第六集 令嬢見参
絹で出来た桃色の
「はいぃ? ワタクシを知らないんですの!?」
「たわけぇー。こちらにおわすおかたを、どなたとこころえるぅー」
「そう!
「ずがたかいわぁー」
「部屋を用意して州刺史に取り次ぐくらい! すべからく! さっさとやってくださいませんこと!?」
襄平は別に戦時下であるわけでもなかった以上、城門の出入りがそこまで厳しくされていたわけではなかった。しかし余所から来た流民は大抵の場合、簡易宿舎などで寝床が用意される程度である。
しかしこの自称令嬢の出現は、その謎の勢いに押され、あれよあれよと政庁に程近い
そんなこんなで客桟の部屋に入った小恬と
「気持ちいい! 何か気持ちいい! 何かが目覚めそう!」
「いや、しかし、こんな目立つ方法で入って良かったのか……?」
「
「話には聞いていたが、漢人の女が貞操とやらを気にするのは本当だったんだな……」
「私も話には聞いてたけど、胡人の女は本当に気にしないわけね……」
儒教倫理の強い漢人の社会では、女の貞操は非常に強い意味を持つ。婚前に処女を捨てるような者は、
体を汚されるくらいならば舌を噛んで自死を選ぶほどの女性も多かったのである。
一方で、そうした宗教的倫理観の無い胡族では、男女の性交渉は少年少女の遊びの延長のような牧歌的なものであった。結果として子供が出来れば、それは天の授かりものだとして夫婦となるのである。
しかし力こそが正義という胡族の中では、当然のように夜這いや強姦によって女を得ようとする男も多い。だがその結果として子供が出来たならば、女側の両親も天の采配だとしてそれを認めるのが普通の事であった。
そもそも医学も無く、食糧も安定せず、他部族との戦争に明け暮れる胡族においては、生まれつき病弱な子供はそもそも大人にすらなれない。運よく大人になっても弱ければ、男なら戦場で使い捨ての駒にされ、女なら強引に手籠めにされて子を産む腹となるしかない。
だが同時に、女が政治や軍事に関わる事を無条件に忌避されていた漢人社会と違い、胡族ではそれがない。むしろ力さえあれば、女であろうと部族を率いたり、前線で戦う戦士として尊敬され認められたわけだ。
弱いのが悪い、生き残りたければ強くあれ。自分の自由に生きたければ誰よりも強く。そういう理屈である。まさに究極の弱肉強食社会だ。
漢人の社会も、胡族の社会も、後世から見れば両極端極まりない。そうした文化的隔絶が、この時代の漢人と胡人が分かり合えない原因のひとつになっていたのである。
「えーと、その……、暁鹿もやっぱり、経験……あるの……?」
「ん? まぐわいか? あるぞ。子を孕んだ事はまだないが」
「あ、あぁ……、そうなんだ」
どこか言いにくそうに訊いた小恬に対し、表情を変える事もなくサラリと答える暁鹿。この辺もまさに漢人と胡人の感覚の違いが現れた部分と言える。
そんなやりとりをしている間に、州府からの遣いを名乗る者が部屋にやってきた。その相手は三十歳前後の文官風の男で、平州刺史・
「幽州臨渝から来たとお聞きしたのですが、我が叔父は記憶にないと困り果てておりまして……」
そうした相手の反応も、小恬としては想定済みであった。城門の時とは打って変わり、落ち着いた態度で切り返す。その様子はどこか悲しげで、後ろに黙って控えている暁鹿からすると、滑稽さと怖さを同時に感じるほどであった。
「えぇ、そうでしょうね……。我が祖父である
そう言って小恬は瞳を潤ませた。崔毖の立場や現状を鑑みた上で、虚実を交えた泣き落としといった所である。
小恬の生家である耿家は、この時代の制度である
崔燾もまた自身の叔父が州の内外の臣民から見限られて孤立していく様を見続けていた事もあり、それを忠義を貫いた結果であると評されて涙腺が緩んだ。
「あなたもご苦労なされたのですね……。やはり分かってくれる人は分かってくれるものですな……。いらぬ疑いをかけてしまった事をお詫びいたします。そして必ずや叔父にも伝えます。どうぞお寛ぎくだされ」
そう言って深々と拱手礼をした崔燾に、小恬もまた丁寧に礼を返して見送った。
崔燾が袖で涙を拭いつつ客桟から出たのを窓から確認すると、交渉の様子を黙って見ていた暁鹿が溜息をつきながら言う。
「それにしても欺くのが上手いものだ……」
「兵は
戦場とは騙し合いである事を言った
そんな小恬に対し、平州刺史の崔毖から酒宴への誘いがあったのは、それから三日後の事であった。
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