伍
品川駅地下迷宮に挑む当日、
地下迷宮へ繋がる通路はいくつか有るが改札の内側には無い。
代表的な入口は駅ビルの地下に設置された『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた扉の向こう側だ。
今どきの商業ビルの中では珍しく電子的なカード等を
四鬼関係者の様な戦闘力の高い者から奪うのが
そんな扉の前で翠はピッキングをするでもなくポケットから普通に鍵を取り出してドアノブに刺して
朱夏とは品川駅の改札前で別れており、元々の計画通り翠だけが地下迷宮に侵入し朱夏は商業ビル内の喫茶店からノートPCでオペレーターに
両手を開けておきたいので翠は左耳にイヤホンマイクを付けており、朱夏も同様にノートPCを前にイヤホンマイクを付けている。周囲の客やハッキングされている事を
翠は扉の横に小型の盗聴器を置いて左手に魔装召喚用の手袋を
「さって、じゃ買い出し頑張りますか」
『初めてのお使いじゃないんだから買う物間違えないでよ』
「いやぁ、買う物は間違えないけど好きな物買ったりはしちゃうかもね」
『無駄遣いするんじゃないわよ』
適当な雑談をしつつ、翠はスマートグラスを掛けて元々入手していた品川駅地下迷宮のマップを開き左だけに表示させる。マップデータはスマートグラス内のストレージに入れてあり、スマートグラスそのものはオンライン部品を物理的に外してあるのでハッキングの心配は無い。
だだ翠のスマートフォンがハッキングされる可能性は排除出来ないので
扉を抜けると最初はただのコンクリートの通路だ。しばらくは直線を進み緩やかに下降し、少し広い空間に出る。
マップを見ると指定されたのはここから直線で200メートルの位置だが遠回りが必要だ。そしてマップデータを入手した時にも思ったが改めて見ると何かしらの指定された地点は探索班用の休憩地点らしい小規模な広場だ。
『ちょっと、
「教育ママ、子供の自由な発想を
『誰がママだ』
確かにママと言うには朱夏の未成熟な
流石にイヤホンマイク通話で怒られると逃げ場が無いので茶化すのはここまでにして翠は広間に踏み込んだ。翠以外に誰か居る様子は無いが隠れている場合は分からない。気にしても仕方無いと切り替えて通路を進み、事前に確認しておいた広間の左側に向けて歩く。
広間の左側を壁沿いに進むと細い通路に繋がっており、その先には階段が有る
階段に着くと電車が近くを通る振動を感じられ、ここが地下の中でも線路に近い事が分かる。
下り階段を見下ろすと10段程度で踊り場が有り反転し翠が居る位置の真下に空間が有る事が分かる。
この辺は階層に成っている事が分かると同時に、翠は左手の手袋に意識を集中して左手だけ魔装を限定召喚した。
『運動は良いけど買い物は忘れないでよ?』
「ブランコでどれだけ跳べるかってやらない?」
『小学校で卒業したわね』
「大人に成ったら試してみると良いよ。意外と怖いから」
踊り場の下から聞こえてくる足音と
狭い通路で魔装を呼んでも窮屈で満足に戦えなくなる。鬼の魔装に限定召喚機能は無いそうだが、この辺のカスタマイズ性や運用方法が幅広いのが騎士式魔装をベースにした
翠は静かに左半身を前に倒しながら階段を降りながら爪先のナイフを展開する。
踊り場から首だけ出して階段の先を見れば前傾姿勢で歩く人型の背中が見えるが、背中から骨の突起が突き出しており肌は所々
ブーツにも関わらず翠は足音も無く階段を降りて通路に出るとそのまま足音無く
右側へ振り返る
視界を完全に奪った直後に右腕をナイフで切り落とし、脱力して身体を最速で
人型の為に頭、右腕、左足を切り離された腐魚妖魔は床に倒れ、翠は
まともな抵抗の出来ない腐魚妖魔の背中に屈み、背中に連続してナイフを振って体積を
「さって、良い感じに跳べたしお買い物を続けましょうかね」
『何でも良いから早くしなさいよ』
「はいはい~」
「『はい』は1回」
「は~い」
通話を繋ぎながらも無言なのは怪しまれるので念の為に適当な雑談は続ける。
ただ地下はコンクリートで囲まれていて音が響くので
腐魚妖魔が黒い
そのまま事前の計画通りにマップを進めば妖魔を発見はしても目的の方向では無かったので手は出さない。
この地下迷宮では妖魔同士が殺し合う事も有り壁に人外の
体力を無駄にしたくない翠は可能な限り魔装は召喚しないし妖魔も放置する方針だ。
妖魔討滅が最優先という教育を受けて来た
その為、言いたい事は有るが朱夏は翠の行動を黙認してノートPCでマップ情報を見る。
四鬼のホームページに公開されてる情報に巡回の時間は無いが翠が入口の扉に仕掛けた盗聴器で地下迷宮に侵入する者が居るかは分かる。
今の所は何の変化も無いが何か有れば翠に知らせるのが朱夏の仕事だ。
「さって、順調に買い出しは進んでるぜ」
『こっちも課題は順調よ。
「
『
地下迷宮に侵入して30分程で翠は目的の広場に到着した。
目的の広場は既に目視出来ており、先客が居るという事も無い。
妖魔に忍び寄った時と同様にブーツでもコンクリートの床で足音を立てない歩法で2両編成の駅のホームを思わせる細長い広場に出る。ここが今回の仕事で指定された荷物の回収地点だ。
広間の中央にはベンチが置かれ、喫煙者用なのだろう
一見して荷物は無い。ベンチの下にトランクが有る様な事も無く、喫煙室等も同様に何かが有る訳では無い。
翠はベンチの裏を見て、セロハンテープで一般家庭で用いられる様な金属製の
受け渡しとは資料に書かれていたが誰かと合流しろとは言われていない。
念の為に鍵を観察してみればセロハンテープと鍵の間にはQRコードが印刷された紙が
内容はこの鍵を持って品川駅ビルに居る
「何だこれ?」
『どうかしたの?』
「いや。買い物は終わったから合流するよ」
『ん? 分かった』
来た道を帰り、途中で妖魔を1体討滅した翠は特に問題無く品川駅地下迷宮を脱出した。
盗聴器も誰かが拾っている事も無い。そうなれば朱夏から連絡が来る筈だったが朱夏が注意を向けていた盗聴器は何も音を拾わなかった程に静かだった。
迷宮の出口付近で通話は切っており、翠は何食わぬ顔で朱夏が居る喫茶店に
「お疲れ様」
「いや~、歩き回って疲れたよね。ただ、もうちょい歩く必要が有るみたい」
「そう言えばさっき、変な反応をしてたわね」
「そうそう。こんなのが追加されちゃってね」
そう言って翠は追加の情報を朱夏に見せた。
鍵を持ったまま駅ビルに居る人物に会えとの事だが、現在も駅ビルに居る事は変わらない。
指定されている場所としては上の階のレストラン街だ。現在時刻は16時なので指定された人物と合流しても半個室のレストランなら周囲を気にせずに会話が出来る時間と言える。
「これ、時間をざっくりと指定されてたのも含めてそれ狙い?」
「多分な。さて、行ってくるわ。お前は事務所に帰ってろ」
「マジ?」
「これ以上は流石に
「追加で頼むとか別の店に変えるとか?」
「ふぅ。ま、良いか。変な行動取られるのも面倒だし付いて来い」
「邪魔はしないっての」
会計は事前に済ませるタイプの店なので朱夏はトレイを返却口に置き
ノートPCを持つ朱夏はリュックだが翠は地下での戦闘を想定して荷物は無い。
そんな2人が並んでいると高校生と大学生のカップルに見える。翠は一見すると特徴が有るタイプでは無いのでホストや
そのまま駅ビルの上の階を目指し、指定されたレストラン街に到着して周囲を見渡すとベンチに座る人物を見つけた。
20代後半の女で整えられた長い黒髪に白いブラウスと黒いスカートを履いており本人の色白さも有って
また整った小顔に合わせて身体全体の線は細いのに胸は確かな膨らみを主張しており近くを通る男の視線を集めている。
そんな女を遠目から軽く観察した
ベンチに座る女の前に翠が立つと女は顔を上げ首を
20代後半の女の仕草としては非常にあざとい仕草だ。自分に優しくする相手に
そんな朱夏の様子には気付いているが無視した翠はスマートフォンを取り出して先程の資料を表示して女に見せた。
「突然でごめんね。君が待ち合わせの人で良かったかな?」
「あ、はい」
そう言って女は立ち上がり
「俺は
「
「ふふ、始めまして。私は
翠の自己紹介で何とか視線を戻した朱夏に苦笑して自己紹介を返した玲奈の笑みは疲れた様に薄っすらとしたものだ。それが妙に大人っぽく感じられ朱夏はまたしても視線を逸らしそうに成るが今度は耐えた。
玲奈の方は朱夏が何に耐えているのか理解していない様で困った様に作り笑いを浮かべているが、やはり
「さて、ちょっと話も聞きたいしどっか入ろうか?」
「あら、でも私、手持ちが心許なくて」
「大丈夫大丈夫、コッチ持ちだよ」
そう言って翠の先導でレストラン街に入り、適当に半個室の居酒屋に入る。
未成年は居るが翠も今から酒を飲む気は無い。
大学生らしい男の店員が玲奈を見て一瞬だけ硬直するが翠が間を置かずに声を掛けて早々に案内させる。
16時という時間も有って3人以外に客は居ないらしく会計から少し離れた位置の客席に案内されカーテンで廊下との仕切りを作られた。冷房が効いており密閉されているが空気が淀んでいる様な不快感は無い。
席に備え付けのタブレットから翠はジンジャエール、朱夏は烏龍茶、玲奈はカルピスを先に注文し、翠は玲奈に好きな物を頼む様に促した。玲奈は少し
「お前も何か食うか?」
「じゃ、適当に」
続いて朱夏も海鮮丼を頼み、最後に翠がピザを頼んだ。
飲物は直ぐに来るだろうがそれまで黙っているのも不自然なので翠が玲奈に声を掛けた。
「いや~、いきなり声掛けちゃってごめんね」
「いえ、私も変に視線を集めてしまって辛かったので有難かったです」
そう言って右手で左の二の腕を
玲奈を見ない事で色気に耐えた朱夏が店員から飲物を奪いカーテンを閉めて店員を追い払った。
「料理が来るまでちょっと時間が有るね。俺はこの鍵を預かっているんだけど、淡島さんは何か知っているのかな?」
「あ、すみません、
「ん? OK、玲奈さんで良いかな?」
「はい。それでお願いします」
「はいはい。で、鍵の事は知ってるかな?」
「実は何の事か分からなくて」
「えっと、じゃあ、あそこに居た
「その、ここでは、ちょっと」
「ん? あ~、どこなら大丈夫かな?」
「影鬼さんは」
「あ、俺も翠で頼むよ」
「え、あ、はいっ。翠さんは個人事務所を開いていると聞いているんですが、そこで話させて貰えませんか?」
「ふむ」
玲奈の発言は意外だった翠は顎に手を当てて目を細め考えている素振りを
理由は不明だが玲奈は翠が人目に触れない事務所を持っている事を知っている。それは暗に翠の事を一方的に知っていると言っている様なものだが、玲奈にそこまでの
今も目を細めて沈黙した翠に
演技の可能性も有るが状況が不明な事は変わらない。
考えるだけ無駄だと判断した翠は考えている姿勢を解いて玲奈に向き合った。
「ま、良いか。食い終わったら事務所に行こうか。話がどれくらいに成るか分からないけど帰りは平気?」
「その、実は、翠さんの事務所でお世話に成るように話を貰っていまして」
「……OK、ちょっと状況が
「いやいや、部屋は空いてるけど家具なんて無いじゃない」
「いや本当にね、何を考えてんだか。ん?」
図った様なタイミングで翠のスマートフォンに依頼人からメッセージが入り、玲奈の寝床として今日の19時に事務所にマットレスと
「盗聴されてんのか?」
溜息を吐いた翠に怯える玲奈と、どうでも良さそうにスマートフォンを操作する朱夏。
そんな妙な雰囲気に食事を運んで来た店員は内心で首を
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