殺戮刑事の健康診断

【待合】


「殺死杉お前アレだな……素人診断で悪いけど、腕折れてんなァ!良かったなぁ健康診断に来といて、お前アホだから、今日病院に来てなかったら腕折れてることに気づかなかったかもしれないもんなァ!」

『都立死ななきゃ安い総合病院』の検査室前の椅子に腰掛けて武田皆殺信玄が愉快そうに言った。髪をオールバックに撫で付け、高級スーツを適度に着崩している男である。一見すると元ホストか現役のヤクザぐらいにしか見えないが、殺戮刑事――殺人鬼を法廷を通さずに処刑することで残された遺族と自分の恨みを晴らしつつ自身の殺人欲求も満たす一石二鳥のお得刑事の一人である。

 法的にふわっと殺人が許されている集団でも一応は国家公務員である。国に健康診断を受けさせる義務があるために、今日は健康診断に来ていた。


「腕が折れてることに気づいてるから、こんなもん巻いてるんでしょうが」

 そう言って、殺死杉謙信が不機嫌そうに鼻を鳴らす。武田と同じく殺戮刑事の一人である。スーツの武田とは対象的に、衣装はラフなもので、その左腕はギプスで固定されていた。


「おー、そうかそうか。で、断罪も体調悪そうだな!もしかしたら気づいてないかもしれないけど、お前腹斬られてるかもなァ?ちゃんと診てもらえよ!」

「殺す!」

 そう言って、病院内で抜刀しようとしたのはやはり殺戮刑事の断罪だんざいおさまらないである。まだ十代の若さを残した美青年であるが、その顔には隠しようのない怒りを浮かべている。しかし、心に対して身体の反応の方が大きいのか、その顔色は青ざめ、額には脂汗が浮いている。服装は着流しで、着物で隠された腹部は何らかの呪言が書かれた包帯でぐるぐる巻きにされていた。


「まあまあ……落ち着いて傷口が開くから……」

 昔のヨーロッパ貴族が着ているような華美な服装を纏った天使のように中性的な美少年であり、やはり殺戮刑事の一人であるバッドリ惨状がそう言って断罪を宥める。

「ほら、どこにでも行ける切手舐める?今日は粉もあるよ」

 バッドリが何らかの液体が塗られた切手や、少なくとも塩や砂糖の類ではない断罪に差し出して言った。


「やめろやめろ、尿検査に違う引っかかり方すんだろうが」

「ああ、今年は尿検査無いよ。やった時点で健康診断どころじゃなくなっちゃうから」

 そう言って、バッドリが切手を舐めて、恍惚の表情を浮かべながらその身を震わせる。 その一方で断罪は腹部を抑えてやはりその身を震わせていた。結果的に肉体に出た反応は同じであったが、その原因は正反対のところにあることは間違いない。


「ま、今日の殺戮は老害と犯罪者と新人にまかせて、お前らはしっかり身体と頭を診てもらえよ!殺戮稼業は身体が資本だからな!腕が折れてたり、腹が斬られてたら、人殺すのも大変だろうよ!」

 そう言って再び武田が愉快そうに笑う。

 老害と犯罪者と新人――武田の言う老害は殺戮刑事課の課長、業魂とそれに次ぐ古参である村焼式部、犯罪者は現在仮釈放中のニコラ・デスラ、そして新人は断罪と同期で殺戮刑事入りを果たした殺戮刑事のことである。全員が一斉に健康診断を受けるというわけにもいかないので、二日に分けて業魂を除いた殺戮刑事課の人間を健康診断に向かわせている。

 そして、とにかく健康診断の義務を果たすことが重要であるので、殺死杉、断罪共に以前の戦いの傷を引きずったままの来院となったのである。


「……しかし、断罪くんは災難だったねぇ」

 葉巻を取り出し、火をつけようとしたバッドリ。

 それを制して殺死杉が『病院内禁煙』の張り紙を指す。

 バッドリはやれやれと首を振って葉巻を仕舞って、その代わりに何らかの粉を鼻から吸引する。

「村を支配してる神様と戦ったんだっけ?僕も神様はよく見てるけど……戦ったことは無いなぁ……」

 あらぬ方向を見ながら、バッドリが言う。

 その瞳は虹色に輝き、おそらく現実すらも見ていない。

「あ、ごめん。皆もどう?」

 バッドリはそう言って、やはり誰もいない虚空に粉を差し出すが、それを手に取ろうとするものは誰もいない。


「あんなもの大したことはない」

「言って、神様と言ってもただの霊体の部類でしょう?私ならサクッと殺せてましたねェーッ」

「やめろやめろ、殺死杉。断罪くんが可哀想だろ……いや、勿論、俺なら余裕だったが、間違いなく余裕だったが……そんな大したことない奴に腹を斬られるとか、めちゃくちゃダサいからなァ、後輩の尊厳を大切にして、断罪が殺した奴はちゃんと強敵扱いしてやらないと」

