第19話 生活の知恵

「そんな大事な事、聞いてない! 何で言ってくれないの?」


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 日も昇り、ワンの部屋の開け放たれた窓からは、小鳥の囀りが聞こえてくる。


 そよそよと部屋に入る風が、初夏特有の草木の匂いを運んでくる。


「んんっ…… もうちょっと寝るかなぁ……」


 アルは眠そうな目を少し開けると、既にワンの布団は畳まれていた。


 心地よいそよ風と小鳥の声、静かな初夏の朝が眠気を誘い、二度寝しようとするアル。


 そんなアルを起こしたのは、冒頭のレイの大声だった。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「……んーー? なんだぁ? 皆もう起きてるのか?」


 アルはゆっくりと身体を起こし、布団の上で長座する。


「ふぁぁぁぁ……」


 あくびをかきながらグイっと背伸びをしていると、ドタドタと部屋へと近付く音が聞こえてきた。


 ……ドタドタドタっ  ガラガラ……  バタンっ!!


 足音の主はワンの部屋のドアを勢い良く開けると、眠そうなアルへ……


「ちょっと! アルもお姉ちゃん達に言ってよ!」


 今にも泣き出しそうな剣幕のレイは、少し興奮している様子でアルへと声をかける。


「おっ、おはよー」


「おはよーじゃないよ! 早く起きて!!」


「……えぇ……。 めっちゃ怒ってるじゃん……」


 レイの勢いに気圧されたアルは寝ぼけ眼を擦りながら、ゆっくりと起きる。


「どうしたんだよ。 とりあえず落ち着けよ」


「落ち着いてられないの! 早く来て!」


 レイはアルの服を引っ張ると、ズルズルと引きずるように居間へと向かった。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 居間には、テーブルの前に座る二人の人影が。


 少し気不味そうな表情のワンとバレリアが正座させられていた。


「アルもそこに座って!」


「えぇぇ…… 何で俺まで……」


「良いから早く!」


 アルをバレリアの横に座らせると、レイは三人の前で仁王立ちする。


「ちゃんと説明して!」


 少し興奮気味に話すレイの視線は、まずワンへと向けられていた。


「うむ。 先程も言った通り、ワシとバレリアで旅に」


「何で皆一緒じゃないの?」


 ワンの言葉を遮るように、食い気味に発言するレイ。


 その勢いに圧倒されたワンは、隣に座るバレリアへこっそりと肘打ちする。


「ちょっ…… 主様……」


 レイの視線は小さな声で呟くバレリアへと移行していく。


「んんっ!」


 バレリアは咳払いをすると、意を決したように真剣な表情になる。


「レイちゃん!」


「なっ、何?」


 その真剣な表情に、少しだけレイの身体が後退る。


「レイちゃん約束したよね? 外出禁止だって」


「……したけど」


「これは大事な用事で前から決まってた事なの! 仕方無いでしょ?」


「……でも、私も」


「ふぅん。 レイちゃん、約束破る子なんだぁ」


 バレリアの攻勢に、レイが少し圧倒されているように見える。


 その様子を見たワンは小声で「ええぞ、ええぞ」と呟いているように聞こえた。


 少し勝ち誇った表情のバレリアだったが、レイはハッと何かを思い出したように話を始める。


「破らない! うん、約束は破らないよお姉ちゃん!」


「へっ?」


「お姉ちゃんは、一人で外出するなって言ってた。 だったら皆なら良いよね?」


「えっ…… えっと……」


 見事に揚げ足を取られたバレリアは、急に口ごもってしまった。


 その三人の様子を見ていたアルは、小さな声で「やれやれ」と呟く。


「おっ… おい。 アル」


 左肘でトントンとアルを叩くバレリアは小声で、「後は頼んだ」と呟いていた。


「はぁ……」


 アルは深く溜息を吐くと、ゆっくりと顔を上に向ける。


 そこには見下ろすように、アルの顔を覗き込むレイの姿があった。


「アルは、どっちの味方なの?」


「どっちの味方って……」


 思わず目を反らし、ワンとバレリアへと視線を向ける。


 すると二人は明後日の方を向き、アルから視線を反らしてしまう。


 バレリアの鳴らない口笛だけが、ヒューヒューと聞こえていた。


(丸投げかよ……。 適当に話を合わせて、説得するしか無いかぁ……)


