雷獣と天狗の知恵較べ

 平成二十九年、八月。雷園寺雪羽はこれまで自由気ままに妖生じんせいを謳歌していたのだが、それに伴う不祥事がとうとう咎められてしまったのだ。それも生誕祭の場で。雉鶏精一派の幹部たちが下した再教育という裁定を、雪羽は大人しく飲むほかなかった。雪羽の保護者たる三國もまた雉鶏精一派の幹部ではある。しかし第八幹部である為に地位は低く、他の幹部らの意向に従うしかなかったのだ。ついでに言えば、この再教育は雪羽への懲罰であるとともに三國への懲罰でもあった。マトモに甥をしつけずにおイタを見逃していたから取り上げられたのだ、と。

 かくして雪羽は生誕祭が終わるや否や、そのまま萩尾丸に連行された。目を覚ましたら萩尾丸の屋敷の一室にいたのだ。雪羽自身、昨晩は泥酔していた事もあり意識が飛んでいたのだろう。


 萩尾丸の許で再教育を受けるのなんて余裕だぜ余裕! そんな雪羽の意気込みは半日ともたなかった。目を覚ましてすぐは何も問題は無かった。料理もあっさりとしつつも美味しかったし、身体能力を測るテストも楽しい物だったからだ。それどころか萩尾丸の側近である女妖怪に「同年代の子たちよりも良いわね」などと言われて有頂天になっていたきらいさえある。

 しかし――いい気分は長くは続かなかった。


「ちくしょう、一体どういうつもりなんだよ天狗のオッサン! 皆して俺が出来ない奴だって所を鑑賞して笑いものにするつもりかよ」


 返ってきた解答用紙と萩尾丸たちを睨みながら雪羽は吠えた。汗ばんだ指先のせいで解答用紙はふやけ始めている。ゴミのように丸めて投げつけなかったのは、雪羽がまだ理性的だったからではない。むしろ本能的な判断だった。相手は大妖怪であり逆らえば碌な目に遭わない。妖怪として、獣としての本能が雪羽のさらなる狼藉を押さえ込んでいたのだ。


「良かった、良かった。雷園寺君ってば昨日は悪酔いしてぐったりしてたから、元気になった姿を見る事が出来て一安心だよ。ふふふ、威勢よく吠えている姿こそ君らしいからねぇ」


 萩尾丸はそう言って微笑んでいるだけだった。その傍らには女妖怪が二人、左右に侍っている。妖狐と化け狸であり、文字通りの狐狸妖怪だった。萩尾丸に劣るであろうが、彼女らもまた強大な力を持つ妖怪のようだ。雪羽の叔父にして保護者である三國よりも強いかもしれない。六尾の妖狐は萩尾丸にしなだれかかるように寄り添い、満更でもない表情を浮かべている。その反対側に控える化け狸は、萩尾丸から半歩ほど距離を置き佇立し、真面目な表情を浮かべている。態度や面立ちは違うは、いずれにしても女盛りの美女である事には変わりない。


「雷園寺君には気の毒ですが、世間の厳しさを多少は知っていただく事も大切な事ですからね。保護者である三國君に大切に甘やかされて、それでいて雷園寺家の次期当主を目指しているのならば尚更の事でしょう。萩尾丸さんは見込みのある子だとちょっと追い込みがちになる所があるので、そこだけは私も気がかりですが……」


 真面目な表情で告げるのは化け狸の今宮紅葉だった。生真面目そうな態度の彼女は、萩尾丸が一番信頼を置く側近らしい。当然強い妖怪である。


「そんなぁ、萩尾丸はんも紅葉はんもこんな若い子相手にイケズどすなぁ。そりゃあ確かに、今のままやとおユキ君も名家の御曹司らしゅうないって皆さんいわはるとは思います。せやかて、初日から厳しゅうする事も無いと、うちは思うんどす」


 甘ったるい、そしておかしなアクセントの関西弁で語るのは反対側にいる妖狐だ。ミツコという彼女は、好奇と多少の好色の気配を雪羽に見せているようにも見える。ちなみに妙な関西弁なのは、彼女自身が関西出身ではないからだそうだ。妖狐だしキャラづくりのために関西弁で喋っているらしい。

