まだ言えない、君への気持ち
立川マナ
前編
春の穏やかな日差しは、段々と照りつけるようなそれへと変わりつつあった。
爽やかだった風は熱を帯び、夏の訪れを感じ始めていた頃――。
グラウンドの隅にあるテニスコートには、パコーンと球の弾かれる音と、わいわいと楽しげに話す女子テニス部の声が木霊していた。
その端で、私は休憩するふりして立っていた。こっそりと、背にしたネットの向こう――グラウンドで溌剌とした掛け声を響かせる野球部を肩越しに覗き見ながら。
「お、違うユニフォームがいる。野球部、今日は練習試合?」
その声にハッとして顔を前に向き直すと、
「もうすぐ全中予選だもんね〜。野球部も気合い入ってるね」
テニスのラケットを手にのらりくらりと歩み寄ってくる彼女は、同じテニス部の三年、中野
「相手、どこ中?」
私の隣に並ぶと、翠はネットに手をかけ、目を細めてグラウンドを見遣る。
私もグラウンドへと視線を戻し、
「
ぽつりと答えると、「ええ!?」と翠は眼を見開き、ははっと面白がるように笑い出した。
「茂根一!? いきなり……!?」
「うん。そう……いきなり」
『いきなり』。ウチの生徒なら皆、そう言わずにはいられないだろう所以があった――。
うちの中学と茂根一の野球部は、昔から因縁のある……いわゆる、ライバルというやつで。
もともとは、うちの中学が全国大会でもベスト4の常連で、昔から強豪としてその名を轟かしていた……らしいのだが。あるときから隣町にある茂根一中が頭角を現し、うちと熾烈な試合を繰り広げるように。そのせいで、今や、組み合わせ次第では、早々と茂根一中と当たって地区予選敗退なんてことも……。
ウチの野球部にとって、強敵にして天敵。毎年、皆、一丸となって『打倒茂根一!』を合言葉に闘志を燃やしているのだ。
無論、今年も……。
私のクラスには特別、野球部員が多くて、主将の川端くんやピッチャーの赤井くんもいるから、その気合の入りようはよーく見知っている。
だからこそ、気が重いというか、複雑というか……。
「ところで……
にんまりと怪しく笑む顔が目に浮かぶような……含みを持たせた口ぶりで翠が言うのが聞こえた。
ぎくりとして、「え、なにが!?」と振り返ると、
「白々しいなぁ。バレバレだから。ずーっと野球部見てたでしょう。前々から、野球のこと妙に詳しいなあ、て思ってたんだよね」
「え……や……それは……」
「誰なの!?」確信を持って言って、ぐいっと翠が詰め寄ってくる。「やっぱり、川端くん!? 一年のときからずっと同じクラスだもんね!? 結構、仲良さそうな感じだし」
「ええ!? な……なに言ってるの?」
「川端くんじゃない……? じゃあ、赤井くん!?」
「どっちも違……って、もう、そんなんじゃないから!」
わあ、と夢中で声を荒らげ、私はくるりと回れ右。
かあっと顔が熱くなるのを感じながら、「どこ行くの?」という声に、「ちょっと……トイレ!」と嘘吐いて私はその場から逃げるように駆け出した。
* * *
急に駆けたからなのか、はたまた……。
胸の奥でドキドキと高鳴る鼓動は痛いくらいで。昇降口に駆け込むや、私は息を整えながら、胸元を押さえて一人佇んでいた。
グラウンドをぐるりと回るようにして校舎へと向かっているとき、はっきりと聞こえた気がした――。
響き渡る野太いかけ声の中、ひときわ、爽やかなその声。
聞き慣れたようで、まだ新鮮な……芯の通った低い声。
「紗凪――」
そう、まさにそんな感じな……てクスリと笑いかけ、すぐにハッとする。
ぎょっとして弾かれたように振り返れば、
「よ。久しぶり」
ざっとスパイクを鳴らして、昇降口に入ってくる人影があった。
私をあっという間に覆い隠してしまう背丈に、がっしりとした体躯。真っ白なユニフォームは、その小麦色の肌によく映えて、逞しいその胸元には『茂根一』の文字が。
たちまち、全身が燃えるように熱くなって、
「
「いやあ……紗凪が校舎に走っていくの見かけたから」
野球帽のツバの下、カラッと浮かぶ笑みは太陽みたいに眩くて、くらりと目眩さえ覚えた。
身体はすっかり逞しくなって、幼い頃の名残なんてどこも無いのに。その笑顔だけは、まだ無邪気さが残っている感じがして……なんとも言えない懐かしさに胸がくすぐられる。
また、背、伸びたかな――。
本当に……久しぶりだ。こうして顔を合わせて話すの、いつぶりだろう。いろいろと話したいことはある……けど。
「見かけたから、て来ちゃダメだよ」と緩みそうな口許を引き締めて言う。「試合、もう始まるんじゃ……」
「まだウォーミングアップ中。試合中に気が散るよりは今行って来い、て筧にも言われてさ」
「カケイ、て……キャプテンの人、だっけ」
「そう。紗凪のこと――」
言いかけ、なぜか葉くんはハッと口を噤んで、気恥ずかしそうに視線を逸らした。
「その……知り合いがいる、て話してるから」
「そう……なんだ」
そっか。私のこと、葉くんはチームの人に話してるんだ。
嬉しい――けど、大丈夫なのかな、てやっぱり心配になっちゃう。
私が気にしすぎてるだけ?
でも、どうしても不安になる。
こうして、葉くんと会っていても――本当は思いっきりはしゃぎたいくらいなのに――身が強張る。周りが気になって仕方ない。今、誰かが来たらどうしよう、てソワソワとしてしまって……。
「せめて挨拶だけでも、て思ったんだけど……ごめん、厭だった?」
ふいに、ぎこちなくそう訊ねられ、ハッとする。
キャップのツバの影の中、私を見つめるその眼は真摯でまっすぐで。きゅうって切ないほどに胸が締め付けられる。咄嗟に俯き、「そんな……厭ってわけじゃ……」ともごもごと口にしていた。
そう――厭じゃ無い。厭……どころか。
私だって……とつい、口走りそうになる。
私だって、葉くんのところに駆けつけたかった。
練習試合でうちに来る、て聞いたときから、楽しみにしてた。今日はずっと部活に身が入らなくて、いつ葉くんが現れるのか、てグラウンドのほうばかり見ていた。
同じ病院で、同じ日に生まれた私たち。母親同士が同じ病室になって、出産の苦楽を共にし、固い絆で結ばれたらしく……生まれたときから、私たちはまるで兄妹みたいに育った。
小学校も別々だったけど、母親同士は相変わらず仲良くて、しょっちゅうお互いの家でお茶会してたから、私たちもそのたびに遊んでいた。
ずっと仲良しだった……けど、中学に入る頃になると、さすがにもうお茶会に着いて行くことも無くなって、葉くんとは会うことも無くなった。
それが偶然、出くわすことになったのが中一の冬。ぞろぞろとグラウンドに現れた一団の中に、彼の姿を見つけた。
そのとき、初めて知ったんだ。葉くんが、茂根一の野球部に入ったこと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます