袖振り合うも他生の糸
「…………ユニメ」
電気よりも、鍵を外すべきか。しかしそれは彼女に今度こそ逃げる意思を伝える事になる。無事で済むとは思わない。俺に与えられたアドバンテージは恐らくこの世で唯一の物、まだ敵視されていないという現状だ。ちっとも嬉しくないような、今は嬉しい様な。
ともかく、これは無下にして良い物ではない。使える物は余すところなく使うべきだ。俺は壁から手を離し、鍵も掛けなければ電気も点けずに自分のベッドへ。続くようにベッドの一部分が沈み込むと、背中から俺を抱きしめる柔らかい肌の感触が生まれた。
―――気は休まない。
これはあれだ。逆鯖折りだ。壁を壊せるくらいの力があるなら俺の身体をそんな風にへし折るくらい訳ない。死刑宣告の、執行猶予状態と言った所か。
「なあ、何処行ってたのか教えてくれよ」
「………………探し物」
「あの女、誰?」
「探し物してる張本人だよ。どういう関係かって言われたら……稔彦が一目ぼれした女性だ。アイツは告白しようと思ったんだけど失敗したみたいで。友人として何かフォローしてやろうかと考えた結果、恩を売ってそれをダシに手伝ってやろうって訳だな」
「嘘だね。アタシが見抜けないと思ってるんだウズは。そんなつまらない嘘吐いて」
「嘘じゃねえよ。稔彦に聞いてみろ。アイツは面食いだから惚れるに決まってるんだ」
ただし、面食いは決して貶されるばかりの悪い事ではない。全身にドブを被った見た目をしているが性格は聖人という人間を誰が好きになるというのか。物好きは『おもしろい』と思うかもしれないが、まともな感性をした人間ならドブを被った見た目の人間には近寄りたくもないだろう。
「そうじゃなくてさ。ウズがそんな親切な訳ないじゃんって話よ」
「……友達にくらい、親切するっての」
「じゃあここでアタシとさっきの続きは出来るの?」
…………何も言い返せねえ。
身から出た錆とはこれか。腐っても幼馴染、俺の素行はよく見ている様だ。そこまで仲良くしていた覚えもないのだが、親切な筈がないと言われたら黙るしかない。現に俺は不親切だ。親切を拒んできた。そういうのが嫌いだったから、今まで孤立していた。
「ほーら親切なんて嘘だ。嘘に決まってんじゃん。アンタの事はアタシが一番よく分かってる。まあ、話したくないならそれでもいいぜ。そうさな、代わりに…………二度と会わないでくれよ。本当はこの家にも居てほしくないんだけど、それはもう少し待ってね。家族を殺すのはアタシだって躊躇するんだから」
「家族を殺す…………おいお前、自分の家族を殺すつもりなのか?」
「そう言ってんだろ」
「何の為に」
「アタシの考えを理解してくれそうにないから?」
何だ、その曖昧な理由は。自信もなく、何処かに尋ね返すような言い方は。或は、それがマキナの言っていた全能感という奴なのか。全身を包む腕に力が込められた。まだ異常を訴える程ではないが。自力で抜け出すのは不可能に近い。
「アタシの事を理解してくれない奴は死ねばいいんだよ。だって間違ってないんだから。そうでしょウズ」
「……まるで、お前の仲間みたいな言い方だな。俺とお前が同じだって言うのかよ」
「同じだろ? いや、アタシが同じになった。ウズはいつだって正しかったんだ。それを否定するなら、アンタは自分自身の行いも否定する事になるよ」
俺の下らないプライドを一々刺激してくれる言い方だ。そして実に効いている。ダブルスタンダードは嫌いなので、取り敢えず己のスタンスにだけは一貫性を保っておきたい。間違っていない。少なくとも俺にとってはこの世界は間違いだらけだ。
ただ、
「……いや、俺とお前は違う」
やはり俺達は違う。何処かで決定的に分かり合えない。簡単な違いで言えば、糸に繋がれているかどうか、とか。
「どう違うんだよ」
「確かに、俺達が居る世界は同じだ。でもお前は気軽に人を殺せる。俺には無理だな。たとえ犯罪者として取り締まられる事がなくても、それだけは出来ない。人間的な意味で…………!」
身体に力が込められる。痛い。痛い。苦しい。骨が軋んでいる。内臓が叫んでいる。胃液が絞られそうだ。でも決してそんな弱みは見せない。暴力で全てが解決すると思ったなら大間違いだ。
渾身の力で歯を噛み、腹筋に力を入れて、呼吸を調節して。耐える。
「…………アタシと同じになりたくないの?」
「…………っっ!」
「もう分かってるだろ? アンタじゃアタシに敵いっこない。手に入らないならいっそ、ここでアンタも殺すよ」
「………………っぐ。あ、ぐぉ……殺せよ。なら、それでもいい……痛。今、殺してくれるなら、俺は……人間として、死ねる気がするか……らぁ! 死体は…………好きにしてくれ」
「………………」
交渉をする余地なんてなかった。出来るだけ殺したくないという考えは甘かったのか。そのクソッタレの代償が己の死とは笑えない。俺は静かに目を閉じて、己の末路を受け入れた―――。
――――――?
