殺死杉、風邪を引く(後編)


 とうとうドラッグストア『良い薬物』へと辿り着いた殺死杉、だが彼はそこで驚く光景を目にすることとなった。


「ゴッホ、ゴッホ……」

「ゴーギャン、ゴーギャン……」

「セザンヌ、セザンヌ……」

 レジではない。

 ドラッグストアそのものに対し、行列が出来ていた。

 蛇行した行列は店の前どころか、駐車場にまで溢れている。

 並ぶのは大量の殺人鬼、いずれも風邪に苦しんでいる様子である。

 おそらく風邪薬を買うことは出来ないだろう。それどころか行列に並んでいる間に死にかねない。それを承知で行列に並んでいるのは、意地か思考能力すらも曖昧となっているからか。


「行列のお供に豚汁があるよー!」

「熱々のたこ焼きだよ」

「はいはい、マスク一枚二千円ね」

「風邪薬、一個十億円だよ!」

 行列の賑いに屋台が出現し、風邪薬やマスクの転売が昔ながらのダフ屋スタイルで出現する始末。しまいには何らかの祭りであると判断したのか、屋台で買った食べ物を食べながら殺人鬼行列を見物する一般人まで出現する始末。ドラッグストア前は凄まじい賑わいであった。


「はぁ~~~~!!!風邪で苦しむカスの前でキメる風邪薬はウメ……ぐぇ……」

 風邪薬の瓶を傾けて、錠剤を大量に流し込んだ男が、とうとう行列に並ぶ殺人鬼の一人に殺されて死んだ。

「俺のだ……ゴッホ……」

「いいや……セザンヌ……俺のだ……」

「ゴーギャン……ゴーギャン……」

 列を離れて、落ちた風邪薬の瓶に向けて歩き出す殺人鬼。

 だが、そのいずれも動きは緩慢で、普段の恐ろしさはどこへやら、古いゾンビ映画のゾンビのようであった。


「ゴッホ……死になさい……」

 列を離れ、ゾンビのように緩慢に歩く殺人鬼達は弱った殺死杉にすら、ただのボーナスキャラに過ぎなかった。僅かに殺人鬼達よりも速く動いて、彼らを追い抜き、次々に刺殺していく。そして薬瓶にちらりと目をやり、拾わない。持ち主は死んだが、己のものでも風邪に苦しむ殺人鬼のものでもない。公務員としての規範意識である。もちろん状況によっては他人の命を助けるため規範は無視するが、少なくともこの行列に並ぶ殺人鬼のためにそれをすることはない。そして風邪薬もまもなく手に入る。


「ギェーッ!セザンヌ!」

 最後尾の殺人鬼が悲鳴を上げて倒れる。

 そして行列の最後尾に殺死杉が並んだ。

「ゴッホ!?」「ゴーギャン!!」「セザンヌ……ッ!!」

 悲鳴を上げながら殺人鬼達が次々に殺されていく。行列に並ぶ殺人鬼達を殺すことで殺死杉が次々と行列を追い抜いていく。いくら殺人鬼が相手でも割り込みには抵抗感がある。だが、正々堂々と殺人鬼を殺しながら行列を追い抜いていく分には何の抵抗もない。死体の道をレッドカーペットのように踏み越えながら、とうとう殺死杉はドラッグストアに入店した。


 凄まじい行列であったが、店内も凄まじい人口密度である。

 店員すらも身動きが出来ないほどに、店内は殺人鬼でぎゅうぎゅう詰めになっていて、とうとう風邪薬を手にした殺人鬼も身動きが出来ない、買い物を終えて退店しようとした殺人鬼も退店が出来ない、そんな凄まじい有り様であった。


「ゴッホ……すみません……」

「はーい」

 殺死杉は店の隅で人ごみの中で陳列などの業務もすることが出来ないで、ただ立ち尽くしている店員に呼びかける。風邪で弱った殺戮刑事ならば一般人に大した圧を与えることもない。


