魔法使いにて、その旅路
塚葉アオ
第1話
・1
夜の十一時頃、ハナは椅子に腰かけて、分厚い本や文房具、ハンカチが置かれた机と向き合い、一枚の手紙を読んでいた。部屋の明かりは乏しい。そういう気分なのだろう。電気をつけず、窓掛けも昼と変わらずそのままで、彼女は魔法でおもうように明かりを調節している。
「ルル」とはっきりとわたしの名を呼んだのに、その用事を言おうとしない。おかしいと思うだろう。だがこういう時は、待つしかない。わたしは知っている。声をかけてはならない。こういう時は、わたしの主である魔女アデリナ・エイカーンと同じだ。なぜだか。
魔術師ハナ・エイカーンは音もたてず熱心に手紙を読んでいる。疲れているようにも見えるが、その頭で何を考えているのか。べつにそれほど興味があるわけではない。ただ、その背中は、その後ろ姿を見ていると、彼女が幼かったあの頃を思い出してしまう。時々、わたしは思い出してしまう。今日より十年前、年齢十四のハナが魔法使い見習いとして、アデリナと共に生活をしていた頃のことだ。
その時と言えば、お引越しをしていた。アデリナは住む場所を変えたいと願った。どこか見たことのない国で、見たことのない町で、その空気、におい、声、知らない人たちが暮らしている場所に行きたい。それは、わたしには唐突に思えた。アデリナは魔女としては住む場所を頻度多く変えたがる性分ではあったけど、その時というのが自分の好きな土地で、なにせ自分の生まれた場所だったから。まあ理由なんてのはすぐにわかったけど。
ハナは魔法使い四年目になろうとしていた。しかしまだまだ未熟だった。魔法、魔術を使えてはいる。でもわたしから見れば未熟だった。アデリナも同じことを言っていた。
「次は、しばらくここに住んでみよう」アデリナはそう言って、それからハナに向けてこんなことを言った。「魔法使いであることを隠しましょう。もしばれてしまえば、この町にはいられなくります。なぜ駄目なのか。それは、魔法は、ごくありふれたものではないからです」
ハナはよく聞いていた。猫のようだった。約束を守ろうとする猫。
「わたしたちは」
小さな国の、大きな町で、魔女と魔法使いが暮らそうとしているわけで。
その後、ハナの居ない所で、わたしはアデリナに頼まれた。「ルル、ハナのこと頼むよ」
魔女と未熟な魔法使いと黒い猫一匹が暮らすには十分な家を借りた。二階建てだ。そしてもちろんこの町で暮らすからには、この町の一部にならないといけない。
アデリナは服を作った。彼女の趣味だ。それを売って、生活の足しにするらしい。わたしのご飯のためにも、そうだ。ちなみに彼女の趣味の一つに、本を書いていることもある。
ハナは何をするべきか悩んでいた。アデリナのようには服は作れない。やれること、やれること、とブツブツ言っていた。この町の一部になる。では自分には何ができるのか。魔法はできるのにって。なかなかすぐに仕事を見つけるのは難しいようだった。
そういや、ハナの姉貴分にも魔法はまだまだと言われていたな。いま思い出した。
ハナは町中を歩いて、自分のできるものを探した。一日目はとても心配だった。町の人にさっそくわたしたちが何者であるのか知られてしまうのではないかと心配だった。でも、意外とだ、そうでもなかった。ハナはたとえ見慣れない顔だと話しかけられても、ちゃんと言いつけを守り、魔法使いであることを隠していた。たどたどしさは、うん。
ハナは町に溶け込むのは早かった。無論、慣れない様子はあった。戸惑いもたくさんたくさんあった。でも、いま考えても、そうだな、ほどよく馴染んでいたと思う。
町の人に顔を覚えてもらえるようになり、そうしてハナはわたしが(すこしだけ)予想していた行動を取るようになる。彼女は町の中で魔法を使った。それは始めは咄嗟の出来事だった。彼女は見てしまう。二階の窓から花瓶が落ちている。その下には人がいて。
その人はハナの魔法のおかげで救われた。花瓶も割れなかった。花瓶は家の前に返して、そして魔法が使われているところは偶然にも町の人には見られていない。