いつまでも、身体が砕かれない。
暗闇の中で、俺はいつまでも抱きしめられていた。
「……ユニメ?」
「―――教えてよ」
気が付けば力が緩んでいる。断末魔の叫びを構えていた身体も、拍子抜けたように落ち着いてしまった。
「アンタと同じになるにはどうすりゃいいのか、教えてよ」
結々芽の声は弱弱しい。今までの暴虐が嘘みたいにか弱い。まるで普通の女の子だ。
「アンタと一緒じゃなきゃ、やだよ…………」
「―――何を言ってるのか分からない。俺がお前にとってどんな奴だってんだ」
「…………忘れててもいい。とにかく、どうすればいいの」
「どうしろって言われても…………」
自分でも状況が呑み込めないが、交渉っぽいのには成功してしまったのだろうか。全く予想してなければ失敗したと思い込んでいたのでその先をまるで考えていない。
「…………取り敢えず、下に降りろ。飯を食べなきゃ面倒な事になる」
部外者一人を交えた食事は賑やかなものだったが、賑やかしていたのは両親を筆頭に牧寧が頑張っていたくらいで、俺ともう一人の妹こと那由香は葬式も斯くやのテンションだった。互いに顔を付き合わせたのが良くなかった。でも仕方ない。これが家族団らんなのだから。
因みに葬式は葬式でも俺は相変わらず気怠そうで、那由香は不愉快そうだ。お姉ちゃんの真似をしているのか髪を伸ばしている。視界に並べてみると姉妹はそっくりで、どちらも本当に可愛らしい。間違いなく血が繋がっている美人姉妹だ。
違いを述べるなら俺に対する好感度とか、表情の差異くらいか。両親の話を聞く限りでは那由香は甘えん坊で表情豊か。牧寧は以前も言った通り泣き虫という事は決してなくて、温厚で冷静で知的で―――ああ。どうやら俺の世界は反転しているようだ。
どちらが本当の二人なのだろうか。
「ごちそうさま」
「に、兄さん。お風呂、どうしますか?」
「後にする。部屋に戻るよ」
「……そうですか」
結局、不自然に何処かへ伸びた糸は見つからなかった。いっそ本人に『部品』の事を問い質せばいいかもしれない。今なら質問しても…………いや、どうだろうか。結々芽の全能感がそこに由来しているなら地雷になっている可能性もある。一度は死を覚悟したとはいえ、やはり死ぬのは怖いし避けられるなら避けておきたい。
「―――いや、やっぱり俺が先に入るよ」
階段を上りかけていた足を止めて翻る。
「湯船には入らないでよ」
「気にしないで下さいね兄さん。ゆっくり、何時間でも浸かって構いませんから」
「……いや、気にするんだが」
「兄さんだってこの家に住んでいるんですから、当たり前の権利は保障されて然るべきです……私が認めています。どうぞ、お気になさらず」
「ちょっと牧寧。何を勝手な――」
「どうぞ! ―――お気になさらず」
妹の圧が強い。母親も那由香も封殺されてしまった。いつもの泣き虫でおどおどしてて逐一俺の顔色を窺っている人間とは思えない。本当に同一人物だろうか。完璧に一致した世にも珍しい双子という線は無いだろうか。
―――ないか。
俺に怯えるのは、精神的に不安定なのが明らか故。妹に非はないし、せっかくの気遣いを受けないのはそれこそ申し訳ない。
「分かった。じゃあゆっくり」
狂気に嵌っていた結々芽なら目を離すのも危険だったが今なら問題ないだろう。また頭がこんがらがってきたので、リフレッシュも兼ねて脱衣所の扉を開けると、
「やっほー! どう、有珠希。進捗は?」
なんか、キカイが居た。
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