拾陸

ホテルでの仕事を終えて事務所に帰ってみれば玲奈のフォローという思わぬ重労働が有ったので翠はかなり長く寝てしまった。

9時30分に帰って来てから仮眠のつもりだったので12時には起きるかと考えていたが実際に起きたのは17時だ。

寝起きで頭の回転は鈍いがベッドに寝転んだまま入金や仕事についての話が影鬼図書館から届いているか確認しようとスマートフォンを手に取った。

連絡が来ており仕事の完遂に対する事務的な感謝と報酬の入金報告の連絡が来ている。銀行預金をアプリで確認すれば確かに報酬が振り込まれていた。

安心して大きく息を吐き、再度ベッドに倒れ込んだ。

すると直ぐに新しく着信が有ったのでメールを見てみればいつものスーツ男だった。

早目に通話がしたいらしく普段の形式的な文章の少なく電話番号が記述されている。

指定の電話番号に通話を掛けてみればいつも通りワンコールで繋がった。


「どーもどーも、何か焦ってる?」

『こんにちは。ええ、少し急ぎの仕事をお願いしたくて』

「マジか。俺の予定は把握してたんだろ?」

『把握しています。影鬼図書館からの仕事とは、また状況が動きそうですね』

「俺の仕事内容も把握してるんじゃない?」

『はい、特定の人物を狙う仕事でしたね。派閥争いというか、これから出来る派閥の露払いというか』

「うわぁ、俺より状況把握してそう」

『実働部隊と裏方の違いでしょう。今回もまあ、言ってしまえば派閥争いです』

「俺は妖魔相手に仕事してたいよ」

『お気持ちはお察しします。ただ今回は妖魔討滅の仕事ですよ』

「へぇ」


確かに妖魔討滅が翠の本職と言っていい。偶々翠の魔装が暗殺に向いていたりドローンの様な近代的な機械を使う知識が有る為に便利屋の様な仕事が多いだけだ。

そして妖魔の位置を特定するだけならアプリを使えば良い。今回の様にわざわざ個人的に連絡してくる理由は無い。


『今回お願いしたいのは少々長期的で変則的な妖魔討滅依頼に成ります』

「具体的に頼むよ」

『ある異端鬼の少年の警護と言いますか、その少年の付近で妖魔が現れた際には真っ先に討滅して欲しいんです』

「わぁい、意味が分からない」

『まあ私もこんな仕事は斡旋したくないのですが、私にも断れない事は有ります』

「お疲れ様。さて、少年の情報は?」

『後程メールにて名前と顔写真、行動範囲をお伝えします』

「時期は?」

『申し訳ありませんが、時期は不明です。状況に変化が無い間は常に、としか言えません』

「マジか」


そんな馬鹿な仕事が有るかと溜息を吐いた翠は仕事を断るつもりでいたが、スーツ男も断られるのは見越していたらしい。


『相手に知られずに護衛を1人で行うのは不可能です。なので複数の鬼に依頼しております』

「シフト制って事かな?」

『そうなります。貴方にお願いしたいのはまず1週間、15時から20時の間に成ります』

「学生が1番活発な時間じゃん」

『そうなりますね。この時間には貴方以外にも数人の異端鬼を派遣しています』

「影鬼に所属してるってんなら、その少年もアプリで妖魔を探知するんじゃない?」

『はい。ですがアプリを作ったのは影鬼です。彼のアプリには細工をしてスマートフォンの周囲の反応は表示しない様にします』

「成程。俺も状況次第じゃそうやって動きをコントロールされるのか」

『状況次第ですが、そうなるでしょう』


ここまで譲歩されている以上、断ればどんな目に遭うか分かった物ではない。

スーツ男に聞こえる様に溜息を吐いた翠は仕事を承諾し通話を切った。

11月の頭、そろそろ年末に向けて炊き出し等のボランティアが活発に成る時期なのだが、護衛の仕事次第では受けられないなと考えながらベッドから立ち上がった。

髪は寝癖で崩れているが今日はもう外出する気は無いので直す気も無く翠は自室から事務所に出ると朱夏と玲奈が簡易キッチンで何かを作っている様だ。

翠の部屋の扉が開く音で気付いたらしく朱夏が顔だけ簡易キッチンから顔を出した。


「よく寝てたわね」

「昨日は重労働だったんだよ」

「はいはい。ちょっと早いけど夕飯の準備が出来たら食べちゃいましょ」

「了解~。新しい仕事も入ったし飯の後にでも話すわ」

「あら、仕事が途切れないなんて熱心なフリーランスね」

「サボりて~」


溜息を吐きながら自分の席に着いてノートPCを開けばスーツ男の言っていた少年の情報が届いていた。スマートフォンでも見れるのだが写真を開きながら文章を見たいのでノートPCで見る。