 雪羽は萩尾丸だけを見据え、盛大に舌打ちした。タイプの違う美女を左右に侍らせ、表向きには涼しい顔をしている。そう言う風に見えたのだ。


「何が世間の厳しさだよ。そんな、女の人を二人も侍らせながらさ、この俺にそんな事を言って講釈垂れる事なんてできるのさ? 自分だってハーレムごっこをやってるくせに!」

「何で男と女が一緒に居たら、そうやって安直な事を言うのかな、雷園寺君?」


 萩尾丸はわざとらしくため息をつき、雪羽に問いかける。笑みの質が変わった事に気付き、雪羽は尻尾の毛を逆立てた。


「今宮さんも林崎さんも単なる僕の部下だからね。侍らせているんじゃなくて、仕事上一緒にいるだけなんだよ。ついでに言えば、僕は彼女らの能力を買って金翅鳥に抜擢しているだけに過ぎないし、そもそも僕は女性には興味がないんだよ、全くね」


 女性に興味がない。その部分だけ萩尾丸はドヤ顔で言い放っていた。ツッコミを入れる暇もなく、今度は彼の側近たちが口を開く。


「そうですよ雷園寺君。私どもはあくまでも仕事上の付き合いです。そもそも私は既婚者ですし、実家には子孫たちも大勢いますからね……もっとも、恋愛感情を抱かずに接するがゆえに、一部の女子社員たちから人気を集めている事も事実ですが。まぁ私は夫一筋ですので」

「萩尾丸はんはお稚児趣味やさかい、うちらみたいな女子には心が動くとは無いんどすなぁ。でも、だからこそ萩尾丸はんに惹かれる女子はぎょうさんおるわけやし、うちもそんな女妖怪の一人どす。ほんに、罪なお方どすなぁ……」

「そんな事を言われてもまぁ困るんだけどなぁ……」


 僕ってやっぱり天狗だし。すっとぼけた様子で呟く萩尾丸を雪羽は睨んでいた。稚児趣味とかいう単語はかなり不穏だったが、今はそれを考察している場合でもない。萩尾丸がどうにもいけ好かないオッサンであるという事の方が重要だった。実際にはオッサンというよりもまだ青年という風貌なのだがそれはまぁ良かろう。


「まぁそんな訳で雷園寺君。ちょっと厳しい問題ばっかりあてがった事は謝るよ。確かにあの問題は、君くらいの年代では難しい物ばかりだったんだ。だけど、そう言う問題にぶち当たる事というのを経験して欲しかったから――」

「そう言う所が気に入らないんですよ!」


 雪羽は萩尾丸を見据えたまま言い返した。


「萩尾丸さん。あなたは俺を立派な妖怪に育て上げるって事で叔父貴から無理やり引き離しましたけど……まさか育て上げるためじゃなくて、こうして玩具にするために俺をここに連行したんじゃないのか。どうなんだよ、そうなんだろ!」


 萩尾丸の嘲弄的な物言いは雪羽も前々から知っていた。天狗というのは上から目線の輩が多く、人間であれ妖怪であれ煙に巻いてあがくさまを面白がる。雪羽はそのように認識していた。萩尾丸は炎上トークが大好きという事もあるし、余計にその傾向が強いのだろう。

 初めから、俺を弄んで楽しむのが目的だったな……雪羽の心中では怒りがふつふつと沸き上がって収まらなかった。


「雷園寺君。僕の許での再教育は嫌なんだね」

「誰があんたの再教育を喜んで受けると思うんだよ、このド変態天狗が!」


 周囲の体感温度が下がったのは、何も冷房のせいでは無かろう。萩尾丸の左右に控える狐狸妖怪は「あーあ、やっちゃったよこの子」といった表情を浮かべているではないか。

 ところが、当の萩尾丸はうろたえたり腹を立てたりする素振りは見せなかった。強いて言うならば、その面に浮かぶ笑みが深まったくらいであろうか。


「そうか雷園寺君。そこまで言うくらい嫌なんだねぇ。まぁ、ここに来て半日しか経っていないから、判断を下すには早すぎると思うけれど。とはいえ君ら雷獣はせっかちだから仕方ないね」


