第2話 2

 お嬢様の厨二ノートによれば。


 ルークス領の孤児院には、将来、リーンノルド殿下と恋仲になる少女が居るのだという。


 まず皇族が家同士の取り決めた婚約を無視して、恋愛にのめり込むというのがありえないようにも思えるのだけれど。


 ――近年のミルドニア皇国ではそうとも言えなくなっている。


 それは数年前の政変と貴族達の大粛清のきっかけとなった、第二皇女殿下の存在があるから。


 留学先の異国の王太子に恋した彼女は、第二位だった皇位継承権を返上し、現在はミルドニア大使として某国に駐留している。


 その物語のような出来事は、多くの若い男女の憧れとなって伝わっていて。


 現在の我が国は、身分の貴賤を問わず、空前の恋愛結婚ブームなのよね。


 ふむ。


 お嬢様はそこから着想を得たのだろうか。


 ――ミナ・ルークス


 お嬢様やわたしと同じ十四歳。


 元々はドルコノール子爵家の一粒胤ひとつぶだねなのだけれど、数年前の大粛清の際に両親は処刑され、お家はお取り潰しになっていて。


 彼女自身は処刑は免れたものの、王都から遠く離れたルークス領の孤児院に預けられたのだと、お嬢様の厨二ノートには記されていた。


 そこまでを思い出し。


「お嬢様、よろしいですか?」


 わたしは隣で読書しているお嬢様に声をかける。


 読んでいるのは、お気に入りのホヅキ・ユメの物語ね。


 バルドは獣騎車に酔ってしまい、風に当たってくると言って前方デッキだ。


 馬より速いものね。獣騎車……


 わたしも慣れるまでは、そうだったから気持ちは良くわかるわ。


 そんなわけで、お嬢様と話し合うなら今しかない。


「なに? どうしたの?」


 ああ、本に栞を挟んで、小首を傾げる仕草も可愛らしい。


 ……ではなくて。


「ミナという少女について、お話を伺っておきたいのです」


 わたしの言葉に、読書に夢中になっていたお嬢様は、今になってバルドが居ない事に気づいたようで。


「バルドならデッキです。酔ったそうで」


「あら、そうなのね。

 それならちょうど良いわね」


 うなずきを返すお嬢様。


「それで、なにを聞きたいのかしら?」


「ミナ嬢の事です。

 お嬢様の記憶では、ミナ嬢はリーンノルド殿下と恋仲になるのですよね?」


「このままだとそうなるわね。

 孤児院卒院間近に、ルークス子爵に引き取られて、ね」


「それでは殿下との出会いは、学院で?」


 わたしの問いに、お嬢様は苦笑して首を振る。


「わたしもそう思っていたのだけれどね。

 前世のあなたが調べたところによると、孤児院時代に出会っていたそうよ。

 何回目かは知らないけど、殿下がウチをお訪ねになった帰りに孤児院に立ち寄られて、それがきっかけになったようね」


 頭の中で、情報を整理する。


 孤児のミナ嬢は、孤児院の視察に立ち寄った殿下と出会って親しくなる。


 それを知ったルークス子爵は、恐らく利用できると考えたのでしょうね。


 だから、卒院間近のミナ嬢を養女として引き取り、より殿下と接点を持てるよう学園へと入学させたというところかしら。


 第二妃の御子とはいえ、リーンノルド殿下は王太子であるリーンハルト殿下の同腹の弟君。


 しかも本来は兄弟仲のあまりよろしくない皇子様方の中にあって、お二人の仲は良好と聞くわ。


 そこにルークス子爵が利を見出したとしても不思議ではないわね。


「それではお嬢様の目的は――」


 ――ミナ嬢と殿下を出会わせないようにする事でしょうか、と。


 そう言いかけたところで、お嬢様は不意に立ち上がり、頭上高く拳を振りかざす。


「――ルークス子爵を潰すわよ!」


「待って! 待ってください、お嬢様!

