妖術講座特別編:テイク2――常闇之神社クロスオーバー
待ってカメラ止めろ――このラヰカの宣言により椿姫と万里恵が操作していたカメラは本当に止められた。自分に呆れていた二人が本当に止めるなんて……呆れたような笑みを浮かべる椿姫を見たラヰカはほんの少し戸惑い、それから軽く後悔もした。
俺の嫉妬癖が出てしまったな。呆然とする源吾郎たちを見ながら思った。
ラヰカは別に源吾郎たちを嫌っている訳ではない。幽世にやって来た客人はもてなす。そうしたスタンスを抜きにしても彼らに対してはラヰカも好感を抱いていた。えげつない野望を持っているとかヤンチャだったというプロファイルとは裏腹にお行儀良く振舞っているし、何より彼らもラヰカの事を無邪気に慕っている。嫌う要素など何一つなかった。
だが彼らに羨望と……嫉妬の念を抱いてしまったのも事実だった。住む世界は違えど彼らは大妖怪の子孫に違いない。源吾郎に至っては玉藻御前の直系の子孫なのだ。しかも大妖怪に至る才覚を若いながらに持ち合わせている。それに彼らには先がある。
今後彼らがどのような未来を辿るのかラヰカには解らない。だが、常闇之神社の住民として正式に彼らを迎え入れる未来だけは来て欲しくない。弟分のような妖怪たちへの好感情と……嫉妬と羨望の狭間でそう思うのがやっとだった。
何しろこの幽世を訪れるのは、非業の死を遂げた事と同義なのだから。
それに嫉妬しても詮無い話なのは冷静になれば解る話だ。源吾郎も雪羽も明るく元気に振舞っているが、彼らも元の世界で色々と悩んだり苦労したりしているのだろうから。はしゃいでいると言っても無邪気で無害なものだ。年長者として見守るのが筋だろう。
そのように思い直して気を取り直したラヰカは、椿姫と万里恵がすぐ傍に立ちはだかっている事に気付いた。二人ともいい笑顔を浮かべている。万里恵はさておき椿姫の笑みにラヰカは頬を引きつらせた。月白の妖狐であり、武神としての誉れ高い椿姫が、静かに怒っているであろう事を悟ったからだ。
「いやすまん二人とも! 俺もちょっとだけジェラシー感じちゃっただけなんだ。ほんの出来心だよ。それに今日は柊からも指導を受けた所だし、勘弁してくれよ、な!」
「……全く。謝るなら源吾郎君たちに謝りなさいよ」
「まぁ、立て続けに配信をやっても私たちも雪羽君たちもダレちゃうからね。ちょっと休憩を入れるってのもアリかもって思うよ」
呆れたように椿姫はため息をついていたが、万里恵はむしろ今の状況を楽しんでいるかのようだった。
「あの、椿姫さんにラヰカさん。僕なら大丈夫ですよ」
三人の神使たちのやり取りを見ていた源吾郎が慌てて口を挟んだ。錬成した狐火は既に無かった。彼も彼で思う所があるらしく、笑みが若干引きつっている。もう一人の特別講師である雪羽は、いつの間にか源吾郎の隣に控えていた。
「ちょっと休憩を挟んで考えた方が、良い講座になると思いますからね。演劇を嗜んでいてもアドリブって難しいですし。それに雷園寺君も多分ネタを考えてなくて困ってた所だと思いますんで」
「いや、別に俺は特別講座のネタには困ってないけどな!」
したり顔で解説する源吾郎の尻尾とふくらはぎを、雪羽が尻尾ではたいていた。まさか雷撃を纏っていた訳では無かろうが、静電気が来たらしい。源吾郎は一瞬顔をしかめた。
「先輩がやるのを見てから、俺もどういう感じにしようかと考えるんで無問題ですよ。だけどここで舞い散る桜の花びらを雷撃で射抜くとかっていうのは面白いかなーって思ってて……先輩には出来ないでしょ?」
「……うん。めっちゃ悔しいけど」
二人はしばしの間フランクなやり取りを交わしていた。ラヰカたちの前ではお行儀よく振舞っているが、こうした言動こそが彼らの素なのだろう。
やっぱり若いなぁ……ラヰカがそんな事を思っていると、今度は源吾郎の尻尾が背後で揺れる。無防備に垂らしていた雪羽の尻尾をはたいていた。雪羽は目を丸くし、それから思い出したように今一度ラヰカたちに視線を向けた。
「あ、すみません。島崎先輩ったら隙あらば僕に絡んでくるわけでして……でもその、僕も大丈夫ですよ。丁度お腹も空いたなーって思ってたところなので」
「そうよね。まだ早い時間とはいえ夜になってるし、お腹がすくのも仕方がないわ」
雪羽の発言に応じたのは椿姫だった。ラヰカに相対していた時と異なり、雪羽や源吾郎に対しては含みの無い笑みを見せている。
