦奴ではなく、観客の意識を変えることだ。

 これまで闘技場の戦奴は、観客にとってただの数字だった。賭け札に書かれた、味も素っ気もない番号でしかなかった。

 これからは、きっと変わる。自分たちが金と時間と熱狂を注ぎ、育て上げる素材。共有の資産になってゆくはずだ。


 目に見えて変わった声援が功を奏したのか、緒戦は各選手ともなかなかの奮闘を見せた。それなりに好勝負もあって、大いに盛り上がった。

 当然ながら負傷者は続出したが、多くは治療可能な程度。死者も出ず、再起不能なほどの重症者もいない。


「さて、これからだな」


 ベローズの言葉に、俺は黙ってうなずく。

 元いた世界でなら、真打は期待が最高潮になる最終戦あたりに登場させるのが定石だが、そこはベローズブッカーの裁量で七試合目に変更された。

 中央闘技場では、七試合目から急に賭け金が上がる。前座や新人の顔見せが終わって、中堅どころの手堅い勝負も済んで。ここからは戦奴のなかでも実力者が出る試合だからだ。見に来ている貴族階級や平民の富裕層も、あいさつ回りや賭けの情報収集を終えて自分たちの席に着き、ちゃんと観覧を始める頃合い。


 そこの、しょっぱなに、ぶつける。


「キツい一撃は、油断してるとこにブチ込むのが一番だ」

「同感です」


 ベローズの言葉は、豊富な実戦経験に裏打ちされている。デカい一発を効かせるなら、出入り鼻か離れ際。格闘家の基本だ。

 ここまでの試合で汚れた闘技場が清掃され、撒かれた賭け札も掃き出される。楽団が演奏を始め、最上段の貴賓席に国旗が掲揚された。


「第七試合、王立中央闘技場ロイヤル・コロシアムからは、もはや伝説となった死闘の末、死の淵から蘇った最強の男――」


 一瞬しんと静まり返った会場に、名実況ヒラ・ベンド子爵の声が朗々と響き渡る。


「領地再興の悲願を果たすため、自ら戦奴となり、命懸けの戦いに身を投じた孤高の貴族。お待たせしました――」


「え?」

「いないぞ」

「どこだ」

「おい見ろ! あそこに!」


 観客が見上げた貴族席の二階、張り出した庇の上に誰かが立っていた。鍛え上げられた長身の男が、背筋を伸ばし、腕組みして、闘技場のフロアに背を向けている。


「貴族の星――」


「「「おおおおおおおおおぉォ……ッ!」」」


「マースクッ! ドッ! バロオォーン!」


 背を向けたままの長身が倒れ、ふわりと宙に舞う。

 観客たちが一斉に息を呑むなか、マスク・ド・バロンはキレイな伸身の宙返りを見せながら音もなく着地を決めた。その足元から吹き上げる風に、鮮やかな青いマントがはためく。

 その姿は、まるで羽ばたく青い鳥のように見えた。


「すげえ……」

「なんだ、あいつ⁉︎」

「どうなってる。鳥か? 魔物か? いや……」


 シュッゴッォオオオォ……ッ、ドーン!

 バロンの周囲に風が巻く。薄氷の砕片が細かい霧のように舞い散り、魔力光に照らし出されてキラキラと輝く。

 眩いきらめきを背にして、バロンはゆっくりと立ち上がった。


「我が名は、マスク・ド・バロン! 愛と正義のために戦い続ける、気高き孤高の戦士!」


 マントを翻して、覆面男は告げる。その声は凛として鋭く、スタジアムの端々まで届いた。


「……すッげぇ……なんなんだ、あいつ⁉︎」


 俺は馬鹿鳥仮面の成し遂げた、途方もない成果に感服する。

 当然ながら、この世界に舞台効果なんて職業はない。技術や機材どころか、そういう発想自体がない。だから、あの男は飛翔も跳躍も着地も、風や氷や光の特殊効果も全部、個人の魔力で賄ったのだ。

 それを教えた俺がいうのも何だが、これからガチの戦闘が待っているというのに、単なる登場演出に大量の魔力を注ぎ込むのは頭がおかしい。たしかに提案もしたし練習も付き合った。アドバイスもしたが、最終的な取捨選択は本人の判断だ。練習したなかのどれか、あるいはいくつかを選んで使うと思っていた。


 まさか全部を組み合わせてくるなんて思わんだろうよ。


 あの男は真面目なのに。いや、だからこそか。一度こうと決めたら、突き進むことに躊躇がない。危険へと挑むことに、迷いがない。


「「「「バロン! バロン! バロン! バロン!」」」」


 すげえ。場内はバロンコール一色だ。嵐のような歓声と、地響きのような足踏み。スッと背を伸ばして対戦者を待つ覆面男の立ち姿は、惚れ惚れするほどの美しさだった。

 バロンは初登場で。その登場だけで、満場の客を呑んだ。闘技場を、自分の舞台に変えた。身震いするほどの興奮とともに、俺は確信した。


 ここから、あいつの時代が始まる。

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