「武田、殺死杉……あまり小生を小馬鹿にすると……」

 殺死杉と武田の言葉に抜刀しかけた断罪の腕に刺さるものがあった。バッドリの注射器である。少なくとも現段階では間違いなく法的な判断が追いついていない薬が断罪の体内に吸収されていく。


「……ふわあ」

 恍惚の表情を浮かべた断罪の視線が虚空へと向いた。

「やめなよ二人共、断罪くんは腹を斬られてる上に、追い打ちをかけるみたいに風邪まで引いてたんだ……いたわってあげなきゃ」

「お前のいたわりがその変な薬なら、しない方がマシだろ」

「っていうか、そもそも健康診断に来てるんですから変な薬を使うのはやめましょうよ」

「てへっ」

 二人の言葉にバッドリが自身の頭を小突き、舌を出した。

「こいつめ」

「まったくバッドリくんは……」

 先程のひりつきが冗談であったかのように、病院の廊下は和やかな空気に包まれていた。


「でも、今の断罪くんを健康診断に連れて行かないといけないなら、普通に痛み止めは打っといたほうが良くない?」

「バッドリくんのそれは痛み以外も止めてるんですよねェ……」

 四人中二人が瞳を虹色に輝かせる世間話は、アスファルトに落としたボーリング玉のように弾んでいた。だが、

「殺戮刑事の皆さん、採血を行いますのでお部屋にお入り下さい」

 検査室内からの声に中断せざるを得なかった。


「うし、行くぞ」

 断罪を引きずりながら武田が入室する。それに殺死杉が続き、バッドリが自分にだけ見えている入口から入ろうと壁に向かって進み続けるのを見かねて、室内から殺死杉がバッドリの手を引いて検査室内に引き入れた。


【血液検査】


「えー……じゃあ、一人ずつ注射器で血液を取っていくんですが……」

 看護師が殺戮刑事を見回して言った。

「その、二人ぐらい……抜くんじゃなくて、入れてません?」

 看護師は恍惚の表情を浮かべたバッドリと断罪、その注射跡と顔を何度も見比べざるを得なかった。どう考えても違う用途での注射器の使用が既に行われている。


「アホとバカなのでそのまま血液を抜いてしまって大丈夫です」

「そもそも血液を診るまでもなく、っていう感じですからねェ」

「まあ、見るからに不健康であることは確定していますが」

 看護師の中に言いたい言葉が山ほどあったが、それを呑み込んで機械のように血液の採取を行うことにした。


 血液検査用の注射器で手際よく四人の血を吸い上げていく。

 看護師は目の前の四人に赤い血は流れていることに、少々の安堵と困惑を覚えたが、その感情は顔に出さないように努めた。


「そう言えば、バッドリさんは尿検査は行われないんでしたっけ」

 抜き終わった血液を検査器にかけながら、看護師がそう口にする。

「まあ、やったらそれどころじゃなくなるからね」

 バッドリがようやく、現実に視線を合わせて答えた。

「血液検査を行ったら同じだと思うのですが」

「……じゃあ、来年からは血液検査もやめとかないといけないね」

「薬をやめろよ」


【胸部X線検査】


「ま、機械に胸を押し当てて頂いて、それでX線を撮るんですが……」

 一般撮影室に入った殺死杉を見て、診療放射線技師が困惑したように言った。

「ついでに腕も撮っておきます?」

「いえ、大丈夫です。折れてるってわかってますから」


【心電図検査】


「……あの」

 電極を身体に貼り付けて、仰向けになっている武田に対し看護師の声が震えていた。

「なんですか?」

「心電図が故障しているのかもしれなくてですね、その……反応が全く無いんですよ」

 心電図に記録されるべき波のような心臓の動きは全く無く、ただ凪いだ海のように、まんじりとも動かない線が引かれ続けていた。

 死人の心臓の動きを見ているというのならば、これで構わないが、どう見ても目の前の男は生きている。顔の肌艶も年齢にしては良く、健康そのものにしか見えない。心臓がどう考えても止まっているようにしか見えないことを除けば。


