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「は、はい。もちろん知っていますが……それを聞いて、どうしようと?」
橋本はそう答えながらも、俺が何をしでかす気なのかと、さすがに気になっているようだった。というより、何をしでかそうとしているのか、薄々察しはついているだろう。
「まあ、あんたの想像通りのことだよ。いち早く逃げ出したいのはわかるが、もう少し付き合ってくれると助かるな」
橋本は、「はあ……」と深いため息をつき。「仕方ないでしょう、私1人で逃げ出せる状況じゃないですからね……」と、俺を別棟の「裏口」へと案内し始めた。先ほど「本棟」の窓から外へ出たのも、実はこれが目的のひとつだった。兵士たちが暴れ狂う建物内よりも、外から回った方が断然裏口に近いと考えたのだ。
お偉いさんのいる階で待機している兵士もSPも、SEXtasyの効果などは知らないだろうが、突入して来た兵士を見てすぐに「ヤバい」と気付くだろう。これはただの暴動ではなく、狂気に駆られた虐殺集団なのだと。更に、銃で撃ってもひるむ気配がないとわかれば、兵士とSPを合わせた4人だけでは、到底太刀打ち出来ない。SPにとって最優先すべきなのは、お偉いさんの命を守ることだ。ならば、体を張ってでもお偉いさんを「先に逃がそう」とするはずだ……。
そこを踏まえて、俺はお偉いさんが出て来るであろう裏口の「緊急脱出口」で待機することを決めた。恐らくSPたちは自分達が「壁」となって虐殺集団を食い止め、お偉いさんだけを逃がす。裏口から出て来るのはお偉いさん1人という可能性が非常に高く、例え兵士かSPの誰かが同行したとしても1人だけで、それも「無傷で」というわけにはいかないだろう。そこで改めて、お偉いさんとご対面だ。
建物内を破壊し尽くしたら、それでも興奮の収まらない兵士が表に飛び出して来ることもあり得るので、俺と橋本は別棟の壁沿いを慎重に移動し、建物の裏側に回った。ここからは、いまだ鳴り止まぬ本棟の警報ベルの音しか聞こえてこないが、それがかえって不気味さを感じさせている。
「ここです……エレベーターが使えなければ、階段をつたってここから出てくるはずです」
橋本は、裏手にある「従業員通路」のような入口を指し示した。お偉いさんも兵士たちの暴れっぷりを目の当たりにしたら、まずは急いで表に出て、それから救援なりなんなりを呼ぼうと考えるだろう。どちらにせよ、後はここで「待つ」だけだ。
中の様子がわからない以上、誰がいつここから出て来るのか、待ち構えているしかない。俺はその「待機時間」を利用して、気になっていたことを橋本に聞いてみた。
「橋本さん。さっきあんた、『俺に似た状況を作り出す、実験段階に入った』って言ってたよな。それは具体的に、どういう風にやるんだ? 意図的に二重人格を作り出すとか、そういうやり方があるのか?」
橋本は少し「どきっ」とした表情をしていたが、恐らくここも、出来る限り正直に答えてくれるだろう。普段はポーカーフェイスというか、営業的笑顔で内心を明かすことのない橋本だが、自ら言っていたように、こんな「危機的状況」は初めてだろうし、内面を取り繕う余裕など無さそうだからな。
「は、はい……これもいずれ、お話しするつもりでしたが。片山さんのような『多重人格者』を造り上げようというのではありません。その前に、私も片山さんにお尋ねしたいんですが。先ほど片山さんは、表出した本能を抑え込むだけでなく。抑え込んだ本能を、故意に『呼び覚まして』ましたよね……?」
さすが橋本だ、暴動の恐怖に怯えながらも、見るべきところはしっかりと見ている。
「ああ、その通りだ。上手く言えないが、俺にはそれが出来るような気がしてね……予想してた以上に、上手くいったよ。それがどうした?」
橋本は俺の言葉に、「なるほど」と頷き。俺の問いかけに対する、解説を始めた。
「片山さんが急激に本能を表出し、凶暴化して見張り番2人の喉を食い千切ったのは、たぶん私がお渡しした『カインの欠片』を服用したからですよね? あの時はなぜ急にと驚くばかりでしたが、後から考えると、それ以外に考えられないと思います。こう言ってはなんですが、私としては、要望を受けた上でそれを渡すことで、片山さんを『手なずけている』つもりだったんですが、完全に甘く見ていましたね。飲んでいるフリをして、欠片を溜めていたとは……。その前に兵士工場もお見せしていましたし、その時から片山さんは『こうするつもり』だったのでしょう。してやられたというか、『参りました』というのが正直な気持ちです。
それを踏まえて、ですね。片山さんに『欠片』をお渡ししていたのは、単純に『クスリが欲しい』という片山さんのご要望に応えるだけではなく、SEXtasyの中毒症状を緩和する意味合いもあったのですが。同時に、私なりの狙いがあったんです。それが、SEXtasyを投与された片山さんが、カインを服用することで『SEXtasyの効果を、コントロールする力を持つのではないか』という仮説の実践でした。
カインはSEXtasyと同じMDMA系の薬物ですが、SEXtasyのように人を凶暴化させるという効果は持ち合わせていません。ある程度『ハイな状態』にはなりますが、あくまで『ハイになる』レベルで、獣のように他者に襲い掛かり、傷を負っても痛みを感じないという『特色』まで至ることはないのです。そこでまず私が考えたのが、本能が表出しそうなまでに進行したSEXtasyの中毒症状を、カインを服用することで中和できるのではないかということでした。
もちろん大量に服用すれば、更に重度の中毒状態に陥る危険もありますが。服用量をコントロール出来れば、中毒症を中和すること、もしくは進行を遅らせることが出来るかもしれない。それが最初の考えでしたが、私は同時に『もうひとつの可能性』も見出したのです。中毒症の進行をコントロール出来るのであれば、表出した本能もコントロール出来るのではないか……? と。
もちろん虐殺集団と化した兵士たちのように、急激な中毒症に陥ってしまったらお手上げです。しかし、『唯一無二の存在』である片山さんであれば……と。私はそう考えて、必要最低限のカインを片山さんにお渡ししていたのです。SEXtasyの中毒症状に陥ることを、別人格の山下さんに中毒症を依存することで防いでいた、片山さんが。同じことを、『カインを適量服用する』ことによって可能になれば。その経過と結果を元にして、他の者にも『同じ効果』が期待できるのではないかと。私は、そう予想していたのです」
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