 そんな事を考えながら、アルはレイへと言葉をかける。


「あのなぁ…… 聞いてないのか?」


「聞いてないって…… 何が?」


 アルの言葉を聞いて、キョトンとした表情でレイは返答した。


「爺さんもバレリアも、すぐ帰ってくるんだぞ?」


「んっ? そうなの? いや、でも一緒に……」


 尚も食い下がるレイに、アルは言葉を続けていく。


「レイも、【烙印】持ちを探す為に色々、出歩いてたろ?」


「それは、ワンちゃんに言われてた事だし」


「でも、レイがいつ帰ってきても良いように、バレリアも待ってたろ?」


「そりゃ私達の家だもん……」


「じゃたまにはレイが、バレリア達を待っててあげても良いだろ」


 その言葉を聞いたレイは、少しだけ言葉に詰まる。


(そろそろ、トドメを刺しておくかぁ。 まぁちょっと可哀想な気もするけど……)


 アルは、ふぅっと溜息を吐くと、レイへと言葉を続けた。


「それにな。 バレリアから聞いたけど、最近ニノカミ?ってところに出るらしいぞ?」


 アルはそう言うと、バレリアに目配せする。


 何の事か覚えのないバレリアは、不思議そうな顔でアルを見つめていた。


 その様子を見ていたレイは、アルへ問いかける。


「出るって何が?」


「あれ。 【神狼】だっけか?」


 その言葉を聞いて、レイは少しだけ冷静さを取り戻したように感じられた。


 一方のバレリアは首をブンブンと横に振り、言葉には出さないものの否定していた。


(許せ。 こうでも言わないと、収まらないだろ……)


「爺さんは攻撃当たらんし、バレリアも問題無いだろうけど……。 レイだと無理だろ」


(結構、嘘ついちゃったけど…… 大丈夫だよな?)


 アルの説得にレイは不満げな表情を浮かべながら、押し黙っている。


「まぁ、たまには留守番って感じで、のんびりするのも良いだろ」


(というか、俺がのんびりしたいんだけど。 旅とかは正直しんどい……)


「……わかった」


 レイは俯いたままで、不満げな表情は崩さない。


 しかし、アルの説得には渋々ながらも納得していた。


 そんなレイの様子を見ていたバレリアを、チョンチョンと肘で突くアル。


「こんな感じで良いのか?」


「うん。 アタシ達じゃ無理っぽかったし……」


 アルはワンへと視線を向けると、ニヤリとしながらウンウンと頷いているのが確認出来た。


「それで…… いつ行くの?」


 レイは少し寂しそうな表情で、バレリアに問いかけた。


「えっ? えーっと。 準備が出来たら、お昼前には出ようかなぁって」


「そっか! 分かった。 じゃ私も準備手伝うね。 行こ! お姉ちゃん」


「えっ? あっ。 うん。 ありがと」


 急に協力的になったレイの態度に、バレリアは拍子抜けした様子を見せている。


 そんなバレリアの様子をよそに、レイはいそいそと旅の支度を開始していた。


「やれやれ。 何とかなったなぁ。 てか、ちゃんと説明しておけよ」


 呆れたように苦情を言うアルに、ワンは悪びれもなく答える。


「いやぁ。 あの子、怒らせると怖いからのぅ……」


「怖いって…… まぁあの姉妹はどっちもこえーけどな……」


「じゃろ? ワシの気持ち分かるじゃろ?」


 食い気味に同意を求めるワンの態度を見て、アルは静かに頷いていた。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 レイ達が旅の支度をしている間、ワンとアルは居間でくつろぐ。


 ワンが入れてくれた茶をすすりながら、アルは窓から見える景色を眺めていた。


「おっと、そうじゃった。 コレを渡しておこう」


 ワンは一冊の分厚い書物を取り出すと、ドンっと居間のテーブルの上に置いた。


 それは、昨夜ワンが徹夜で書き足していた、見覚えのある書物。


「んっ? 何これ?」


「これはまぁ何というか、生活の知恵みたいなもんじゃ」


「はぁ…… 生活の知恵ねぇ」


 アルはテーブルに置かれた書物を、パラパラと流し読みする。


 そこには目次毎に分かれた、作畑等の方法が詳細に書かれていた。


「おぉ。 本当に生活の知恵だなぁ。 ふーん」


「じゃろ? ちゃんと、お主でも読める字で書いておいたわい」


「そーいやそーだな。 こっちの字は俺には分からんしなぁ」


 書物を流し読みしながら、アルは何気なく答える。


 ワンはその様子を見ながら、少し呆れたように……


「お主はとりあえず、文字覚えた方がええかも……」


「えぇ? 面倒くさいなぁ…… 話せるから良い気もするけど……」


 少し不貞腐れたような態度で返答するアル。


 ワンは呆れた表情を更に深めながら答える。


「お主…… ……本当に手伝ってくれるの?」


「えっ? ……はい。 ガンバリマス……」


 少し悲しそうな表情に変わったワンを見て、アルは少し反省していた。

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