第12話 vsブッカー

 試合の翌日。


 俺は軋む身体をなんとか動かし、戦奴用の宿舎を出て練習場に向かった。コンディションを整える程度のトレーニングを行い、現在の体調と今後の鍛錬メニューを考えるのだ。

 身体が資本、というのが日本でのレスラー人生どころではない切実な問題としてある。怠けて身体や勘が鈍ったら潰されて死ぬ。

 社会的・精神的にではなく、肉体的・物理的にだ。洒落にならない。


 露天の戦奴用練習場は地方体育館ほどの広さで、いくつかの重量負荷ウェイト器具と木製の訓練用武器、人体標的や格闘用の簡易リングがある。


 粗末ではあるが、案外まともだ。清潔に努めてはいるようだが、わずかに饐えた臭いがする。WWWの道場もそうだった。こういう、使い込まれて血と汗と涙が染み込んだ感じは嫌いじゃない。


 ただ、施設の規模に比べて妙に人数が少ないように思える。

 あまり考えたくはないが、それは明らかに試合で死ぬか病院送りになるか再起不能になったかで欠員が出た結果だ。次の興業までは10日ほどある。またどこかからガキを攫ってくるか借金持ちを引き抜いてくるかするのだろう。


 そういう焼き畑農業みたいな状況を、出来れば変えていきたい。


「よう」


 2時間ほど身体を動かし、水場で汗を流しているところに、興業進行管理人ブッカーのベローズがやってきた。

 彼が近くを通るだけで、訓練していた戦奴たちがビクンと背筋を伸ばして身構える。そんなところも、WWWの鬼コーチだった祖師谷そしがやさんに似てる。


「昨日の今日だってのに、頑張ってるな」

「あはようございます。何か御用ですか?」

「お前に客だ。7番面会房に行け」

「はい」


 面会を申し出るような知り合いを持った覚えはないが、行ってみないことにはわからない。着替えるとそのまま面会房に向かうことにした。


「ああ、そうそう。対戦相手のデカブツ、目が覚めたらしいぞ」


 立ち去り際、ベローズは振り返ってひとりごとのように呟いた。


「……な。次の興業では、気を引き締めて掛かることだ。ありゃあ、ひょっとしたらぞ」

「ありがとうございます。ベローズさんにそういっていただけるのは、とても励みになります」



 思っていた反応と違ったのか、ベローズはいかつい顔を歪める。


「なんだぁ? 自分の立場が危うくなるとは思わねえのか」

「あいつは、必要な人間です。俺にとっても、ここ・・にとってもです。俺の立場を危うくさせるくらいじゃないと、生き残れません」

「ほう、ポッと出の新人が、王立中央闘技場の将来を心配してくれるか」

「すみません、生意気いって」


 俺が頭を下げると、まあ頑張れと背中を叩かれた。

 怪我人の上に子供だというのに、ほぼ手加減なしの張り手だ。悲鳴を押し殺して仰け反りながら振り返ると、ベローズは笑っていた。

 どうも気に入られたようだが、それが良いことなのか悪いことなのかはまだ判断し難い。


 面会房の前に立つ兵士に鍵を開けてもらい、檻付きの部屋に入る。

 彼我を隔てるテーブルの向こうに、小柄なふたりが並んでいるのが見えた。ひとりは昨日会ったエイダの弟。

 そして、もうひとりは……


「タイト!」


 押し殺した声で目を輝かせているのは、スラムで知り合った猫耳少女ネリス。

 僧侶のような秘密結社のような、墨灰色でフード付きの長い衣装を着ている。偽装か変装か知らないが、あまり似合っていない。せっかくの猫耳が隠れてしまっているのが減点だ。


「おう、ネリス。無事だったか」

「うん。タイトのお陰で、みんな助かった」

「?? ……ああ、何の話かわからんけど、それは良かったな」


 ネリスの隣に座ったエイダの弟ミルデンホールは、親しげに話す俺たちを不審そうな目で見る。こちらとしても、ふたりがどういう関係で現れたのかわからんので受け流す。


「何でエイダの弟といっしょにいるんだ。お前ら、知り合いだったのか?」

「いや、知り合いではないな。の世界の仲介人だ」


 裏? 裏路地スラムのことか?


