拾参

 四鬼しき2名と黒子くろこ8名の集団は動物園の猛獣もうじゅうおりの様な門をくぐり抜けた。

 門を潜った瞬間からまたたきの間、何も見えない真っ暗な空間が有ったがその場にとどまる事も無く新たな空間に出る。


 半径5メートル程度の半円状の足場だが、門の正面には吊橋が掛かっており、10メートル程の長さだ。その先には太い金網かなあみで囲まれた円形の足場が有り、目測もくそくでは半径10メートル程度に見える。

 事前にかすみが報告した今までのステルス妖魔の情報から考えればここは迷宮の終点であの円形の足場にはこの迷宮のあるじである大型の恐竜が居るだ。


 戦闘に黒子は参加させられない。


 障害物の有る地形ならばサポートも頼めるが、自身の身を守れない黒子が居ては邪魔だ。


 遠目には刀に見えるが実際には片刃の西洋剣を腰にげた四鬼の1人、乱風鬼らんふうき乱風竜泉らんふう・りゅうせんは相棒にうなずいて吊橋に踏み出した。


 斧を後腰うしろごしのベルトのホルダーに掛けた大柄おおがらな男、獄炎鬼ごくえんき獄炎斧前ごくえん・ふぜんは竜泉の合図を受けて黒子達に手振てぶりでこの足場に待機する様に指示して竜泉に並んだ。


「さって、頑張らないとね」

「ふん。いつもの事だ」


 緊張感の無い竜泉に慣れている斧前は別に相手の事を不真面目ふまじめだとも思わず自身も身体からだほぐす様に首を左右に振って骨を鳴らした。


 吊橋の端、闘技場の様な円形の足場の直前に到着し斧前は試しに手を伸ばしてみる。霞の情報ではこの闘技場は戦闘が始まると魔法陣が発生して侵入も脱出も不可能に成るという。

