3.取り立て
◆
『お金貸します、ブラックリストでも大丈夫! 借りてない金まで取り立てローン』
『即日融資! 翌日破産! 借りてない金まで取り立てローン』
『一生返せないほどの借金をしてみませんか? 借りてない金まで取り立てローン』
「うぇー……また、闇金のビラが入ってるよ」
マンションのエントランスホール、そこにあるバッドリ用のポストを確認してみれば、みっしりと闇金のビラが入っていた。
「……チッ、バッドリ先輩って毎日ポストの中身をチェックされているんですか?」
「そうなんだよ、それでこのザマだよ、困っちゃうよね」
「……チッ、あの人面犬全くセキュリティーの役に立ってませんね」
「まあ、ボランティアの人食いだしねぇ……」
バッドリは唾液まみれになり、
「チッ……借りてない金まで取り立てローンですか」
「うん、いい噂を聞いたこと無いとこだね」
「チッ……そんな店名で良い噂を聞いたら、それこそ怪しく思えますが……」
借りてない金まで取り立てローンが最近闇金業界で頭角を現しているのは、その独特な業務体制にある。
通常の金融会社であれば、勿論貸した金を取り立てるのが基本であるが、借りてない金まで取り立てローンは、金を貸した客は勿論、通行人であるとか、たまたま近くにいた人間であるとか、そういう人間を相手にも容赦なく取り立てを行い、貸した金は勿論のこと、貸していない金からも利息収入を得ているのである。
この革命的手法に闇金業界は色めき立ち、我も我もと言わんばかりに借りてない金まで取り立てローンに続こうとしたが、借りてない金まで取り立てローンは特許を主張、自身のマネをしようとした闇金に殺し屋を送り込むことで、闇金業界に特許権と覇を唱えている。
ビラには金を借りさせようとする煽情的な宣伝文句とスマートフォンの番号とチャットアプリのID、そして『連絡一つで火の車!アナタの口座に振り込みます!』という異形の業務形態が載っているだけだ。間違いなく、貸金業者登録一覧には載っていないだろう。
「……チッ、一回
「電話にかけても機械音だし、住所とか載ってないしねぇ……まあ、けどこんな毎日ポストをいっぱいにされてるんだから……もしかしたら、ウチの近くにあったりするのかもしれないけど、ここらへん地価安いし」
「……チッ、まあ、ここらへんならたしかに悪党も潜みやすいでしょうね」
「ビラ突っ込まれてるだけなのにデスラさんにハッキングを頼むわけにもいかないし……うーん、今度の休みに探してみよっかなぁ、まあ迷惑防止条例違反ぐらいで殺せるところまで行かないかもしれないけど」
「……チッ、ビラの感じだけでも殺せるとこまで行けそうですが……」
エントランスホールからエレベーターに乗り、十三階まで数十秒ほど揺られる。
「上りのエレベーターで乗ってこようとする人は全員、敵だから基本的に閉ボタン連打するか、殺してね」
「チッ……家賃が安いと、やっぱりどこかしらで代償を背負うものなのですね……」
「やっぱ都内の駅前でコンビニ近いとねぇ……」
「チッ……交通の便が良くてコンビニ近いだけで毎日のように命のやり取りさせられるの普通におかしいですよ」
「まあ、交通の便が悪くてコンビニからも遠くて毎日のように命のやり取りさせられるよりはマシだから」
「チッ……それ比べる意味あります?」
「僕の実家はそんなんだったから、東京に出れて嬉しかったなぁ」
言葉をかわしている内に、エレベーターは十三階に到着した。
バッドリの住む部屋は十三階の四四四号室、階層などを完全に無視した独特の部屋名がこのビルの売りの一つである。
「じゃあ……あそこが僕の部屋なんだけど――」
「チッ……どうしたんですか、バッドリ先輩」
バッドリが声を潜めたのは、四四四号室の扉をどんどんと叩く強面の男がいたからである。
「チッ……セキュリティーの人ですか?」
「セキュリティーの人、外側から内側を責め立てないと思うんだよね」
「バッドリさぁーん!!!借りてない金まで取り立てローンですけどねぇ!?お金返してもらいましょうか!?」
強面の男が部屋の内側に向かって声を張り上げる。
貸金業法による規制などどこ吹く風、近所の人間に聞かせているかのような大声である。
「……チッ、借りたんですか?」
「アレに借りるぐらいなら、まずは職場のみんなに借りるよ」
「……チッ」
「バッドリさん!!!!こっちは困ってるんですよ!!!!貸してない金返してくださいよ!!!嫌でしょうバッドリさん!?貸してもいない金取り立てられるの!!!!アナタがお金払ってくれれば良いんですよ!!!!」
「……警察呼ぼっかな」
「……チッ」
「警察に舌打ちされちゃった」
「……で、どうするんですか?チッ、バッドリ先輩」
「まあ、シャワー浴びるから、ちょっとぐらい汚れても良いんだけどね」
とうとう覚悟を決めたバッドリは自分の部屋の前に歩み出た。
借金の取り立て屋は身長二メートルはあろうかという大男である。
一般的な成人男性と比べても巨大であるが、少年の体躯をしたバッドリと比較すれば余計に巨大である。
「あのー……すみません」
「ああ!?近所の人ォ!?困るんだよねェ!!!アンタの近くに住んでるバッドリさん、貸してもないお金を返してくれないんだよ!?いや、困らないか……アンタからも貸していない金を取り立てることに決めたからねぇ!!!」
取り立て屋はバッドリにそう凄んで見せた後、右拳で四四四号室のスチールドアを打った。その衝撃で金属製のドアは取り立て屋の大柄な拳の形に合わせて凹む。
「もう建前すら無い金目当ての通り魔じゃん……」