「あなた達ももふもふ企画で疲れているでしょうから、ちょっとしたおやつを振舞おうと思い立ったの……竜胆」
椿姫がそれとなく弟の名を呼ぶと、竜胆はすぐにやって来た。弟の顔を見下ろす椿姫の面には満面の笑みが浮かぶ。何処となく不吉だ。ラヰカは密かにそう思っていた。
「この前分社に勤めている人狼のヒトがバウムクーヘンを持ってきてくれてたでしょ。まだ二切れ残っているはずだから、伊予に言って持ってきて頂戴。ふふふ、ちょうど数もぴったりある訳だし」
「ちょ、ちょっと待て椿姫……!」
「なによ。どうしたのラヰカ」
椿姫は相変わらずニコニコ顔だ。万里恵は面白そうにニヤニヤしている。源吾郎と雪羽は空気を読んで互いに顔を見合わせている。
「いや……何でもないよ」
ラヰカはそう言って矛を収める事にした。源吾郎たちに振舞われるバウムクーヘンは、そもそもラヰカが頂こうと保存していた物だったのだ。食いしん坊でもあるラヰカにしてみれば手痛い仕打ちだ。だが――物理的なお仕置きよりもマシなのは言うまでもない。
※
さて十五分ばかりの休憩を挟み、今一度妖術講座の特別授業の撮影・配信の準備と相成った。
結局の所件のバウムクーヘンは無事に源吾郎たちに振舞われた。しかしラヰカもお相伴にあずかる事が出来たのだ。色々と事情を察した二人が分けてくれたためである。やっぱり好青年じゃないか……バウムクーヘンを噛み締めながらラヰカはそんな事を思ってもいた。
そんなわけで妖術講座・特別授業のテイク2が始まったのだ。テイク2と言っても生配信であるから実質この撮影で何があっても終わらせる所存ではある。日頃より投稿動画は生配信がほとんどであったし、何よりリテイクを繰り返せば源吾郎たちの負担になるためだ。
ちなみにラヰカは仕切り直しという事で序盤に挨拶がてら顔を出し、それ以降は椿姫たちと並んで機材の調整をする事になっていた。迂闊に撮影止めろ発言を行わないようにという椿姫の考えによるものだった。
順番としては源吾郎が狐火の術を披露し、雪羽が雷撃術を実践するという物だった。
「初めまして……になりますでしょうか。今回特別授業の講師を務めますきゅうびです。先程のご説明の通り、ラヰカ様のご厚意で特別授業を担当する事となりました」
きゅうびこと源吾郎ははにかんだ様子でカメラに向かって挨拶をした。二度目という事もあり初回よりも若干リラックスした様子でもある。
『乙』
『どっかで見た事があると思ったら、もしかしたら……』
『申し訳ないが個人の特定はNG』
『しれっとテイク1が無かった事になってて草』
「あ、そのさっきのはちょっと僕らも準備不足でした。なのでさっきまでちょっと作戦を練ってたんですよ」
読み上げられたコメントに気付いた源吾郎がしれっと弁明している。作戦を練るという大層な事はしていない。だが機転の利いた物言いだとラヰカはぼんやりと思った。やはり演技上手という所がこういった所で活きているのだろう。
とはいえ配信経験のない源吾郎であるから、流れてくるコメントには若干戸惑っていたらしい。流れを気にせず進めて良いんだぞ。念話で助け舟を出すと、源吾郎はしばし安堵し、それから狐火を見せるのだとリスナーに向けて宣言した。
源吾郎自身は見た所素朴で目立たない風貌の青年ではある。しかしその風貌とは裏腹に表情豊かで懐っこく、そこが彼の魅力であるようにラヰカには思えた。
そうしているうちに源吾郎が狐火を錬成する。その動きを見ていたラヰカは思わず息を呑んだ。ラヰカだけではなく椿姫も万里恵も驚いたり感心したりした様子で目を瞠っている。
源吾郎は真顔で伸ばした手の平の先に狐火を錬成しただけである。だがその動きは、テイク1の時と全く同じだったのだ。ラヰカや椿姫たちが驚いたのはそのためだった。
「今回皆様にお伝えするのは狐火の術ですね。はい、とはいえラヰカさんみたいな威力の狐火は、流石に僕には再現できませんが」
『再現出来たらマズいと思うんですがそれは……』
『CG講座かな?』
『ワイのグラボなら再現できる……いや無理か……』
相変わらずコメントたちは自由なものだ。ラヰカはコメントには意識を向けずに、源吾郎が何を言い出すのか、その事に注意を払っていた。職場では雪羽も源吾郎もそろそろ若手社員と見做されている所らしい。部署が違うと言えども自分たちの後輩に物事を教える機会も出始めたと、彼らも前に言っていたし。