 今はそもそもステルス妖魔の姿も見えていないので何の抵抗も無くただ何も無い空間に斧前の手が伸ばされただけだ。


 今度は斧前から竜泉に視線を合わせ、うなずって闘技場に侵入した。

 何の気配も感じないまま闘技場の中央付近までを進め、そこで2人は同時に足を止めた。


 この迷宮に取り込まれた時と非常に似た感覚、大型のけものを思わせる吐息といきと視線。

 その感覚を感じ取った瞬間に2人はそれぞれの得物えものを抜いた。

 斧前は斧を腰のホルダーから取り、斧の柄頭つかがしらを左掌に打ち付ける。柄頭と手袋に付けられた溶岩を思わせる赤い鉱石が打ち合わさり、魔装召喚の合図となる。


「召喚」


 斧前の周囲に溶岩の塊が噴き出し、その中から金属の鎧が飛び出し斧前を包む。

肩や胸がマグマを思わせる不均一ふきんいつな形状の分厚ぶあつい装甲で覆われた獄炎鬼が姿を現した。


 その横で竜泉が左腰にげた剣を少しだけ抜き、勢いを付けて納刀する。


「召喚」


 納刀の勢いで柄と鞘の緑の鉱石が打ち合い魔装を召喚する合図が発生した。

 竜泉の周囲を緑の竜巻が包み、内側に緑色の薄い装甲が現れ竜泉を包む。

 西洋騎士を思わせる甲冑かっちゅうで肩から短いマントが垂れ、乱風鬼が剣を抜刀した。


「合わせろ」

「いつも通りじゃないかっ」


 乱風鬼に命令しながら獄炎鬼が前に踏み出し斧を両手で掴み左下段から振り上げる。

 全く狙いを付けていない空振りだが、斧が床をこする際に火花の様にマグマが吹き上がり津波つなみの様に前方へ扇状おうぎじょうに広がった。


 高さ1メートル、幅3メートル程の溶岩流ようがんりゅうが姿の見えない吐息といきぬしに向けて流れていく。


 乱風鬼は踏み出さず、獄炎鬼の1歩背後で剣を上段にかかげ、柄から刀身に向けて約2メートルの竜巻を発生させる。

 その竜巻をともないながら剣を振り下ろし、獄炎鬼が生み出したマグマを背後から竜巻であおる。


 竜巻のマグマを下から上に押し上げる様な煽りによって、溶岩流は高さ3メートル、幅5メートルにまで増幅され一気に攻撃範囲を増した。


 業炎鬼系と絶風鬼系の鬼では一般的な炎の攻撃を風で増幅する連携だ。

 その溶岩流は勢いを殺す事無く闘技場の中心付近から10メートル程の距離を流れ、金網の隙間を通りながら闘技場の下に落ちていく。

 溶岩だけあって粘性ねんせいが有り、床に残った溶岩は冷めて黒い岩に変化していき闘技場に高さ2メートル程の足場と成る。


「……討滅とうめつ出来たかな?」

「青山の話では討滅出来れば迷宮が半透明に現実に成っていくはずだ」

「だよなぁ」


 2人は妖魔を討滅出来ていないと結論付け、しかし溶岩流の中に妖魔を巻き込めた自信は有ったので獄炎鬼の斧で冷めた溶岩を砕いていく。

 しかし、8割程度の溶岩を砕いてもステルス妖魔らしき存在は確認出来ず、今は視線や吐息も感じられない。


 手応てごたえの無さに打つ手無しとあきらめ吊橋を竜泉が振り返れば黒子達が何か困惑している様子だった。

 今に成って気付いた。

 魔法陣で吊橋と闘技場が隔離かくりされているが、もしや黒子達側の足場に妖魔が出たかと思い乱風鬼は闘技場の中心から吊橋に走った。


 ただ直ぐに分かったが黒子達の困惑は相手にどう対応すれば良いか分からないという様子だ。妖魔が発生したのであれば即座に札や武器で攻撃をする筈なので今回の様な対応に悩む事は無い。

