83歳、祖母の気持ち。

み。

第1話 ゆきちゃんと私

ゆきちゃん、83歳。(祖母)

みーちゃん、26歳。(私)


幼い頃、私は祖父母のもとで長い時間を過ごした。

そのため、私は祖父母のもとで過ごした思い出が強い。


何故かと言うとこれには理由がある。


私が生まれて3年後、妹が生まれた。

私と比べるとぐずりもせず、穏やかに健やかに育った妹だが言葉の発達が遅く、何か異常があるのではないかと思い心配した親はよく医者に診てもらっていたため、私はよく祖父母に預けられた。


特に人見知りもしない私は、すぐ祖父母に懐いた。


そして幼いながらに長女という自覚があったのか、母が妹に付きっきりでも寂しくないふりをしていた。

弱音を吐かない=強いお姉ちゃんと思っていたのだろう。


寂しさで夜中目に涙をためる事もあったが、それでも祖父母のもとにいたのが楽しかった。

一時的な寂しさだったのだろうと、今になって思う。


母に代わって、祖母が私の面倒をよく見てくれた。

トイレトレーニングでは、「みーちゃん、おしっこしようね。」とよくトイレに連れて行ってもらったり、夜中もおねしょをしないよう起こして連れていってくれた。


好き嫌いをするとご飯を作る親が困るからと、幼い頃から何でも食べさせてくれた。

特に茶碗蒸しに入っていた銀杏を、祖父母の「食べてごらん!」という期待の一言で見つめながら食べさせられた時は顔を歪めながら「美味しい・・・」と言った。

なかなかハードなトレーニングだ。

その思い出もあり、今でも茶碗蒸しを食べる時は一番最初に銀杏を探し出す。

そして、一番最初に食べて安心するのだ。


しばらくして妹の体に異常はなく、ただの発達が遅いだけとわかった頃には少しずつ父と母と過ごす日も増えていった。


それでも、小学生くらいまでは頻繁に祖父母の家に遊びに行った。

旅行気分を味わうため、リュックに沢山の荷物を詰めて。

(その大半はおもちゃだったが、使うこともなく祖父母と公園に行っていた。)


昔から運動神経がかなり良かった祖母は、よく公園でうんていや鉄棒をやって見せてくれた。

その話を母にすると、いつも大笑いしていた気がする。

それだけ体力もあり、元気な人だ。



ざっと、私と祖母の幼少期の思い出はこんな感じ。


だが、そんな祖母が1年前、急性心不全で救急搬送され約2週間入院した。


それをきっかけに、今まで私の知らなかった祖母の人生や思い出を少しずつ知っていく。


そんな実話だ。

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