そうでなくても源吾郎は本物の九尾の子孫だ。その彼の言葉にはラヰカも大いに興味があった。
「ええと……こちらが狐火ですね」
源吾郎は狐火をその場に留めさせたまま、まずこんな事を言った。
「狐火の大きさ、威力は使い手の妖力に比例する、所があります。ですが攻撃術だけではなく、灯りとかマシュマロを焼いたりするなどと言った事にも十分使えます。使い方は狐次第なのです」
――成程なぁ。島崎君、中々面白い事を言うじゃないか。
源吾郎の解説にラヰカは思わず呟いていた。もちろん狐火には攻撃手段以外の使い道もあるにはある。だが源吾郎はむしろ攻撃術ではない方の使い道に力点を置いて解説をしているではないか。そこに彼の性格が、存外無用な争いを好まない気質が滲み出ているように感じた。
実際に会うのはまだ数えるほどでしかないが、源吾郎が戦闘面でも高い能力を保持する事はラヰカも知っている。魍魎たちの群れを難なく一掃し、雪羽と共に上等級の魍魎をも仕留めたのだから。
それこそ対戦車ライフル越えの威力を持つという話をしても良かったはずだ。だがその事にはあえて触れなかった。その事がラヰカには興味深かったのだ。ラヰカ自身、妖術とか狐火となると攻撃方面でああだこうだと考える癖があるから尚更だ。
源吾郎の手許では狐火が未だ浮き上がっている。説明し、それからどうしようかと考えあぐねているみたいだった。
カメラに映らない場所で控えていた雪羽が動いたのは丁度その時である。
「真面目な説明だけだったらダレちゃうからさ、いっちょ俺に向かってぶっ放してみてよ。そうしたら威力とか解るし」
雪羽は何かを期待するような笑みでもって源吾郎に呼びかけたのだ。その声は源吾郎どころかラヰカや椿姫たちにもはっきりと聞こえた。機材担当の万里恵は、既に面白がってカメラの位置を調整し、雪羽の姿をも撮影している。
唐突な雪羽の横槍に、源吾郎は困惑したような表情を見せた。それでもきちんと錬成させた狐火を消してから雪羽に向き直る。
「何言ってんだ雷園寺。それこそ放送事故でも起きたら……」
言いかけてから源吾郎は何かを悟りふいに口をつぐんだ。とっさの事とはいえ、雪羽の実名を口にした事に気付いたのだろう。そう言えば源吾郎は特別授業に出るにあたり、きゅうびというハンドルネームを使っていた訳だし。
もっとも、雪羽のハンドルネームは実名とほぼ同じなので問題ないのかもしれないが。
ちなみにコメント欄の方は、銀髪翠眼のイケメン登場のためかやはり盛り上がっている。先程姿を見せていた梅園六花に似ているから尚更なのかもしれない。ついでに言えば源吾郎の放送事故発言もその一助になっている感じだ。
雪羽は笑いながらなおも近づく。雷獣であり猫妖怪ではないのだがその笑みはまさしく猫の笑みだった。
ややあってから源吾郎はため息をつきつつ言葉を続けた。
「……というか地味に自分のスペックの高さを見せるつもりだな?」
「そうそう。そっちの方が盛り上がるって」
「言うてまず俺が実演して、雷園寺はその後に出番があるって感じだったじゃないか……ラヰカさん。シナリオは無いですけどそんな感じですよね」
源吾郎の問いかけに対して、万里恵が二人に雪羽の活躍は後で撮るから大丈夫だと伝えていた。椿姫は源吾郎たちと弟である竜胆を交互に見つめ何か考えているようだった。
「ま、まぁちょいとシナリオは変わるかもだけど、二人のやりたいようにやったら大丈夫じゃないかな」
今にもじゃれ合い術を使いそうな二人に対し、ラヰカはひとまずそう言った。高威力の狐火をぶつけてみろ。雪羽の言葉に驚いていた源吾郎であるが、そこで放送事故級の惨事は起きないだろうとラヰカは踏んでいたのだ。
それに実を言えば、いたずら好きの邪神として二人の掛け合いを面白がっていたのである。意図しているのかどうかはさておき、じゃれあう二人の言動はちょっとした漫才みたいなものだった。オフで気が緩んでいるためなのか、関西出身だからなのかは定かではないが。
中盤から源吾郎と雪羽で狐火とか雷撃を放ってぶつけ合う遊びに変化した妖術講座であったが、無事に終わった事は言うまでもない。
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