 また、霞が吊橋の方を向き乱風鬼と視線を合わせ、半円の足場に有る門に振り返り何かを話し始めた。


「久しぶりね、灰山はいやま君」


▽▽▽


 さくはアラームが鳴るまで待ってみたのだが結局は門を抜けた瞬間に黒子達に囲まれた。

 直ぐに顔見知りのかすみが声を掛けて来て、これまでの経緯けいいを簡単に共有しながら吊橋を霞の先導せんどうで歩き始める。


「ああ。池袋のホームで人が無い場所だった」

「こちらは池袋駅周辺のエアポケットです」

「時間は?」

「2時間は経過けいかしていますね」

「俺は多分1時間半くらい」

「時間も場所も違うんですね」


 吊橋は10メートル程、会話はここまでで吊橋前の魔法陣に到着した。

 直ぐに乱風鬼が声を掛けてくる。


「どちら様かな?」

「報告していた灰燼鬼かいじんきの少年です。先程、協力を約束しました」

成程なるほど。闘技場内に入って来れるかい?」

「試してみる」


 そう言って裂が吊橋の端、魔法陣に触れてみるが硬い感触にはばまれて通過つうか出来るようには思えない。


「駄目だな」

「出入りは不可か、参ったね」

「おい貴様」


 それまで背を向けていた獄炎鬼が声だけで裂を呼ぶ。

 声は低く友好的な態度ではないが裂としても仲間よりは敵の1人という感覚なのでこの態度は有難ありがたい。


「何だ?」

「貴様の武装と得意距離は?」

「拳主体でインファイトだ」

「分かった。入れたら貴様が前衛だ。俺は獄炎鬼で前衛中衛、こいつは乱風鬼で支援向きだ」

「……了解。入れたらよろしく頼む」

「ああ。まずは入る方法だ」


 声が低く威圧的なのはなのだろう、獄炎鬼の共闘を前提ぜんていにした確認にまたしても面食めんくらう裂だが気分を切り替える。

 魔法陣の様々な場所を確認する為に手を上下左右に動かしてみるが均一に壁になっていると分かるだけだ。

 変わらず妖魔の気配は無く闘技場の中の鬼2人が緊張感を維持するのも限度があるだろう。


「魔法陣が有る間は入れそうにない」

まったく、ゲームみたいな話だね」

「異空間など、最初からゲームのようだろうに」

面白味おもしろみの無い。君はどうだい?」

「獄炎鬼に賛成だ」

仲間外なかまはずれは俺だけという訳だ」


 緑の装甲に両肩から短いマントをまとう方が紹介された通り絶風鬼ぜっぷうき系の乱風鬼だと判断して裂は彼の軽口に納得した。


 四鬼はそれぞれが鬼に成る過程かていで魔装をあつかう為、精神の方向付けを行う。

 絶風鬼で多いのは乱風鬼の様な軽口を叩くタイプだ。

 業炎鬼ごうえんき系ではかたい性格の者が多い。


 少しの間、魔法陣が作る壁を触っていた裂だが本当に壁としか表現出来ない。

 感触としては硝子がらすのように表面に凹凸おうとつの無い綺麗な物だが硝子にしては叩いた時の音に軽さが無い。最も近い物はノートパソコンの本体の様なプラスチックの塊だろう。それが壁の形になっている。


「こちらからは入れそうにない。そっちから手は伸ばせるか?」


 裂の提案に乗ってみようと乱風鬼が手を魔法陣に伸ばせば通過出来た。

 驚いた面々めんめんだが裂は伸ばされた装甲に包まれた手をにぎり魔法陣に向けて引いて貰うと闘技場内に入る事が出来た。


「そういう仕組みか」

「意味が分からん」

「俺だって分かって無いよ。だからそこ、今後の為にもこの情報は持ち帰らないとね」


 口調は軽くかぶとの下ではウィンクでもしていそうな乱風鬼だが、言っている事は組織に所属する者としては非情に重要な事だ。

 獄炎鬼も同様に帰還を最重要視さいじゅうようししているので素直にうなずいた。


 そんな2人とはことなり情報共有という概念が希薄きはくな裂は周囲を観察していた。

 今までの経験では闘技場のような最深部さいしんぶでもステルス妖魔は少しずつ姿が見えるようになってくる。

 事前に聞いた話では2人の鬼も輪郭りんかくだけは見えたらしいが攻撃を仕掛けて見えなくなったという。


 攻撃したから逃げたのか、迷宮内の探検者が全員揃う必要が有るのか。

 考え出したら理由など無限に想像出来るのだ。

 これからの対応が思い付かず眉間みけんしわせた裂だが、程無ほどなくして状況が変わった。


 獄炎鬼と乱風鬼が生み出した溶岩の津波、その跡の上に恐竜を思わせる妖魔の輪郭が出現した。

 重量をともなう足音を響かせ、全長4メートル近い巨大が3人の鬼の前にその威容いようを少しずつ実体化させていく。


小僧こぞう魔装まそうを召喚しろ!」

「装甲!」


 獄炎鬼の指示と裂が拳を打合せ魔装を呼び出すのはほとんど同時だった。


 獄炎、乱風、灰燼の鬼たちは恐竜妖魔が完全に姿を表出させる前に陣形を組む。

 先頭を灰燼鬼かいじんき、中衛に獄炎鬼ごくえんき、後衛に乱風鬼らんふうき


 事前に獄炎鬼が言った通りの陣形だが各々おのおのの武器を見れば誰しも納得しよう。

 灰燼鬼は事前に裂が宣言した通り無手むてで前に出なければ何も出来ない。


 恐竜妖魔が完全に表出する直前、灰燼鬼が踏み込んだ。

 魔装は2.5メートル程の巨体だが相手は全高で4メートル、頭から尻尾の先までで考えれば10メートル近くは有る。

 その巨体を支える脚、頭部とのバランスを取る尻尾しっぽなど、崩す為に狙う場所はその外観がいかんから多少の目途めどは付けられる。


 灰燼鬼はまず脚に攻撃を集中させひざく様な状況になるかを試す為に前に出た。


 背後では獄炎鬼が斧で恐竜妖魔の顔面に殴り掛かって気を引き、乱風鬼は刀に纏わせた竜巻を振って恐竜妖魔が獄炎鬼の左半身に対してアクションを取れない様に妨害ぼうがいしている。