 嫌なら逃げ出せばいいじゃないか。表情を変えずに萩尾丸はそう言ったのだ。この言葉に雪羽は驚いた。


「ふふふふふ。雷園寺君、君に一度だけチャンスを与えて進ぜよう。制限時間内にこの屋敷から抜け出す事が出来れば、僕はもう君の再教育には関与しない。まぁその時は紅藤様たちに僕が始末書を書かないといけないが、君はその事は気にしなくて良いんだよ。自由の身になれる。三國君の許に戻ってもお咎めなしさ。

 で、制限時間は一時間か三十分のどっちかにしようと思っているんだけど――」

「十五分で構いませんよ」


 雪羽は萩尾丸の言葉を遮って応じた。その口許には不敵な笑みが広がっている。屋敷を制限時間内に抜け出せば再教育はお流れになる。あまりにも魅惑的であまりにも甘すぎるその言葉に、雪羽はすっかり興奮していたのだ。


「そりゃあ確かに萩尾丸さんの所のお屋敷も広いでしょうね。ですが俺は雷獣ですよ。こんな箱庭みたいな所を飛び出すまでに三十分だなんて……何の冗談ですかね? まぁ良いですけど」


 萩尾丸は何も言わず、ただただ笑い返すだけだった。



 開始の合図が始まるや否や、雪羽は動き出したのだ。手近な窓辺に駆け寄り、窓枠を乗り越えてそのまま飛び上がったのである。飛び上がる直前に獣形態に変化した事もあり、雪羽は急加速して舞い上がる事が出来た。屋敷はみるみるうちに小さくなっていく。

――はははっ。屋敷を出るなんて簡単な事じゃねえか。

 悠然と空を飛びながら雪羽は一人嗤っていた。今回の脱出ゲーム(?)のルールの一つとして、「制限時間が過ぎるまで自分たちは動かない」と萩尾丸は宣言していたのだ。間抜けな話だと雪羽は思っていた。だからこそ、彼らは雪羽が窓枠から飛び去るのを阻止できなかったのだから。


「とりあえず、叔父貴の許に戻ろうかな? それともあの変態狐の所に突撃とか?」


 浮遊したまま、雪羽は呟いた。脱出する事ばかり考えていたから、何処に向かうという明確な目的地は無い。今はどうやら山の上にいるらしい。眼下には青々と枝葉を茂らせる木々が広がっていた。


 何かがおかしい。飛び続けながら雪羽は唐突に違和感を覚えた。何というか、眼下の光景がほとんど変わらないのだ。山々が連なっている場所もある事は知っている。だがそれでも、山脈や麓か頂上なのかという事でもって多少の変化はあるはずだ――同じ場所を巡っているのではない限り。

 雪羽はわずかな間考え込み、気のせいだと思う事にした。違和感があったとしても、既に自分は自由の身なのだ。難しい事は後で考えよう。そう思ったのだ。



 思いがけぬものを電流で探知した雪羽は、驚いて急停止した。雪羽が探知したのは萩尾丸の存在だったのだ。


「きっかり十五分経ったけど。どうするの雷園寺君」


 雪羽に問いかける萩尾丸は、それはもういい笑顔を浮かべていた。


「どうって……俺は屋敷を抜け出して」

「屋敷を抜け出したって、本当に?」


 萩尾丸に問われた所で雪羽はある事に気付き、愕然とした。遠くの山々まで飛び去っていたなんてとんでもない話である。雪羽も萩尾丸も、屋敷の庭の一角にいるに過ぎなかったのだ。

 要するに、雪羽は術によって外に飛び出したと思い込んでいただけに過ぎなかった。実際には屋敷の庭で飛び回っていただけに過ぎないのに。

 かくして、雪羽は萩尾丸の再教育を正式に受ける事となったのだった。

 その成果がいかなるものだったのか。それはまた別の話である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る