後輩(♂)が美少女になって困っている件 後編

 俺が雷園寺の気質について思いを馳せている間にも、紅藤様は解説を続けていた。


「妖気の循環が滞ると言っても、すぐに何もできなくなるとか寝込んでしまうとか、そう言う重篤な症状が出るわけじゃあないわ。妖怪の身体も、生命活動を護るためのメカニズムがあるからね。

 妖気の停滞も初期のうちは自覚症状もほとんど無いのよ。だけど、普段あまり使わない術や苦手な術が使えなくなるって事は起こりうるわ」


 苦手な術。その言葉を聞いた俺は隣にいる雷園寺の姿をちらと見た。梅園六花と名乗る雷園寺の変化姿は、変化術というにはあまりにも単純な物だった。首から下は確かに女性の特徴を具えているが、肝心の顔は本来の姿とほとんど変わらないではないか。そこまで思い至った俺は、またしても腑に落ちた。


「それで変化術を行ったその姿で固定されてしまったんですかね。雷園寺君は変化術が苦手ですし」


 翠の瞳が鋭く光り、俺に射抜くような眼差しを投げかけてくる。雷園寺の視線に気づかないふりをしていると、紅藤様は頷いた。


「そうね。雷園寺君の場合、変化術が苦手というよりも変化術に割く妖力の量が少ないですもの」


 紅藤様の意見はまさしく俺が思っている事そのものだった。

 人間に擬態して暮らす事が多い妖怪たちにとって、人型に変化する術は初歩的な術に分類されるらしい。知り合いの妖狐や化け狸たちの話によると、それこそ人間で言えば保育園児・幼稚園児くらいの年齢から人型に変化する術を覚えるのだという。まずは基本的な人型変化から始まり、より自然な変化姿を習得したり、別の変化姿を習得したりすると言った塩梅に、変化術のレパートリーは増えていく。

 基本的な変化というのは、人型の変化でも最も簡単な変化を指す。要するに変化術の使い手の年齢や性別、或いは毛皮や目の色がそのまま人型に反映される姿の事だ。

 そういった点を考慮すれば、雷園寺の人型の変化は基本的な変化の範疇に収まっているとしか言いようが無かった。十代半ばから後半ほどの少年の姿を取るのは、妖怪としての彼がそれくらいの年齢である事を示している。特徴的な銀髪と翠眼も、本来の姿の特徴と大差ないし。


「妖気の停滞が恐ろしい事だとは初耳ですね、紅藤様」


 しばらく無言だった雷園寺が口を開いた。頬の紅潮は若干収まっている。だがその表情は何処となく虚ろだった。しんどいとか気分がすぐれないというよりも、思いがけぬ事に出くわして呆然としているといった感じだった。


「これでも特にしんどいとか、そう言うのは無いんです。ただ本当に、女子の姿に変化してみて、それが元に戻らないだけで……」

 

 雷園寺はそこまで言うと一瞬目を伏せた。それからぐっと眼球を動かし、ぎこちない笑みを浮かべている。また頬の赤味が戻っていた。


「別に、女子に変化したっていう事には深い意味はないんです。あれですよ、ちょっとした出来心だったんです……」


 出来心。その単語を使ってもじもじと弁明する雷園寺の姿はまさしく恥じらう少女の姿そのものだった。紅藤様は俺たちが魔法少女(♂)になっている事をご存じではないはずだ。であれば変化術の苦手な雷園寺がわざわざ女子に変化した事については謎めいた事だと思っておられるに違いない。ましてや彼は、かつて女子に変化する俺の事を変態と言い募ってはばからない所があったのだから。

 ともあれ俺は黙って雷園寺の様子を眺めていた。ああいう姿はそれこそ男子受けが良いんだろうなとか、別に女子変化する事で恥ずかしがることは無かろうにとか、そんな事を思いながら。

 いつになったら戻れるでしょうか。懇願する梅園六花の言葉には、いっそ切実なものが混じっていた。


「最悪三連休の間この姿なのは仕方がないです。ですがその……休み明け以降もこの姿のままというのはやっぱり困ります。やっぱり、戦闘訓練とかにも支障が出ると思いますし」


