第2話 vs怒りの獅子

「改めましてご挨拶させていただきます。わたくしヒューガ・タイトと申しマス、以後お見知りおきを」

「……」


 無言の圧力が押し寄せてくる。周囲の空気は黒く張り詰め、黒曜石でも削り出したかのように硬い。俺はダラダラと脂汗を垂れ流しながらも目だけは逸らすまいと目の前の人物を見つめ続けた。


「……バークスデールだ」


 地獄の底から響いてくるかのように重厚な声。猛獣の唸りにも似たそれは、ある意味でそのものズバリの威嚇でもあったのだろう。ワッサワッサと金のたてがみを揺らす獅子面の獣人、バークスデールは猫耳少女の父親だった。

 スラムのなかではそれなりに広く清潔なところなのだろう。十畳ほどの応接間、その真ん中に対面状態で座り、俺は憤怒のライオン丸から歓待という名の尋問を受けていた。


「娘を助けてくれたことは感謝する。あの男たちは、ここの自警団が回収してを検討することになった」


 それは何なのかと訊くのは止めておいた。部外者の俺が足を突っ込んで良いことがあるとは到底思えない。この男の娘に手を出そうとした哀れな男たちの冥福を祈るくらいしかできない。


「そうですか。水場をお借りし、服までいただいてこちらこそ感謝しております」


 身に纏っていたボロ布は彼女の家に着くまでに自然崩落してちょっとした騒ぎを起こしたのだが、いまは粗末ながら小奇麗な麻の上下に変わっている。ブカブカなところを見るとバークスデールの下着か何かなのかもしれない。

 それではこれで、とばかりに退散しかけた俺を後ろから伸びてきた手が押さえつける。フワッとした柔らかい感触と空気が、場の雰囲気を黒から暖かなクリーム色に一瞬で塗り替えたのを感じる。

 振り返ると、ネリスの母親が笑みを浮かべて俺を見つめていた。清楚なワンピースの腰にエプロンのような布を巻いて、綺麗で優しいお母さん像を具現化したように見える。ネリスは母親似なのだろう。雌ライオンというより穏やかな猫のように見える。

 問題があるとすれば、背中に押し当てられた凶悪な質量が俺の思考を掻き乱していることくらいだ。まずいまずいまずい下手な反応を見せれば――というか見せなくてももしかたら既に――バークスデールには煩悩の乱れを察知されてしま、うわメッチャ睨んでるお父さんそれ殺意込められてるし、ちょマジでやめて!


「まあまあ、そんな他人行儀な挨拶は抜きで、ご飯でも食べていってくださいな」

「リース、話はまだ終わっていない」

「あなたがそんな顔で睨んでいては話も弾まないでしょうに。さ、ネリス運んでちょうだい」


 逃げ場を失い拘束されたまま、俺は再び座らされる。クワッと牙を剥いた獅子舞の正面に。何これ。どんな罰ゲームだよ。


「食べてみてよ。そのトマトのスープ、あたしが作ったんだ」


ネリスも水浴びを済ませたらしく、髪も肌も見違えるように綺麗になっていた。服もサイズのあったノンスリーブのシャツとハーフパンツのようなズボン。状況を考えるに、初対面のときの服装は剥かれた後で奪ったものだったようだ。

 俺の前に置かれた木椀には野菜と鶏肉の入ったミネストローネのようなものが入っていて、湯気とともに芳しい香りを運ぶ。忘れていた空腹がたちまち警報のような音を立てる。


「この平パンを浸けて食べるの」


 笑顔で差し出された木の皿には焼きたてのパン。こちらでは製法が違うのか円形の平焼きで、カレー屋で出てくるナンのようにも見える。パンやトマトやスープという単語が自然に入ってくるのが不思議だった。普通に会話は出来ているものの、どこか翻訳ソフトを通したような違和感が残っている。この世界に生まれ変わった――としか考えられない――結果、この身体の持ち主を通じて翻訳されているのだろうか。

 そもそも、この身体の持ち主はどこの何者なのだ?


