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 カオリは普段あっけらかんとした態度を取っているが、実は俺と同様に、かなり「嗅覚」が効く。まあ、「シラフの時」限定ではあるが。だから俺はあえて、カオリが部屋の外に出てタバコを吸うのを「なすがまま」にしていたのだ。カオリならきっと、何かあったら気付くに違いないと。そのカオリが言うことならば、間違いない。俺たちはこの建物の外から、何者かに見張られている。



「そ、それは、この映像の男をった奴らか? さっき橋本君が言ったように、わしらもすでに『狙われている』のか?!」


 日野が焦ったように俺を見た。俺は、来るべきものが来たなと思いながら、「恐らく、そうだろうな」と答え。同時に、これからどうすべきかについてもすでに考え始めていた。これも橋本が言っていたことだが、岩城が数日の間にこんな「トップシークレット」のような場所に出入りするためには、カインの情報を相手に伝えるしかない。岩城が自慢げに「純正品」であることを仄めかしていたら、相手は当然その製造元を知りたくなるだろう。そこで相手も、取引をすることにした。岩城をこの「見世物小屋」に招待する代わりに、製造元を教えろと……。


 もちろん岩城も「はいそうですか」と、素直にここを教えたりはしないだろう。しかし、間違いなく自分が知っていることは相手に伝える。それを利用して、相手を俺たちの元へ引っ張りこむ算段だったんじゃないか。だが、そこで岩城は……話が上手く進みそうな手応えを感じ、もしかしたら何か情報が聞けるかもと、SEXtasyのことをチラリと話題に出したのかもしれない。それは相手にすれば「持ってこい」の話題だった。あなたの知りたがっているSEXtasyに関連した、秘密のイベントがありますよと、岩城を「ご招待」した。


 入手困難なカインの純正品を持っていて、その製造元も知っており。なおかつ、ウワサだけが世間に広がっているSEXtasyを「実際に入手したい」と考えている……そのために、政府筋に関わる自分に接触してきた。そこまでの経緯を踏まえて、相手は岩城のことを「相当なやり手」だと考えた可能性はある。そこに至るまでの考察は、ほとんどが俺と橋本で考えたことで。実際に岩城がやったことは、俺から受け取ったカインを、昔のコネが効く奴のところに持っていっただけなんだがな。それは、岩城が接触した相手にはわからないことだ。


 だから岩城の接触相手は、岩城がSEXtasyのことを口にした時点で、「このイベント目当て」で来た可能性もあると想像した。そこまでの「やり手」ならば、どこかでその情報を聞きつけ、本当に行われているのかどうか確かめたくなったのだと。ならばその欲求に応じれば、岩城もカインの製造元を教えてくれるはずだ……。それが「奴ら」の狙いだった。



 だが岩城は、目の前で見せられた惨劇に「とんでもねえ」と絶句するしかなかった。こんなことが行われているとは、夢にも思わなかったのだから。そこで岩城は、接触した相手との交渉を打ち切ろうとしたのかもしれない。これ以上、関わりたくないと。だが向こうにしたら、純正カインの製造元という貴重な情報を得たいだけでなく、「知られたくないこと」まで知られてしまった以上、交渉を中断するわけにはいかない。当然、何らかのイザコザが起きただろうことは想像に難くない。


 岩城がなんとかこの「見世物小屋」が開催された場所から逃げ出し、映像を記録したUSBを急ぎで俺の元まで郵送した後、追って来た「奴ら」に捕まってしまった……。細かい部分での差異はあるだろうが、おおよそ「どんなことが起きたか」は推測出来た。捕まえた後は、製造元を言えば命は助けてやると言いつつ、この研究所の場所を聞き出したところで、「お役御免」と岩城を処分したのかもしれないな……。


 

 正直、もしかしたらこの場所が知られているかもしれないという恐れは、昨夜岩城から送られた映像を見た時から、なんとなく感じていた。だから橋本と一緒にここへ来るのではなく、日野を俺のペントハウスに呼んでも良かったのだが、ペントハウスは屋上にあるだけに、下の階を押さえられたら逃げ場がない。一応俺専用の「逃げ道」があることはあるのだが、4人まとめてというのは無理な話だ。だからあえて、集まる場所を「ここ」に選んだ。ここならまだ、打つ手が考えられると。


「日野さん、カインの製造方法を記録したバックアップのデータはあるよな? 出来ればそれだけを持って、逃げることを考えた方がいい。余計な荷物は、全て置いていく覚悟で」