 戦闘訓練という単語を雷園寺は口にし、俺を横目でちらと見た。その顔にほんのわずかな笑みをたたえて。

 紅藤様は雷園寺の笑みには気付かなかったのだろう。眼鏡の奥にある紫の瞳はさも不思議そうに揺らいでいる。


「雷園寺君は変化術はあんまり使ってないでしょ? それなら変化術が多少不自由でも戦闘訓練には支障はないはずだと思うのだけど」

「ああ、そういう事じゃあないんですよ紅藤様。僕はこの姿でも十二分に闘う事は出来ますよ。ただ、島崎先輩が気兼ねするんじゃあないかと思ったんです。先輩は本当は僕より強いのに、気兼ねしたり心配事があると本気を出せないみたいですからね。しかも女の子に甘いみたいですし」


 真面目な顔をしてそんな事を考えとったんかい! 俺は心の中でツッコミを入れていた。しかもちゃっかり俺に対してマウント取ってるし。やっぱり雷園寺は油断ならん妖怪である。

 とはいえ、彼の言を表だって糾弾できないのも事実だ。尻尾の数から判る通り、妖力の多さは確かに俺の方が勝っている。しかし実際の勝負では、雷園寺の方が勝ち戦になる方が多い位なのだ。俺の勝率も四割を超えているから、力量が拮抗していると言いたいのだけれど。

 いずれにせよ、雷園寺の戦闘能力は高い。雷撃による高威力の攻撃術が彼の十八番であるが、正直な話体術だけでも十分に強い。そこがまぁ種族の差であり実績の差になる訳なんだけど。

 ついでに言えば女の子相手だと手加減してしまいそうになるという所もあるにはある。妖怪の戦士は性別不問であるという事を知っていても。


「タイマン勝負の事で心配しているなんて気が早いじゃないか雷園寺君。しかし、梅園六花としての姿で相まみえるとなっても……まぁその時は宮坂京子として迎え撃とうじゃないか。男が女の子の妖怪を打ち負かそうとするのは気が引けるが、女同士だったらそう言う気兼ねは必要ないし」

「女同士って、あくまでも見た目の話だぜ。見た目がどうであれそもそも俺も先輩も男じゃないか……」


 俺の発言に雷園寺は何とも言えない表情を浮かべていた。紅藤様は何も言わずニコニコと微笑んでいるだけだ。俺と雷園寺はタイマン勝負とかで互いに相争う間柄だ。力量が拮抗しつつあるわけだから、どちらが強いかはっきりしないと気が済まないのである。ところが、そうした俺たちのやり取りは、紅藤様や萩尾丸先輩の目には仔狐と仔猫が仲良くじゃれあっているように見えているらしかった。



 結局のところ、俺たちは紅藤様の説明を聞いて一旦居住区に戻る事になった。妖気の停滞はそんなに長引かないだろう、というのが紅藤様の見立てである。ストレスを解消し無理をしなければ、三連休が明けるまでには元通りになるとも紅藤様は仰っていたのだ。

 その間、特に雷園寺は安静に過ごさなければならないとか、そういうことはないらしい。むしろ多少出歩いたり動いたりする方が妖気の循環を円滑にするのに丁度良いという話すらあった。

 俺はそこで、日曜日のデートへの下見に雷園寺も誘ってみたのだ。もちろん、雷園寺が渋れば無理強いはしないし場合によっては安静にする雷園寺の傍に居ようとも思っていた。

 結局のところ、雷園寺は俺の誘いに乗ってくれた。元より活発でアウトドアを好む雷園寺の事である。下見先は田舎ながらも色々なお店が集まるモールの中である事、何より俺自身の正式なデートの予行演習である事が、雷園寺の興味を引いたのかもしれなかった。

 雷園寺が誘いに乗った事は、もちろん俺にも嬉しい事だった。妖気の停滞という状況に陥りつつも彼が元気である事が確認できたからだ。ついでに言えば少女姿の雷園寺の傍に居て、彼の演技指導を行う事も出来るわけだし。


