天使の住む家
細蟹姫
OP 古びた屋敷にて
「ここか・・・?」
手持ちのメモにある走り書きと、目の前に聳え立つ不気味な屋敷とを交互に見比べ、確かにその場が目的地だと確認すると、リチェルカはしぶしぶ門に手を伸ばした。
錆びた門から響く不協和音に気味悪さを覚えながらも、生い茂る雑草をかき分けて屋敷にたどり着くと、脇に置いてある割れた壺から鍵を取り出して玄関の鍵を開ける。
しばらく人が立ち入らなかったのであろう屋敷内には埃が積もり、綿雲のような蜘蛛の巣が天井から垂れ下がる。「廃墟」というに相応しいその場所に一歩足を踏み入れると、大きな風がひとつ吹いて、玄関の扉が音を立てて閉まった。
「・・・開かない・・・」
立て付けが悪いせいだろうか。
どのみち、至る場所に穴の開いている屋敷。出ようと思えばどこからでも出られそうなので、気にせずに用事をすますことにした。
せめて灯りでも持ってくればよかったと後悔しながら、軋む廊下を歩いて進む。
ところどころ床板が剥がれ穴が開いた床。廊下伝いの部屋であっただろう場所は、どこも人が立ち入れない程に廃れ果てていた。
「まいったな、これじゃどうしようもない・・・」
途方に暮れていると、奥の部屋からガタンと音が聞こえてくる。家鳴りにしては、はっきりと聞こえた明らかな人工的な音。
それが聞こえた部屋の前に立ち、そっと耳を扉にあてると、中からはゴソゴソと何かを探す音と女の独り言のような声。先客がいるようは話は聞いていないが、どうやら人がいるらしい。
『犯罪者とかは、勘弁してくれよ?』
そう思いながらも意を決して部屋のドアノブに手をかける。すると、リチェルカが引くより先に扉が開いた。
「きゃぁ!!」
「へ!?」
部屋から飛び出て来た女性が、その勢いのままリチェルカにぶつかり転ぶ。
「ちょっと、あなた誰よ!! 私をどうするつもりなの?」
「どうするつもりもないですが?」
「嘘よ! あなたの事通報するからっ!!」
「そうですか・・・では僕も出る所に出ましょう。弁護士に連絡しますので、ひとまずそこを降りてくださいますか?」
自分を押し倒すように馬乗りになって叫んでいる女性に、リチェルカが冷静にそう言って聞かせると、状況を理解した女性は慌ててリチェルカから飛び降り軽く身支度を整えた。
「ごめんなさい。私、目が覚めたら見知らぬ場所にいたものだから。」
「見知らぬ場所・・・? あなたはここが何処か知らないというのですか?」
「多分・・・少なくともこの部屋の中に覚えのあるものはありませんでした。」
「まぁ・・・廃墟ですしね。・・・何があったのか聞いてもいいですか?」
「もちろんです! ・・・・・・・・・あの、ごめんなさい。何も思い出せないみたい。」
「名前も?」
「名前・・・名前・・・・・・・・・は・・・アン。確かそう呼ばれていた気がします。」
「そうですか。ではアンさん。あなたがこの屋敷と無関係なのであれば、ひとまずこの屋敷から出たほうがいいでしょう。僕ももうお暇するつもりです。記憶が曖昧なようですし、町の病院まで送りますよ。」
「あ・・・ありがとうございます。あの、あなたの名前は?」
「リチェルカです。では、行きましょう。」
廊下を黙々と歩き始めたリチェルカの後ろを、アンが震えながらついて歩く。
玄関からは出られなと分かっている為、適当な窓ガラスを割って外へ出る。鬱蒼と生い茂る雑草をかき分けて門の方へと歩いたが、そこでリチェルカは妙なことに気づいた。
「門がない・・・」
見渡す限りどこまでも雑草。それに先ほどからずっと同じ場所を回っている。どんな方向にどれだけ歩いても、何故か屋敷の玄関へと戻ってきてしまうのだ。
「リチェルカさん・・・これって・・・?」
「どうやら、僕たちはここから出られないようですね。」
「出られないって・・・その割にはリチェルカさん、冷静ですね。」
「騒いだところで事実は変わりませんからね。・・・心というものは、動く動機さえ与えなければ決して動くことはないんですよ。だからこういうマイナスに心が動きそうなときには、先回りして与える動機をプラスにしてしまえばいいんです。どれだけそれが非現実な現象だったとしても、例えば「神隠し」のように状況を納得できる名前を付け、その事柄を理解してしまえば、それは恐怖でもなんでもなくなります。アンさんもやってみては? 少しはその震えも収まるかもしれません。」
「・・・私は、神隠しも怖いですけど・・・」
「そうですか。そんな事より急に気温が下がってきました。このままでは身体が冷えてしまいます。仕方がありませんが屋敷へ戻るのがよさそうですね。」
「そんな事・・・今、そんな事って言いました・・・?」
小声でたじろぐアンを後目に、リチェルカは玄関を開ける。
扉がきちんと開いたと思うより早く、目に入った光景に目を疑った。
磨かれた廊下。壁に飾られた絵画。色とりどりの花が生けられた花瓶。廃墟同然だったはずの内装が、お金持ちの豪邸のそれへと変貌を遂げていたのだった。
「これは・・・まるで人が住んでいるようですね。」
「住んでるようって・・・だってさっきまで廃墟だったじゃないですか。ね、ねぇ、もしかしてこれはあなたが私を怖がらせるためにしているの? だったら悪趣味もいいところよ? 記憶はなくとも、これが普通じゃないってことはちゃんとわかるもの。あなた、いったい何者なの? やっぱり私をここに閉じ込めたのは―――っ」
「違います。僕はただ、売りに出されたこの家の内見に来ただけです。」
「売りに・・・出された・・・?」
「はい。先日、妙な仲介人からこの屋敷の購入の検討を相談されまして。仲介人が、僕の探し物はここにあるかもとおっしゃるものですから、見るだけならとしぶしぶここへ来ただけです。正直、僕も困っていますよ。帰ればければ仕事にも行けませんし、外との連絡手段も・・・なさそうです。」
「そんな・・・」
リチェルカが近くにおいてあった電話の切れた電話線を持ち上げてみせると、すっかり項垂れてしまったアン。その後ろで、開いていた玄関の扉が大きな音を立てて勝手に閉まった。
「え、嘘。開かない!?」
「・・・開きませんね・・・まぁ、少なくとも一度は再び開いたわけですし、きっとまた開きますよ。」
「なんでリチェルカさんはそんなに冷静でいられるんですか!? 私はこんなところ、早く出たいです!!」
二人で力いっぱい押そうとも、ビクともしない扉。早々に諦めるリチェルカの隣で、アンは文句をたれながらも懸命に扉を開ける策を練り続けていた。
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