「どうかした?」

「あ、いや……あんまり美味しそうなんでボーッとしちゃった」

「案外口が上手いんだね。匙を使う?」

「ありがとう、いただくよ」


 揃って席に着くと、ネリスの家族は手を合わせて短く祈る。見様見真似でやってみるが、さほど厳密なものでもないらしく反応はなかった。いただきます、程度のものか。


 幸いなことに、他愛ない世間話をしながら食事は和やかに進んだ。ネリスの家は、両親と弟のアルタスの四人家族。父親のバークスデールはスラム出身の元兵士で、膝の怪我が原因で引退すると古巣のスラムに戻っての相談役のような仕事をしているらしい。弟のアルタスは顔貌こそ父親似だが人懐っこい性格らしく、俺と目が合うたびニーッと無邪気な笑顔を見せる。まだ3歳だが、案外器用に匙を使って食べている。食べている途中で何度かバークスデールから怪訝そうな視線を感じた。もしかしたらこの世界で匙を使うのは幼児だけなのかもしれない。


◇ ◇


「ごちそうさまでした。とっても美味しかった」

「喜んでもらえてよかったわ、また食べに来てね」

「ありがとうございます」


 笑顔のリースさんが食器を持って片付けに立ち去ると、俺はバークスデールに向き直る。お暇する前に、この世界で生きる術を少しは聞き出しておきたい。食事中にいくつかプランは浮かんだが、実現可能性を判断するだけの知識と伝手がない。


「バークスデールさん、少し聞きたいことがあるんですが、いいですか」

「俺もだ」

「お父さん? タイトに因縁付ける気なら、あたしが相手になるからね」

「そんなんじゃない。だがお前、何者だ?」

「どこにでもいるガキ、では納得していただけませんか」


 異世界の少年に転生した三十間近の食い詰めレスラーです、よりはすんなり聞いてもらえると思ったのだが。俺の無難な自己紹介を、バークスデールは鼻息ひとつで一蹴する。


「笑わせるな。まずその口調だ。兵士時代に階級の上から下まで接する機会はあったがな、そんなしゃべり方をするのは貴族くらいだ。匙で優雅にスープを食うのもな」

「まさか。口調や身振りを真似るくらいなら……」

「誰だってできる、か? 可能かどうかだけなら、そうだ。だが軍人上がりは――少なくとも指揮官経験者なら、そうは考えない。誰かが何かを行うなら、それには意味と目的があるはずだ。お前が貴族を真似て何の得がある」

「損得でいえば、ないですね。ただ、目上の人の前では丁寧な態度で接しろと祖父が」

「事実が混じっているが、真実ではないな」


 あっさりバレた。怪しまれているのは理解できるが、いったい何をどう怪しまれているのかがわからない。正解が読めないままでは対応策も取れない。


「貴族はスラムで獣人と飯を食ったりしない。平民相手でさえ、食卓をともにするなど利益に繋がる資本家や大商人くらいだ」

「はあ」

「殺気は読んでる。反応もしてる。そのくせ逃げも隠れもしない。真正面から目も逸らさず獅子の圧力を受け止めるお前は……」

「何者でも良いじゃない」


 呆れた声で、ネリスが俺との間に割り込む。


「利益がないっていうなら、あたしを助けたことからしてタイトには何の利益もないでしょ。相手は商会の人狩りふたり。ひとりは懐にいくつも武器を持ってて、ひとりはお父さんと変わらないくらいのデカブツだった」

「だから、それがそもそも……」

「あいつらとグルだなんて言い出したら、お父さんでも許さないからね」


 俺の目の前で、ネリスの背中が震えた。小さく脆弱だが、明白な殺気が立ち上る。


「今度だけは、ダメだと思った。近くには何人も大人がいたのに、誰も助けてなんかくれなかった。関わらないように見つからないようにって目を逸らして逃げてくだけで、手を貸してくれる人なんて、ひとりもいなかった!」