 そんな中衛、後衛の連携も有って灰燼鬼は巨体を支える太い脚部に取り付く事が出来た。

 鋭い爪を持つ腕は右肘刃ちゅうじんらし、恐竜妖魔の背後に走り抜けるように左肘刃で脚に斬撃を放つ。


 痛みで天に向けて咆哮ほうこうを上げる恐竜妖魔だが、その咆哮の音量は音響兵器だと言われても違和感の無い衝撃をともない3体の鬼を叩く。

 ダメージが有る訳では無いが轟音ごうおんに本能的に動きが止まり、大きく横に振られた頭部に獄炎鬼が中途半端な防御姿勢のまま退けられる。


 それを隙と考え乱風鬼が後衛から中衛の距離に踏み込み刀に竜巻を纏わせたまま振って無防備になった恐竜妖魔の頭部を切り付ける。竜巻を纏った刀は刃が接触するまで強風によって恐竜妖魔が防御姿勢を取る事を妨害し、確実に斬撃を頭部に届かせる。

 頭部だけで1メートル以上ある巨体に対して刀の斬撃は致命傷には届かない。それでも左目付近に長い切傷きりきずが入り妖魔に対する体積の損傷そんしょうきる。


 灰燼鬼も黙って見ている状況ではない。獄炎鬼と乱風鬼は彼にとっては仲間では無いので獄炎鬼が退けられるのを視界におさめながら追撃を放つ。

 肘刃では無く拳を使う。恐竜特有の逆関節の脚に本来は関節が曲がらない方向で打撃を加え立つ為のバランスを崩しに掛かる。


 左目付近への竜巻を伴う広範囲斬撃、脚の関節を本来曲がらない方へ打撃。

 別々べつべつの意図を持つ攻撃により体勢を崩した恐竜妖魔に対して押し退けられた獄炎鬼がせまる。


 防御は不十分ふじゅうぶんな姿勢だったが押し退けられた先で着地し、助走を付けて恐竜妖魔に向けて跳躍ちょうやくする。

 斧は右手で背中を大きくらせてかぶり、乱風鬼と灰燼鬼の攻撃によって崩れた体勢を戻す際中の恐竜妖魔に叩き付ける。


 狙いは首。

 斧は初撃しょげきの様に溶岩を生み出して熱で焼き落とす事を狙い、力任せに振り切る。

 渾身こんしんの一撃は恐竜妖魔をとらえはしたが、首を切断する角度ではなく胴体に向けた斬撃として恐竜妖魔に衝突した。

 体勢を崩された恐竜妖魔が前足の大きな爪を地面に刺して強引に体勢を戻そうとした結果だ。


 獄炎鬼の斧は恐竜妖魔のもっとも巨大な体積である胴体どうたいさってしまい直ぐには抜けない。


 両手で斧を握り胴体に何とか取り付いた獄炎鬼をサポートする為に乱風鬼は再度、頭部に対して今度は小規模な竜巻を纏った刃で連撃れんげきを放つ。竜巻の大きさに比例して集中力が必要になる為、連撃の際にはどうしても竜巻は小さくなる。


