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俺が橋本と「手を組む」ことを決めた、その数日後。橋本は俺とカオリを、郊外にある寂れた自動車修理工場跡へと連れて来た。街中を走る車の90%以上が電気自動車になった現在、その流れに着いていけなかった昔ながらの修理工場は、次第に廃れていった。もちろん流れに対応し、EV車の修理も請け負うようになった工場も多かったのだが、「ガソリンで走るからこそ車なんだよ」という、職人気質バリバリな頑固者が経営していたような工場なども、決して少なくなかった。そして、そういった愛すべき頑固者たちの工場や店が、時代に取り残されて行ったのである。
恐らくはこの修理工場も、時代に取り残された「ツワモノたちの、夢の跡」のひとつではないかと思われた。周囲には錆びついた廃車が積み重なり、建物自体もバラックというか、ほぼ廃墟と言えるほど荒れ果てていて、もう何年も人の出入りがないような見てくれだったが。「さあ、どうぞ」と橋本の先導で中に入ると、その内部は意外に整理が行き届いていることに、すぐに気付いた。外見からの繋がりだろう、完璧にこそしていないものの、ここは間違いなく「人の気配がする場所」だということを指し示していた。
橋本は工場の奥に進み、そこにあった事務所的な部屋のドアを「こんこん」とノックし、「お邪魔します」とドアを開けた。橋本に続いて部屋に入ると、カオリが「わあ……」と感嘆の声を上げた。バラックのようだった外観と打って変わって、白い壁と天井に囲われたその部屋は。スペースの大部分を占める大きなテーブルが中央に「でん」と居座り、その上には大小さまざまな大きさの試験管やフラスコがズラりと置かれ。周囲のほとんどの壁は、小さな文字がビッシリと書かれたラベルをガラス瓶に貼りつけられた薬品類が、これまた壮観と言えるほど大量に並べられていた。
カオルもブツを加工したりする現場を見たことはあっても、ここまで本格的な「実験室」的場所は初めてなのだろう。珍しそうに辺りをキョロキョロと見回すカオルの視線の前に、黒縁の眼鏡をかけ、白衣を着た中年の男が現れた。
「どうも、日野さん。今日は日野さんにぜひ紹介したい人がいて、お伺いしました」
橋本はそう言って、「日野」と呼びかけた白衣の男に頭を下げた。
「君の紹介とあらば、やはりそれなりの人物なんだろうね……おっとお嬢さん、むやみにそこらのものに触ったらいかん。中には劇薬もあるんだから」
日野は、引き寄せられるように薬品棚に近づき、棚に置かれた色とりどりのガラス瓶に手を伸ばそうとしていたカオリに声をかけた。
「あ、ごめんなさい。珍しくて、ついつい……」
そう言ってカオリは全く悪びれる様子なく、「ペロッ」と舌を出した。しかし日野も本気で怒っているわけではなく、あくまで「注意事項」として言葉をかけただけなのではと思われた。そしてこういった「悪びれない態度」が、相手が初対面でも決して怒らせることなく、逆になぜかその魅力に取り込んでしまうような不思議な雰囲気を、カオリは持っていた。
「ええ、私も自信を持ってご紹介したいと思います。こちらの方は……」
橋本はそう言いながら、まだ部屋の入口のところに突っ立ったままだった俺を紹介しようとした。俺が突っ立ったままだったのはある理由があったからで、日野の方も、すぐにそのことに気付いた。
「おいおい、そこにいるのは【ストライダー】じゃないか? 随分久し振りだな……! もうとっくにこの世界を引退したものと思っていたが。まだ『現役』だったのか……?」
日野のその言葉に、橋本もそしてカオリも、驚いたように俺の方を見つめ。俺は「ども」と、日野に向かって挨拶代わりに、軽く手をあげた。
「日野さん、片山さんをご存じでしたか……! 『蛇の道は蛇』などと言いますが、さすがにお互い、その道を究めた方だけのことはありますね」
……そう、俺はこの「研究室」に入ってすぐに、白衣を着た男が「昔の知り合い」であることに気付いていた。だが、その可能性は十分あり得ると予想はしていたが、随分長いこと「現場」を離れていたこともあり、「過去の俺」を知ってる奴に会うのは、何か気まずい思いがしていたのだ。
