堕ちた皆の希望の星


 今日の夜はやけに飛び降り自殺が多かった。それ自体は止められないので気にしないようにしているが、たまたま車の上に落下した人なんかは可哀想だなとも思う。認識出来ない物体に車を破壊されて保険が通るのかどうか…………通るか。最強の免罪符はあらゆる問題を解決してくれる。

 他人の心配は程々に、俺の近くに落ちてくるのだけはやめてほしい。糸の動きに注意していれば事前に避ける事も可能だが、糸に意識を向ける事自体が否応なしにストレスを与えてくる。自殺者にそんな気は回らないだろうが、特に飛び降り自殺なんて死体がバラバラに吹っ飛ぶのだから周りがどんな被害を被るか。一部を除いて認識される事のない凶器が定期的に降ってくると考えたら恐ろしいだろう。


 ―――何でこんな事になってんだか。


 善人の何が気持ち悪いって、個々人の意識にちゃんとした違いはある事だ。宗教宜しく思想が統一かされていて、良識ばかりに沿う人間ならまだ話は軽かった。問題は良識に沿っていながら非常識な部分にまで良識をゴリ押す所。自分が善人以外にカテゴライズされるのがそんなに嫌なのか、あらゆる手段でそれは正しかったし、善い行いだったという事にしてくる。それが一番、気持ち悪い。

 『善行』という曖昧確固な基準を除けば比較的自由な思想が保たれている現状、自殺者が存在するのは不思議な話ではない。死体が手遅れなら自殺する寸前が助ける最後のチャンスともいえるが、死ねば認識されなくなる。それでは誰も問題に取り上げられない。

「でも、多すぎる」

 彼等は善人である以前に人間だ。人間は生物であり、生物には原始の時代より生存本能を持ち合わせている。この世界の九割以上が善人とて、誰もが誰も死にたがりという訳ではない。なのに気のせいだろうか、特に今日は自殺者が多い。帰り道も一苦労だ。


「―――ただいま」


 門限ギリギリ。糸の見過ぎで休憩を挟んだのと、マキナに散々構ったのが災いした。俺の帰りを認めるでもなく家族は夕食を始めており、その場の誰も俺の帰宅を認めようとしなかった。単純に気が付いていないと思われる。式宮家は俺の存在を無視すれば近所が羨むほどの仲良し家族なのだから。話題なんて幾らでも膨らませられる。


 ―――アイツが、居ない。


 牧寧が参加していないのは珍しい。というかおかしい。家族の一員だ、俺と違って軋轢もない。首を傾げつつ自室に入ろうとすると、その妹が陣取るように扉の前で正座をしていた。

「…………え」

 ほんの息漏れに耳が動く。瞑想していた牧寧が階段の方を向いて俺の姿を認めた刹那、何のやりとりも介さず、発生するまでもなく狼狽した。

「に、兄さんッ? あ、えっと。その……お、お見苦しい所をお見せしてます。でも、如何に兄さんと言えどもこの部屋には入らないで欲しいんです」

「いや、そこは俺の部屋なんだけどな。何してるんだ? 悪戯?」

「違いますッ。兄さんは私を何だと思ってるんですか? もう、そんな年じゃありません! お客様がいらっしゃって、お父さんがご案内したんです。兄さん、どうせ帰って来ないからって」

 間違っちゃいない。普段の行いを鑑みれば至極当然の結論だ。自分が信用してもらっている前提があるならまだしも、怒るに怒れない。それにしても妹は頑なで、こんな頑固だった瞬間は見た事がない。記憶が確かなら玩具を欲しがった時とか、握手会に行った時とか……それくらいか。

「…………ん?」

 どうしても視界に入る糸に、違和感があった。色が増えたとか本数が増えたとかではない。この違和感は、先程感じるべきだったものなのだろうか。階段を降りて家族団欒の景色に目を向けた。両親と那由香の三人が楽しそうに食事を摂っている。


 彼等の糸は、あやとりでもするかのようにハート形を作り出していた。


「に、兄さんッ?」

「部屋に誰が来てるッ?」

「え、え?」

「いいから答えろ!」

 妹は俺の剣幕に呑み込まれていたものの、震える声で名前を言った。



「な、波園こゆるさん………………!」













  波園こゆる。


 インターネットの記事によると小学二年生の頃にその素質を見出されて芸能界へ。天性の歌唱力と蠱惑的なカリスマ性により瞬く間にトップアイドルへと君臨。彼女が出した歌の多くは何らかの賞を受賞しており、特に最初の曲である『ティルミーラブ』は歴史に残る売り上げを記録した。また、そのスタイルは女神と称される程であり、グラビアを主戦場とするアイドルを霞ませる勢いで男のハートを鷲掴みしている。

 例によってテレビは見ないのでさほど詳しくはない。俺と同い年だったなんて知らなかったし、本当に知っているとすれば妹がファンな事くらいだ。昔はちゃん付けだったので、わざわざ敬称に言い直したという事はやはり本人が居るのか。単純に中学生にもなってちゃん付けは恥ずかしくなったという可能性もある。

「…………そう言えば、お前が髪を伸ばし始めたのもこゆるさんの影響だっけか」

 今でこそ可愛い方の妹は背中くらいまで伸びた髪をストレートに伸ばしているが、そのきっかけになったのが波園こゆるだった記憶がある。妹の様子から又聞きのような形式で情報を得ている為詳しい事は分からないが、昔の牧寧からは考えられない変化である。

