3.もしかして好きなんですか

―瑠維―

休憩から戻り、病棟業務に戻る。外来は午前中のみだ。

エレベーターで6階まで上がる。循環器科と呼吸器科病棟のナースステーション内にあるノートパソコン前に、見慣れた後ろ姿を見つけた。

「お疲れ様です、世良先生。」

「ん。」

ろくにこちらを見もせずに頷くだけの返事をし、ひたすら受け持ち患者のカルテを打ち込み続ける。傍には、いつも飲んでるメーカーの缶コーヒーが置かれている。

「先生、お昼ちゃんと食べました?」

「さっき食べた。」

「言っておきますが、栄養ゼリーは食事じゃありませんよ。」

朝見た冷蔵庫の中身を思い浮かべて言うと、当たりだったのか世良先生の口元に苦い笑みが浮かんだ。

「厳しいなぁ、片倉。」

「何か買って来ましょうか?」

提案すると、軽く手を振って「いい。」と一言。

実際忙しそうだったので、僕も自分の業務に戻った。その後も世良先生は、しばらくステーション内でカルテを打っていたけれど気付くといなくなっていた。


夕方、夜勤の人へ申し送りを済ませたら今日の業務は終了だった。

夜ごはん何食べよう、と思いながらバックヤードを歩いていると、栄養ゼリーのパウチをくわえた世良先生に出くわした。

「お、今帰り?」

「お疲れ様です。…って先生、またそれ!」

思わず指をさしてしまう。

「何だよ。」

「お昼もゼリー食べたんですよね?!」

「ん?そんな事言ったっけ。」

飄々と受け流す世良先生に、ため息が出る。

「もう。一食ぐらいきちんと食べてください。」

世良先生は何か考えるような素振りを見せたかと思うと、パウチの蓋を閉めた。

「片倉、もう帰るんだよな。」

「え、はい。」

「なら、今から飯付き合えよ。」

「はいっ?」

「着替えてくるから裏口で待ってろ。」

そう言うと、僕の返事も待たず世良先生は白衣を翻してバックヤードを出て行った。


***

言われた通り裏口で待っていると、私服に着替えた世良先生がスマホと車のキーだけ持って現れた。

「よし、行くか。」

「先生、仕事終わったんですか?」

「んー?ちょっとくらい休憩したって良いだろ。」

「え、ほんとに出てきて大丈夫なんですか?!」

「置いてくぞー。」

さっさと歩いて行ってしまう世良先生の背中を慌てて追いかける。

メーカーの名前がすぐに思い出せないような、見たことのないロゴの外車に乗せられ、連れて行かれたのは繁華街の外れにある静かな創作料理の店だった。

「…って、ここお酒飲むような店ですよね?」

和風の佇まいの個室に通されメニューを広げると、ページいっぱいに高級そうな銘柄のお酒が並んでいる。

「あれ、片倉って未成年だったっけ?」

おしぼりで手を拭きながら聞いてくる世良先生に反論する。

「とっくに成人してます!」

「そうか。」

「じゃなくて、先生まだ仕事戻るんですよね?」

「ていうか飲んだら俺、飲酒運転で捕まるよな。」

「あ!」

「別に酒飲むつもりでここ連れて来たわけじゃないから。ご飯が美味しいんだよ。」

笑いながらメニューのページをめくる。確かに美味しそうなご飯がたくさん載っているけど。

「先生って、ちゃんとご飯屋さんとか知ってたんですね。」

「お前は俺を何だと思ってるんだ。」

「コーヒーとタバコと栄養ゼリーで出来てると思ってました。」

「あんま間違っちゃいないな。」

「ほら!やっぱり…」

「早く決めろよー、注文するぞー。」

急かされ、慌てて注文するものを決める。

やってきた店員さんに注文を伝え、個室の戸が閉められると急に部屋の中がしん、とした。

何か話題、と思っていると、「ここ静かで良いだろ」と先に世良先生が話しかけてきた。

「よく来るんですか。」

「たまにね。」

「ずっと病院から出ていないんだとばかり。」

「んなわけないだろ。どんだけ仕事好きなんだよ、俺。」

ふと気になり、聞いてみる。

「世良先生は、どうして医者になったんですか?」

―桃瀬さんが言っていた言葉が、脳裏をよぎる。

『…あんなに嫌がってたのにさ。あいつが今医者やってるの、俺のせいなのかも……』

なんだよ急に、と苦笑しながら、世良先生はいつもの調子で飄々と答える。

「そりゃあお前、人の命を救うという尊い仕事に尊敬と憧れの気持ちがあってだな…」

「え、嘘くさい。」

「ん?…まあ、それに俺長男だしなー。跡を継ぐのはしょうがないじゃん?」

「…それ、本心ですか?」

探るような聞き方をしてしまう。黒縁眼鏡の奥の目つきが、微かに鋭くなった。

「桃瀬に何か聞いたの?」

「…いえ。」

触れたらまずかったのかもしれない、と思いながら慎重に言葉を選ぶ。

「ただ、幼馴染だってことは聞きました。だから…」

「桃瀬の為に医者になったんじゃないかって?」

「…違いますか?」

コンコン、と個室の戸をノックする音が聞こえた。重くなりかけた空気を破るように、タイミングよく料理が運ばれてくる。

店員さんが出て行ったところで、世良先生が小さくため息を吐いた。

「あの、ごめんなさい。」

思わず謝ると、世良先生は驚いた様に顔を上げた。

「何が。」

「あの、余計な詮索したみたいで…すみません。」

結構真面目に謝ったのに、急に世良先生は思い切り吹き出した。

「何で笑うんですか!」

「お前がそんな神妙な顔すんの、初めて見た。」

「ひど!僕だって、悪いと思ったら謝りますよ!」

「そっか。…まあ、食べようぜ。」