 最後は涙声になりながら怒鳴る娘の剣幕に、自分が怯んだことを悟られないためだろう、バークスデールは不機嫌な顔で首を振る。


「……それがスラムだ。自分の身は自分で守れ。守れないなら警戒を怠るな。いつも言ってきただろう。なぜ逃げなかった」

「あたしが逃げたら、エグリンが捕まってた。あの人は妊娠してる。走るのも隠れるのも無理だった。だから囮になったの。距離を取ったら撒くつもりだったけど、やつらは徒党を組んでスラム全体に散らばってた。下手を打ったのは認めるけど、これでも最善を選んだつもり」

「……」


 バークスデールが憤怒の表情で唸り声を上げる。

 家の戸口のところで、何か騒ぎが起こった。サッと動き出したバークスデールの後に続いて行くと、ウサギ耳の獣人ふたりが地面に伏せていた。


「すまねえバーク! エグリンのせいで、あんたんとこのネリスが!」

「いいがら、ほっどいで逃げなっで、いっだだよ! でもネリスぢゃんがあー!」


 長い耳ごと頭を下げ必死に謝る中年男の隣では、身重の女性が号泣していた。


「ああ、ラジェスおじさん大丈夫よ、この通り無事だったから」


 土下座していた二人がハッと顔を上げる。驚愕の表情でネリスを見つめ、怪我はないかと全身を確認する。苦虫を噛み潰したような顔のバークスデールは、無言のまま腕を組んで立っていた。


「ほんどがい、ほんどに何にもされなかったのがい?」

「ああ、まあね。ここにいるタイトが、バーンと吹っ飛ばしてくれたから」

「え?」


 ようやく俺が目に入ったのか、ウサギの夫婦がこちらを見て硬直する。目が泳いでネリスとバークスデールの間を往復する。それは何の冗談かというようなことが顔に書いてあった。


「吹っ飛ばした? 相手はホロマン商会の人狩りだよ?」

「ウソだろバーク、俺をからかってるんなら……」

「事実だ。デカブツのエザルと、暗器持ちのラタン。暗渠で失神していたところを、ウチの連中が縛り上げた。この件は終わった。今後はこんなことが起きないように警戒を厳重にする。以上だ」


 話はこれで終わりとばかりに、バークスデールは部屋に戻る。残されたウサギの夫婦は気まずい雰囲気に耐えられず、リースにも礼と詫びを言い残すと、そそくさと帰って行った。


「あのホロマンが、このままで済ますもんか。終わったのはこの件・・・じゃねえ、これで俺たちが・・・・終わったんだ……」


 ウサギの中年男が漏らした最後の呟きだけが、やけに耳に残った。


「じゃ、じゃあ、俺もこれで「待って!」……げふッ!?」


 腰にはネリスの全力タックル、後頭部にはリースさんの爆乳ホールドで俺は思わず息を呑んだまま固まる。


「どこ行くのタイト」

「いや、わからない。けど、行かないと」

「じゃ、あたしも行く」

「は?」

「ホロマンのやつらをぶっ飛ばしに行くんでしょ? だったら、あたしも行く」

「……ほう?」


 気付けばいつの間にかバークスデールが部屋の入口に立って、不敵な笑みで俺を見ていた。

 いやいやいやいやいや違うし。ただ退散してねぐらと食い扶持でも探そうと思ってただけだし。いくら後先考えない阿呆レスラーだとしても、いまの俺は(少なくとも身体は)ただの子供だ。人狩りなんて連中は許せないとはいえ、そこまでする気も義理もない。

 ない、が。


「止めても無駄よ、お父さん。もう決めたの。あたしはタイトと行く。どんなことがあったって、ずーっと一緒なんだから!!」

“はァ!?”


 声に出さなかったのは思考停止していたからだが、それが良かったのか悪かったのかは自分でもわからない。バークスデールは引き攣った笑みを浮かべて、俺を値踏みするような目で見つめている。痛いような静寂のなかで、クスクスと笑うリースさんの声だけが後頭部の後ろで響く。


「良かろう。我が娘を娶るのに相応しい男かどうか、俺がこの目で確かめてやる!」


 ――馬鹿言ってんじゃねえ、止めろやァ―ッ!

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