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「中毒症状の中和及び進行の遅延化は、片山さんが実は欠片を服用していなかったことで、データとして残すことは出来ませんでしたが。恐らく片山さんは、SEXtasyではなくある程度の量のカインを服用して『急性の中毒症』になったことで、私が期待していた『本能の表出をコントロールする』ことが可能になったのではないかと思います。これがどの程度まで可能なレベルなのかは、何分片山さんは『稀有な例』だけに、はっきりしたことは言えませんが。このまま研究を続けていけば、きっと大きな成果が出せるはずだと……まあ、片山さんはその研究そのものを『崩壊させる』つもりでしょうから、ここで何を言っても仕方ありませんけども」



 橋本は、何か誇らしげにそう解説したが。俺が本能の表出をコントロール出来たこと=自らの意思で呼び覚ますことが出来たのを、ある程度予想していたのだと自慢したいんだろう。しかし結局、俺を「実験材料」にしてたってことじゃないか。それを、誇らしげに語られてもな。


 するとそこで、「裏口」のドアの内側から、「ガチャガチャッ」という音が聞こえてきて。俺と橋本は、改めてドアに注目した。そして、バタンッ! と勢いよくドアを開け、外へ飛び出ようとした瞬間に、俺と橋本の姿を見つけて。呆気にとられて立ち尽くしているのは、俺の予想通りに「お偉いさん1人」だった。



「き……君たちは、そこで何をしているのかね? まさか、私を狙って……」

 お偉いさんはそう言って、開けたばかりのドアを閉めようとしたが、俺はそのドアを片手で「ぐいっ」と押さえ込んだ。俺の中でもう、「本能を呼び覚ます準備」は出来ていた。それだけでも、結構なパワーが出せるようだな。


「な、何を……?!」

 俺がドアを押さえたことで、本当に俺たちに襲われると思ったのだろう。お偉いさんは、SPにでも渡されていたのか、懐から拳銃を取り出し、俺に向かって構えようとしたが。富も権力も存分にあるお偉いさんでも、残念ながらこういうことに関しては「素人」だった。俺は自分に銃口を向けられる前に、お偉いさんの手首に「びしっ!」と手刀をかまし、拳銃を払い落とした。


 俺のその行動で、お偉いさんは抵抗するのを諦め、降参するかのように両手を上げた。同時に、俺が「暴れ出した兵士たちのように、凶暴化はしていない」と認識したようだった。



 俺は払い落とした拳銃を拾い上げると、ズボンのウエスト部分に押し込み。「そのまま表に出ろ。実際、中にいる方が危険だ」と、お偉いさんをドアの外へと連れ出した。俺はドアを閉め、建物から橋本とお偉いさんを少し遠ざけてから、改めて2人と向き合った。


「橋本さん……これは一体どういうことかね? 厳重に管理されていた兵士が急に暴動を起こし、ロボトミー手術を受けさせるはずの片山君が、こうしてここに立っている。何が起きたのか、説明してくれるか?」


 お偉いさんが両手を上げたままそう問いかけたが、橋本は困ったような顔をしながら、「いえ、その……」と言ったきり、次の言葉が出て来なかった。いつもは流れるような口調で相手を納得させる話術を心得ている橋本も、今回ばかりはギブアップということか。



 そこで俺の方から、橋本に代わって簡潔に説明してやった。

「前にこの建物に来た時に、大勢の兵士にSEXtasyを送り込んでるのを知ったからさ。それの制御を失くしただけだよ。俺がここにいるのはまあ、ごく簡単に言えば、あんたに会う前からこうする予定だったってことだ」


「私に会う前から、か……」

 お偉いさんは深いため息をつき、「なんてことだ」と首を横に振った。


「私がSEXtasyの効果を知ってから、秘密裡に、そして厳重な管理と警備の元で研究を進めていたこの施設が、そんなことで終わりを告げるとはね……。どれだけの時間と人材が、多大な資金がここに注ぎ込まれて来たか。片山君、君に想像出来るか? 君がやっていた、合法か非合法かを小手先で誤魔化すようなものとはわけが違うんだぞ? これは、私個人の利益のためだけのものではない。我が国の将来を見据えた上で、非常に重要な意味を持っていたんだ。


 2010年に中国が我が国を抜いてGDPの世界2位にランクされて以来、その差は開く一方だった。20世紀末から韓国にも激しく追いかけられ続け、我が国の『経済大国』としてのアイデンティティはにわかに揺らぎ始めた。世論は嫌中・嫌韓ムードに染まっていくものの、それは自分たちを追い抜き追い越そうとしている者への、あからさまな『嫉妬』にも感じられた。しかしそれが近隣諸国への危機管理を主張する声にも繋がり、旧第9条を始めとする憲法改正を成し遂げられたのだがね。

 我々は失われたアイデンティティを取り戻すため、なんとしても『逆転の一手』を打つ必要があった。それが成し遂げられぬまま、ズルズルと次の世紀を迎えるようなことがあってはならない。SEXtasyは、その逆転の一手になるべきものだったんだ……!


 これまで軍需産業に関して後手を踏み続けていた我が国にとって、SEXtasyは救世主と言える存在だったんだ。2022年にロシアがウクライナへの軍事侵攻を始めてから、各国で軍備を強化・増強することは必須事項になった。そこでSEXtasyが輸出の目玉になれば、間違いなくアジア諸国を一歩リード出来るんだよ。その時はもう、目の前まで来ていた。長年の夢が、形になりつつあったんだ。それを、君が全て『ぶち壊した』と言うのかね……?」



 何か、自分では「立派な演説」でもカマした気分でいるんだろうが、俺にはちっとも共感出来なかった。それは、俺の中の本能が呼び覚まされつつあるから、だけが理由ではあるまい。俺とこいつは、元から「相容れない」間柄だったんだ。ただ単に、それだけのことだ。



「あんた、俺に言ってたよな? 私のような立場の者の前では、口を慎んだ方がいいよと。今、その立場が完全に逆転してることを、あんたは理解しているか? どれだけの人材が注ぎ込まれたか、とかほざいていたが。それはそれだけ、ここで『犠牲になった者』が大勢いるということだろう? あんたの言う『イベント』だけじゃなく、薬物の開発段階で、どれだけの奴が実験材料にされてきたか。


 それもあんたは、我が国のための尊い犠牲だとか抜かしやがるんだろうけどな。犠牲に尊いもクソもない、人が死ぬことの価値基準を、あんたらに勝手に決められてたまるか。特にあんたみたいな、利益最優先の奴の犠牲になった者の魂は、百年経っても浮かばれないよ。


 俺は自分の価値を、自分で決める。そして……俺の知っている者、近しい者の価値もな」



 俺はズボンから拳銃を取り出し、お偉いさんに狙いを付けた。

「おい、私はさっきから両手をあげて、降伏の意思を表してるだろう? そんな私に、銃を向けるのか?!」


 お偉いさんは焦ったように、そうまくしたてたが。それで、俺の意思が揺らぐことはなかった。


「ああ。あんたが岩城の死に関わっている以上、見逃すことは出来ない。これは俺から岩城への、実弾入りの『弔砲ちょうほう』だ」



 そう言って俺は、引き金を引き。耳をつんざく銃声と共に、お偉いさんの額に、赤い刻印が刻まれた。お偉いさんはそのまま、うつ伏せにバッタリと倒れこみ。同時に橋本も、両手と両膝を地面に付いて。自分の夢が潰えたかのように、ガックリとうなだれていた。



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