「そんなことより、兄の容体は?」

「さっき聞いた話じゃ、目は覚めたそうだ。何とか動ける程度までは回復したんだろう。10日後の興業には出られるようだぞ」


 それを聞いたミルデンホールは、ホッとしたような落胆したような顔で小さく息を吐く。

 彼は昨日も面会に来ていたのだが、それまで平気そうに話していたエイダがいきなり高熱を出して倒れてしまったため、弟とはろくに話も出来ずじまいだったのだ。


「そう、か。また闘うことになるのだな」

「当然だろう、戦奴なんだから。それに、計画・・もある」


 弟はしばらく考え込んでいたが、思いつめた顔で俺の方を見る。


「兄は、生き延びられるだろうか」

「このままでは、無理だな」


「!!」


「顔が地味過ぎる」


「は?」


「まあ、対策は考えてある。その話は本人としよう。エイダへの面会申請は?」

「それは、タイトのと一緒に出しといたんだけど……ああ、来た来た」


 ネリスが手を振って、こちらに招く。


 振り返ると、廊下の先をヨロヨロ近付いてくる長身のミイラ男がいた。外の鍵が開けられ、入ってきたエイダはふらつきながらテーブルに着く。

 当然のことながら、まだ本調子じゃないようだ。動けるようになったというが、文字通りの意味以上のものではない。


「兄さん、大丈夫?」

「問題ない。少なくとも問題は体調じゃない」

「……ああ、昨日の」


「そこから先は口にするな。もし外に漏らしたら、インシルリク家どころか一族郎党皆殺しになるぞ」


 エイダの言葉にミルデンホールは息を呑み、ガクガクと頷く。


 俺とエイダが対戦することになったら――というか、それはほぼ確定事項なのだが、動く賭け金が洒落にならないのだ。当然ブックは伏せられているし、漏洩の可能性がある人間には監視が付いている。

 情報化社会で暮らしていた俺からするとザルもいいところだが、この世界の人間ならそれで十分なのかもしれない。


「ぼくの方も昨日、興業主オーナーのイールソン公爵から打診を受けた。兄さんの、行く末について」

「行く末? 戦奴にそんなものがあるとでも思うのか」


「あるんだよ」


 弟のコメントを、俺が引き取る。

 オーナーとブッカーには、昨日のうちに話を付けた。彼らも初めて聞く提案だったらしく、いまいち理解できていない部分もあったが、大筋での同意は取れた。契約内容も更新され、条件もある意味で優遇はされた。


 引き換えに過酷さが増した部分もあるのだが、まあ仕方がない。


「とりあえず、お前はマスクマンになれ」


「は?」


「覆面を被るんだよ。お前はこれから、正義の覆面男爵、マスク・ド・バロンだ」

「いや、ちょっと待て。話がよくわからんのだが……なんで俺がそんな事をしなければいかんのだ」

「技も身体も運動能力も良いのに、顔がひどいからな。ちなみに、マスクは発注済みだ。白地に青いトサカを付けて、お前のとこの領地にいる、なんだかいう鳥に似せた。青いマントも用意した」