「兄さん、覚えてたんですか?」

「お前の事だしな。あ、別に昔の方が良かったとかそんな野暮なことを言うつもりはないぞ。今は今で似合ってる」

「……そ、そう……ですか? い、以前も言ってくれたのは……その。嬉しいんですけど」

 敬語はともかくきちんと喋って欲しい所だ。牧寧は外見を褒められる事に慣れていないのか突然言葉がたどたどしくなって、何故かよそよそしくもなる。兄としてもどう反応していいかそれこそ分からない。

「に、兄さん的にはどの辺りが―――私に、合って……ますか?」

「清楚な感じ。お前くらい長いと髪質のきめ細やかさみたいなものもハッキリしてくるだろ。手入れが大変な分、お淑やか……いや違うな。上品な感じが出る、みたいな。見返り美人じゃないけど、やっぱ髪型一つとっても奥ゆかしさって変わるからさ」

 語彙力皆無の褒め方だったが、妹を喜ばせる事には成功したようだ。何も言ってはくれなかったが、髪の毛を擦りながら俯いている。耳を澄ませると『そんなに好きなんだ……知らなかった』と言っているのが聞こえる。

 スキンヘッドがあまり好きではないくらいの拘りしかないなんて、今更言い出せる空気ではない。泣き虫で弱虫な妹が見てくれだけでも上品になっているのは事実なので、もうそういう事にしておこう。

  悲しい事に一部分が全く真似出来ていないが、そこまで完璧に再現しようとすると手術っぽいものが必要になる。費用はどうせタダだが、妹には妹の良さがあるのでそれはそれでありだ。


「あの……兄さん。急にどうしてそんな事を? 兄さんもファンでしたか?」


「俺がテレビ見ないのは知ってるだろ。お前が好きだったから知ってるだけ…………しかし、そうか。そうなるか。はぁ……」


 『強度』の規定よりも『傷病』の規定よりもハッキリしている。多分それは、糸が視える俺だからこその特権。物理的に変化が出るこれまでとは違い、この謎の規定は糸以外のあらゆる箇所に変化がない。


 ―――規定持ちかあ。


 薄々そうではないかと思っていたが、非常に問題がある。妹の推しを殺していいものかという躊躇だ。いや、殺人はそもそも躊躇されなければいけない事だが、結々芽は俺が殺されるのを良しとしなかったマキナが殺した。

 それを責めるような真似はしない。俺だって死にたくなかったし、殺されるくらいなら殺した方がいいというのも分かる。果たしてこれが横暴だという意見については是非この世界の良識から学び直して欲しい。免罪符が通用する限り、社会上正当な手段で無力化は不可能だ。

 なので今回もマキナに殺してもらえばいいのだが、それこそまともな人間としてどうなのだろう。自分は手を汚したくないから任せようなんて卑怯だとは思わないか。アイツは俺の意図に拘らず殺してくれるだろうが……そこに頼り切るというのは何とも。

 交渉の権利は一応与えられているとはいえ、規定がどんなにか便利な力かというのは嫌という程思い知った。あれを手放させるには相当の努力か信頼が必要になる。

「えっと、俺は何処で眠ればいいんだ?」

「兄さんさえよろしいのでしたら、私の部屋を貸しますけど」

「……お前はどうするんだ? まさか寝ずの番?」

「………………えっと、兄さんが寝る部屋は私の部屋ですから、つまり兄さんさえ宜しければ一緒に眠らせて頂きたいなと」


 ……糸に変化が無いから、普通に見えるな。


 普通、なのだろう。実際。どういう規定かは判別出来ないが大方の特性を把握しておけば仮に交渉が決裂しても状況を有利に運べる。問題は、家族との仲が悪いせいで偏見が入って変化があるかどうか分からない可能性があるという事。例えば家族が俺を邪険にしていても、それはいつも通りなので分からない。

「牧寧。波園さんが来た時の状況を教えてくれないか?」

「来た時の状況……? どうしてここに来たか、ではなく?」

「そんなのどうでもいい。クラスの奴等と違って俺はファンじゃないからな。大体、理由を教えてくれたのか? 俺達と波園さんには何の接点もない。つまり理由も只事じゃないよな。俺だって人の事をとやかく言える立場じゃないんだ。家族の誰も、俺が門限を破る理由について知らないだろ?」

 それに、糸だらけの視界についても話していない。厳密には大昔に話した覚えもあるが子供の戯言と受け止められているのでノーカウント。式宮有珠希にはあまりにも隠し事が多すぎる。メサイア・システム然り、マキナ然り。この世界の裏側のような事情に足を踏み込んでいるせいだ。


「えっと、波園さんが来て……匿って欲しいって言われたんです。お父さんもお母さんも事務所の方に電話しようとしたんですけど、それをなんか……やめてほしいって。とにかく、誰にも気付かれたくないって」

「ほらな、訳ありだ。聞くだけ無駄なんだよそういうのは……しかし、そうか。分かった」

「夜食はどうなさいますか?」

「下で摂ろうもんなら家族喧嘩待ったなしだ。食べさせてくれるなら廊下かお前の部屋で済ませたいな」

 妹はざわっと髪をはためかせて隠し切れない微笑みを浮かべた。

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