エクス・マキナも救われたい
氷雨ユータ
Ⅰst cause カラクリの夜
メシア・シンドローム
俺達は生まれた時から善を教えられる。
俺達は生まれた時から平和を尊ぶべきと学ぶ。
「困ってる人が居たら助けなさい」
様々な道徳がある中で、それは基本的な善行だ。情けは人の為ならず、袖振り合うも他生の縁。他人に頼らねば生きていけない人間にとって他者との関係は大切にされなければいけないものであり、そこで親切をしてやればいつか良い報いとして自分に返ってくる。それは平和な国に生まれた人間の殆どが、或は積極的に教えられずとも培う全体の価値観。
「俺、告白すっから」
「……は?」
五時限目の授業中、突然そんな事を言いだした友人に、俺―――
「それ、授業無視してまで聞いてもいい事か?」
「ったりめーよ! 何たって俺の青春がかかってるんだからな!」
成程。
理由は分かったがそれは俺の成績もかかっている。黒板に視線を向け直すと耳を引っ張られた。
「話聞けよ!」
「聞くか馬鹿、成績掛かってるんだよこっちは。ってかお前も」
「あーはいはい。お前ってばほんと不親切な奴だな。もういい、もういいぜお前。じゃあせめて窓の外を見ててくれ。今から告白しに向かうから」
有言実行を美徳とする友人は、こちらに背を向けたままの先生を呼ぶように手を挙げて大袈裟に席を立った。そういう目立った行為は教師だけでなく真面目に授業を受けていた他の生徒の注目も浴びる事になる。無視する道理はあるまい。たった数秒間と言えども授業は先生が進めなければ進まない。
机に肘を突いて横を見る。
「おや、
「俺、今から運命の出会いを成就させてきます!」
「はあ。しかし授業中ですよ?」
「俺を助けると思って、どうかお願いします! 授業終わらせて下さい!」
眩しさから逃げるような大振りで目を瞑る稔彦。ここは神社ではないのに何度も何度も掌同士を叩いては擦り合わせている。先生は暫く悩んだ様子で教壇を右往左往していたが、やがてその答えを示すかのように教科書を閉じた。
「よろしい。それでは授業はここでお終いだ。君の事は先生が助けましょう」
「うえーい! 有難うございまっす! 実はもう相手は呼んであるんだ、みてろよ有珠、おま―――」
「その呼び方したら、絶交って言わなかったか?」
学校指定のネクタイを千切れんばかりに引っ張るも、稔彦は折れない。
「ぐええ……う、うるせー! お前が助けてくれないからわりーんだからな! 俺だってお前の事なんか助けてやらねーよーだ!」
「ああそうかいそうかい。そういう呼び方をするなって言っただけで助けてくれなんて一言も言ってないんですけどねえ? 友達として親切にしてるつもりだったけどもう知らん。告白でも何でもしにいけよ」
最後にもう一度ネクタイを引っ張ってから解放すると、何事もなかったように稔彦は廊下へ飛び出していった。
この世界には、善人が溢れ返ってしまった。
困ってる人が居たら親切にしなさいと教えられてきて、それが出来ない人間はおかしいと思われても仕方がないくらい、平和になってしまった。
『俺を助けると思って!』
悪人が無罪になる。
『私を助けると思って!』
借金がゼロになる。
『俺を助けると思って!』
勝手に授業を終わらせられる。
『僕を助けると思って!』
そう言われたその人は、自ら命を差し出した。
本当に、本当に優しい世界だ。誰も困ってる人を見捨てない、放っておけない。必ずその問題を解決して、好感度を上げたがる。救世主になりたがる。
本当に、本当にクソみたいな世界。
他人を助けるなんて虫唾が走る。誰かに助けてもらおうとする奴が不愉快でたまらない。何もかも予定調和に終わるこの道徳に虫唾が走って終わらない。誰かの言いなりになる皆が気持ち悪くて仕方ない。
窓を開けて校庭を眺めると、学生世界の中心でアイツが愛を叫ぼうとしていた。その前方に立つ女性は―――取り敢えずこの学校に居る人ではないと分かる。
―――関係者でもないのに敷地に入れたのかよ。
ここからでは良く見えない。俺も足早に教室を出ると、隣接した男子トイレの中に駆け込み、そこの小窓から身を乗り出した。縮まった距離は気休め程度だが、その僅かな距離が確かな視認を可能とする。何故間近で見てやろうと思ったのかは自分でも分からない。絶交したつもりが、まだ情が残っていたとでも言うのだろうか。
鮮やかな金髪の、ショートヘアー。
白いダッフルコートを着込み、黒いロングブーツを履いている。十月の冷え込みには末恐ろしい兆候もある、中々しっかりした防寒対策だ。後ろ姿だけで判別するのはどうかと自分でも思うが、稔彦は面食いなので間違いなく美人であろう。
「あ、貴方をお見かけしたのは部活の帰り道で、ほ、ほんと。綺麗で!」
「…………」
「あ、貴方の名前は何でしょうか!」
「
「ほ、本当に一目惚れしてしまって…………お、お互いの事良く知らないとオモイマスケド!」
「俺を助けると思って、付き合ってください!」
それは魔法の言葉。
誰もがそれを使いたがる。誰もが誰かの救世主になりたがる。
助けを求めた手を取るように、女性は後ろ手を組んで、言った。
「ごめんなさい。無理です」
「…………え?」
断っ…………た…………?
普段から絶対に助けに応じない俺からしても、その光景は異常というしかなかった。小学校から十年間。出会った人間の全てが順応した常識に抗う人間がもう一人。稔彦は断られたという状況に頭が追いつかず、茫然と立ち尽くすばかり。
「話は終わりですか。それでは帰ります」
「―――――――――――俺を助けると思って、付き合ってください!」
立ち去らんとする女性は振り返らず、機械的に断り続ける。
「ごめんなさい。無理です」
「俺を助けると思って、付き合ってください!」
「ごめんなさい。無理です」
「俺を助けると思って、付き合ってください!」
助けに応じてくれなかったという事実が認識出来ないかのように、稔彦は不気味に告白の台詞を繰り返す。楠絵マキナと呼ばれた女性も同じように繰り返す。
―――何が起きてるんだ。
「俺を助けると思って、付き合って下さい!」
「ごめんなさい。無理です」
「俺を助けると思って、付き合ってください!」
「ごめんなさい。無理です」
「俺を助けると思って、付き合ってください!」
「ごめんな―――」
断りの返事が続く事は無かった。誰が何をしたという事もなく女性の首が刎ねられ、役目を失った四肢が根元からスッパリと切断されたからだ。そこには球体関節人形のようにバラバラになった無惨な死体が転がるばかり。
「俺を助けると思って、付き合ってください!」
稔彦はまだ、告白を続けていた。
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