後輩(♂)が美少女になって困っている件 前編

 世の中というのは、本当に絶妙なタイミングで奇妙な事が起こるものだ。真実は小説より奇なりとはよく言ったものだと思う。だけど、今の俺の状況は、それこそ青天の霹靂と言っても良いのかもしれない。



 その瞬間が来るまで、俺としては最高の金曜日だった。工場のメンテがあるって事で会社は休みだった。だが俺が浮かれているのはそれだけじゃない。ガールフレンドに電話をかけてみたら、仕事が無いから日曜日にデートが出来そうって話になったんだ。


『島崎君もずっと頑張ってるもんね。最近会えて無かったし、お互い仕事の事を忘れて遊ぶのも良いと思うの』


 彼女のその言葉がどんなに嬉しかったか。それはもう男子だったら解ると思う。三連休の初めにそんな嬉しい言葉が聞けるなんて俺はもう本当に幸せ者だ。彼女をがっかりさせないように、俺が大人だって解るように、今日と明日でデートプランを練らないと。わざわざこっちに遊びに来てくれるって彼女は言ってるんだし。それも尼崎から。

 ホップの面倒も見た後だし、何処で遊ぼうか……野暮なインターホンが鳴り響いたのは、俺が行動を起こそうとしたまさにその時だった。


「はい、どうされたんですか」


 こんなタイミングにインターホンとは。訝りながらも俺は応対する。わざわざ俺の部屋に来てインターホンを押す。そんな事をするのは師範の紅藤様か兄弟子の青松丸さんくらいしかいないと俺はその時まで無邪気に思っていた。何せ俺が暮らしているのは研究センターの居住区なのだ。安アパートである別宅はさておき、普通の妖怪や人間がわざわざここを訪れる事はまずない。


『俺だよ俺、ユッキーだよ!』


 俺の予想は即座に裏切られた。やや甲高い、ノリの良さそうな声がユッキーなどと言っている。誰かはすぐに判った。雷園寺雪羽という雷獣の若者だ。彼も研究センターに勤務する妖怪の一人である。厳密には色々あって萩尾丸さんの許で研修中なのだが、まぁそう言う事は今回良かろう。

 それにしても何故雷園寺がこんな所にいるのか。若干の疑問はあるにはあったが、俺は部屋のドアを開ける事にした。雷園寺もここの関係者であるし、何より互いに気心の知れた間柄だ。それに何か切羽詰まった声音だったから気になりもしたのだ。


「おはよう雷園寺、一体どうし――」


 ドアを開けた俺は、目の前にいる「雷園寺雪羽」を見て絶句した。変わり果てた姿という表現を使う程ではないが、雷園寺の姿はいつもと違っていた。癖のある短い銀髪や、光の加減で色調の変わる翠の瞳はいつも通りだ。いたずらっぽい笑みも普段の彼らしい。

 しかし眼前の雷園寺は、明らかにの姿を取っていたのだ。年の頃は十六、七くらいだろうか。あどけなく気の強そうな面立ちは殆ど違いはない。劇的な変化があるのは首から下だ。しっかりとした胸のふくらみと肉付きの良い腰回りがあからさまに女に化身している事を示していた。

――何で雷園寺が女子に変化しているんだ。

 根源的な疑問が脳裏から沸き上がり、俺の思考は一瞬停止していた。別に俺自身は女子変化を嗜んでいるから、男妖怪が女子に変化する事くらいでは驚かない。問題は女子変化したのが雷園寺であるという事だ。

 確かに最近は、こっそり魔法少女(♂)の活動を俺とやっているから雷園寺も魔法少女(♂)に変化する事はあるにはある。しかし自発的に女子変化する手合いではない。そもそも雷園寺は変化が苦手なくらいだし。

 気が付けば、考え込む俺をよそに脇を通り抜け、雷園寺は俺の部屋に入り込んでいた。ローテーブルの傍らにちゃっかり座り込み、目が合うと親しげに手を挙げている。


「詳しい事情は話すから、ひとまず涼んでいって良いかな?」

「隙を見て涼しい所に居座るとは油断ならないなぁ。別に良いけど。ただ、飲み物は冷えたやつが無いかもしれないけど」


 俺は後ろ手でドアを閉め、雷園寺の質問に応じてやった。雷園寺の事情とやらも気になったし、暑い最中やって来た客人に飲み物を振舞うのは家主の務めだろうから。



「女子変化を自分でやってみたら、元に戻らなくなっただって」


 雷園寺の簡単な説明を聞いた俺は、驚いて思わず声を上げていた。俺の対面に座る雷園寺は、麦茶を口に含みグラスに入っていた氷を頬張りつつ頷いていた。やや前かがみに座っていて、ローテーブルの上に乳房が乗るような体勢を取っている。俺がその胸元に視線を向けるとにやにやしながら俺を見つめ返すのだ。きっと雷園寺は、変化した自分の持つ豊満な胸に俺が興味を持っているとでも思っているのだろう。俺があんましグラマーな娘は好みじゃあない事は知ってるだろうに。というかデートの予定を決めたガールフレンドかいるし。


