終.閉業
◆
「あー……わかんなくなっちゃった!」
髪をかきむしりながら、スーツ姿の死屍蛆が叫ぶ。
金髪の年若い男である。
新きさらぎ駅から徒歩五分、十三階建ての
もっとも事務所と言っても居住用マンションの一室、そのリビングルームに集まって一つのダイニングテーブルで各々がそれぞれ事務作業や電話業務を行っているに過ぎない。室内には七人、社員の総数は八人であるが、闇社員Dが取り立てのために席を外している。
かつて、彼らは
「なーにがわからなくなっちまったんだよぉ?」
悩める部下の言葉に声を上げたのは黒髪オールバックの闇社長、暴利である。
そう死屍蛆に問いかけながらも、闇社長の暴利は内心では死屍蛆の苦悩の原因を悟っていた。
死屍蛆が座る一般的なダイニングテーブル、その面前に置かれたものは一つのノートパソコンである。画面にはフリーの表計算ソフトで作られたある債務者の顧客情報入力画面が映っている。そして、その横には積み重なった顧客情報の書類。『借りてない金まで取り立てローン』という異常な名前でも金を借りる人間は借りる。
「いくら払ったとか、利率はいくらとか、元金とか、結局残りは幾らとか、そういう掛け算とか割り算を使うようなこと、俺わかんないんだよね、小卒だからさぁ」
「卒業はしたけど、何も学んでないことはわかったよ」
暴利は苦笑し、死屍蛆の背後からパソコンの画面を覗き込む。
そもそもデスクワークなど、目の前の男には向いていない。
営業活動でもやらせれば、それこそ新規顧客を山のように積み上げてくるだろう。
だが、やり過ぎる上にそそっかしい男だ。
ヤクザの事務所に営業を仕掛けにいったはいいが、借用書を書かせ忘れて、結果的に事務所を一つ潰して死屍蛆がストレスを発散するだけの結果に終わってしまったり、生命保険の受取人を『借りてない金まで取り立てローン』にする前に顧客を殺害してしまったり、特に意味もなく人間を殺したり、誰と契約したのかを忘れてしまったり、営業活動の際に事務ややり過ぎを補ってくれるパートナーがいる分には問題ないが、 一生死屍蛆にお目付け役をつけておくわけにはいかない。
いずれは業務の拡大も考えているのだ、死屍蛆にも仕事を覚えてもらわなければ困る。そういうことで、とりあえずは死屍蛆には基本作業をやらせている。
「いいか、死屍蛆……このオッサンはウチから五万借りてる」
「うん」
「で利息は一日で十割、オッサンは利息を十日後に支払わないといけない……計算はパソコンの方でやってくれるから、数字だけ打ち込んどけばいいんだよぉ」
「あー、待って、だからさぁ掛け算とかパーセンテージとか、そういうの言われるだけでさぁ……全然わかんなくなっちゃうよ、俺」
「ギャハハ!死屍蛆に、んな難しいコトわかんねぇよ社長ォ!」
やはりスーツ姿にモヒカンの男、逆死が立ち上がり死屍蛆の背後へと回った。
会社で一律にスーツを購入しているため、服装は固定であるが髪型装飾は自由である、逆死が動くたびに耳に複数装着された金ピアスがチャラチャラと揺れる。
「間違えないようにちゃんとしよう……そういうなまっちょろい精神が仕事をミスらせんだ……いいかァ死屍蛆よォ!」
逆死の指が見えない速さでキーボードに触れていく。
「このオッサンは三億借りてそうな顔だから、元金は三億!利息は十割だから百パーセント、つまり百パーセントの百、んで借りてる日数は一兆年……すると、ほらァ!」
あっという間に、五万円を借りていただけのおっさんに世界総資産以上の返済額が積み上がった。その鮮やかな仕事ぶりに死屍蛆から歓声が上がる。
「すっごいなぁ!」
「わかんないのは仕方ねぇ……でもやらなきゃ何もわからねぇ……だろ?とりあえずやっちまえばいいんだよ!困るのは顧客なんだから!!」
な、社長。
そう言って、逆死が暴利にウインクを一つ。
「ったく……困ったやつだな……」
口ではそう言いながらも、その端は笑みの形に上がっている。
闇バイト時代は性格に刺々しいものがあり、よく衝突した。
