俺たちはアパートの正面に回り、カオリを連れて、改めて岩城の部屋に入った。しかしドアを開けた途端、何か異臭のようなものが「むあぁっ」と漂い。台所の流しにはどれくらい放置されているのかという食器が積み重なり、その下の床にもパンパンになったゴミ袋が幾つも放置されている。部屋のテーブルの上には、いかにも「ヤク中」といった案配の器具がズラリと並び、部屋の床も敷いてある「絨毯らしきもの」が見えないくらい乱雑な状態で、足の踏み場もないとはこのことかと思わされた。


「……場所を変えるか……」

 俺のその言葉に、カオリも橋本も、即座に同意した。



 俺たちは橋本の運転する車で、俺の「ペントハウス」へと戻って来た。ペントハウスに来るのが初めての岩城は、エレベーターに乗せられて「ど、どこへ連れてこうってんだ?!」と怯えていたが、そこはカオリが「何怖がってんのよ、史郎のおうちよ。まあ、行くのがめんどくさいのは間違いないけどね」と、呆れたような口調で諭し。岩城は「きょとん」とした顔のまま、俺たちに囲まれて屋上へ続く階段を登った。



「しかし……あんたまだ、現役だったのか? とっくの昔に、この世界から身を引いたんだと思ってたが……」

 

「久々に会う奴ら」に、会うたびに同じことを言われ、俺もいい加減ウンザリしていたが。いくらか落ち着いて来た様子の岩城に、俺は事情を説明してやった。


「伝説のヤク、SEXtasyか……! 俺なんかには、到底手に負えないブツだと思ってたけどな。しかし、あんたが絡んでるとなれば、これは『夢物語じゃない』ってことなんだろうな。で、俺に何か、頼みごとがあるってことかい……?」


 そこで俺は、岩城をこの件に引き込んだ「本題」を語り出した。


「お前、薬物法が施行された頃に、政財界のお偉いさんと繋がりがあったろ? 出来ればその『政界』の奴を、紹介してもらいたい。SEXtasyはその開発段階で、政府筋と深く関わっていたものと、俺たちは睨んでいる」


 岩城は、最初はビックリしたような顔になり、それから「ほんとか?! いや、もしそうだとしたら……」と、何か戸惑いを秘めた表情で、神妙に語り始めた。



「それ、結構ヤバい線かもな。そんなヤバいブツに政府関係者が絡んでたなんて、この上ないスキャンダルになる。そう簡単に情報を流してはくれないだろう。ましてや、あんたらに紹介するなんてことは、首に縄でも付けて引っ張って来ない限り難しいかもな……」

 岩城は実際に政府関係と繋がりがあっただけに、この件の「ヤバさ」に敏感に気付いたようだった。


「別に、最初からSEXtasy絡みだってことで紹介する必要はない。何か別件で連れて来ることも出来るだろう? お前と繋がってた奴なら、当然薬物関係の情報にも詳しいだろうしな。そこでだ」

 俺は橋本からもらっていた、「カイン」の錠剤を取り出した。


「お前も聞いたことあると思うが、こいつは『アダム』の後継薬物、『カイン』だ。しかも、制作者から直に入手した、紛れもない『純正品』だよ。これをエサ代わりに使えば、食いついて来る奴はいるんじゃないか……?」


 それで岩城も、すぐに目の色を変えた。

「か、カインか? しかも、純正品だって……?! これも、俺には手の届かないブツかと思ってたが……実際にこの目で見れるとはなあ。電話であんたの声を聞いて、逃げ出そうとしたのが恥ずかしいよ。いや、あんたとは昔、色々あったからな……」



 岩城の言う通り、俺がまだバリバリの「現役」だった頃。俺は岩城を腕のいいバイヤー兼仕入役だと高く買い、仕事でもコンビを組むことが多かった。だが、いつからか岩城は自らもヤクにハマるようになり、次第に「本業」がおろそかになり始めた。そのままじゃ身の破滅だぞと、俺は何度も岩城を𠮟りつけ、時にはぶん殴ったことすらあった。そんな俺のスパルタ加減に嫌気が差したのか、岩城は徐々に、俺の前に顔を見せなくなっていった。


 だから俺は、その岩城が今も細々と、「仕事」を続けていると知り。なんだかんだと、俺の叱咤が身に染みてるんだろうな……と感じたのだ。でなければとっくに、ヤクに溺れてあの世に行っていることだろう。本来、商売物に手を付けるバイヤーは信用が置けない奴だと認識し、共に行動するのは避けるのだが。今回岩城に協力を要請したのも、恐らくはまだ「完全に、落ちぶれきってはいない」と考えたからだった。


