第11話

佐野の家族は、常盤線の土浦駅で降りた。

一幸は駅の改札口を出た後、後ろを振り向いた。今日何度も目があった女の子がいるのか気になったのである。

一幸は足を止めた。

偶然じゃない・・・と一幸は思ったが、それでもまだ一生の内何度かある奇跡のような偶然だと思うようにした。

「あなた、何をしているの。行きましょ」

妻の圭子は夫が見ている改札口の方を見た。

「何か、誰か知っている人でもいるの?」

一幸は、

「いや、行こう」

と言って、歩き出した。


佐野一幸は玄関に立った時、彼がいつも家の中に入るときするように後ろを振り返り、家の周りを見回した。一幸はこの時、俺はこの家を買い、俺がこの家を守っているという意識を持った。自分が異様にたかぶっているのに、彼は気付いた。

だが、今日の一幸の気持ちは全く違っていた。言葉にいえない怖さを感じていた。

(あの子たちは誰だ?偶然なんかじゃない)

一幸は、身体がぶるぶると強く震えるのに気付いた。これは怖いという感情の表れでないのは彼にも良く分かっていたが、何なのかは今の自分では理解出来ていなかった。

一幸は、今度ははっきりと意識して、二人の若い女を見た。特にショウトカットの小柄な女に、彼の目は引き付けられていた。

(誰だ?私の知っている女の子か?)

彼は今の自分の周りにいる女の子を思い浮かべた。だが、一人として今自分を見ている女はいなかった。

「君は誰だ?」

一幸は言葉に出した。

「何?」

圭子が一幸を怪訝な目で見た。そして、夫の視線の先に目をやった。

二人の目が、その少女を捉えた。しかし、捉えた二人は互いに目をあわすことはなかった。

「あなた・・・」

圭子がつぶやいた。

「あっ」

一幸は叫んだ。

(なぜ、笑っている)

一幸は自分の目を疑った。

「あなた」

圭子の声が聞こえた。

「行こう。もう中に入ろう」

一幸は圭子の背中を押し、家の中に入った。

「誰なの?あなた、知っている人?」

圭子は夫を睨み付けた。この人が私に隠し事をしている。彼女は一瞬そう疑いを持った。私たちの関係はそんな年齢に陥っていない。彼女は十分その自信を持っていた。その自信を裏付けるものは何もなかったが、私たちは幸せであるし、家族は今最高の幸せの中にいる。彼女はそう信じ、思い込んでいる。もっとも彼女は、この自信を公に誰にもしゃべったことはない。

圭子はノブを持ったままでいる夫の腕を引っ張った。

「いきましょ」

彼女は突然舞い込んだ疑いの目をつぶろうとはしなかった。


寮に帰る途中、

「ごめん」

朝美は京子に謝った。その後、京子がいつも見ている笑顔を作った。

「へへっ」

京子は朝美の顔を覗き込むようにして笑った。この子、こんなに器用な子だった?東京に来て、まだ二か月なのに・・・。京子は朝美が何をしているのか分かったが、なぜ、そうするのか、さっぱり理解出来なかった。

「誰?」

京子は聞いた。だが、朝美は何も答えなかった。彼女の目はじっとあの男を凝視していた。寮に来た朝美を初めて見た時、京子は田舎の子だなあと思った。自分が住んでいたも和歌山の海沿いの田舎だったから、余計に肌身の実感した。自分もそうだったから。東京の生活は京子の方が一年先輩だった。たった一年だが、その短い間に彼女にとって十分自分の心と体の変化を楽しんだ一年だった。京子だって、他人に胸を張れる生活してはいなかった。だが、他人がどう思おうとかまわなかった。

京子は今の自分を真剣に考えたことはなった。また、考える気もなかった。それよりも、朝美の行動が気になった。

「この子、今、何を思っているんだろう?」

榊原京子は無言で歩く朝美を見て、思った。

「この子は今物凄く満足そうな表情をしている。まるで、この東京に何年も生きているように。初めて見た時のおどおどした女の子はどこへ行ったんだろう?東京で生活し始めて、まだ三か月である」

振り向いた朝美が笑っている。京子の背筋に冷気が走った。非常な不気味さを抱いた。

「ねぇ、朝美。あの人、誰?知っている人」

朝美に追い付き、京子は聞いた。

「ねぇ、どうなのよ」

京子は朝美の肩を突いた。

「ごめん。今は何も言えないの。その内言うわ」

と、言ったきり朝美は黙ってしまった。

「朝美・・・」

京子は言葉を続けようとしたが、言うべき言葉を見失ってしまった。

そして、その後、寮に帰るまで言葉を交わすことはなかった。

八並朝美は今日の自分の行動を冷静に見ていた。少なくとも自分ではそう思っていた。自分を弁護していただけに過ぎないかもしれない。それでもいいと彼女は気を強く持った。

あの家族を一目見て、幸せな家族だと直感した。自分の家族もそんなに不幸ではなかった。だが、何かが違っていると思った。

何が違うのか?彼女の胸にそわそわとした動揺が走った。その瞬間、朝美は非常な苛立ちと嫉妬のような感情を抱いてしまった。彼女にその気持ちに対するはっきりとした言葉は生まれなかった。ただ彼女自身理解しがたい感情の興奮が湧き上った。

「こわしてやる、みんな」

朝美はやっと言葉に出した。そして、一幸の家族を見て、十数分の内に、これから先の自分の行動を形作ってしまった。驚くことに朝美はそれ程大きな狂いも見せずに、この日以後自分の立てた計画通りに実行して見せる。

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