拾伍

 ステルス妖魔のレポートが日本から国連に提出されて2週間。

 最初は完全に新種の特性を持つ妖魔に驚愕きょうがくする世間せけんだったが時間が経てば慣れるのが人間だ。

 各国の行方不明になった魔装まそう使いの調査も進み、ステルス妖魔による行方不明者は1割にも満たないという予測が出た。

 事故、妖魔との戦闘など様々さまざまな理由の中で1割に満たないというのが安全性の保障には成らない事を多くの人々ひとびとが理解していたが、理由が判明しているか不明かで人の心理状態は大きく変わる。


 調査結果を受けて政府が比率を低く見積もっていると陰謀論いんぼうろんとなえる者たちも居たがそんな者たちはいつの時代にも居る。その為、政治家も四鬼しきも誠実に対応している姿勢だけ見せて放置する事を決めていた。


 そんな世界的にもステルス妖魔に対して『警戒し過ぎない程度に警戒しよう』と一般論的な結論に落ち着いた頃、さく麻琴まことは学校に復帰していた。

 共に家の事情で数日の間は通学出来ないと申請しんせいしていたので面倒だったのは裂に課題が出た事程度だ。

 麻琴は受験の為に授業は前倒まえだおしで進んでいたので特に課題をこなす必要も無い。普段の素行そこうが良いので真面目に受験勉強をしていたのだろうと教師たちが判断した事も大きい。


 特別に不公平感も覚えなかった裂だが状況を伝えたところ麻琴から放課後に図書館に呼び出された。麻琴としては影鬼の仕事で課題が増えた事に罪悪感を覚えたらしく手伝いを申し出たのだ。