「ゴッホ……ゴッホ……すみません、殺戮刑事なのですが、ちょっと邪魔な殺人鬼を殺して棚の上とかに上げておいても大丈夫ですか?」

「あー、それよりは店の外に出してほしいですね」

「ゴッホ、ゴッホ……わかりました……」

 殺死杉は手近な殺人鬼を殺すと、その死体の腕を引きずって店外に運んだ。

 普段ならばわざわざそのようなことをしなくても、フリスビーを投げるように容易く、死体を店内から店外に放り投げてしまえる。だが、風邪で苦しむ身体ではとても本来の筋力を発揮することは出来ない。引きずるよりは抱きかかえる方が楽だろうが左腕は折れているのでそれも出来ない。一人一人丁寧に死体を引きずっていく。

 大変な作業であった。

 鉛を纏っているかのような倦怠感に全身を包まれ、頭痛は頭の中にあるどんな考えよりもその存在感を主張して、今やっていた行動を中断させる。


「その人まだ生きてますよ」

「ゴッホ……すみません……」

 店員の指摘で本来ならばしないようなミスに気づき、店員に頭を下げて殺人鬼の手を離してもう一度刺殺する。

 そもそも思考だって、発熱でぼんやりとしている。それでもジャージを汗で染めながら、殺死杉は作業を続けていく。


 しばらく作業を続けているうちにようやく店内に身動きできる程度には余裕が生まれた。

「後はこっちでやっておくんで、殺したまま死体は置きっぱで良いですよ」

「ゴッホ、ゴッホ……どうも……」

 殺死杉は死体を踏み越えながら、風邪薬コーナーへと進んでゆく。この進化したウイルスに風邪薬はどこまで立ち向かえるものか。だが、殺死杉の心配はそれ以前のところで阻まれることとなった。


「ゴッホ……売り切れ……?」

 風邪薬コーナーに完全な空白が生じていた。それもそうだろう。ドラッグストアにそれを遥かに超えるキャパシティの殺人鬼が来店し、風邪薬を求めたのだ。売り切れて然るべきである。


「刑事さん」

 とぼとぼと帰ろうとした殺死杉を呼び止める声、店員のものである。

 振り返ると、店員が店内の死体が手に握っていた薬瓶を拾い上げる姿があった。


「この薬、まだ会計終わってないですから……よかったら、これ買ってやってくださいよ」

「ゴッホ……ありがとうございます……」

 思わず、殺死杉の目に光るものがあった。病で苦しんでいる時はいつも以上に人の優しさが身に沁みるものである。


 店いっぱいの殺人鬼を殺して、殺人欲求もかなり満たされた。後は薬を飲んで大人しくしていよう。帰路に着く殺死杉の前に現れたものがあった。


 それは人間のように見えた。二つの足で立ち、二本の腕を有している。服は着ていない。体色は銀色で、のっぺらぼうのように顔のパーツがなかった。ただ、人の頭がそこにあったから、それの頭もそこにあった。そんな風に見える。