「いまだ現役継続中、ってわけじゃないよ。あんたの言う通り、実質引退状態だった。それを、この橋本って男に引っ張り出されたのさ」
何か言い分のような俺の言葉を聞き、日野は「ニヤリ」と笑った。
「ほほう……。ということは、やはり『あれ』のことかね……?」
橋本も「我が意を得たり」といった表情で、「まさに、その通りです」と、小さく頷いた。
「ここが、片山さんにもお見せしました、『カイン』を製造している場所です。もちろんここだけではありませんが、私が知る限り、信用に足り得る確かなものを製造していると言えるのは、ここだけだと思います」
橋本のその言葉を受けて、日野は「ふふふ……」とほくそ笑み。
「まあ実際、他のところはウチよりも安値でロット数も多いかもしれんが、その分『純粋なもの』と言えるかどうかは、疑わしいだろうな」
そう言って腕組みをしている姿は、日野自身も「ここの品質」には相当自信を持っているように思えた。
「わしはここ数年来ずっと、この廃工場とは違う研究所に1人で籠って、『カイン』についての開発・研究を続けていた。で、一年くらい前にようやく『試薬品』と呼べるものが出来上がり、それを知り合いのバイヤーを通じて、信用出来る何人かに試してもらった。そしたら、爆発的にウワサが広まってな……自分の作り上げたものの『効果』が実感できたのは良かったが、バイヤーが次々に押しかけるようになっちまった。
これはたまらんと思い、その研究所は引き払って、ここに『身を隠した』というわけだ。バイヤーたちには、カインの試作品だけを渡してな。他で売られているものは、その試作品を薄めたものか、もしくは『改悪』したものだろう。純然たるカインは、本当に信用できる者にしか渡さぬことにした。そこにいる、橋本君のようにな……。
なんたって、『ここ』を見つけ出すだけでも相当なものだと思ったからな。普通なら、足を踏み入れることを躊躇うだけでなく、近づこうとさえ思わぬ場所だ。それを独自の調査で見つけ出すんだから、大したもんだよあんたは」
「お褒め頂き、ありがとうございます」
橋本は満足そうに微笑み、この工場跡を見つけ出すに至った経緯を語り出した。
「カインが作られたのが、日野さんのいた研究所だったことまでは突き止められたんですけどね。肝心の日野さんの消息が、そこからパッタリと途絶えてしまっていた。そこで私は、消えた人間を追いかけるのではなく。自分が日野さんだったらどうするか、どこへ行こうとするのか……? と想像してみました。いわば、プロファイリングとも言えるやり方で、この場所を探し当てたのです。
それは多分に、幸運にも恵まれたおかげだと思いますが、わたしはその考えに基き、何か所かの候補地を絞り込み。薬物を精製するのに”最も適さない場所”として、ここにたどり着きました。よく『木を隠すなら森の中、人を隠すなら人混みに』などと言いますが、日野さんほどの人であれば、その『逆』を突いて来るのではないかと。私は、全くその気配がしない場所にこそ日野さんはいるはずだと考え、そしてそれが正解だったことが裏付けられたわけです」
やや自慢げにも聞こえる橋本の解説は、恐らく「これからのこと」を見越しての言葉だろうと思われた。なぜなら、俺と日野はむかし実際に「ブツのやり取り」で関わり合ったことがあり、この場に於いては橋本の方が「新参者」という立場になるからだ。そこで「自分の優秀さ」をアピールしておくのは、当然のことだと言えるだろう。
「まあ、わしも橋本君も、そして久々復帰のストライダーも。それぞれがそれぞれに、卓越した『その道のプロ』ということだな。その3人が顔を合わせる機会を、わざわざ設けたというのは。それに相応しい『大仕事』を始めようってことだな。そうだろう、橋本君……?」
橋本は、日野のその言葉を待っていたかのように、「はい、もちろん」と、やや大げさに頷いた。こうして俺たちは、まだ見ぬSEXtasyの底れぬ泥沼に、ズブズブとハマりこんでいくことになったのだった。
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