番外編 レスターとマルコス

 ラテルの騎士たちがルセルリオを去って数日が経った。

 レントナム家は入り込んだ裏切者や彼らが抜けた穴の対処で慌ただしかった。

 副執事長が裏切者であったために使用人の幹部は特に忙しく、幹部に裏切者が居なかった騎士団の方はまだ落ち着いていた。しかし、部下には複数人の裏切者が居た。


 その日の勤務が終わり明日は非番であるレスターは目に留まった馴染みのない酒場へと入った。

 思ったよりも落ち着いた酒場でカウンター席へと座ったレスターは夕食と酒を注文した。食べ終われば強めの酒を頼んでそれをあおる。


 ツマミは頼まずひたすらに酒を飲んだ。


「あれ、レスターさんじゃないですか」


 酒が入りほろ酔い気分になったところでレスターは声をかけられた。

 隣に座った声の主を見れば見知った男がいた。


「マルコス」


 彼は裏切者が入り込んでいることが発覚してからも普段と変わらない振る舞いだった。

 今も人当りの良い振る舞いで愛想よく注文を行っている。


 仲間に裏切者が居たのに、どうして普段と変わらずに振る舞えるんだ。


 口に出そうとして止めた。

 ここは酒場で他の客もいる。誰が聞いているか分からないような状況で話すことではなかった。


「ここ、個室もあるんですよ。そっちへ移動しませんか?」


 レスターが何か言いたそうにして止めたことを察したのか、マルコスはそんな提案をした。


「ちょっと相談したいことがあって。でも他の人にはあまり聞かれたくないことなので」


 レスターが何か返答をする前に彼は続けた。

 特に問題もなかったため了承を返した。その後はマルコスが店員に用件を伝えて個室への移動となった。


 広いとは言えないまでも4人くらいまでなら狭さが気にならない個室だった。


「音消しもお願いします」


 店員は意見を求めるようにレスターへと視線を向けていたので頷いた。


 両者に確認を取るところも含めてこの酒場の指導は行き届いているなとレスターは感じた。

 音消しの魔道具は便利ではあるが悪用されることもある。このような酒場なら、酔った者を個室に連れ込んで犯罪が行われる。被害者がどれほど叫んだとしても音消しの魔道具がそれを消してしまうために、内部で起こっている異常事態に気付けないからだ。


「それで、相談ていうのは?」


 店員はテーブルの上に音消しの魔道具を置いて個室を出ていった。マルコスがそれを動作させたのを確認したレスターは尋ねる。


「『秘密の花園』のリリィちゃんといい感じだったんですが、何か怒らせちゃったみたいで態度が冷たいんです。どうしたら機嫌を直してくれますかね?」

「その女性にもよるだろ」


 知るか。と吐き捨てたかったところだが、レスターはため息をついてその言葉を飲み込んだ。


 『秘密の花園』とは遊郭である。

 そこへ女性の名前と来れば考えるまでもない。


「それもそうですね。夜のような艶やかな黒を纏い満月のような金色の双眸、体はほっそりとしていますが、程よく筋肉がついていてしなやかで健康的な体のリリィちゃんは、クールで普段はツーンとしています。でも気まぐれに甘えてきてくれるのでそれがたまらないんです。肌触りも素敵で体も柔らかくてずっと触っていたくなるくらいに魅力的なんです。最初は声すらあまり聞かせてくれなかったんですけど、通うようになってからはたまに話しかけてきてくれるようになりました。一緒に食事をしたり、アクセサリーなんかを贈ってようやくリリィちゃんと仲良くなったと思ったのに、先日会いに行った時は触らせてもくれなかったんです。触れようとしたら手を叩き落とされて凄く悲しかったです」