 俺はそう言いながら、研究室の壁際に並んだ薬品棚の前に立った。

「ここら辺りに、こないだ言ってた『劇薬の類』があるんだよな。『攻撃』に使えそうな、硫酸に近いようなものもあるかい?」


「ああ、さすがに火薬まではないが、触れれば人体に害が及ぶようなものはあるよ。それをどう使うかは、あんたに任せる」

 日野もデータを記録したディスクらしきものをバッグに詰めながら、俺の問いに答えた。


「どうしますか? ぱっと見、入口付近に人影は見当たりませんし、表に停めてある私の車のところまで行ければ、なんとかなると思いますが……」

 橋本が不安そうにそう問いかけてきたが、俺はその考えには同意しなかった。


「いや、俺たちを見張ってる奴らの狙いも、恐らくそこだろう。車の近くには誰もいないように見せかけて、俺たちがここから出たところを捕らえようって算段だ。だから、表のドアから出るのは辞めた方がいいな」


「なるほど、ここは多くの修羅場を経験して来た片山さんの言葉に従いましょう。それではどうしますか? 裏口は、すぐ前に廃車が積み重なってますから、そこから出て行くわけにはいかないですし……どこかの窓から、外の状況を伺いつつ脱出しますか?」


 俺と違ってこんな修羅場は初めてかもしれない橋本に、俺は「ニヤリ」と笑った。

「ああ、向こうもそう考えてるだろうな。逃げるなら窓からじゃないか、ってな。そして奴らも廃車の山に遮られ、裏口へは近付けない」


 そこで俺はカオリと日野も呼び寄せ、これからの「作戦」を皆に授けた。


「この研究室から外に出る前に、車の修理をしていた工場跡のスペースがある。直接外に繋がってるわけじゃないってのが、チャンスだ。まず俺が、工場跡の窓を破って、そこから出て行くかのように見せかける。橋本さんはその隙に、日野さんとカオリを連れて、裏口から出てくれ。裏口前に積まれた廃車は、それに乗って走ることは出来ないだろうが、まだ潰されてはいない。ようするに、人が入り込む隙間はあるってことだ。積み重ねた時の衝撃で、フロントもリアもガラスが割れてるのが多いから、廃車の中を上手く伝っていけば、脱出出来る。俺が工場跡に奴らの注意を引き付けている間に、なんとか表の車までたどり着いてくれると有難い」


 咄嗟に考えた作戦ではあったが、裏口前に積まれている廃車がぺしゃんこに潰れてないというのは、前回来た時に確認済だった。何かの時に「緊急の脱出方法」を考えておくのは、昔からのクセのようなもので、前回見た時も「裏口から出られないわけではないな」と、密かに認識していた。後は、その時に応じてベストに近い方法を考えればいい。


 カオリが工場跡でタバコを吸っている時に「怪しい気配を感じた」ということは、奴らも今のところ、こちらの様子を伺っている段階だということだろう。岩城からどの程度の情報を得られたかはわからないが、俺たちの素性まで全て知られているという可能性は低いと思われた。奴らにとって最も重要なのは、カインの製造元の情報であることは間違いないからだ。何を置いても、それを最優先するはずだ。


 であれば今は、この研究所に集まっている俺たちが「どんな輩」なのかを、見張ってる奴らも「様子を伺っている」状態だと言える。それなら恐らく、向こうからすぐに手出しをしてくるということはあり得ないだろう。まずはじっと状況を伺い、表のドアから出てくるのであればすぐにひっ捕らえ、ずっと中に籠っているようなら、何か対策を立ててから侵入してくるのではないか。


 もちろん俺の推測が「全て正解」だとは言えないが、ここは「昔取った杵柄」ながら、俺の経験則と嗅覚を信用してもらうほかない。

「こんな形でここを去ることになるとはな。まあ、永遠にいられるわけではないとは思っていたが……」

 日野が小さめのバッグを小脇に抱え、少し名残惜しそうに研究室内を見わたした。この場所自体を自分で発掘し、ここまで研究を続けてカインを作り出した場所だけに、後ろ髪引かれる思いもあるだろう。だが今は、迅速に行動してもらった方が助かる。俺は橋本に、カオリと日野を促し、世話する役目を託した。


「私もこんな脱出行に、慣れ親しんでるわけじゃないですからね。まあ、片山さんのご期待に沿えるよう頑張りますよ」


 橋本はやや苦笑いをしながら、裏口をそっと開けて外の様子を確認していた。実際に車の中に潜り込まなけばわからないが、ある程度のルートは前もって考えておいた方がいい。


「それじゃあ、表の車のところで落ち合おう。車までたどり着けないと思ったら、無理はするな。俺も無理せず、別方向へ逃げる。後は連絡を取り合ってどこかで待ち合わせるか、しばらく会わない方がいいだろうな」


 俺は皆にそう言い残して、日野の言った「劇薬」の入った小瓶を幾つか抱え、研究室を出た。


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