 そんな事情はしらない灰燼鬼は乱風鬼の竜巻の小ささに不満を覚えつつ自身も可能な限り強力な連打れんだを開始する。

 右肘刃を長くし身体からだ独楽こまの様に回して両足を背後から乱切らんぎりにする。3回転の斬撃から強く地面を踏み込んでの右拳による足関節を狙う打撃。


 灰燼鬼と乱風鬼の攻撃と、斧に溶岩を発生させてんだ傷口を溶かす事で獄炎鬼は何とか恐竜妖魔から距離を取った。

 恐竜妖魔が傷口を溶岩で焼くという異常な痛みに暴れ回るので呼吸を整えつつ状況の共有が可能な空白が生まれた。


「全体の何割けずれた?」

精々せいぜいが1割ってところでしょ」

「なら獄炎鬼に続いて首を狙うか?」

「そこは臨機応変りんきおうへんに行こうか。君はそのまま背後で脚を。もし狙えそうならを切れるかい?」

「了解した」

「意外と素直だね」

「初対面の相手と連携出来るとは思えない」

「無駄話はそこまでだ」


 我武者羅がむしゃらに暴れる恐竜妖魔は痛みに慣れて来たのかあばかた大人おとなしくなりつつあり、3人も息を整え終わり作戦会議を終える。


 灰燼鬼の狙いは乱風鬼の指示通りあしめる事だ。

 獄炎鬼と乱風鬼にも得意な戦法は有るだろうし自身での討滅とうめつこだわる気は無い。確実に体積をげる手段が有るなら任せた方が効率も良い。


 セオリーとして妖魔討滅の戦闘は消耗戦に成る。

 その専門の訓練を受けている四鬼たちは初見の特殊な妖魔を前に焦った様子は無い。


 四鬼にとって未知の存在である灰燼鬼も似た様な心理的訓練はおこなっていたのか焦った様子を見せない事に2人は安堵あんどしていた。

 ボクシングスタイルでゆるやかなステップをきざみ大きく恐竜妖魔の右に回る灰燼鬼に相手が意識を向けない様に獄炎鬼と乱風鬼が正面から攻め立てる。


 獄炎鬼が下段から振り上げる動作で溶岩の斬撃を生み出すが、恐竜妖魔との間合いとしては直前で届かない斬撃だ。

 その斬撃を乱風鬼が背後から竜巻を放ち斬撃を炎のうずに変化させ飛距離と範囲を延ばす。


 恐竜妖魔は念の為に斬撃を見て身体全体を左、灰燼鬼から離れる方向に回避させていくが乱風鬼の竜巻によって飛距離と範囲が広がった斬撃は恐竜妖魔をかすめるようにとらえる。


 顔の右半分を溶岩のうずけずる様に衝突し、先の顔面への斬撃と合わせて完全に視界が塞がれた事を察知して灰燼鬼が動きを変える。

 大きく迂回うかいして背面はいめんを取る移動から最短で恐竜妖魔の右側面へ踏み込む。左拳でジャブを2発、膝関節の側面に放つ。


 溶岩の渦によって作られた死角しかくからの攻撃は狙い通りに通る。

 戦闘開始から灰燼鬼は膝関節を集中的に狙っている。

 その為か恐竜妖魔はジャブの2発で倒れはしないが体勢は崩れ何とか倒れない様にとどまった。


 灰燼鬼の生み出した隙に獄炎鬼と乱風鬼が動く。

 正面から踏み込む獄炎鬼が斧をかぶる。

 背後では右下段で竜巻を剣にとどめる乱風鬼が追従ついじゅうし、獄炎鬼が溶岩流を生み出したら直ぐに増幅ぞうふくするかまえだ。


 獄炎鬼の狙いは右側。恐竜妖魔は溶岩にあぶられた右目はまだ半開はんびらきだが、左目は付近を切られただけなので左目で対処たいしょづらい方向から攻める。

 多少の攻撃は獄炎鬼の分厚い鎧で強引に突破する覚悟だ。

 前足の爪が横薙ぎに振るわれるが、事前に覚悟の出来ている獄炎鬼は大きく踏み込んで爪の振り始め、まだ勢いの乗り切る前に胴体で受け止める。


 斬撃よりも打撃に近いダメージに鎧が少し凹む。

 その衝撃で獄炎鬼の踏み込みが少し甘くなる。鎧がゆがむ程の衝撃にみそうになる。

 それでも妖魔を討滅する事を生業なりわいとする者の矜持きょうじが獄炎鬼に下がる事を許さない。


……俺の鎧はこの程度では砕けん!


