高校演劇のはじめかた

雷鳥

《幕前》

本番前

真っ赤な狭い席に押し込まれるのが嫌になって、薄暗くなってから飛び出した。


ぼくより大きくて重たい扉を二枚も開けて、秘密基地みたいな入り口をみつけた。“関係者以外立ち入り禁止”。その扉は思ったより軽くて簡単に空いてしまった。


薄暗くて、ひとつだけ輝いている場所があった。


舞台袖のざわめきが収まって、5人の男子が横一列に並んだ。体格も髪型も履いている靴も違う。顔に浮かぶ表情ですら。

けれど、同じものがふたつある。

一番小柄な男子が、大きく息を吸って叫んだ。


「〇〇高校です、よろしくお願いします!」


「「よろしくお願いします!!」」



揃いの黒のパーカーの背中には、『演劇部』の文字。



夏。外気温は30度超え。されど、それよりも暑苦しくむさ苦しく過酷な場所がそこにあった。



「上手に必要なものから持ってけ!」「安全第一!」「「安全第一!」」「ちゃぶ台誰か一緒に持ってくれ全然動かん」「上手パネル並び終わったぞ、倒します」「了解周囲見てからな」「装置出し終わり!」「袖幕お願いしますーー!」「下手から下げんぞ!」

「綱元です、三袖から順に下ろします〜」

「音響行きますー」「いってらっしゃいーー」「照明抜けます、スポット位置よろしく」「承り!」「バミリここで本当に合ってるの!?」「リハで5回確認した間違いない!!」「走るな!けど走ってるのと同じくらい急げ」「蹴込とナグリ持ってきてー」「足元にもう置いた!」「流石や...」


火の用心と歌舞伎文字で大きく書かれた緞帳の裏。目線をあげれば煌々と光を放つスポットライト。籠る熱気。




嘘のような、本当(虚構)の場所。



知らない言葉がたくさん飛び交って、みるみるうちに世界が出来ていた。見る場所がいっぱい。どこを見ても楽しくて、ドキドキして、面白い。ずっと見ていたい。すごい...!



夢中になっていると、お兄さんにふと声を掛けられた。....怒られちゃうかな。


「どこから入って来たの?」

「...あそこ」

「そっかそっか。危ないからここおいで」


そのお兄さんは怒らないで、ぼくを膝の上に置いてくれた。


「これなあに?」

「演劇。」







「残り8分!」



「ウオアア間に合わねえ」「間に合わせるんだよ!」「おうひょうとっへ(養生取って)」

「インカム付ける?」「頼んだ、」「あぁ釘苦え...」「そら鉄だからね」「くらぁい!懐中電灯...」「ほい」「ナイススマホ」


ガンガンと釘を打つ音が響いた。

それに混じって、緞帳の奥から客席の高揚が伝わってくる。


「......上手パネル、下手ちゃぶ台平台今週のびっくりドッキリメカにバスケットボール...全部あるな」

「やっぱり胡乱だよ今からでも無くした方がいい」

「馬鹿野郎それ抜いたら五時間が消し飛ぶんだよ」

「またバカに時間を掛けてる」


汗を拭ってウェストポーチを舞台上に置く。それすら小物の一つ。

パーカーのチャックを下げて、脱ぎ腰に巻けば赤々としたツナギ姿。つんつんした明るい髪にぱっちりとした吊り目。中学生位の少年を思わせる顔立ち。


ため息をついて、腕まくりをする男子。雑にまとめられた黒髪。うんざりとした顔に汗が浮かぶ。くるぶしを見せる形でジャージの裾を捲り、足首にはミサンガ。一息ついて切り替えた。


「間に合ったねえ。めちゃくちゃだよこんなの」「...よくこの人数でやろうと思ったなあ」

「仕方ないだろ。やりたかったんだからよ」

「暴君」

「部長と呼べ。もしくは舞台監督」

「はいはい、マイクチェックね」

ちょうど少年の頭ひとつ上の背丈。パーカーの中には薄水色のカットシャツ。足元は革靴。

柔らかい笑みを浮かべて、仕方無さそうに笑う。少年が耳にイヤホンを挿した瞬間、ノイズが走った。



「.....終わった!?本当に大丈夫か!?」

「喚くな耳がキンキンする!」

「終わったよ、スポットの位置も確認済み。」

「...良かったあ...照明も準備万端、いつでも行ける」

「よしよし、初っ端のSSからの暗転間違えんなよ?」

「リハで芯間違えた部長に言われたかないです」

「やめろサスケその技は俺に効く」


舞台最後方。客席を見渡せる位置の奥にガラス張りの部屋がある。照明室。部屋前方を埋めるように配置された120本三列のフェーダー。照明卓が備えられた特別な場所。


部屋の椅子に座った男子がにやにやと笑う。タオルで汗を拭きながら、細いアルミ縁の眼鏡を押し上げた。パーカーから覗くのは白いハイネック。そばには会館の男性スタッフが穏やかな顔をして見守っていた。



遮るようにして、無感情な冷たい声が耳に届いた。


「いつまで話してるの。本番6分前」


「あっごめんなさい....」「すんません」「悪い!」


「サンプラー設置終わり。音量も調整終わり。スピーカーの位置も自分で確認したから平気。.....吊りスピーカーの雨音、タイミングさ」

「“降り出した雨は痛かった”の“た”で頼む」

「むちゃくちゃ言うなあ...了解部長」


黒い業務用ヘッドホン。前髪を長く伸ばし、丸く切られた黒髪の奥の目は艶やか。白く細い指がサンプラーの1に掛かる。


「音響も照明も完璧。あとは...」

部長と呼ばれた少年がインカムを外し、下手袖に叫ぶ。

「センセイ〜!緞帳頼んだぜ!」


「あんまり大きい声を出すな....!向こうはお客さんでいっぱいなんだぞ....!」

「大丈夫大丈夫、聞こえてないって」

「お前声でけえんだから気を使えってああもう....」


舞台機構の操作板の前で立っているのは無情髭のやつれた男。三十代ほどか。首から学校名が書かれたネームカードを下げ、腕には“舞台班”の腕章。




少年が言い返そうとすると、

ブザーが鳴り響く。客席のざわめきが消える。着席を促すアナウンスが読み上げられ、客席の二重ドアが閉じられた。





「ぼく、ここにいていいの?」

「いいとも。舞台袖は特等席だからね」

「そで?」洋服を引っ張る。

「...違う違う。舞台の脇。世界を作る準備をする場所。」笑いながら話す。

「はじまるよ。きっと夢中になる」




「....本番3分前」

インカムから静かに声が響く。

それと同時に、空気が静まり返る。


センセイと呼ばれた男が、口を開く。


「...俺から言えることはこれだけ、いいか、」


笑う。


「ぶちかましてこい」


「「応ッッ!!」」


板付き。脚本の1ページ目の配置に役者が付く。舞台の上に立てば、高校生もひとつの役を演じる演者へと変わる。


たった3年だけの、鮮やかで儚い生き物。


「...緊張してる?」

「そりゃな」

「吐きそう」

「本水厳禁」

「けど、」

手を引いて、4人で肩を組んで。

「全員でやれる舞台だ、怖いもんは何もねえ」

「そーだろ?」


大きく息を吐いて、吸い込む。心臓の音と、息の音だけが空間を満たした。


「やろう」



開演。ブザーが鳴り終わった。

照明が落ち、真っ暗な中。

静かに緞帳が上がる。


騒がしく、泥臭く、むさ苦しく。全力で。

光が漏れ、顔を照らした。





『さあ、』

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