 確かに部屋の様子なんかは、酷いもんだったがな……。それでも、俺からの電話を受けてベランダから咄嗟に逃げようとしたあの身のこなしは、重度のヤク中には出来ない動きだ。それだけ奴には、まだ「救い」がある。でなけりゃ、大事なカインを渡したりはしない。



「ああ、これなら十分すぎるほどの『エサ』になるよ。出来ればもう少し、量があるといいんだが……」


 俺の様子を伺いながらそう言いだした岩城を、俺は「きっ」と睨みつけた。「お前の分は、ないぞ」という意味を込めて。


「ま、まあ、こいつが希少品なことは間違いないだろうから、よしとするか。しかし、上手いこと政治家さんを引っかけることが出来たら……」


 そこで俺は、ようやく「こくん」と頷いた。

「ああ。その時は、お前も楽しめばいい。それまでの辛抱だ。出来るな?」



「おお、まかしといてくれ。法案が施行された頃の、古い付き合いがある奴がいいんだな? 今じゃ与党の中でもかなりの『重鎮』になっちまったから、なかなか難しいとは思うが……カインをエサにすれば、なんとかなる。いや、なんとかするよ」



 若干の不安は残るものの、引退同然だった俺からすれば、こうした昔のコネに頼る他はない。実際、法案施行前後に政財界と繋がりのあった奴を今から新規で見つけ出すのは、かなり困難だと思われた。岩城が仮にも「現役」だったことは、幸いだったと言えるだろう。ここは岩城を信用して、託すしかない。


 それから俺は、連日岩城に連絡を取り、事の進行状況を確認した。カインを持ったまま雲隠れという、最悪の事態を避けるためだ。しかし俺も、恐らくその可能性は低いだろうなとは思っていた。もし岩城の奴がカインを持ち逃げするとしたら、それで金儲けを企むだけでなく、間違いなく「自分で楽しもう」とするだろう。普段からヤクにハマっている奴がカインみたいな上質の味を知ったら、もう辞められない。しかしカインはそうそう手に入るものではない。結果、カインを求めて岩城は焦り、狼狽し、強盗などの犯罪に手を染めるしかなくなる……。待っているのは、今度こそ身の破滅だ。


 それを岩城自身もわかっているから、安易にカインに手を出したりしないはずだと俺は考えていた。それでも「もしものこと」を考えて、小まめに連絡を取っていたのだが。ある夜、岩城の方から電話が入った。


「いいカモを見つけたよ……これから、そいつの参加するパーティーとやらに行ってくる。表向きは資金集めの会合を装っているが、間違いなくブツに関する情報交換、取引をする場だ。法案成立後に『合法』と認定されたものではない、ヤバいやつが取引されるらしい。このチャンスを逃す手はない、明日には『いい知らせ』が出来るはずだ」


 何か浮かれ調子でそう話す岩城に、俺は「十分気を付けろよ」と忠告したのだが、岩城は「ああ、わかってるわかってる。心配するな」と、何を今さらと言いように電話を切った。俺は何か嫌な予感を感じながらも、とりあえずは岩城からの連絡を待った。しかし……次の日になり、昨夜の電話から24時間が経過しても、何の連絡も入らず。こちらから電話しても、呼び出し音が「ツー、ツー……」と鳴るだけだった。



 これは、もしかしたら……? 俺は「最悪の事態」を予想し、取るべき手が何かあるかと考え、岩城と連絡が付かないことを、橋本にも報告した。


『今はまだ、静観するしかないですかね……ことがことだけに、変に動いたらこちらに手が回る可能性がありますから』

 橋本はあくまで「正規のバイヤー」だから、当然こういったことには用心深くなる。ましてや政府関係の人物が関わっているとなれば、慎重に動いた方がいいのは間違いない。



 まんじりともせぬまま夜が明け、次の日になり。いつものようにカオリがペントハウスにやって来て、なんの気なしにテレビを見始めた。俺はテレビ番組などに興味がないので、カオリの行動はスルーして、ベットに横たわったまま「今後のこと」についてあれこれ考えていたのだが……。そこでカオリがふと、「あっ」と声をあげた。


「ねえねえ、この人。この前ここに来た人じゃない??」


 俺が「えっ?」と思って、ベッドから体を起こすと。テレビでは、今朝未明に発見された遺体についてのニュースを流していた。悪酔いしたあげくのことなのか、悪い「ブツ」でもやっていたのか。高所から狭い側溝に落下したその遺体は、全身の骨がバキバキに折れ、酷い有様だったらしい。そして、テレビに映った「死亡した人物」の顔は。カオリの言った通り、先日この部屋に来たばかりだった、岩城の顔だった。


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