あけ陽どん

雁鉄岩夫

あけ陽どん

寒さが体に染み渡る真冬の夜。真っ暗闇の林に覆われた小さな駅の前にあるレールに頭を乗せて仰向けになり、もう一本のレールが膝の裏に当たった、着ている喪服のスカート越しに鈍い冷たさが伝わってきた。次第に線路からは微かなゴゴゴゴと言う音と共に小刻みな振動を体に感じた。


 その音と振動は時間が経つにつれ大きくなっていき、レールの先の暗闇から列車の光が近づいてくる。

 

 私は星の綺麗な空を見つめて、目を瞑り列車が近づいてくるのを感じながらその場に留まる。次の瞬間耳元で車輪がレールに当たる音が聞こえたと同時に私の頭と、膝は列車の車輪に踏み潰された。敷石に砕けた骨や肉、脳味噌が飛び散った。


私はプラットホームからぼんやりと光る二本のレールを見て、自分が列車に轢かれる想像をする。そしてボソリと「気持ちわる」と自分に言い聞かすように呟いた。


 九州が東京より南にあると言っても、夜は東京と同じくらいに寒く感じた。紺色のダッフルコートを着ていても、早朝の列車を待つ私から体温を奪っていった。



***



新年だと言うのに勤めているスーパーが一月一日に初売りをするのと、ここ数日の憂鬱で私はいつもより虫のいどころが悪かった。しかしそんな忙しい日に限って、スマホのアラームをつけ忘れ、同棲している年下の彼は私よりも早く起きて、お弁当を作ってくれていたのに、遅刻ギリギリになるまで起こしてくれなかった。


恨み節のように文句を言いながら、急いで身支度をしていると彼は悪びれもせず「だって最近忙しそうだったから休んでほしくって」と言った。


彼はそういう人だった。


化粧もしないで着替え、急いで家を出ようとすると、彼が弁当を持って玄関まで来る。


「忘れ物」と言う彼の顔は、さっきまで文句を言われていたことなんて微塵も感じさせ笑顔だったので私はバツが悪く、小さな声で「ありがと」と言って彼の顔から目を背けて足早に玄関を後にした。


 外はおととい降った雪が昨日までに中途半端に溶け、それが夜の冷え込みで再び路面を氷漬けにしていた。


 なんとか遅刻せず出社していつも通り仕事をした後の1時過ぎ、遅めの昼休みに携帯電話に着信音が鳴った。


 画面には知らない電話番号が表示されていた。


 携帯電話の着信音が暫くした後とまり、電話番号を調べると、家の近くの警察署だったので直ぐに掛けなおした。その連絡は彼が交通事故に遭って死んだ知らせだった。





***




 ガタンガタンと小さな音で列車の走行音が聞こえてきて、線路の先の暗闇に小さな光が現れた。その光と音は次第に大きくなっていき、ススでくすんだクリーム色の車体が姿を現した。


 列車はホームにゆっくりと滑り込み、私の目の前に扉が来ると二両編成の車両はゆっくりと止まった。


 扉が開くと車内の暖かい空気が冷え切った私の体に当たり、誘われるように車内に入る。車内にはボックス席に高齢のお婆さんが一人、風呂敷に包まれた大きな四角い荷物の横に座っていた。


 私は人と話したくはなかったが、人の気配を感じていたかったので、お婆さんがすわるボックス席の通路を挟んだ反対側の席に座り、持っていた旅行バックを横に置き列車は再び動き出した。


 ディーゼルエンジンの忙しない振動と音、それと座席のヒーターの暖かさを感じながら、まだ真っ暗の外を見ると、そこには疲れ切って目の下にクマができたひどい自分の顔が映った。


 そんな状態なのに私は自分の顔をマジマジと見るのが久しぶりで、よく見ると目元は腫れあがっても赤くなってもいなかった。それを見て、この三日間私は一回も泣いていない事を思い出した。