 頑強な鎧は妖魔を倒す為に自らをきたえたあかしだ。

 他の鬼よりも重くとも見劣みおとりしない踏み込みを行えるのは、それだけみずからを鍛えた成果せいかだ。

 その鎧をまといながら妖魔の不十分な攻撃も受け止めきれない様では今までの訓練の意味が無い。


 業炎鬼の系列の中でも獄炎鬼は特に自らを鼓舞こぶする事で精神をたもつ。

 その訓練に忠実ちゅうじつに獄炎鬼は自らの矜持を心中しんちゅうで叫び斧を振り下ろす。


 溶岩を纏う斧の斬撃は恐竜妖魔の右顔面に食い込み、合わせるように左顔面を背後の乱風鬼が竜巻を放って削った。

 彼とバディを組んで4年、最も多いコンビネーションは獄炎鬼の溶岩の斬撃を竜巻で増幅するものだが、今の様に逆側をて妖魔の動きをふうじる事も可能だ。

 その臨機応変さは絶風鬼系列の鬼だからこそだろう。


「下がれ! 広範囲を狙うぜ」

「良いだろう」


 両目をふさぐような攻撃に先程と同様に暴れ始める恐竜妖魔から灰燼鬼も含めて3人が距離を取る。


 乱風鬼の指示に従い獄炎鬼が両手で右下段から最大量の溶岩を斧に纏わせおけで水をぶちまける様に振り抜く。


 戦闘開始から最大量の溶岩。

 その濁流だくりゅうの背後では乱風鬼が両手で直刀ちょくとうを上段に構えて生身では立つのもやっとの巨大な竜巻を生み出した。


 生み出された溶岩の濁流が最大効果範囲を生み出す為に波を大きくし始め、その瞬間を狙い竜巻が地面に叩き付けられ恐竜妖魔に向けて指向性しこうせいの有る暴風を生み出し溶岩流を最大限にあおてる。


 高さ6メートルにもおよぶ溶岩流だが、横幅は発生地点から扇状に90度程度に納められ、その分だけ溶岩の密度を増している。

 巨大な竜巻は確かに溶岩流を背後から煽っているが、同時に地面に叩き付けられた瞬間から正面と左右へ3つに枝分かれし左右の竜巻は溶岩流が横に広がり過ぎないよう整えている。

 このコントロール能力こそが絶風鬼系列の四鬼が他の鬼のサポートで最も力を発揮はっきすると言われる所以ゆえんだ。


 2人の鬼によって生み出された巨大で有りながらねらました溶岩流は初手しょてと同様に恐竜妖魔を正面から完全に飲み込んだ。

 確実に妖魔の体積を溶かす攻撃手段でありながら、攻撃範囲を完全に制御している連携攻撃に灰燼鬼は大きく離れた位置で静かに警戒心を高めた。


 恐竜妖魔は恐らく問題無く討滅出来ただろう。

 その証拠に溶岩流は段々と地面の高さに馴染んでいき、既に恐竜妖魔の体積の7割を削っただろう高さまで落ち着いている。

 更に迷宮のあるじを討滅した証拠なのか迷宮事態の輪郭が粒子りゅうしになって曖昧あいまいになっていき、以前に迷宮から脱出した時と同様の現象を見せている。


 だからこそ、このまま現実世界に戻った際に四鬼、黒子たちとの立ち位置が重要だ。

 灰燼鬼は法的には活動を認められていない犯罪者、四鬼たちには灰燼鬼を捕獲し活動にいての協力者など背後はいご関係を調査する義務が有る。


 つまり灰燼鬼は現実世界に脱出した直後から逃走しなければならない。

 迷宮に取り込まれた時と同じ場所にそれぞれが返されるなら良いが、同じ場所に放り出されるなら戦闘をしてでも逃げるしかない。

 今はまだ、獄炎鬼も乱風鬼も討滅出来たかを確認する為に妖魔に意識を向けている。


 灰燼鬼は意識を鎧の各所にほどこされた緑金りょくきん草紋そうもんに向ける。その草紋が淡く光り、灰燼鬼の鎧の体積が目視では確認出来ない程度の速さで縮小しゅくしょうしていく。