促され、箸を手に取って料理を口に運ぶ。

「あ、美味しい。」

「だろ。」

見栄えよく盛られた料理に、しばらく夢中になる。半分くらい食べたところで、世良先生が口を開いた。

「片倉は、何で看護師になろうと思ったの。」

「えっと、母が看護師なんです。」

「なるほど。母ちゃんに憧れて?」

「それもありますけど、資格取って手に職付けたら将来安泰かな、と。」

「確かに。」

世良先生は箸を置くと、湯飲みを手に窓の外へ視線を向けた。木枠の丸い窓から、街灯の明かりがわずかに見える。

「…物心ついた頃には、当然のように自分も医者になるんだろうなと思ってたんだよ。」

箸を止める。どこか遠くを見つめるような世良先生の視線は、窓の方を向いたままだった。

「けどまあ、大きくなれば色々世界が広がってくるじゃん?で、反抗期も相まって、親のせいで自分の将来決められるなんて嫌だーなんつってね。俺は医者にはならない、とか言うようになってたんだけど。」

そんな時だったんだよな、と、声のトーンが小さくなる。

「桃瀬が小学校の心電図検診で引っかかって、うちの父親のところに受診に来たんだ。詳しく調べてみたら、後天性の珍しい病気でさ。完治させる治療法が無いって聞いて、俺びっくりして。」

ほっそりとした指先が、湯飲みを強く掴む。

「治らなかったらどうなるんだって、父親に詰め寄った。桃瀬は死ぬのか、って。父親は、何も答えてくれなかった。」

「…。」

「…その時に、若干11歳の若き世良少年は、医者になることを決意しましたとさ。」

最後はちょっとおどけて笑ってみせてくれた世良先生に、何と返していいか分からず黙ってしまう。

「…俺が医者になったところで、あいつに何かしてやれるかは分からない。だけど、少しでも可能性のある方に賭けたかった。」

一口お茶を飲み、湯飲みを置く。

「それだけだよ。」

「…そう、だったんですね。」

やっとの思いでそう口にすると、世良先生は苦笑して、食べないと冷めるぞ、と止まったままの僕の箸を指さした。

「…桃瀬さん、検査結果どうだったんですか?」

残った料理を食べながら聞いてみる。

「どうかな。まだ画像見れてないし、採血結果出るのも明日だろ。」

「来週、また診察来ますよね。」

「そうだな。」

ふと、昼休憩の時にみた光景を思い出した。

「僕、お昼に桃瀬さん見たんですけど。」

「お昼?」

「休憩の時、外出たんで。そしたら、どこかの社長サンみたいな男の人に、車に乗せられてて…」

再び、世良先生の顔つきが険しくなる。

「それ、無理やりじゃないよな。」

「え?うーん…でも、知り合いみたいな感じでしたけど。」

「そう…。」

世良先生は箸を置くと、ポケットからタバコを出した。

「あ、吸っていい?」

僕の視線に気づいたのか、気まずそうな顔をする世良先生を、じとっとした目で見る。

「飲食店て、禁煙じゃないですか。」

「ここは良いんだよ。」

「はあ…なら良いですけど。」

僕がそう言うやいなや、さっさと火をつけて一服吸い込む。

「…先生、医者の不養生って言葉知ってますか?」

「ん?ちゃんと飯は食っただろ。」

「そうじゃなく。ほんとに、体に悪い事ばっかり…」

「何だよ心配してくれてんの?優しいなあ、片倉。」

「…そうやっていつも、女の子口説いてるんですね。」

「してないって。女の子はめんどくさいからなー。」

意外な返答にびっくりする。

「先生、もてるでしょ。知ってますよ僕。」

「もてるよなあ、そりゃ。大病院の跡取り息子で、医者で、イケメンで。」

「自分で言います?」

「だからこそ、めんどくさい。言い寄って来る女の子、大体下心が透けて見えるから。」

「…へえ。」

どう反応したらいいか分からず、残った料理を口に運ぶ。

世良先生はタバコを手に挟んだまま、独り言のように呟いた。

「…結局続いてんだな。別れたって言ったくせに。」

「え?」

「あ、何にも。」

世良先生は誤魔化すように、タバコを口にくわえる。

けど、聞こえた内容が気になってしまって突っ込まざるを得ない。

「別れたって、誰と誰がですか?」

「さあ、誰かな。」

「先生っ。」

「…だから。」

はあ、と吐き出された息に白いものが混じる。

「桃瀬と。その、お前が見たっていう社長みたいな男。」

「…え?!恋人同士なんですか、あの二人!」

言われてみいれば、ただならぬ雰囲気にはそんな感じもしたような。

「何者なんですか、あの人。本当に社長さん?」

「年下だとは聞いたけど、よくは知らん。知りたくもない。」

「え、何それ。」

「はい、もうこの話は終わり。」

言いながら、吸っていたタバコを灰皿に押し付けて火を消す。

「ちょ、気になるんですけど。」

「よく知らないって言ってるだろ。」

「嘘だ、絶対知ってる。」

「知ってても、あいつの話をするのは嫌だね。」

拗ねたような表情をする世良先生を見て、急にぴんときた。

「先生、もしかして妬いてるんですか?」

「…。」

「え、ひょっとして先生、桃瀬さんのこと」

「…それ以上喋ったら、伝票ごとここに置いて帰るぞ。」

「すみませんっ。」

結構本気のトーンで怒るので、慌ててお茶を飲んで誤魔化した。

その後も気になって何度か先生の顔色を窺ったけど、さすがにそれ以上突っ込んで聞くことはできなかった。

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