……名前は灰山裂。灰山って、灰燼鬼の家系か。業炎鬼に粛清されたって聞いてたけど生き残りが居たのか。


四鬼に粛清された異端鬼は多い。

異端鬼として断絶している家系は多いが、四鬼の取り込まれた家系も有る。

灰燼鬼は文字通り灰の特性を持った鬼なので燃やす業炎鬼とは連携を取る事も可能に思える。

どんな理由が有ってそんな家が業炎鬼に粛清されたのか翠は知らないが、今回の仕事で鬼としての背景まで気にする気は無い。

彼の活動範囲が八王子だとも書いてあり、翠は溜息を吐く。蒲田と八王子の移動と成るとかなりの時間を拘束される。

正直に言えば相当に面倒だ。

移動に関してはかなり時間的に無駄が多いとスーツ男も理解しており、八王子周辺のビジネスホテルに宿泊するなら事前にまとまった宿泊代金を提供すると記載されていた。

断らせない様に様々な調整をしている辺りスーツ男の抜け目の無さに感心するが、疑問も残る。

護衛を任せるなら地理的にもっと近い異端鬼は居るし、相手は影鬼の異端鬼なので妖魔に対しては自衛も可能だ。

こんな護衛紛いの仕事が翠に依頼される事がそもそも不思議だった。

急ぎというのも本当の様だ。仕事開始の日付は数日後の次の月曜日、時刻は高校の授業が終わる少し前でもある。

適当な八王子周辺のビジネスホテルを調べた翠だが、まだ予約はしない。

裂の高校や家の周囲の地理も調べたが調査時間が足りないので妖魔の出やすいポイントは絞れないが、後は妖魔探知アプリと足で稼ぐしかないだろう。

そんな調べ物をしている間に夕飯の準備が出来たらしく朱夏が小皿を事務所内で1番大きい翠の事務机に置く。

翠も邪魔に成るノートPCを閉じて端に追いやりスペースを開ける。

空いたスペースに朱夏がサラダが盛り付けられた皿を置き、玲奈が大盛のパスタを置いた。

2ヵ月も一緒に生活している事で息が合う様に成って来た3人だ。朱夏と玲奈にも翠の表情が多少は読める様に成っており今回の仕事は大変そうだと察しが付いた。


「で、今回はどんな仕事なのよ」

「それがさぁ、男子高校生の護衛だって」

「は?」

「護衛、ですか?」

「しかも相手に気付かれない様に。ま、俺1人じゃないしシフト制みたいだけどね」

「そいつ何したのよ?」

「さあ? そもそも影鬼所属の異端鬼なんだ、根本的に護衛が必要な理由が分からない」

「はぁ? 異端鬼を護衛?」

「え、異端鬼を守るって、誰から守るんです? 四鬼の方とかですか?」

「正確には護衛っていうか、その異端鬼の周辺で発生する妖魔を討滅して鬼の仕事をさせないで欲しいらしい」

「ますます意味分かんないわ」


朱夏の言葉に翠も玲奈も納得して頷いた。


「ま、折角のパスタ、温かいうちに食べよう」

「そうですね」

「そうね」

「「「頂きます」」」


3人がそれぞれ自分の食べたい量のパスタを小皿に取分けながら食事を始めた。

サラダ用のドレッシングは複数用意されており好きな物を選べるように成っている。翠は胡麻、朱夏はオニオン、玲奈はフレンチとそれぞれの好みや気分で選んだ。

食事中の雑談として朱夏が翠の仕事の話を聞き始めた。


「そういや仕事の場所は?」

「八王子周辺」

「うっわ、護衛として考えると通いは困る距離ね」

「ビジネスホテル使うなら事前に宿泊費をくれるらしい」

「え、じゃあ出張? ノートPCで良かったぁ」

「あら、また着替えとか用意しないといけませんね」

「あ、付いて来る気満々なのね」

「だって翠さん、私か朱夏ちゃんが居ないと食事全部インスタントでしょう?」

「あ~、いや、ほら、ビジネスホテルって朝食バイキングじゃん?」

「アンタ、バイキングの時間に起きれるの?」

「……頑張る」

「これは駄目そうですね」

「いやいや、ビジネスホテルでどう料理するの」

「八王子に有るかは分からないけど簡易キッチン付きのホテルなら普通に有るわよね?」

「そうですね。特にそういったキッチンの有る部屋は複数人で宿泊出来る事も多いです」

「旅行のつもりだぁ」


パスタを口に運びながら溜息を吐いて翠は食事を続けた。

一方の朱夏と玲奈は八王子周辺の娯楽施設の話をしている。

2人が同行するというならホテルを調べ直したりする必要が有る。スーツ男に依頼すれば朱夏のスマートフォンやPCに影鬼製の妖魔探知アプリをインストロールしてサポートさせる事も可能かもしれない。

食事の後は調べ物だと思いながら翠は期間が不明な事を言い忘れたと思いつつ、これも後で良いかと思い直してサラダにフォークを刺した。


……しかし朱夏、家出してても四鬼の生まれだろうに異端鬼の護衛を手伝う気で良いのかな?


多少の不安を覚えつつ翠はミニトマトの酸っぱさに小さく顔を歪めた。

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