「それにしても雷園寺君。君が自発的に女子変化するなんて珍しいなぁ」

「ちょっとせんぱーい。今の俺の事は梅園六花うめぞのりっかって呼んでくださいよ」

「それって変名だな」

「そうだよ」


 明るく頷く雷園寺雪羽、もとい梅園六花を前に俺はまたもため息をついた。やっぱり彼は変化術の本質をとらえていない。そんな思いが俺の脳裏に去来してしまった。変化術が苦手だから、顔つきが本来の姿に似通ってしまうのはまだ良い。しかし「雷園寺雪羽」の変名が「梅園六花」は安直すぎるだろう。苗字にの字が入っているし、の別名である事は知っている人は知っているのだから。


「それで、なんでまた女子変化をやってみたんだ? 俺の知る限り、君は女子変化にそれほど興味は無かったと思うんだけど」

「だって魔法少女(♂)で活動しないといけない時があるだろ? 先輩はもう変化のプロだから易々と変化してるみたいだけど、俺はそうもいかないから、それで自主トレをやってたんだよ。これまでは護符の力に頼って変化を円滑に進めてきていたけれど、護符にばっかり頼るのも良くないし」

「雷園寺君……それでこそ漢だぞ」


 魔法少女(♂)の変化術を研鑽するために自主トレに励んでいた。その言葉を聞いた俺は涙が出そうなほどの感動を味わっていた。思わず梅園の事を本名である雷園寺と呼んでしまったが、彼もその事は特に気にしていなかった。

 雷園寺もとい梅園は、自分の手や身体をしげしげと眺めながらやるせない笑みを浮かべる。正体を知らない者から見れば、今の彼もきちんと美少女に見えるだろう。もっとも、言動がまるきり男のそれなのが気になるが。


「そんなわけで萩尾丸さんが起きる前にちょっと変化してみたんだ。もちろん、こんな姿をやってるってバレたら恥ずかしいから、すぐに元の姿に戻るつもりだったんだ。だけど戻れないんだよ。普段の姿だけじゃなくて本来の姿の方にもさ。

 そうこうしているうちに萩尾丸さんにもバレちゃうし……あ、でも萩尾丸さんは『紅藤様ならどうにかしてくれるかもしれない』って事でこの研究センターに送り込んでくれたんだけど」

「成程ね。それで俺の所に来たって事か」

「うん。島崎先輩がどうにかしてくれたらそれに越した事はないし」


 勝ち気そうなその面に物憂げな表情を浮かべつつ梅園はそう言った。いかにも彼の考えそうな事だ。過去の境遇もあり、彼はまだ年長者に頼るのが苦手な節がある。俺としては「そこは甘えれば良いのに……」と思わなくもないが、そう言う気質なのだから致し方なかろう。


「そういう事なら任せておきなよ。まぁ萩尾丸先輩から前もって紅藤様に通達があるかもしれないのは気になるけど、こっちで解決したなら事後報告でも構わないだろうし」


 俺の言葉に梅園はぱっと目を輝かせた。喜色満面の笑みを浮かべ、彼は言い添える。


「ありがとう先輩! そうだ、お礼に何処でも触っても良いっすよ!」


 何を思ったか梅園はそんな事を口走っている。ご丁寧に身をくねらせながらだ。畜生、こんな時だけ女子っぽい振る舞いをするとは。やっぱりドスケベじゃないか。とはいえ何処でも触っていいとは気前がいい。


「それじゃあ尻尾を触らせてくれるかい。梅園さんの尻尾もさ、フワフワでモフモフしてそうだから」

「え、それは却下。てか先輩も尻尾があるじゃないですか」


 実際に俺が尻尾に触るとでも思ったのだろうか。無防備に伸ばしていた尻尾を梅園はくるりと巻いてしまったのだった。

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