 優等生で学年も上という事で裂に出された課題は麻琴にとっては簡単な物だった。

 裂も普段から平均点を取れる程度に授業は聞いているので変に理解不足で時間を取られる事も無く、夜の7時には課題も全て終わり2人は図書館で分かれる。


 そんな夜の帰り道、裂は1人暮らしの自宅への道中どうちゅうに待ち伏せが居る事に気付いた。

 体格からして成人女性だろう。冬らしく厚手のコートを羽織りボタンは上まで上げ、洒落しゃれた帽子を目深まぶかかぶっているので夜闇では人相にんそうが分からない。


 荒事あらごとの待ち伏せとしては心許こころもとない人員に見えるが、背後からかなり鍛えていそうな男が2名近付いて来る。

 住宅街の道路で逃場の無い1本道の中腹ちゅうふくだ、あきらめて正面の女に出て来ないかとあごを振って見せた。

 合図は伝わったらしく女はコートの首元をゆるめて人相が分かる様に帽子も取って街灯がいとうの下にあゆみ出て来た。


「ステルス妖魔の時の黒子くろこか」

青山霞あおやま・かすみです。4度目なのですから覚えて欲しいですね」


 霞が裂に話し掛けるのに合わせて背後の2名も裂から距離を取って足を止めた。

 男達が霞を警戒する様子も無く、足取あしどりにも反応にもよどみが無い事から霞と同じ四鬼関係者なのだと裂は判断した。

 包囲を突破するなら確実に霞の方だが、ここまで露骨ろこつだと霞の背後の路地付近には鬼が待機しているかもしれない。


「何の用だ?」

「警察としての仕事です。心当たりが無いとは言えませんよね?」

「まぁな」


 四鬼以外の鬼は犯罪者だ。四鬼が警察内部の組織である以上、取り締まる義務が有る。

 学校や図書館にせて来なかったのは霞なりの気遣いか、影鬼そのものに対しては手を出せない事情が有るのかは分からない。


「では、ステルス妖魔の情報収集に協力して貰います」

「……異端鬼いたんき捕縛ほばくしに来たんじゃないのか?」


 想像とは異なる霞の宣言に首をひねって質問してしまった裂だが、問答無用で突破するべきだったかと思い直して目を細めた。

 霞の要望が何だったとしても情報不足なのは変わらない。話し合いにおうじて貰えている間に聞けるだけ聞くと決めて慣れない交渉にのぞむ。


「それは有りますが、司法取引です。ステルス妖魔の危険性を考慮すれば妖魔討滅とうめつ以外に活動していない異端鬼の1人に時間はいていられません」

「……そんな真向まっこうから言ってしまって良いのか?」

「もし交渉するつもりなら、それは貴方が交渉に足るだけの力量が有ると判断した場合です。これは交渉ではなく、通達に成ります」


 今までの霞の様子から考えても相当に違和感が有る。

 裂の記憶の中の霞はもっと穏やかというか、悪く言えばポンコツな雰囲気が有った。


「拒否した場合は実力行使って事か」

「そうです。私を含めた3人は黒子ですが、他に正規の鬼も複数待機していますよ」

「……逃げ切れる訳は無い、か」

「その通りです」


 霞が言い切った事で裂は影鬼に対して自分の立ち位置を考え、妙案みょうあんは思い付かないと2秒で諦めた。

 頭脳労働は苦手なのだ、したがわせる状況を整えられてしまえば彼にかわすべは無い。


 そんな風に考えた瞬間、スマートフォンがメッセージを受信し振動した。

 手振りで霞に見て良いか確認すると肯定こうてい合図あいずが返ってくる。

 メッセージは拉致らちの仕事の際に設定された影鬼本家からで、内容は四鬼の司法取引に応じステルス妖魔の駆逐くちく作戦に協力しろとの指令だった。


「良いだろう。ただ、協力はするが取引と言ったな。俺は異端鬼としての活動を許されると思って良いのか?」

「はい。細かい契約は後ほど書面しょめんにてわしますが、ステルス妖魔を討滅するに当たっての鬼としての活動を免除めんじょします。また、貴方あなたの日常生活に干渉かんしょうする事もしません」

「へぇ?」

「下手に貴方に干渉し貴方が通う学校内で生徒たちのストレス値は上げたく有りませんから」


 別に裂の納得の有無うむは四鬼側にとっては関係無い。

 強引に従わせ、その後の裂の人生や生活圏を破壊しても彼らには何も関係が無いのだが、その辺は四鬼にとっての都合も有って配慮はいりょされたようだ。


「明日の放課後に八王子警察に来て下さい。受付で私の名前を出せば案内してもらうようにしておきます」

「そこで契約を交わすのか?」

「はい。一方的にげましたが、都合つごうは合いますか? 教師から呼ばれていて放課後に居なくなると怪しまれると言うなら変更の余地よちは有りますが?」

「特に無い。明日の放課後、八王子警察署だな」

「はい。細かい時間は指定しません。学校では怪しまれないようごして来て下さい」


 首肯しゅこうして霞からの提案を受諾じゅだくすると霞は小さく頭を下げて帽子を被り去って行った。

 少し遅れて背後の男達も無用の争いを避ける為に足音を隠さずに離れていく。


 残された裂は影鬼家のアカウントに指示通りに司法取引に応じたと報告すると直ぐに返信が入る。

 今後は麻琴と物理的に距離を取るように書かれており、麻琴にも同様に連絡が行ったようだ。


……分家とは言え影鬼の身内だしな。当然と言えば当然だけど、妙にタイミングが良いな?


 裂と麻琴が復学して数日で裂の帰宅時間まで把握はあくしての四鬼の包囲ほういだ。

 更に影鬼の本家筋から見計らったタイミングでの連絡、四鬼側も裂がスマートフォンを見せて何の反応もしなかった。四鬼と影鬼の間で何かの取引が有ったと考える場面だが、裂の立場ではこれ以上は妄想に近い憶測おくそくしか立てられない。