「それにしてもデートの二日前に下見をして予行演習するなんて、先輩も力が入っていますねぇ」


 雷園寺もとい梅園六花は、ローテーブルに肘をつきながら静かに笑っていた。いつの間にかTシャツの上に一枚お洒落着のブラウスを羽織っている。Tシャツよりも濃い色味の群青色であるが、所々薄い水色で雪の結晶の模様が入っていた。えげつないほどの猛暑を誇っているので涼しさに頼りたいところなのだろうが……密かにおのれの本性を示しているようにも見えてしまう。

 雷園寺はどうにも自我が強いから、変化していても素を出したくなるのだろう。


「ふふふ、この前の海でのデートごっこを思い出すなぁ。まぁあの時は先輩が女の子の姿だったんで今とは真逆だけど」

「何、デートだと……!」


 デートごっこ。何気ない調子で放たれた言葉ではあったが、それを聞いた俺は密かに動揺していた。雷園寺は今梅園六花という少女の姿に化身している。言動はさておき、しっかりとした鼻梁と明るい翠眼が特徴的な美しい少女である。そんな彼女を連れ回しながら歩いていたら周囲はどう思うか。やっぱり俺が銀髪の少女とデートしていると周囲は思うのではなかろうか。

 実はそういう風に見えるかもしれないという懸念は、先程まで俺の中には無かった。というか迂闊にも見落としていたのだ。

 日曜日にガールフレンドとデートする出先で、雷園寺とデートしているように見られるのはまずかろう。そのような考えに到達するのは無理からぬ話だった。

 しかし幸いな事に打開策はすぐに見つかった。梅園六花を元の雷園寺の姿に変化させる事は俺の力量では難しい。しかしその逆はどうであろうか――?

 俺は即座に行動を起こしていた。すなわち自分に変化術をかけ、女子の姿に変化していたのだ。これならば普通に仲のいい女子二人組にしか見えないだろう。梅園六花と一緒にいたとしても、俺がガールフレンド以外の女子と遊んでいるという嫌疑はかけられないはずだ。


「デートの前なのに他の娘とデートしてるって思われてもいけないから、私はこの姿でついて行こうと思うの。デートごっこも良いけど女子会(♂しかいないけど)も面白そうじゃない!」


 口調を女子っぽく調整し、俺はいたずらっぽく微笑んだ。対面にいる梅園六花の笑みが僅かに引きつる。唐突に女子に変化した事に驚いているのではない。俺が変化した姿に思う所があるだけなのだ。


「先輩……女の子に変化するのは良いけどさ、よりによっての姿に変化するなんて」


 六花は苦い物を舐めたような表情を浮かべていた。俺が変化したのは宮坂京子という少女の姿である。生誕祭の折に、身分を隠して会場に潜入した時に使った変化姿だった。俺はかつて、この姿で働いている時に雷園寺に絡まれたという事があった。

 その事は俺は今でも覚えているし、雷園寺とて同じ事だろう。しかし俺が宮坂京子に変化するのは彼への嫌がらせとか意趣返しではない。あの出来事の印象が強すぎて、雷園寺絡みの時はどうしても宮坂京子の姿を取ってしまうだけなのだ。


「別に良いでしょ。この姿は六花ちゃんの本当の姿とも縁が深いんですから。それよりも妹さんに似た姿の方が良かったかしら」

「宮坂京子とかミハルの姿じゃなくてさ、葉月ちゃんの姿はどうなのさ? あの姿も結構可愛かったし」

「でもあれで変な連中に絡まれたから、あんまりあの姿に変化したくないの」


 まぁともあれ出かける前段階で若干のひと悶着はあったが、結局俺たちは二人で仲良くモールに向かう事と相成った。

 二人で遊ぶのが楽しすぎてうっかり終電を逃し、初対面の男の人の許に泊めて貰った事とか、雷園寺が元気になって元の姿に変化できるようになったのは土曜日の昼の事だというのはまた別の話である。

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