だが、それは未来が見えないことからくる不安だったのだろう。
闇正社員となった逆死はすっかりと丸くなり、社員のみんなを支えてくれている。
かつてのライバルが誰よりも頼れる相棒だ。
「……おい、あまり死屍蛆に適当な仕事を教えてくれるなよ」
苦言を呈するのは闇副社長の魍魎だ。
スーツ姿に眼鏡、髪は丁寧に撫でつけて七三に分けている。
一見すれば一昔前のエリートサラリーマンにも見えるような怜悧な風貌であるが、『借りてない金まで取り立てローン』という清々しいまでの違法企業を支える闇社員、インテリヤクザのようなものである。
「顧客がどうなろうと知ったことではないが、帳簿の辻褄が合わなくなるのは困る……」
そう言って、指を持ち上げ、死屍蛆と逆死の二人に軽くデコピンを見舞って、薄く笑った。
「次からは気をつけろよ」
「はーい、副社長」
「しょうがねぇなぁ」
そんな様を見て社員一同で笑っている。
業務中ではあるが、日曜の午後に友人同士で会っているかのように和やかだ。
自分たちにこのような未来が訪れるとは――闇バイト時代には考えられなかったことだろう。
このような時が永遠に続けば良い――誰からも奪われること無く、自分たちが奪い続ける平穏な日々が。だが、誰に祈ったとしてもそのような願いは叶わない。願いは自分が剣を取ることでしか叶わない。誰かから奪うことでしか叶わない。だから戦わなければならない。
ずおん。
玄関で重量感のある音がした。
何かが倒れるような音だが、玄関にそんな重いものは置いていない――唯一、鉄製のドアを除いては、ドアが――ドミノのように倒れるようなことがあるならば、の話であるが。
「すみません」
わずかに高い声が玄関から聞こえた。
少年にしては高く、少女にしては低い――どちらであるようにも聞こえる声。
社内の誰一人としてその声の主のことは知らない、聞いたことのない声だ。だが、よく知った声だ。
殺すと決めた相手にかける声、もう相手を人間とみなしていない――殺し屋の声。
「殺戮刑事のバッドリ惨状と」
「チッ……同じく、殺戮刑事の皆殺堕時定です。とりあえずは違法捜査に来ました。チッ……一応は皆様のことがよくわからないので、殺戮権を行使しない可能性がありますが……抵抗していただければ、話が早くなりますので嬉しく思います」
殺戮刑事――社内の誰もが知る名だ。法的にふわふわとしているので、人を殺してもあんまり怒られないと評判の国家戦力の最上位、生半可な犯罪者では相対しただけで身体中の体液を漏らして死亡することもあると言われている。会ったら逃げろ――ではない、会うな。かつての闇社員はクズで口から糞みたいな言葉しか吐き出さなかったが、この忠告だけは覚えている。
そして、もしも会ったならば――戦う他にない。殺戮刑事の嗅覚は確実に死刑に値する犯罪を嗅ぎつけて、どこまでも追ってくる。
「社長……悪いが書類の無事は保証出来ねぇぜぇ!」
「闇社員A!」
相撲取りのような巨体の男、闇社員Aが玄関に躍り出た。
カチリ。
開閉音と共に、闇社員Aの両手首がずれた。
初めてのボーナスで両腕を切断し、義手に置換した。
内部には火炎放射器を仕込んでいる――普段は雑草や害虫を焼いているが、休日は肉を焼いて闇社員闇バーベキューの主役になったこともある。
「ファイアッ!!!!」
「りゃっ!」
放たれた火炎はバッドリ達ではなく、天井を焼いていた。
バッドリの前蹴りが闇社員Aの両手首を跳ね上げて、無理矢理に方向を変えた。
「これじゃあ……敷金返ってこないね」
天井に焦げ目をつけるどころの話ではない、天井は粘性を帯びてどろりと溶けていた。それだけの火力が放たれていたのである。
バッドリが闇社員Aの血管に何かしらの注射針を刺すと同時に、皆殺堕が駆けた。闇社員Aにトドメを刺すバッドリを追い抜いて、狙うは闇社員B、C。
闇社員Bが咄嗟に構えたのは二メートルはあろうかという槍だった。その先端は三叉に分かれており、拭っても拭っても消えぬ血の跡が染み付いている。フリマサイトで何重もの値下げ交渉の末に購入した歴戦の槍は、返済を拒む顧客は勿論のこと、借金を拒む通行人も数え切れないほど血祭りにあげてきた闇社員Bの愛槍である。