 話が飛躍しすぎていて、ティナはついて行けてません!」


「なによぅ、わからないの?」


「じゅ、順を追って説明してください。

 なぜルークス子爵を?」


 お嬢様は座席に座り直し、腕と足を組む。


「まずルークスはね、殿下の妃の座にミナを据える為に、将来わたしの罪を捏造するの。

 ――ここまでは良い?」


 それは厨二ノートにも書かれていた。


 お嬢様が要注意人物として挙げていた名前の中に、ルークス子爵の名前もあったから覚えてるわ。


「その罪っていうのがね、わたしが人身売買をしていたって言うのよ」


「はあ――っ!?」


 ミルドニアに限らず、中原にある多くの国は人身売買を禁じている。


 だが、それでも裏で隠れて行う者は後を断たず。


 大粛清の際にも、貴族と繋がりのあった多くの人身売買組織が摘発されている。


 そして、その摘発の指揮を執ったのが旦那様であり、わたしの父も旦那様の元で活動していた。


「笑っちゃうわよね。

 よりにもよって、アルドノートのわたしが、よ?

 むしろわたしは、ルークスが行っていたを告発しようとしていたのに」


「……ひょっとして、殿下ですか?」


 ひとつの予想が浮かんで、わたしはそう尋ねてみた。


「そ。

 ――ミナの実家だから、嫉妬から冤罪をなすりつけようとしているのだろうって言われたわ。

 そうしていつの間にか、ルークスが行っていた人身売買は、わたしがやってた事にされてたのよね……」


 お嬢様は寂しそうに笑って、首を振る。


「だから、殿下と関わりのない今の内に潰しちゃおうっていうワケ」


「……孤児院が人身売買組織の隠れ蓑になっているのですか?」


「前世ではそうだったわね。

 表向きは綺麗に見せてるけど……裏では奴隷として主人に仕えるよう、子供達はひどい扱いを受けているわ」


 お嬢様はそれも含めて、どうにかしようとお考えの様子。


 そこでひとつの疑問が浮かび上がる。


「……その、ルークス子爵を潰すのはわかりましたが。

 お嬢様はミナ嬢をどうなさるおつもりですか?」


「どうって?」


「いえ、孤児のままでは、どの道いずれ殿下と出会って……」


 途端、お嬢様は笑い出す。


「なあに? ひょっとしてティナ、まだわたしが殿下を好いていると思ってる?」


「……違う、のですか?」


 熱を出して倒れられた、あの顔合わせのお茶会で。


 お嬢様は倒れられる直前まで、殿下にかなり入れ上げていたように見えたのだけれど。


「こっちは処刑されてるのよ?

 それを命じた人を好きでい続けられるわけがないじゃない」


 ケタケタと笑って、お嬢様は目尻に浮かんだ涙を指先で拭う。


「では、ミナ嬢と殿下がくっつくのは問題ない、と?」


「当然! あんな……あんな、へ、へ……」


 なにかを思い出すように宙を見つめて。


 お嬢様はそれでも思い出せなかったのか、膝に置いた本のページをめくる。


 やがて目当ての言葉が見つかったのか、うなずきひとつ。


「――あんなへたれ、リボンをかけてお譲りするわ!」


 はあ、ドヤ顔のお嬢様、尊い……。


 ……違う、そうじゃない。


「ですがお嬢様、それならばなおの事、ミナ嬢は孤児のままにすべきではないと思います」


「どういう事?」


「第二第三のルークス子爵が現れるのを防ぐ為、事前にしかるべき信用できるお家の養女にしておくべきかと」


 のちの公爵夫人が――いくら元は子爵令嬢とはいえ――孤児というのは、貴族的な外聞も悪いだろう。


 そうなれば、殿下と繋がりを持ちたい貴族は、こぞって彼女を養子に迎えようとするはずよ。


 その時に、アルドノート家とお嬢様と対立する家に迎えられてしまっては、それこそお嬢様が語る『前世』と同じ事になりかねない。


 わたしはお嬢様にそう説明して。


「孤児達は一度、城で保護できるよう旦那様に相談致しましょう」


 人身売買組織が関わっているのなら、中には拐われてきた子もいるかもしれない。


 孤児達に身寄りが居ないか調べる必要があるわね。


「そうね。お父様なら子供達を悪いようにはしないわね」


 お嬢様は満面の笑みを浮かべて満足げ。


 ……まあ、ここまで相談しておいてなんだけど。


 すべてはお嬢様の厨二病による、ただの妄想ってオチもありえるのよね……


 ……ミナ嬢、本当に存在するのかしら?

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