 溜息ためいききながらも裂はステルス妖魔から離れられない状況を不思議に思いつつ、解決は四鬼側に押し付けたいと考えながら家に向かった。


▽▽▽


 四鬼から接触を受けた翌日、裂は霞の指示通りに放課後に八王子警察署をおとずれていた。

 普段からクラスメイトとは軽い雑談はするが口数が少ない事や1人でボーっとしている事も多いので友人が多いという事は無い。同時に変に孤立して怪しまれないよう適当に会話はしているので単純に人付き合いが苦手なタイプと思われている。


 そんな環境なので特に放課後に引き留められる事も無く学校を出た。

 先日の先輩3人に囲まれた事件の聞き取りは既に終わっているので教師陣から呼ばれる事も無いのがさいわいした。


 霞が言っていた通り警察署の受付で青山霞から呼ばれている事を伝えると少しの待ち時間の後に署内の応接室に案内された。普通の接客と同様に机には茶と茶菓子ちゃがしが用意されとても警察が犯罪者にする対応では無い。

 ソファに座って数分で霞が部屋に入って来た。手には書類が有り恐らく司法取引に関係した物だろう。


「お待たせしました」

「いや。受付で話が通って無かったらどうしようかと思った程度だ」

「ご心配無く、と言う相手では有りませんね」

「そうだな」

「雑談する間柄でも有りませんし、本題に入りましょうか」

「ああ」

「司法取引の内容は昨日に話した通りです。貴方にはステルス妖魔の調査、討滅を手伝って貰います。期日きじつ、というか終了の条件は話していませんでしたね」

「ああ。その辺の詳しい事を今日、通達されるものだと思っていた」

「その通りです。取引の終了条件は四鬼でステルス妖魔の索敵方法、討滅方法を確立するまでです」

「……厄介な」


 つぶやきながら裂は特に許可も求めず茶を口に含む。

 簡単に言えば四鬼側の思惑次第おもわくしだいでずっと裂を拘束こうそくする事も可能な条件だ。

 既に単独たんどくでステルス妖魔を2体ほふり、四鬼2人と協力しながら1体を討滅している。

 四鬼としては有用な戦力としてあつかえるなら手元に置いておきたい人員だろう。


「念の為に言っておきますが、最長で3年の契約という文章は盛り込んでいますよ」

「長い文章の何処どこかに『研究が進まない場合は契約を延長する』とか『非協力的で研究を妨害ぼうがいしたら契約を延長する』とかいくらでも抜道ぬけみちが有ると思うが?」

「用心深いわね。本当に高校生?」

「異端鬼なんて特殊な犯罪者が普通の高校生と同じ感覚な訳無いだろ」

「それもそうね。君へ取引を持ち掛ける前に影鬼から接触が有ったわ」

「ウチの優秀な異端鬼いたんきを貸し出しますよって?」

「優秀、なの?」


 冗談で言ったのに本気で返されては反応に困る。

 首を振って冗談だと伝えると少々気まずそうに目をらされた。


「影鬼側は何て言って俺をアンタたちに紹介したんだ?」


 少々呆れ顔で聞くと余計に目を逸らされる。

 これは単純に蜥蜴とかげ尻尾しっぽ切りをされたかと疑っていると霞は意を決した様に目を合わせて来た。


「ウチの若いのにはくを付けて分家の娘とのなかを取り持ちたい。四鬼に借りが有れば周囲を黙らせるのも容易よういだ。今後も使える人材かそっちで見極める気は無いか?」

「……それが影鬼からのメッセージか?」

「……はい」

「何で、こんな、変な誤解がかさなった取引になってるんだ」


 盛大せいだいに溜息を吐いて項垂うなだれた裂に霞が動揺どうようなぐさめようと色々と考えをめぐらせているが、霞だって上層部からの通達をそのまま伝えているだけで四鬼と影鬼の本来のやり取りは知らない。