「進化したウイルスです」

 どうやって発声したのか、目の前の存在は信じられないことを口にした。

「ゴッホ……ゴッホ……はぁ……」

「我々の間で殺人者に風邪を流行らせるのがブームになっていたのはご存知ですね?」

「ゴッホ……」

 殺死杉は返事の代わりに咳を一つして、頷いた。


「そのブームがアナタが台無しにしたんですよ、楽しく苦しめていた人間共を殺しまくってくれやがって……!」

「ゴッホ……成程、しかし風邪に苦しめられていた身としては、文句を言いたいのはこっちなんですが……」

「人間の都合などは知りませんよ!」

 進化したウイルスが真正面に拳を放つ。

 殺死杉がその一撃を回避できたのは、ただの偶然である。立っているのも億劫な倦怠感に身を預け、そのタイミングで足元から崩れ落ちたからだ。

 進化したウイルスの拳が殺死杉の頭上を通過した。その攻撃の軌跡で炎が宙に燃えている。


「私は進化したウイルス、当然発熱もお手の物……」

「ゴッホ……!?」

「倦怠感ッ!」

 殺死杉は立ち上がろうとしたが、それは出来なかった。

 今までの倦怠感以上に身体が重い――重力がかかっている。


「身体が重いでしょう?重力を操り、貴方に常ウイルスとは比べ物にならない倦怠感を味あってもらっています」

「ゴッホ……そんな物理的に……!?」

「さあ、私の力で嬲り殺して差し上げましょう……ん?」

 その時、進化したウイルスはどう感知したのか。甘い匂いを嗅ぎ取って振り返った。そこにいたのは美しい少年だった。少年と書いたが一見して性別はわからない。中性的な容貌で男のようにも女のようにも見た側が望んだように決められるような、そんな美しさの曖昧な余地がある。

 手には葉巻を持ち、口からゆったりと桃色の甘い煙を吐いている。昔のヨーロッパ貴族が着ているような華美な服装を纏い、その瞳は蕩けている。

「ゴッホ……バッドリくん!?」

 バッドリ惨状――殺戮刑事の一人である。

 バッドリもまた、合法的に大量に人を殺している殺戮刑事であるが、風邪に苦しんでいる様子は見えない。


「ほう……貴方も殺人者ですか?それにしては元気そうだ」

 進化したウイルスが尋ねる。

「薬キメてるからね」

 薬物中毒者が答える。

 まだ日本どころか世界にすら存在を発見されていないような植物で中毒性のある喫薬をバッドリは趣味としている。その薬を規制する法律はバッドリのために作られる。ある意味で薬物学の父とも呼べる存在であった。


「では、物理的症状で死ねい!」

 進化したウイルスの拳がバッドリを打つ。その拳をバッドリは柔らかな左手で受けた。

「馬鹿め……なにぃ!?」

 拳は受けさせて問題なかった。

 その本領は度を越した発熱による発火現象である。

 だが、バッドリは悠々とその拳を受けたまま、煙を堪能している。


「薬が趣味だからね、僕は」

「そんな馬鹿なことが……」

 薬の内服で発熱は抑えられても発火を抑えられるわけがない。

「あるんだなぁ」

 バッドリの右上段回し蹴りが進化したウイルスの側頭部に叩き込まれた。

「なっ!?なんだ……!?急激に身体が……我が身体が……消え……」

「いい薬でしょ?」

 バッドリの放った蹴り、その爪先に小さい針が仕込まれていたことは、そしてその針先に何かしらの薬が塗られていたことはおそらくバッドリ以外知らぬま終わるだろう。理由もわからないまま進化したウイルスは消滅していった。


「やあ、殺死杉さん」

「ゴッホ……バッドリくん……どうしてここに……?」

「いや、風邪で苦しんでいるんじゃないかと思って、電話かけたら繋がらないからさ」

 殺死杉はポケットを弄った。そういえばスマートフォンが無い。置き忘れたらしい。

「かなり不味いんじゃないかと思って風邪薬を持ってお見舞いに行ったら、いないし、探したんですよ?」

「ゴッホ……ちょっと……風邪薬を買いに行ってたんですよォ……」

 そう言って殺死杉はバッドリに風邪薬を見せる。

「ゴッホ……助かりました……ありがとうございます……後は家で大人しく寝ていますよ……」

「病院行ったほうが良いんじゃない?」

「ゴッホ、進化したウイルスも死んだので……休んでいれば治るでしょう」

 そう言って殺死杉は立ち上がった。進化したウイルスの消滅に怯えているのか、症状は大分マシになっている。

「ならいいけど……ところで、その左手は?」

 バッドリがぶらりと垂れ下がった殺死杉の左手を見て言った。


「折れました」

「それは病院行ったほうが良いんじゃない?」


【終わり】

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