「ああ、すみません……」

 武田の言葉と共に、鼓動のリズムが心電図に反映され始めた。

 本来ならばそんなことはありえないのだが、今の武田の様子を見るにうっかり動かすのを止めていた心臓を動かし始めた――そのようにしか見えない。


「これでいい?」

「それが出来る人に健康診断をする意味ってあります?」

「いや、あると思うよ。今回心電図検査受けてなかったら、うっかり心臓を動かすのを忘れたまんまでいたしさ」

「……多分、無いですね」


【続・胸部X線検査】


「あの、すみません」

 X線撮影を控えて着物を脱ぎ、よく鍛え上げられた上半身を晒した断罪を見て、診療放射線技師が困惑したように言った。


「何だ?」

 その腹部には何重もの包帯が謎の呪文と共に巻かれており、包帯は血を吸って赤黒く染まっていた。そもそも必要な治療がされているように思えない。


「その怪我はもう撮るまでもないんですよ、入院です」


【視力検査】


「虹色の右!」

 看護師の指し示したランドルト環の開いた方向を見て、バッドリが元気よく答える。

「上にお花畑!」「下方向の蝶々!」「斜め右下に口を広げる怪物!」「黄金の右!」「二つの左、いや……左が三つ!」

 ランドルト環の方向は全て合っている。

 だが、ランドルト環に余計な装飾も色も無い。黒色の素朴なランドルト環である。


「合ってますか?」

「合ってるんですけど、ちょっと余計なものが見えすぎてますね。薬やめましょうか」

「アハハ、薬やめたら現実なんて見れないですよ!」


【続・待合】


 一通りの検査を終え、殺戮刑事の三人は廊下の椅子に腰掛けていた。残すところは医師による問診だけである。

 正式な検査結果を出す以前の問題として目に見えて異常があるが、しかしそれが健康でないことを意味しないのである。ただひたすらに性質が悪い男たちであった。


「聴力検査よォ、俺が殺した奴の声がめっちゃ聞こえんだよな。部屋が静かだから」

「僕も聞こえましたよ、なんか、こっちにおいで~みたいな声が」

「バッドリ、オメェのそれは普通に幻聴だろ」

「っていうか、断罪さんはどうしたんですかねェ……?」

「そりゃまぁ、入院だろ」

「まァ、入院ですよねェーッ!」

「人を殺したい気持ちはわかるけど、あの怪我は普通に駄目だよねぇ……」

 健康診断が功を奏した――と言えるのだろうか。

 病院を拒否し、最低限の治療で殺戮刑事としての活動を続けていた断罪はとうとう病院送りとなってしまったが、そもそもが目に見える負傷であった。

 あるいは、入院を拒否しようとする殺戮刑事を無理やり病院に送り込む仕組みこそが健康診断であるのかもしれない。


「っていうかオメェも、腕折れてんだから入院しとけよ」

「断罪さんの腹は一つしかありませんが、私の腕は二本ありますからねェーッ!一本折れても問題はないんですよォーッ!」

「右腕は別に左腕のスペアみてぇなシステムじゃねぇから、左腕は左腕として大切にしてやれよ」

 そのように言う武田の右腕の先、指のつき方がおかしい。武田から見て右から小指、薬指、中指……と左手と同じ指のつき方をしている。生まれつきがそうであるのか、あるいは失った右腕に新たに左腕をつけ直したのか、武田の両方の腕が左腕であるように見える。


「アナタじゃないですかねェ?片方の腕をスペア扱いしてるのは」

「そこじゃねぇよ、左腕を右腕にしてるとこに突っ込めよォ」

 武田がそう言って右手をぶらぶらと振る。今の話題はそれで終わり、会話の口火を再び切ったのはやはり武田だった。


「ギットギトのラーメンが食いてぇなァ~!健康診断の後のラーメンが一番ウメェからさァ!」

「良いねぇラーメン、何か引っ掛かったら食べられないだろうけど」

「バッドリくんの場合は健康の問題というか法律の問題で引っかかって臭い飯食わされそうですがねェ」

「っていうか殺死杉、お前はどうなんだよ。腹は出てないけど、血圧とか脂質とか引っ掛かったりすんじゃねぇのか?」

「まぁ気をつけたいものですが……そもそも、この仕事でそういう数字を気にする馬鹿らしさを感じなくもないんですよねェ」

「まぁ、死ぬとしたら他殺だろうからね僕ら」

「馬鹿だな、お前ら……殺戮刑事が相手殺して生き残るのは前提だよ。そういう、世間一般が気にするような数字をお前らもちゃんと気にして、健康に人殺してこそ一流だろうが」

「武田さんに……」

「言われてもねェーッ!」

「はァ!?今先輩がすっげぇいいこと言ってんのによォ?」

 ネクロマンサー武田皆殺信玄、自分の肉体のそのような数字が一切の意味を成さない男がそう言って怒る。


「武田さん、武田皆殺信玄さん、お入りください」

 その時、問診室から呼びかけがあった。

「うし、じゃあ……ちょっくら行ってくっか!」


【診断結果】


――武田さん、内蔵腐ってるんで入院してください。


「武田!人にアレだけ言っておいて貴様も入院か!ざまぁないな!」

 武田の隣のベッドで断罪が嗜虐的な笑みを浮かべる。

「るっせー!俺のは仕様だよ!周りのやつにも言ってやれ!」


――殺死杉さん、腕もそうなんですが、風邪で体力が落ちた時に色々駄目になってます。入院。

――バッドリさん、もう言うのも馬鹿らしいんですけど入院。薬抜いてください。


――健康診断なんてね、自分では気付かないような健康不安が見つかるものですがね。貴方達みたいな人間が自分で気づいてるレベルのダメージは今後気をつけるとかじゃなくて、今対処しないといけないやつなんですよ。


――っていうか診断以前に病院に来い。


【終わり】

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