悪魔「真実を欲する者よ、対価を支払えば望むままに与えよう」

@yorimitiyurari

読切

 ぐしゃり――。

 そんな音が聞こえた気がした。


 校舎の裏の古い物置小屋には近づいてはいけない。

 そこには悪魔が住み着いている。

 近寄れば引きずり込まれ食われてしまうだろう。


 クラスメイト達はひそひそと言っては楽しそうな悲鳴を上げている。

 ただの噂話だ。

 今日も美空(みそら)中学校は平和だし、過去に事件が起こったと聞いたこともない。


 学校の屋上から下をのぞき込んでいると常々思う。


 この学校で事件なんて起こりやしないと。

 だが、噂話には最近新しい尾ひれがついた。

 悪魔は『対価を支払えば』どんな不可解な謎でも解決する。

 一体どこの誰がそんなウソを付け足したのだろう。

 もしも、それが本当なら――。


「やっぱり嘘か」

 剣道部所属の海斗(かいと)は構えを解いた。

 薄暗い物置小屋の中には何もなかった。

 人が一人暮らしていけるかどうかのがらんとした空間が広がっているだけだ。

 外に出ようとすると、声がかかった。

「またぬか、そこのおのこよ」

 気だるくまとわりつくような女の声だった。

 勢いよく振り返ると、先ほどまで何もなかった空間がピンクと黒色とフリルで彩られていた。

 気が付けば天蓋付きのベッドがあり、黒いドレス姿のヴェールで顔を隠した女が座っていた。

「……誰?」

 海斗は竹刀の切っ先を向けて警戒する。

 女はベッドから立ち上がった。

 立ち上がるとその身長は海斗の2倍はあり、小屋の天井を突き抜けてしまいそうだ。

 ランタンに映る影が、人のモノではないように海斗には見えた。

 悪魔。

 噂話が脳裏によぎる。

 もし、本当に悪魔ならば……。

「どうした、わらわになにか用事があってここに来たのではないのか?」

 心を見透かすように、女はヴェールの向こうから海斗を見下ろす。

 威圧感に竹刀を振り回したい気持ちを堪え、海斗は尋ねる。

「本当に、対価を支払えばどんな謎でも解決するのか?」

「なるほど、さっそく来たか。よかろう。話してみよ」

 彼女はベッドに座り直すと、どこからともなく湯気の立つ紅茶を出現させた。

 まるで夢でも見ているみたいだ。

 現実か幻かもわからない場所で、海斗は架空の存在とされる悪魔と対峙している。

 それでも、

「双子の兄弟が消えたんだ。でも誰も探そうとしない。なあ、あんたなら見つけられるのか?」

 それでも知りたい。


 兄弟の名前は陸火(りっか)。

 海斗と同じく剣道部所属だった。

 陸火は海斗よりも剣道の腕が立ち、みんなの人気者だった。

 厳しい母さんにも父さんにも可愛がられていた。

 それが羨ましかった。

「俺は陸火に負けないようにがむしゃらに練習して強くなった。この前は県大会ベスト4位までいった。父さんも母さんも初めて俺をほめてくれた」

「ほう、それはすごい。ところでおのこよ、陸火のことを他の人間は覚えておるのか? 覚えていないんじゃろ?」

 唐突な問いに海斗は一瞬固まるが、目を見開いた。

「いまそれを話そうとしてたんだ。なんでわかったんだ?」

「お主がだれも探そうとしないと言っておったからな。消えたのに探さないとなれば全員の記憶から存在事消えたか、そもそも――。ああ、なるほど。これで謎が解けた。あとは陸火の居場所じゃな」

