第15話

八並朝美は男の寝顔を見つめた。父修より若いと彼女は思った。東京へ出て来る前に見た修の顔を思い浮かべた。彼女は目をつぶった。何だか遠い昔のことだったような気がした。  突然、彼女はキッと目を見開き、男の顔を見た。

このくらいの若い時の修を、朝美は覚えているような気がした。ずっと小さい頃のような気がした。間違いなく???そうだろう。私がいくつの時だったのか?十五歳・・・十二歳・・・今私はこの男に抱かれた。

「いくつ?」

朝美はくちごもった。

一幸が寝返りを打ち、目を開けた。朝美と目が合った。

「何か、言った?」

一幸は優しい表情をした。

「何も」

朝美は微笑んだ。

一幸は体を起こし、朝美を抱き寄せた。

「何処の人?」

一幸は聞いてきた。

「三重」

朝美は二三秒間を置き、答えた。

「大学って言っていたけど、マンション?」

「寮」

「じゃ、寂しくはないんだ」

朝美は頷いた。

しばらく一幸は何も言わなかった。女は男の胸の中にいた。

「これで、良かったのかな?」

朝美は返事をしなかった。良かったという答えである。

「また、会えるかな?」

朝美は一幸を見て、頷いた。一幸の表情に安堵の色が浮かんでいた。

「いつ?」

朝美は無表情のまま、一幸から目を逸らした。

「いつでもいいです」

感情のこもっていない声であった。一幸は少しの間何かを考えているようだった。

「私の方から連絡しては、だめ」

「いや」

一幸は驚いた顔をして、さっき抱いた少女を見つめた。自分から連絡すると言おうとして  いたからである。

「いや、私の方から連絡するよ。アドレス・・・いや、携帯の番号を教えて」

朝美は、だめ、と駄々をこねた。彼女の目は一幸を捉えたままだった。

「あなたの家の番号を教えて」

「だめだ。だめだ。馬鹿なことを言うな」

一幸は激しく首を振った。彼は女から離れ、ベッドから立ち上がった。

「大丈夫よ。あなたの家に電話したらいけないことくらい分かるわ」

一幸は振り向いた。女は目を逸らさないまま笑っていた。電話番号を調べるのは簡単なことであった。女はもう一幸の姓名を知っているから、タウンページですぐに調べられる。

一幸は、ぶるっ、と体を震わした。


「どうしたの?」

榊原京子は朝美の部屋に遊びに来ていた。朝美が京子の部屋に行くよりも京子がやって来ることの方が多かった。朝美の部屋の壁には何も貼ってなかった。東側に窓があり、その窓の右側に机が置いてあった。朝の陽光が眩しい。寮に備え付けのものだった。

「何が?」

朝美はとぼけた目をして、京子を見た。

「なにがって、分かっているくせに」

京子は怒っていた。

「あの日以来、朝美、変よ。この間は寮に帰って来なかったよね。何処へ行っていたの?」

京子は朝美の表情から心の中を読み取ろうとしていた。何を、この子は何を考えているの。何をやろうとしているの。だが、京子には朝美の顔から何も読み取ることは出来なかった。

「どう・・・変なの?」

朝美の態度は京子に理解出来ないほど落ち着いていた。京子は言葉に詰まってしまった。

京子は朝美と知り合ってまだ一年も経っていない。でも、朝美がどんな女の子くらいは分かる。要するに、変・・・なのである。どう変なのか分からない。そう感じるといった方がいいのかもしれない。彼女にしてみれば、近頃何か変な朝美に堪らず口に出したのである。

「ふっ。何も怖がらなくてもいいのよ」

朝美は笑った。

京子は彼女が笑ったのに気付いた。自分は軽蔑されていると感じ、少しいらついた。何も、貴方なんかを怖がってなんかいない、と自分に言い聞かせた。また笑っている。京子は自分の心の中を覗かれているような嫌な気分だった。

(そうよ。あなたの言いたいことは分かっている。あなたと同じように、今の私にも言葉に出来ないのよ)

朝美の目は冷たく光り、そして、彼女の自信満々の笑いは、しばらくはきえなかった。

この子は、私の気持ちが分かっているのかしら。やっぱり私の心の中が読めるの。彼女は  朝美から目を逸らさなかった。

朝美が頷いた。

京子は驚いた。

「本当?」

と、京子は心の中でいった。

「それ以上のことも分かるのよ。私・・・怖い」

朝美は声に出した。京子は頷いた。

「顔が・・・怖くなったみたい。この頃私、あなたに怒られているみたい」

「私が、怖いの・・・」

朝美はにやりと不敵な目をして、京子を睨んだ。

「いやだ。そんな眼で、私を見ないでよ」

「私、少しも変ではないのよ。怖い女の子でもないのよ。ここで初めて京子と会った時と同じだと思っている。少し違っているのは、私が東京の生活に慣れたことね」

 たった四か月目である。

朝美の言葉に、京子は苦笑した。

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