 まだ一滴も酒を飲んでいないはずのマルコスは饒舌に、それこそ捲し立てながら語った。


 突っ込みたいことはいくつかあったがそれら全てをレスターは飲み込んだ。

 フレイや他の騎士が裏切っていたことを知って、実は彼も落ち込んでいて空元気だろうかとも考えたがとてもそうは見えなかった。

 相談の内容について聞いた時の怒りは呆れによりすっかりと消え失せてしまった。


 どう答えるかとレスターが思考を始めた時、個室の扉がノックされた。

 マルコスが店員の対応を行い、注文した品が乗った盆を受け取るとテーブルの上に置いた。

 盆の上には酒のボトルが2本と空のコップ、氷と水の入った容器が乗っていた。

 酒のボトルはどちらもそれなりに度数の高いものだ。そしてどちらもレスターが好きな種類の酒だった。


 マルコスは空のコップに氷を入れてボトルの酒を注いだ。


「レスターさんもどうぞ」


 コップの中が空であることに気付いたマルコスは酒のボトルを傾けながら言った。

 断る理由はないかとレスターはコップを差し出す。


「それじゃあ、せっかくなんでレントナム様が快方に向かっていることに乾杯しましょうか」


 返事を聞かないまま、マルコスはどこまでも自由に振る舞い乾杯の音頭を取る。

 レスターは仕方なく彼の差し出したコップと持っていたコップを軽くぶつけて乾杯と言った。

 乾杯の後は互いにコップの酒を煽った。


「ここってレスターさんの家から少し遠いですよね。開拓ですか? ここの料理は揚げ物と手羽先がおすすめですよ」


 マルコスに手羽先が乗った皿を差し出されてレスターはその1つを取った。食べてみると味が染み込んでいて確かに美味しかった。酒のあてにも良い。


 酒のボトルが運ばれてきてからはマルコスのリリィ語りがなくなった。

 非番の時の過ごし方、明日の予定、やりたいことといった当たり障りのない話題が続く。

 マルコスがグイグイと飲むことで釣られたレスターも飲む速度が上がっていた。


 結果、レスターはほろ酔いの境界を越えて飲んでしまっていた。


「どうしてお前は平気なんだ。フレイとの仲だって悪くなかっただろ」


 酔ったことで理性が緩み、飲み込んでいた疑問が口からこぼれた。

 その言葉には隠しきれない辛さが滲んでいた。


「もういい時間ですね。そろそろ帰りましょうか」


 マルコスは困ったように苦笑いすると伝票を持ちレスターを残して個室を出た。


「すまん。いくらだった?」

「また今度にしましょう。立てますか?」

「馬鹿にするな」


 少しして戻ってきたマルコスに言い返して立ち上がる。だが、酔いが酷くてレスターはふらついていた。


「おっとと。ちょーっと厳しそうですね」


 そんなレスターに彼は肩を貸して酒場を出た。


「大丈夫だ。そこまで酔ってない」

「酔っぱらいの『酔ってない』は信用できませんて」


 マルコスはべろんべろんなレスターを支えて家まで送った。


「ほら、到着しましたよ。鍵、貸してください」

「……少し待て」


 ポツリと答えながらレスターは鍵を取り出し玄関の扉を開けた。

 これまでにもレスターの家へ来たことがあるマルコスは慣れた様子で彼を寝室へと運ぶとベッドへ座らせた。

 酒の影響もあってレスターはかなりの睡魔に襲われていた。


 自宅まで運んでくれたことに礼を言えば何でもないように彼は答える。


「マルコス」

「何ですか?」


 水の入ったコップを持って近づいてきたマルコスの頭をレスターが撫でる。


「……お前は裏切者じゃなくて良かった」


 マルコスは目を丸くした。


 真面目で人当りも良く、気が利くフレイは使用人とも仲が良かった。

 フレイに好意を持っていたメイドからは、冤罪をかけて身代わりにしたのではないかとすら言われた。

 裏切ったのがマルコスだったら良かったのに、という言葉すら聞いた。

 そこまではいかなくとも、あいつは裏切者じゃないのかという視線は感じていた。


 だからこそ彼らとは真逆の反応を示したレスターにマルコスは驚いた。 


「何だその反応は」

「いえ、予想もしていなかったので」


 レスターはレスターで驚いているマルコスを見て不思議に思った。

 そういえば彼はいつも落ち着いていて、激しく取り乱したところは見たことがない。今のように驚いているのも珍しいのではないかとぼんやりと考える。


「どうすれば良かったんだろうな」


 コップを受け取り水を飲んだ後、ベッドで横になってレスターは呟いた。

 返答は期待していない。


「もう眠ってください。こういう時は眠れるうちにぐっすり眠る方がいいですから」


 確かに眠いがまだ眠りたくはなかった。

 なぜだか普段よりもマルコスとの心的距離が近いように感じたということもあった。


「何か困っていることがあれば相談に乗る。だから自分を追い込むようなことはするなよ」


 彼らがどのような理由で裏切ったのかは分からない。

 もし、弱っていたり困っている時につけ込まれたのであればそれを防ぎたい。

 それはマルコスに対してもそうだ。

 コミュニケーション能力は高いが、線引きをしておりその線から先へは決して踏み込ませない。のらりくらりとした態度で本心を隠す。

 それが悪いとは言わないが、レスターはマルコスが何の前触れもなく姿を消してしまいそうな気がした。


「ありがとうございます」


 穏やかに言うマルコスにレスターは安心して目を閉じた。


 カチッと何かが開いた金属音の後、ボッと火が点いた音がする。

 そして漂ってくる柑橘類の爽やかな香り。

 煙草でも吸うのかと思ったが煙草の臭いではない。


「いい香りだな」


 お香でも焚いたのだろうか。

 その香りに安らぎを感じてレスターは体から力が抜けていく。


「良かったです。おやすみなさい」


 遠くから聞こえるマルコスの声。やがてレスターは眠りに落ちた。


 翌日、目を覚ましたレスターはマルコスの言った通り陰鬱とした気持ちはすっかり落ち着いていた。

 しかし、二日酔いだけはどうにもならなかった。

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