「ルル、内緒にして」
ハナは人の悲しむ姿を見たくなかった。
これだけと彼女は考えていただろう。ハナは言いつけを意識的に破っているわけではない。
人が躓いて転びそうになったのを救った。思わず目をつむるほどの強い風が吹いて、その人の手元から飛んでいった大事な手紙を取ってあげた。探し物を見つけた。落とし物を持ち主に返してあげた。豚肉の煮込み料理を鍋で運んだ。後半は、魔法はあまり関係ないけど。他にもいろいろと。
そうしたらわかるだろう。町では不思議なことが起きていると話が広まっていく。
ハナの「内緒の魔法」は他にもあった。ハナはその町でおそらく恋をしていた。相手はブレットと言う名の同い年ぐらいの少年だ。薬剤師の勉強の為、(町にある)白い鳥の看板が目印の薬剤師の元で働いている男の子。手紙を取ってあげた男の子。
相手を見詰める姿は、街で見かける女の子に向ける目とは違う。喧嘩している人を見るのとも違う。見詰めて、会話して、駄目と言われたのに魔法を使ったりして。思いが少しだけでも伝わったら、と。
「この町に魔法使いがいたら、どう思う? 魔法使いのことをどう思う?」
ハナ。その男のことが。やはり。わたしはその時そう思ったものだ。
意識的に破った。ある夜に、ハナは家からこっそり抜け出した。魔法で相手を振り向かせようとしていた。何を考えたのか、あるいは突発的な思い付きで、会いたくて会いたくて堪えることができず。彼女は出かけた。男の家に行った。魔法で何かをしようとしていた。魔法で彼を家の前に呼び出して。でも、結局のところはハナは何もしなかった。
さすがにわたしもここまでくるとあれこれ思い巡らしたものだ。
なんとなくわかってはいたが、とうとうアデリナが怒った。やがてこの町にいられなくなると。「ルル、喋ったな」わたしは何もしゃべってはいない。
魔法が使えない『魔法』を、ハナはアデリナによってかけられてしまう。
ハナは魔法が使えなくなったことにひどく落ち込んでいるようだった。怒られたことにも落ち込んでいた。あの時、あの日、しばらくあの嬉しそうな顔は見なくなった。
町の人も変化に気付く。ブレットもそうだった。しかし、理由など知ることなどない。
魔法がないとはいえ、ハナの生活が大きく変わるのかというとそんなことはなかった。そりゃそうだ。ほんとうはそうやって過ごそうとしていた。街で見かける女の子に近付ければと。向ける目、その位置は、何も変わらないけれど。時には受け入れて。
ハナは、あの頃は、ハナ自身で気付くところもあっただろう。
魔法があればと考える日は多かった。魔法が使えないと自覚していた。それでもハナは思いがけない行動を取る。
小さな国の、大きな町で、一頭の若いグリフィンがやってきた。それもう街は大騒ぎ。恐れだ。何と言ってもグリフィンが町にいるのは当たり前ではない。
ハナは知って、続いてブレットがそこにいると知った。魔女アデリナに助けを求めなかったのは時間がないと考えたのだろう。
グリフィンとは見つめ合いで決着がついた。使えなかったはずの魔法を用いては、最後には見つめ合いでどうにかその場を収めた。
若いグリフィンは、冷静になったのだろう。
そうしてハナは思わぬ事態で魔法使いであることを町の住人に知られてしまう。ブレットにも知られてしまったわけだ。
魔法が使えなかったのは、思い込みの魔法だったから。魔法使いに戻ったはちがうが、結末についてはアデリナが最初に言ったように町を離れることとなる。
町を出て行くのはどうすることもできないこと。恋は、どうなのだろう。
あれは、魔法でそんなことやろうとしていたなんて、とくにあの夜、ハナにとって今となっては誰にも言えないけど、すべてが良かったなと言える恋なのだと思う。
おっと、ようやく用事が聞けそうだ。
「ルル」
どうした。ここにいるぞ。
魔法使いにて、その旅路 塚葉アオ @tk-09
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