現実とは思えない現実に、バッドリの手が注射器に伸びる。
現状規制することの出来ない成分を含んだ幻覚の見える葉巻、現状規制する法律のない、特定の脳内物質を過剰に分泌する注射器、そういう法の外にある薬物がバッドリの目を現実から逸らす。
取り立て屋を前にして、バッドリの瞳が夢を見るように潤んだ。
「……あの、一応僕警察の……殺戮刑事のものでして」
「警察ゥ!?そんな薬物をキメたガキみたいな警察がいるかよ!いいから金返せ!!」
(あの男が引っかかっているのは、ガキみたいな容姿の方なのか薬物をキメている方なのか……)
皆殺堕の思案をよそに会話は進む。
「あんまり人に……っていうかこの階、僕以外に誰も住んでいないから、僕しかいなんだけど、僕に迷惑をかけられると、まあ、その……あんまり面白くないことになるかも」
「あんまり面白くないコトってのは……」
取り立て屋が自身の右拳を頭上に構え、そして思いっきりバッドリの頭部に振り下ろした。
「入院保険が下りたはいいが、下りたそばから取り立てに合うから病院に入院出来ないことかああああああああああああああああ!?」
「いや、殺すほどの犯罪でもないから、常識の範囲での正当防衛になるってことだけど……」
大ぶりの拳が空振った。その場に既にバッドリの姿はない。
刹那の判断だった。
取り立て屋の右拳が下段からすくい上げるような裏拳で後方を打ち付ける。
バッドリはわずかに首を曲げて、自身の頭部へと向けられた裏拳の一撃を回避。
取り立て屋の背後から腕の血管に目掛けて、注射を刺した。
「……やるな、だが、まだ始まったばかりだ……ぜ……?」
取り立て屋は腕を振り回して無理矢理にバッドリとの距離を開けた。
だが、彼の身体が自由に動いたのはそれが最後だった。
「……身体……舌までしび……なんのクス……?」
「まあ、ヤバいクスリだよね」
「……チッ、バッドリ先輩、ヤバいクスリ以外持っていないではありませんか」
「やばくないクスリも持ってるよ、成分を濃縮した風邪薬とか」
「……チッ、ヤバくしたクスリじゃないですか……」
取り立て屋がバッドリと皆殺堕のやり取りは聞くことはなかった。
ごとり、石像が真横に倒れるかのような、そういう倒れ方をした。
血管を流れる全ての血が石となったかのように、身体が重くなり、やがて意識が落ちた。
部屋の前に倒れ伏す巨大な荷物を、バッドリはその細腕で持ち上げると、隣室である四四四四号室の前にずらした。どうせこの階の入居者はバッドリ以外にいない、共有スペースは広く自由に使っていける。
「とりあえずさぁ」
コンクリートの冷たい床に投げ出された取り立て屋はぴくりとも動かない。バッドリはその場にかがみ込み、取り立て屋の衣服を探り始めた。
「時定さんは部屋に上がってもらって、んで先にシャワーとか浴びといて貰えば良いから」
さして高くもないであろう取り立て屋の黒いスーツ、その外ポケットの中にバッドリの探すものはあった。中古屋ならば一万円もかからないぐらいの時代遅れのスマートフォン。
「僕は、デスラさんにこれをハッキングしてもらって……んで、借りてない金まで取り立てローンの事務所に積極的に正当防衛をしにいくよ。さっきの取り立て屋の一撃、下手すりゃ死んでたし。冷蔵庫の中身は好きにしていいから……ん~……時定さんがシャワーを浴び終わって、大体缶ビール二本を開けるぐらいの頃には戻れると思うよ」
蛞蝓が這うかのように、取り立て屋のスマートフォンがひとりでにずりずりと動き始めた。バッドリの要請を受けた殺戮刑事ニコラ・デスラによるハッキングだ。生物には帰巣本能と呼ばれるどのような場所からでも自分の巣に帰る能力が存在しているが、ニコラ・デスラによってハッキングされたスマートフォンもまた、自走してもっとも連絡を受けた自身の上司のもとに帰還しようとしているのである。
「……チッ、私も行きますよ」
「ええ……たまには一人で殺したいんだけど……」
「……チッ、先輩、私も殺戮刑事である以上は、殺人の好機を独り占めさせるつもりはありませんよ」
殺戮刑事――その欲望の大小はあれど、皆が皆三大欲求を合わせたものよりも強い殺戮欲求を持つ合法的殺人者の群れである。当然、新人殺戮刑事の皆殺堕時定も、自身の殺戮欲求を満たせるであろう機会を逃すつもりはない。
「まあ、じゃあ……しょうがないねぇ……」
スマートフォンが通路の最奥部――四四四四四号室でその動きを止め、飼われた小動物によく似た仕草で、その全身を使って鉄扉の下部をカリカリと擦り始めた。
バッドリの部屋から二つ隣の近所に、恐るべき闇金『借りてない金まで取り立てローン』の事務所が存在していたのである。
「チッ……いくらなんでも近すぎませんか?」
「もしかしたら引越しの挨拶の一つもされていたかもしれないなぁ」
バッドリは記憶を漁ってみるが、自宅周りでの様子はいくら思い出そうとしてもふわふわとした桃色の靄のようなものがかかって曖昧だった。思い出せるのは、世界のすべてが愛おしく、食べるもの全てが美味しく、そして布団が素晴らしく柔らかく、まるで獣の母が子を抱くように暖かく包みこんでくれたことだけだ。
薬物の悪影響である。
「全然思い出せないや……まあ、とりあえず行こうか」
「チッ……先輩、クスリの量減らしたほうが良いですよ」
「クスリ減らしたら死にたくなっちゃうよ~」
冗談とも本気ともつかぬ口ぶりでバッドリは言った。
【つづく】
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