 結局、何も言えずに咳払せきばらいをして司法取引の話に持っていくのが無難ぶなんだと切り替えようとし、少し悪戯心いたずらごころ好奇心こうきしんが目覚めた。


「で、影鬼の女の子の事、好きなの? 昨日一緒に帰ってた子?」

「何を想像しているのかは知らないが、昨日一緒だったのは学校の先輩だ。前から付き合いが有って休学してた間の課題を手伝って貰ってたんだ」

「へぇ、へぇ」

「ニヤケ顔。ついでに言っておくと卒業後は俺は八王子から離れるし会う事も無いと思うぜ」

「遠距離恋愛」

馬鹿々々ばかばかしい。そもそも、アンタの周りの鬼は恋愛感情とか有る様に見えたか?」


「……無いですね」

「恋愛感情は人類史の中でもっとも負の感情の引金に成って来た。黒子くろこなら鬼がその辺の感情には無縁むえんだって知ってると思ったが?」

「異端鬼がそうとは限らないじゃないですか? 現に影鬼側の主張ではそうなっているようですよ? それに轟雷鬼ごうらいき系の感情を発散はっさんする方法を採用しているかもしれませんし」

灰燼鬼かいじんき業炎鬼ごうえんきと歴史的にも密接みっせつで訓練方法も近い。俺も業炎鬼と似た様な精神訓練はんでるから恋愛感情とは無縁だよ。しかもその為に四鬼と手を組むなんて危険は絶対に避ける」

「あれ? 灰燼鬼は灰山君のお爺さんの代で途絶とだえてて我流がりゅうだったのでは?」

「ああ。家の文献ぶんけんあさって訓練してた」

「じゃあ業炎鬼系と違う内容かもしれませんよねぇ?」


 嫌らしいみを隠しもしない霞が完全に本題から外れた為に裂はこれ見よがしに溜息を吐いて見せた。


「司法取引はどうした?」

「チッ……では影鬼側の主張はまた後日とし、詳細な取引条件を確認していきましょうか」


 童顔どうがんな印象の霞から舌打したうちが聞こえると子供が背伸びしてわるぶっている印象が強い。

 しかし早めに帰ってしまいたい裂としてはぜっかえすのは得策とくさくではないので何も言わずに彼女の言う通り取引条件の確認に集中する事にした。


 その集中の甲斐も有って司法取引の確認は30分程度で終了した。

 そもそも四鬼と影鬼の上層部で既に条件はまとめてあったのだ、2人で話す内容はその確認程度でしかない。


 書類内容は発覚時の面倒を避ける為なのか特に刑法何条けいほうなんじょうといった文章ははぶいて書かれていた。警察組織と犯罪組織の取引とは思えない程に単純な内容であり詳細を確認している内に裂の方が疑い始めたくらいだ。

 霞も最初に読んだ際には同様に考えたらしく裂が疑念ぎねんを表情に出す度に同意するような相槌あいずちも多かった。


「では、これで全部の条件は確認しましたね。サインをお願いします」


 冗談の様な単純な取引内容に頭をかかえたい気分の裂だったが素直に霞に従って書類にサインする。後で捏造ねつぞう改変かいへんなどの面倒が起きないように複写ふくしゃした物を2枚用意し2枚を並べた状態で撮影し証拠とする事となった。


「これで司法取引は締結ていけつされました。では、先程の影鬼の女の子との話を」

「お時間頂きありがとうございました本日はこれで失礼しますさようなら」


 感情も抑揚よくようも無く言い切った裂は早々に席を立って部屋を出る。

 霞は名残惜なごりおしそうにしていたが知った事では無い。


 案内された際に署内の間取りは把握していたので呼び止められない内に一気に警察署を出て大きく距離を取った。

 犯罪者が警察から逃げるような早足だったが事実なので仕方が無い。


 警察からの協力要請は学生という身分を考慮して土日に集中するらしい。貴重きちょうな休みが無くなる事に溜息が出るが逮捕されたり逃亡生活に成るよりはマシだ。


 ステルス妖魔に関わってから鬼としても学生としても面倒な事に巻き込まれてばかり。

 これ以上の面倒が起きない事をいのりつつ気分を上げる為に駅前の替玉かえだま2回無料と書かれたラーメン屋に入り、替玉2回をしっかり食べた。

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