***




 小学生の頃、夏休みに見た『タッチ』の中で、病院の霊安室で上杉達也と浅倉南が上杉和也の遺体を見た時の様に、彼の遺体は大きな傷や怪我が無く綺麗な顔をしていた。


凍った道路でスリップをしたトラックが玉突き事故を起こし、最後に玉突かれた車が歩道を歩いた彼に衝突したと聞かされた。車四台が絡む大事故だったのに、怪我や亡くなったのは彼一人を除いて誰もいなかった。


彼はその時コンビニへ向かっていたらしく、手には財布と携帯電話、それと税金の支払い票を持っていた。


別に悲しくないわけではなかったが、それでも彼の遺体を故郷まで運ぶ手配をこちらでしたり、持っていなかった喪服を買ったり、彼の地元へ行ってお葬式の準備を、仕事をするように淡々とこなした。


その時の私には何かをやっている事が重要だった。




***




 暫くの間ディーゼルエンジンの振動と音を感じながら列車に乗っていて、窓の外で遠くの空が白け初め、列車が海沿いを走っていることに気付いた。


水平線の奥が次第に明るくなっていき、霞がかった赤黒い空は灰色のグラデーションをえがき闇夜に色を染めていった。


その光景に、彼が生きていた時、話していた事を思い出した。




***




 朝晩が冷え込み始めた秋のある日、朝起きると食卓の上に和風の朝食と中身が詰められたアルマイトの弁当箱が置いてあった。


弁当箱は半分に区切られていて、片方は昨日の残りで、もう片方には白米が詰められていて真ん中に赤い梅干しがちょこんと置いてあった。


「日の丸だ」とシンクで洗い物をする彼に話しかける。


「良いだろ、たまには。俺好きなんだよ」と言うと蛇口を閉め手を拭くとアルマイトの蓋を弁当箱に乗っけた。


「梅干しが?」


「違う違う、日の丸って言うか太陽かな」


「太陽?」


「俺の地元って田舎だから朝早く出ないと学校に間に合わなくてさ、冬とかまだ暗いうちに電車に乗って海沿いを走ると日の出が見えるんだよ」と言って彼は少し笑いながら私を見て「燃ゆいよな、あけ陽どん」と言った。


「何それ?」


「地元の方言。燃えるような赤い朝日って意味」


「全然意味わかんなかった。地元だとそう言う話し方になるの?」


「いや全然、俺等ぐらいだと殆ど標準語。昔テレビの宣伝で流れてた曲の歌詞で何となく覚えてて」


「へー、いいね」


「今度さ結婚の挨拶で来るんだし、その時見に行かない?」と彼が言ったので冗談めかして「でも朝早いんでしょ、やだな〜」返すと彼はすごく笑ってくれた。


「行こうよ、ね。人の血みたいに真っ赤なんだ」と言いながら彼は後ろから抱きつき私の肩に顎を乗せた。


「梅干しじゃなくって?」


「これも曲の歌詞なの。俺はいつも梅干しみたいだって思ってた」


「君、食い意地張ってるねー」と言いながら私は彼の手の甲を包み込むように触れた。




***




 夜の端から漏れ出た光は空を覆い尽くし、霞がかった海上を柔らかく包み込むと辺りから影を消し去った。次第に水平線の向こうから太陽の端が現れ、それはみるみるうちに大きくなり、赤黒かった空は柔らかな朱色になった。


「燃ゆいよな、あけ陽どん」と隣の席から声がして、振り向くと座っていたお婆さんが手をあわせて太陽に向かって拝んでいた。


太陽が水平線からすっかり登りきると、空には澄み渡るような青空が現れ、太陽は夜の暗闇を焼き尽くすかのように白く輝いていた。


いつの間にか私の目元から涙の粒が流れ出し、頬を伝って顎からスカートに落ちた。


 次の日の朝私は頭痛と腹痛で目が覚めた。ベランダから見える空は雲ひとつない晴天だった。



終わり







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あけ陽どん 雁鉄岩夫 @gantetsuiwao

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