 迷宮が段々と薄くなり、現実世界が薄っすらと見えてくる。

 裂は駅のホームに居たが、見えてくる現実世界は見慣れないビル街の中でも人気の無い路地ろじだ。

 恐らく四鬼たちが取り込まれた地点なのだろうとたりをけて灰燼鬼は草紋への意識を強くする。


 薄っすらとしていた現実世界が完全に輪郭をて現実に帰った瞬間、それは四鬼の2人が灰燼鬼へ視線を向けようとした瞬間だ。


 灰燼鬼は草紋の力を完全に開放した。

 灰燼の名にじぬ灰を積み上げて出来た魔装が周囲に灰と成って開放され煙幕えんまくと成る。

 裂の能力では灰をらせる範囲は半径10メートル。躊躇ちゅうちょ無く煙幕を展開して完全に四鬼の視界をふさぐ。


「煙幕だと!?」

「クソ、竜巻でらすぞ!」


 迷宮に居た時に薄っすらと見えた現実で確認していた逃走用の路地に静かに入り込んで煙幕を抜けた瞬間に走り出す。

 乱風鬼の竜巻で煙幕を排除する事は可能だろうが竜巻を展開し裂の居た方向から逃走した路地を見つけるのに数秒は掛かるだろう。


 顔は以前に霞を通してモンタージュされているだろうがここは池袋、裂と同年代の少年は多く人混みから発見するのは困難だ。

 そこまで狙って裂は逃走に選んだ路地を走り、直ぐに売れてなさそうな商業ビルの中に入った。

 エレベータは4階に居たので階段を足音を立てないように登り3階の喫茶店に入る。


 席は自由だと言われたので窓際は避けて店の奥、トイレとスタッフルームが最も近い空席に着き適当にケーキセットを頼んでスマートフォンを取り出す。

 現実に戻ってから直ぐに電話の通知が立てつづけに表示されるが対応する余裕は無いので拒否してメッセージアプリを開く。麻琴まことが本部で自分の担当になっているむねのメッセージが届いていた。


『迷宮から帰還した』

『お帰りなさい。通話は出来ないのね?』

『ああ。四鬼たちと同じ地点にされたから適当な喫茶店に逃げ込んだ』

『場所はGPSで追うわ。回収班が到着したら連絡するから合流して』

『了解』

『回収班はそのまま図書館に向かうから、細かい報告はそこで受けるわ』

『車はどれくらいで到着するんだ?』

『10分程度ね。何か注文している?』

『ケーキセットだ。不自然に成らない程度で食べるから回収班を待たせても怒るなよ』

『それは回収班に言いなさい。じゃ、図書館で待ってるから』

『頑張った後輩にフォローくれよ』


 冗談で茶化ちゃかす様にメッセージを送ったが既読は付いても入力中の表示も付かない。

 馬鹿らしくなって無視されたかと判断してアプリを閉じて漫画アプリを開いたが、メッセージの受信を示す振動が有り再度メッセージを開く。


『お帰りなさい』


……だから鬼に成れないんだよ。


 普通なら可愛らしいとも思える態度かもしれないが、裂はそんな感情は微塵みじんいだかず駄目出しの様な感想しか覚えなかった。

 こんな事を思い、実際にメッセージにしてしまうような優しさが有るから麻琴は鬼に成れないのだ。


 世界的に他に例の無い日本式魔装にのみ組み込まれる魔動駆関まどうくかん

 妖魔の生態部品を魔装に組み込む事での魔装の3倍以上の性能を持つにいたった鬼は、だからこそ魔装使いに高いリスクをわせる。


 一般人よりもずっと軽微けいびの感情で妖魔にち、魔装を装着している為に通常の妖魔よりも非常に強力な妖魔となる。

 悪鬼あっきと呼ばれるその妖魔は全世界の歴史の教科書に掲載けいさいされる程の被害を生んだ事すら有る。


 仮に麻琴が鬼としての活動を積めば、高い確率で悪鬼に堕ちるだろう。

 裂は鬼の家系に生まれながらいくら精神的訓練を積んでも鬼に成る精神性を身に付けられなかった麻琴に対し、特に何も思わず漫画を読みながらケーキセットが運ばれてくるのを待った。

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