当然、そう広くもないマンション内で振るうには巨大すぎる。
「しゃあいッッッ!!!!」
正面に突くこと――攻撃方法はそれだけに制限された。
向かい来る皆殺堕目掛けて槍を穿ち――皆殺堕の跳躍によって、容易く避けられる。
跳躍の勢いのまま、飛び蹴りが闇社員Bの頭部を打った。
首が頭部と胴体をつなぐことを忘れたかのようだった。
皆殺堕の飛び蹴りを受けた闇社員Bの頭部は軽やかに宙を舞い、ベランダドアに叩きつけられて、床にずり落ちた。
「キェーイッ!」
着地したばかりの皆殺堕を襲うのは振り下ろされた闇社員Cの毒爪である。
手甲の先端に鈎爪がついており、装備は腕にはめるだけで簡単、さらに爪に仕込む毒も付属のものがあるので初心者にも扱いやすくて安心と通販サイトでも★4.8評価を貰っている。
着地した姿勢から後転で毒爪を避けた皆殺堕。
「キェッ!キェッ!キェッ!キェッ!」
立ち上がる間も与えんと襲い続ける闇社員C。
その身体はベランダ側に追い詰められ――
「チッ……」
闇社員Bの頭部が再び宙を舞った。
咄嗟に闇社員Bの首を掴んだ皆殺堕が闇社員Cに投げつけたのである。
「キェッ……?」
信じられない――そう言いたげに闇社員Cは自身の胴体を見下ろした。
腹部に穴が開いていた。
生身で砲弾を受ければ大抵の人間はそうなる――皆殺堕の投擲力は砲撃に匹敵する、ただそれだけのことである。
「チッ……せんぱ……ッ!」
とりあえずは格下から殺す――闇社員B、Cを排除し、ようやく皆殺堕の視線がバッドリに向かった。そこには闇社員二人を相手にするバッドリの姿。そして――
「ギャハハ!くたばった闇社員A、B、Cによろしく伝えといてくれや!」
逆死が自身に向かって放ったグレネードがやけにゆっくりと見えた。
咄嗟に両腕を交差させてガード姿勢を取った皆殺堕。直後、爆弾は弾けた。まず爆音が室内に響き、次に身を灼くような熱が皆殺堕を襲った。最後に爆風が皆殺堕を吹き飛ばし――しゃお。ガラスの割れる音が落ち行く殺戮刑事の耳にやけに涼やかに響いた。十三階の高度から勢いよく吹き飛ばされ、皆殺堕は重力に引かれた。
「時定さん!」
「……心配する余裕があるのか、殺戮刑事?」
「俺らって結構強いよ、いや殺戮刑事って噂より弱いのかな?」
皆殺堕の下に駆けつける余裕はなかった。
成程、最近闇金業界で頭角を現すだけのことはあるらしい。
果たしてどれだけの下積みを重ねたのか。魍魎による闇バイト由来の闇オーラによる念力が、バッドリの動きを止め、
「ほらっ!」
その瞬間、死屍蛆のナイフがバッドリを襲う。
「厄介だなあ!」
自身を襲う念力を筋力で咄嗟に振り払い、刃を避ける。
ナイフ二刀流――その技巧において、同僚である殺死杉謙信に匹敵するものではないが、二刀流である分、手数が多く、そして魍魎が自分の動きを的確に金縛ってくる。今のところ、攻撃は受けていないが、数の優位は闇正社員の側にあり、そして攻勢に回れていない以上、いずれやられてしまう。
「刺ッ!」「はーっ!」連撃、回避「刺ッ!」「でっ!」連撃、回避「刺ッ!」「きっ!」連撃、回避「刺ッ!」「れっ!」連撃、回避「刺ッ!」「ばっ!」瞬間、闇念力がバッドリの動きを止めた。筋力で金縛りを振り払おうにも動かない。
「ギャハハ!友情パワーだ!死んだアイツらの分までな!」
「覚えてんだろ三本の矢の話!」
「お前ら……」
魍魎の闇念力に、暴利と逆死が力を重ねている。
「すっごいなぁ!友情の勝利だ!」
そして死屍蛆のナイフが――バッドリの胸部を穿った。
刃は深く沈み込んだ。
服を超え、皮を超え、肉を超え、その心臓の内側に――刃が見えなくなるほど、いや柄すら見えなくなるほどに深く差し込まれた。
「おかしい……」
刃が肉を抉る沈み込むような感覚がない。
まるで水――いや、空気に向かって刃を差し込んでいるかのようだ。
「あっ!」