「もうわかったのか!? 教えてくれ! どこに、どこに陸火はいるんだよ!」

 黒い女はヴェールを揺らして愉快げに笑う。

「居場所はまだじゃって。そう焦るな。わらわは悪魔じゃ。対価を支払えばどんな不可解な謎でも解決する……そう噂話で聞かなかったか?」

 改めて告げられても実感はわかなかった。

 それでも海斗は悪魔にすがってでも真実を知りたい。

「対価って、何を支払えばいいんだ」

「簡単じゃ。ちょっとばかし魂を食わせてくれ……といいたいところじゃが、お客様第一号サービスじゃ。わらわの依代となれ」

「依代って、なんだ?」

「わらわは強力な悪魔故に一度決めた土地から離れられぬ。じゃから、わらわが外に出るための乗り物になってくれということじゃ。幽霊にとり憑かれたとでも思えばいい」

「よくわからないけど、そうすれば陸火を探し出してくれるのか?」

「もちろん、お主が本当にそう望むのならばお安い御用じゃ」

 女は悪魔らしく歯をむき出しにして笑う。

「……わかった」

「契約成立じゃな」

 女は海斗の手を取ると、その甲に口づけをした。

「な、なんだ!?」

 振りほどく海斗。

「見よ」

「へ?」

 そこには幾何学的な模様が刻まれていた。

「これはなんだ?」

「契約のしるしじゃ。わらわの依代である証じゃな。さて、行くか」

「行くってどこに?」

「決まっておろう、聞き込みじゃよ」

 悪魔は手を翳すだけで小屋の扉を開けた。


「陸火くん? 知らないけど」

「陸火? うーん、誰?」

「海斗に弟がいたって? はは、嘘こけよ」

「海斗大丈夫? 剣道部休んだって聞いたけど」

 外に出て部活中や生徒会活動中の友人知人に声をかけて陸火のことを尋ねるも、やはり誰もかもその存在を知らない。

「言われた通り聞きまわったけど、やっぱり誰も覚えてないな」

「おのこよ、お主部活はいいのか?」

「休むって言ってあるから大丈夫だよ」

「嘘つきじゃなぁ……」

 女は意味深に笑いながらすれ違う生徒たちを眺めていた。

 生徒たちは女の存在に気付いていない。

 海斗にしか女は見えない。女は常に海斗の傍にいる。

 依代になるとはそういうことだった。この程度の対価で見つかるなら本当に安いもんだ。

 ……見つかれば。

「いいかげん陸火の居所を教えてくれよ」

「もう見つけておる」

「は? まじ?」

 海斗は面食らって素っ頓狂な声を上げた。

 それを通りがかりの生徒に聞かれて恥ずかしい思いをする。

 人がいなくなったところで海斗は小声で尋ねた。

「どういうことだよ、もう見つけているって……」

「そのまえにおのこよ、お主に聞きたいことがある。陸火と喧嘩をしたとか、わらわに隠していることを洗いざらい吐くのじゃ」

「そ、それが陸火を見つけるのに必要な情報なのか?」

「そうじゃ。嫌ならばこのまま陸火のことを学校中の人間に聞き続けるがいい。さすればおのずと真実に気づくはずじゃ」

 何を言われているのか、わからない。

「いいから教えてくれよ! 対価支払っただろ? 俺は陸火がどこにいっちまったか知りたいんだよッ」

 思わず怒鳴りつけると、女はすっと頭上を指さした。

 屋上を。

「そこまでいうのならば仕方あるまい。見せてやろう。お主の望む真実を」

 女は全てを見透かすように微笑んだ。


「おのこよ、推測しようではないか。お主は陸火に嫉妬を覚えていた。厳しい父と母に褒められる彼奴を羨ましがっていた。人気者のやつが気に食わなかった」

 階段を昇りながら女が淡々と告げる。

「そんなこと、ない」

 言い返すのが精いっぱいだった。

 この先には行きたくなかった。

 でも女が進むたびに体が引っ張られるように勝手に階段を昇っていく。

 女は海斗をあざ笑うかのように続けた。

「ある日、我慢ならなくなったお主は陸火をここに呼び出した。大方怒りの言葉でもぶつけるつもりじゃったのじゃな。口論はヒートアップした。まあこういうのはよくある展開じゃ」

