第21話

朝美がいない正月は初めてだった。修と由紀子の二人だけの正月になったしまった。由紀子はこの頃ではないが、たまには二人だけの正月を迎えたいと思ったことがあるが、今そうなると何もやることがなく、由紀子には何か空しい気がしてくる。

正月一日の朝、

「行くか」

こう言うと、修は立ち上がった。初詣に、である。近くの神社に二人で初詣に出かけることにした。去年は朝美もいたこともあり伊勢神宮に出かけていた。今年はついに二人だけになった。いない寂しさが、冬の灰色の雲に呼応したのか、雪が降って来ていた。

そう言えば・・・と由紀子はこの前神社に言ったのは何時だったのか、思い出そうとした。栃川神社は八並家の山の一つ、芝山の麓にあった。そのせいもあって前を通り過ぎることはあるが、鳥居をくぐり参道の砂利道を歩いた記憶がなかった。

「どうしたんです?」

由紀子は鳥居の前に立ったまま動かないでいる修に気付いた。

修の返事はない。

由紀子は彼の視線の先に目をやった。彼女には見慣れた光景だった。うちの山のひとつで、もう一つ奥の方に大きい山があったが、人の目に付き易いこともあってか、二つの山が前後に並んだ姿は、彼女が好きな風景のひとつだった。

修の体が、がくっ、と揺れると、その後体全体が震え出した。

「あっ!」

由紀子は叫び声を上げた。もう誰の口にも上らなくなった事件のあった場所に、彼の目は引き込まれていた。寄合橋がわびしく浮き上がって見えた。

寄合橋・・・由紀子も何度も渡った。初め、修に手を握られながら渡った。その時・・・なぜか、足が震えた。おかしなことに、今も足が震える。どうしてだろうと改めて考えたことはないが、寄合橋を渡るということは、この世とあの世の境界線なのかもしれない、と思うのであった。こんなことを考えるたび、私はあの世に嫁に来たのかもしれないと思うようになった。こう考えると、なぜかほっとするから、不思議だ。

修のおいの亀谷秀雄が寄合橋の下で、無残な死体で見つかった場所である。まだ犯人は捕まっていない、と由紀子は少し前聞いた記憶がある。あの時、修は何度も警察に事情を訊かれていた。その頃帰ってくる度、顔を曇らせ疲れ切った表情をしていたのを、由紀子は思い出した。

亀谷秀雄とは修のおいということもあって、由紀子は話したこともあるし彼女なりに秀雄の印象を持っていた。彼女は初めて秀雄に会ったのは、改まって紹介されたのではない、修と結婚することが決まり八並の家に遊びに来ていた時偶然会った。亀谷秀雄は由紀子を見て、しばらく何も言わなかった。

由紀子はしゃべるなり体を動かすなりして自分の意思を表したかったのだが、おかしなことに彼女の体は全く動かせなかった。秀雄の目は動くことなく、じっと由紀子を捉えていた。

由紀子はそれをはっきりと意識していた。そのために彼女は動くことが出来なかったのかもしれない。秀雄の目が冷たく気持ち悪いというのではない。男としてそんなに魅力があるとは思えなかった。秀雄の何が、彼女をしばりつけたのか分からない。以後ずっと秀雄が家に来ると顔を出さないようにしている。

その秀雄が死んだ。殺されたと聞いた時には驚いたが、なぜかほっとする安堵感があったのを彼女は忘れない。

一時、事件が起こったころは誰が殺したとかいろいろ噂があったが、それもいつの間にか人の口に上らなくなったようだ。本里の人々・・・特に日々退屈で仕方のない人にさえ、余り話題に上らなくなっていた。殺人事件とはっきりしていたから、刑事が何度も訪ねて来ていたし、本里のような田舎では誰もが刑事のような役人に対して畏敬のような感情を抱いているので、みんな素直に対応していたように思う。が、その気持ちも時間とともに消えてしまっていた。

刑事が修に何度も訪ねて来ていたのを、由紀子は知っていた。

「今日、刑事さん、来ていたんでしょ」

由紀子は修の反応を見ながら聞いた。

「来ていた。うるさいくらい来る。いいかげんにしてもらいたい。今度来たら言うつもりだ」

由紀子は修がなぜそんな態度を取れるのか分からなかったが、そう言い切る修に驚いた。

「まさか、あなたを犯人だと思っているんじゃ・・・」

由紀子は断定しなかった。

「俺が・・・何でやる」

由紀子は修の目が曇ったのに気付いた。彼女は知っている、修は湧き上がった感情には素直に反応することを。

由紀子は刑事が何度もやってきていることは、朝美には言っていない。

「ねぇ、どうしたの?行きましょ」

由紀子は修の腕を強く引っ張った。

「あっ」

と、修はよろけた。修は頭を二三回降り、気を取り直して参道を歩き出した。

地元の人しか参拝しない神社である。大晦日でも歩く人は少ない。秀雄が殺された事件もそうだが、その頃三人の少女が行方不明になっていた事件も、まだ誰も見つかっていなかった。うつうつとした時間が、本里の中をぐるぐると回っているようだった。


まだ朝美がいた時、春美が夫とともにやってきたことがある。朝美が高校三年の秋、春美は結婚式を挙げた。由紀子が修と一緒になったのが二十二歳だった。春美は二十歳だった。相手の昭平は二十四歳。修は、若い、若い、若すぎるという言葉を何度も言った。その表情には憎しみ、いや嫉妬のような感情が見て取れた。由紀子には修の反対する理由が分からず、

「若いだけじゃ春美がかわいそうですよ。私があなたと一緒になったのは、二十二ですよ、たった、二歳若いだけですよ」

と睨んでいった 。

修は由紀子を見上げ、睨み返して来た。感情を押し殺しているようだった。春美は修の反対を予想していたのか、何も言わなかった。どうやら昭平と結婚する事実を報告だけはしたかったようだった。

後で朝美は由紀子から聞いていた。春美は昭平の両親に、私の父は反対していますが、そんなことは少しも構いません。昭平さんと結婚させてくださいといったようだった。

昭平の母、美幸はそんな春美を見て驚いたという。美幸はもちろん反対はしなかった。しかし、

「少し待ちなさい。あなたのお父さんが言われるように若いから急がなくていいという気持ちも、私は分かります。あなたが急ぐ理由も分かるけど、私がきっとあなたのお父さんの許しを取ってあげるからと言った。春美も昭平の母に言われてはどうしようもない。美幸の言う通りにするしかなかった。

昭平の両親がそろって本里に来たのは二回だけだが、その時、彼女は修の前に座り、ただ黙っていた。短いやりとりがあったようだ。多分、彼女の方が一方的にしゃべったりだろうるそして、一週間後また来た時、別れ際、修は会うのを拒絶する気はなかったようだ。いつも美幸の言うことを聞いているだけだったらしい。

「わたしは何も反対しているわけではありません。よろしくお願いします」

と、言って、修が頭を下げた。春美が結婚を言いだしてから二か月目であった。

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