死屍蛆はその違和感の正体に気づき、叫ぶと同時に後ろ手に切りつけた。
「殺ってないッ!攻撃が来るッ!」
死屍蛆の背後にバッドリの姿があり、それを咄嗟に切りつけた。
だが、やはり切った感触がない。
さらに地面から湧いてくるかのように、次々にバッドリが現れてくる。
「分身の術……」
ただ一人狂乱に包まれ、あらぬ方向をナイフで斬りつける死屍蛆に残りの闇社員は困惑した様子で声を送った。
「どうした死屍蛆!?」
「無駄だよ、僕の近くにいたんだから……めちゃくちゃ僕の薬物の副流煙を受けて、現実なんて見えていない……とりあえず、これで一人……僕がやる分はあと、一人か」
「はっ?」
その時、闇社員達はヘリコプターのホバリングによく似た音を聞いた。
「チッ……チッ……チッ……チッ……」
その音はベランダの向かい側から聞こえた、暴利と魍魎はバッドリから視線を動かさず、逆死だけがベランダへと視線をやった。
「チッ……チッ……チッ……チッ……」
その舌打ちは規則的なリズムを刻み、その背には二本の羽根が浮いていた。片方は細く長く、もう片方は太く短い、まるで時計の短針と長身のような羽根はヘリコプターのプロペラのように回転し続けている。
地面に突き落としてやったはずの、皆殺堕が――浮遊して戻ってきた。
その頭部に天使の輪を携えて。
いや、よく見ればそれは天使の輪などではない――時計盤だ。
「チッ……チッ……チッ……チッ……救済の時間です」
「後輩の前だから、僕もさぁ……出来れば本気を出さずに、余裕を持って格好良く戦いたかったけど……まあ、無理っぽいから、本気でやらしてもらうね。時定さん、仕上がっちゃってるみたいです」
今、皆殺堕の目ははっきりと開かれていた。
その虹彩の中に砂時計のような模様が見える。
「マジで怪物だな殺戮刑事……」
皆殺堕の動きは暴利の目に止まるどころか――映ることすら無かった。
気付いた瞬間には、既に逆死の首は宙を舞っていた。
(時間の加速、時間の停止、あれだけ時計アピールしといて瞬間移動ってことはないよな?それとも俺等が遅くされているのか……?)
推測する暴利だが、答えは出なかった。
もっとも出たところで意味などはないが。
「勘弁してくれよ……死屍蛆!逆死!こっからが面白くなってくるってのによぉ!」
圧倒的な力量差を前に、暴利の心は折れない。
「……暴利!まだ……何かやれるのか!?」
そんな暴利の様子に怯えを必死に噛み殺して魍魎が叫ぶ。
目に見えない皆殺堕ではなく、暴利を見ていた。
縋るような瞳だった。
誰かに委ねることしか出来ない負け犬の瞳だ。
(駄目だろ、一人一人が闇経営者意識を持ってないと……俺らはようやく闇バイト生活から抜け出せたのにってさぁ……)
どうも人生というものはうまく行かないらしい。
ムカつく同級生をぶん殴って金を奪えばそいつの兄貴が、そいつの兄貴を病院送りにすれば、その兄貴が所属する不良グループが、そいつらの家まで全員焼いてやれば、今度はヤクザ――ヤクザを全員ぶっ殺して上京してみれば、また闇正社員共、そして今度は殺戮刑事、ただムカつく奴をぶち殺して気の良い仲間たちと楽しくやりたいだけなのに、クソ野郎どもが邪魔をしに来る。
「まだやれるのか、じゃねぇよぉ!真正面からタイマン
(ま、しょうがねぇか……一応は社長だからなぁ俺!盛り上げてっかぁ……)
「作戦名は友情と努力、そして根性!それが俺等の三本の矢だ!気に入ったか!?」
「やれるのか僕たちは?」
相変わらず皆殺堕の姿は見えない。
だが、魍魎は腹を括った。
目線を暴利から外し、敵の下へ――見えはしないが、見ようとすることまではやめない。
「やれるかどうかじゃねぇ、わかってんだろ?」
瞬間、魍魎の側頭部に凄まじい衝撃が走った。
「あのさぁ、殺戮刑事」
「なに?」
暴利の言葉にバッドリが応じる、その頃には既に魍魎の首が宙を舞った。
やはり、皆殺堕の姿は暴利には見えなかった。
健全に闇商売をしている俺達と税金泥棒のクソ公務員はどうも同じ時間を生きられないらしいな、暴利は自嘲する。