 屋上への扉が開かれる。

 まぶしい夕日に海斗は目を細める。

「そしてお決まりのごとく、激高したお主は陸火を屋上から突き落とした。そうじゃな、あのあたりか?」

女はフェンスが途切れている場所を指さした。

「まるで見ていたかのような言いぶりだな。それは悪魔の力なのか?」

「いいや。これは憶測じゃよ。ただし、悪魔のな」

 海斗は口を閉じる。

「続けようか。お主が冷静になった時には遅かった。陸火は屋上から落ちた。主はおそるおそる地面を見下ろした」

「…………」

「じゃが……おかしなことに死体がない。陸火は屋上から落ちて行方不明になってしまった。そんな時じゃ。お主はわらわという悪魔の噂を耳にした。わらわが流した噂をな」

「お前が流したのか、なんのために」

「小屋から出ないで過ごすのも退屈じゃからな。依代が欲しかったのじゃよ」

 彼女は海斗の手の甲を指し示す。

「外に出るためにとり憑きたいから噂を流したのか。俺はまんまと悪魔に騙されたってわけか」

「安心せい。対価を支払ったお主にはしかと真実を教えてやろうぞ、こっちにくるのじゃ」

 女が屋上の淵の方へと海斗を手招きする。

「嫌だ、そこは、陸火が――」

 海斗の体は意思に反して女の隣に並ぶ。

 ちょうど、地面を見下ろす格好になった。

「ここからが悪魔の本領発揮じゃ。――にぎれ」

 抵抗しようが、女が差し出してきた手を海斗は握るしかなかった。

 その瞬間、地面に人が倒れている人影のが見えた。

「なっ、あ……ああ、あ」

 海斗は目を見開いて震えた。

 小さく見えるあれは、まごうことなき双子の兄弟の陸火だった。

 あの日、突き落としてしまった唯一無二の兄弟。探し回った片割れだった。

 だが――。

「……ずっと、ここにいたっていうのか?」

 茫然と呟く海斗の手を女は握るのを止めた。

 とたん、陸火の姿が見えなくなる。

「あ……」

「ふむ、陸火はずっとあそこにいた。お主たちが生きる世界とは違う世界にいたのじゃ。だから死体は見つからなかった。まあ、わらわに触れれば視えるがの」

 女がもう一度海斗の手を握ると、アスファルトの上に陸火の遺体が浮かび上がる。    

 陸上部が走りすぎていく。それでも陸火の位置は変わるどころか、すり抜けるだけだった。

「うそ、だ……陸火は死んでなんか、いない。きっとあれは偽物だ。まだどこかにあいつが」

 ふらりと屋上の淵から後退する海斗を女は追い詰めるように近づく

「信じられぬか? じゃあわらわはどうじゃ? お主以外には見えとらん。わらわとあの遺体に何の違いがある?」

「やめろ、まだだ、きっとまだあいつはどこかに……」

 耳を抑え、その場にうずくまった海斗を女は見下ろす。

「ふむ、そうか。そっちが望みか。それではもう一つの真実を語ろう」

 喜々とした声音が海斗の頭上から降り注ぐ。

「陸火はお主の体に宿った別の人格じゃ。羨ましくて嫉妬して当然。なぜならお主ができないことをするために生まれたのが陸火なのじゃから」

「なにを言ってるんだ、一体、何を……」

 海斗が顔を上げると、女の隣に、地面に叩きつけられていたはずの陸火がいた。

 血まみれで、傷だらけで、見るに堪えなくなった双子の弟が。

「かい、とぉ……」

 陸火が恨めし気に呼んだ。

 海斗は悲鳴を上げ後ずさる。

「く、くるな、くるなああああ!!」

 女は陸火の頭を撫でる。

「陸火という名前を与えたのはお主じゃ。他の人間が知ることも見ることもなくて当たり前。ましてや記憶していることなどありえん。学術的には二重人格、またはイマジナリーフレンドともいうのじゃろう」

「かいと、なんでにげるんだぁ? おれたちふたごだろ? にげるなよかいとぉ」

「ああああああ! くるなあ! くるなよおおおお! おい悪魔やめろ! そいつを俺に近づけるな!」

「なにを言っておる? あんなに探した愛しの兄弟と会えたのじゃ。うれしかろう? 生きておったのじゃぞ? 求めていた真実ではないのか?」

 にたりと、ヴェールの向こうで女が笑った気がした。

「ちがう! 俺は、こいつが死んだか知りたかったんだ! 安心したかったんだ! こんなやつ好きでも何ともない! 消えろ! 近づくなアアアァ!」

「かい、とぉ――」

 女の手の中で陸火が解けるようにして消えた。

「それが答えか。残酷じゃなぁ」

 女はポツリと呟き、海斗を起こすために手を差し向けた。

「幼少より一緒にいたおぬしらは互いの存在の境界線があいまいになっていたのじゃ。体の主導権を握っている時にも互いの目には現実ではありもしない互いの存在を認識していた」

「だから、なんなんだよ。俺は俺だ。陸火じゃない。陸火はもういない」

 肩で息をしながら海斗は女の手をはじいて立ち上がる。

 女は呻くように笑った。

「安心するがいい、お主は海斗じゃ。こっちの世界でお主は誰も殺していない。罪には問われぬさ。これでお主の望む真実は全部じゃ」

「……ああ、そうだな」

 屋上から立ち去ろうとした海斗は屋上の淵に自ら進み、もう一度下をのぞき込む。

 その手を悪魔が掴んだ。

「満足したじゃろ?」

 アスファルトの上に兄弟の遺体はなかった。

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