「ああ、それなら公爵の執事から預かってる。まだ仮縫いだっていう話だけど」


 弟が青の布切れを渡してくる。広げてみると、覆面の試作品だった。トサカはまだ房飾りがなく布の突起でしかないが、出来はほぼイメージ通りだ。


「覆面にマントだ? どこにそんな金が」

「もちろん借金だ」


 試しに被ってみると、俺には大き過ぎるものの、さほど視界を遮ることもなく呼吸も妨げない。とはいえ、最初のうちは、かなり動きが制限されるだろう。


「ほらエイダ、いまから被っておけ。寝るとき以外は外すなよ。試合までは10日しかない。慣れないうちに試合に出たら、みっともない動きしか出来なくなるぞ」

「おい、勝手なことをいうな。そんな物を着けるなんて、俺は……」


「ちなみに、入場のポーズは、羽ばたく鳥をイメージして、こうだ」


 ちょっとメキシカンぽく派手な入場をしてもらう。あと定番演技ムーブも考えないとな。子供でもすぐ覚えられるくらい単純明快キャッチーで、真似しても安全なやつがいい。


男爵領うちの、青い鳥? おい、それ馬鹿鳥エントじゃないのか!? 石を投げても落とせるっていう……」

「ああ。頭が悪くて、簡単に仕留められて、味が良いんだってな。お前にピッタリだろ」


「ぶっ飛ばすぞ、この野郎!?」


「兄さん、落ち着いて」

「落ち付けるか! だいたい、借金て何だ! そんなことに金を使っている余裕など、いまの俺たちにはないだろうが! さっさと金を稼いでここから出ないと」

「残念だけどな、エイダ。お前はあと30試合終えるまで、ここから出ることは出来ない」

「……あ? 30試合・・!? 借りたのは金貨30枚だから、契約では最低15試合の筈だろうが」

「追加で金を借りた。俺とお前の共同名義でな。ミルデンホールは連帯保証人だ」

「何を勝手な真似をしているんだ貴様! ミルデンホールも何を考えている、ふざけるのもいい加減にしろ、そんなもの呑めるか!」


「兄さん!」


 そこで、エイダの声が止まる。弟の後ろで扉が開き、清楚な美少女が入ってきた。


「……シュリーヴァー!? どうしてここに!?」


 滑らかな黒髪に真っ白なドレス、大きな青い目に涙を湛え、健気に笑みを浮かべるその姿は地上に舞い降りた天使のよう、ではあるが……どうにも気持ちが入り込めない。

 何かが間違っている。こんな子が鬼瓦の妹であるわけがない。


「ミルデンホールが掛け合って、ギリギリ間に合った。彼女は清いままだ」


 胸を張る俺の言葉に、ミルデンホールは苦笑し、シュリーヴァーは真っ赤になり、エイダはあからさまにホッとした顔になった。


「そ、それは良かった……が、聞いてないぞ!?」

「話をする前にぶっ倒れたからだろうが。こっちは、あれから必死で駆け回ったんだよ」


 主に弟が、だけどな。こちらは戦奴なので外には出られない。ミルデンホールは領主だけに処理能力は高いらしく、短時間であちこち動いて契約と交渉をまとめてきた。後はこちらが受け入れるかどうかだ。


「やってくれたことには感謝する。が、こういっては何だが、これはインシルリク家の事情ではないか。お前に何の関係がある?」


 疑問としては至極ごもっともだ。


「何って、金だよ。それ以外に何がある」


 エイダはゲンナリした顔になるが、当然だろう。お貴族様の家庭の事情に、俺がただ働きする義理はない。いつまでも戦奴でいたい訳がないだろうに。


「金貨50枚からの競りに掛けられそうになってたのを、60枚で買い取った。興業進行管理人ブッカーのベローズ経由で競売人やら王都の商会に圧力を掛けてもらったんで、護衛と送迎、交渉込みでプラス20枚。借金返済に足りなかった分の立て替えが20枚。合計で金貨100枚だ」

「だったら50試合だろうが。30試合じゃ60枚にしかならん」

「差額は俺の取り分だ。俺とお前の名義で借りたっていっただろうが。オーナー側の契約は果たされた。もうお前に拒否権はない」


 一瞬ムッとした顔になりかけたエイダはそのまま首を傾げる。


「?? ああ……いや待て、取り分というのは金を抜く・・ことをいうんじゃないのか。足してどうする」

だからな。お前という金づるに投資してやったんだ。有難く思えよ」

「兄さん、公爵が驚きながらも呆れてましたよ。あのタイトという男は何者なんだと。どうやら色々と、常識外れな提案を出したようで」

「……おい、何を企んでいるんだ、お前……」

「大丈夫だ。金貨40やそこらなど誤差にしか思えないほど稼がせてもらう。お前が領地に戻るときには、救国の英雄としてだぞ、バロン」

「バロンとか呼ぶな、阿呆」


「申し訳ありません、兄上。わたくしのために、兄上を危険な目に……」

「よせ、シュリーヴァー」


 グズッとおかしな音を立てて背を向けると、エイダはあれだけ嫌っていた覆面を俺から奪い取る。心を決めるかのようにゆっくりと装着して、こちらを振り返った。

 思った通り、長身のエイダに覆面は良く似合う。その目に、もう迷いなどない。


「兄、上……?」

「お前の兄は、もういない。我が名は、マスク・ド・バロン! 愛と正義のために戦い続ける、気高き孤高の戦士だ!


「……兄上、の……馬鹿」


 双方涙目の兄妹小芝居を見るに堪えず、俺は控室から逃げ出す。


「真実なのは、“孤”のとこだけだけどな」


「何だとこの野郎、次の興業ではぶっ飛ばしてやるからな!」


 元気そうでなにより。振り返ると、インシルリク兄弟の後ろで、ネリスが小さく手を振っていた。片手には重そうな革袋。

 どうやら、あいつは賭けに大勝ちしたようだ。

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