だが、今はどうでもいいことだ。見えないやつを気にしてもしょうがない、見えるやつをぶち殺さなければ。
「俺がお前らぶっ殺したら、また誰か来るのか?」
「まぁ……もっと怖い人が来るね……殺されてあげる気はないけど」
「ままならねぇな」
暴利は刀を抜き払った。
お年玉を貯めて買った切れ味鋭い刀だ、それで何人も殺してきた。
実家との繋がりを断って新しい生活を始めたい――そう思って、実家を出る際に何一つものが残らないように放火してきたが、これだけは持ってきてしまった。仲間を大切にするような情が実家や地元に対しても残っていたらしい。
「……次はアンタらみたいな奴らに襲われないような仕事を始めたいんだけどさ、なんか良いのあるかな?」
踏み込み、暴利はバッドリの美しい頭部に向かって刀を振り下ろした。
「そりゃ――」
バッドリがそれを避ける。暴利はそれを見越して斬撃の向きを変え、振り下ろしから横薙ぎに――
「人とか殺さない職業が良いんじゃない?」
いつ奪ったものか、バッドリの右手に構えられていた死屍蛆のナイフが暴利の刃を受けていた。
そしてもう片方のナイフは暴利の心臓へ――向かうはずだった。
「亜亜亜亜亜亜ッッッ!!邪ッ!!」
裂帛の気合と共にバッドリの身体が吹き飛び、壁に叩きつけられた。
衝撃で壁に開いた大穴に一瞬埋もれたが、バッドリがゆっくりと立ち上がった。
「いいザマだな、殺戮刑事よりも……壁のオブジェの方がよっぽど向いてる。転職したらどうだ?」
「やだよ、僕らの天職だからね」
「ハハッ」
暴利の乾いた笑い声。
一瞬たりとも油断出来ない緊張で口内はからからに乾いている。
「しっかし、ひどいなぁ……」
バッドリの持つナイフには傷一つ無い、だが暴利の刀を受け止めた右手は折れていた。
無理をすれば動かせないこともないが、動かしたくはない――右手を棒のように垂れ下げながら、左手に構えたナイフを暴利に向ける。
「浸透勁の一種かなぁ……?」
「一回飲み会で仲間に披露した時は大ウケだったよ」
八人で起業を誓った夜の飲み会、その時暴利は八本の割り箸でテーブルを通じて――しかし、テーブル自体は一切傷つけること無く、地震と見紛うほどの衝撃を飲み屋に与えてみせた。
暴利の振るった刀はバッドリの肉体に触れることはなかったが、刀身を、そしてバッドリのナイフを通じて、バッドリの肉体に衝撃を与えて吹き飛ばしてみせたのである。
「さあて、こっから逆転は……」
無理だろう、理性はそう言っている。
軽トラぐらいならば破壊できる威力であるが、目の前の殺戮刑事は平然と立ってみせた。腕は折れているようであるが、それにしたって顔色一つ変わっていない――まるで温泉にでも浸かっているか、あるいは麻薬でもキメているかのような気持ちよさそうな顔をしている。いや、薬物は実際にキメているのかもしれない。
なにより、もう一人の殺戮刑事の方は視認すら出来ない。
その状況で二対一、勝てるわけがない。
仲間という矢を束ねても折れてしまった、そして残るは一人――それこそ容易に折られてしまうことだろう。
「余裕だなぁ!」
だが、理性の戯言は闘志で塗り潰す。
脳みそごときが吐いた諦めの言葉に、さんざん実際に手を動かしてきたクソ野郎共をぶち殺しまくってきた肉体が従ってやるものか。
「……ツケを払う時が来たみたいだね、社長」
時を刻む針によく似た音が、暴利の背後で聞こえた。
振り返って切り刻む――それよりも早く、皆殺堕の上段廻し蹴りが暴利の首を吹き飛ばした。
かつて八人が描いた夢の跡、残されたものは七人の死体だけだった。
「……君たちは取り立ての厳しい闇金かもしれないけど、僕たちは罪の取り立てに厳しい殺戮刑事……最初から君たちに勝ち目は無かったのさ、ね、時定さん」
「チッ」
「それ、時間を刻んでる音なんだよね?」
【終わり】
殺戮刑事 殺死杉(お得用) 春海水亭 @teasugar3g
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