図書館の本、オブ・ザ・デッド

北見崇史

図書館の本、オブ・ザ・デッド

 四ツ谷貴文は滅茶苦茶に酔っぱらっていた。

 真夜中の図書館を巡回しながら、ひどく酔っぱらっていた。安いカップ焼酎をストレートでグビグビ呑んでいた。やってられるか、チクショーめと一人悪態をつきながら、とにかく酔っぱらっていた。

 彼は四十を少しばかり過ぎた中年男だ。

 だらしなく突き出した下腹に、合成革がすり切れた安物のベルトが食い込んでいる。未だに独身、彼女なしであり、女性は風俗嬢しか知らない。その身体と同じく性格もいたってズボラで、遅刻は日常茶飯事であり、とにかくだらしがなかった。女性が道ですれ違っても、けして目を合わせることはないタイプである。

 仕事は施設の巡回警備員である。いくつかの物件を夜中に見回るのであるが、賊退治など勇ましい業務ではなく、施錠忘れがないかの確認がおもたる使命だ。別段、特殊な技能も資格もいらないので何とかこなせている。

 四ツ谷は酒を呑んでの出勤が発覚して、まさに今日、クビを言い渡された。本来なら即座に退社すべきところなのだが、補充の警備員が休んでしまったために、本日が最後の仕事となった。

 だから、当然のごとくやる気がないし、思いっきり不貞腐れていたので、退職の理由となった飲酒をしての巡回警備だった。夜の施設に人はいないので、いくら酒を呑んでも誰にも咎められないし、警備会社の車両がパトカーに止められることも滅多になかった。


 ところで、今日の彼は腹の具合が悪かった。巡回前に晩飯として、ニラ餃子とゲソのしょうゆ焼きと生ニンニクをしこたまかじり、みそキムチホルモンと唐揚げ弁当をたらふく食べていた。焼酎とともにヤケ食いしたため、消化不良を起こしていた。 

 直ちに下痢がしたくなった。

 ふらつく足で便所へ急いだ。ズボンをおろすか降ろさないかの際どいタイミングで、中年男の腸に詰まった、とびきりの汚レがショットガンのようにとび出した。

{ブボボブボボ、ブフェブッフェ}と、世にもおぞましい音色を奏でながら、それらは続々と飛散した。

 四ツ谷がしゃがんだのは和式便器だったので、飛び散ったそれらは便器の中も外も汚した。腹の中の不浄物をあらかた出しきって満足した警備員は、ふーっと大きな息を吐いて尻を拭こうとした。

 だが、ペーパーホルダーにはトイレットペーパーの芯だけで、紙はまったくなかった。中年警備員の尻の穴付近は激しく汚れている。一刻も早く拭かなければ不衛生この上なく、精神衛生上もよろしくない。

 チッと舌打ちすると、四ツ谷はそのまま立ち上がった。ズボンを脱いで便所ドアのフックに引っ掛けると、下半身露出のまま歩き出した。ベットリと汚レが付いた尻の穴を拭う紙を求めて、図書館の一般閲覧室に足を踏み入れた。

 そうしているうちに、中年警備員の肛門付近はひどいことになっていた。歩いて擦れてしまったため、汚レが拡散してしまった。しかも屁をしたつもりが、腸の出口付近に残っていた下痢便を噴射してしまう。そのジェル状な一部は、四ツ谷が足を踏み出すたびに、ボタボタと床に落ちていた。  

 ふらつく足取りで経済関係の本棚にやってきた。

{勝負のグローバル経済}という本を手にとり、中のページをベリベリと破った。クシャクシャと揉んで柔らかくすると、それを尻の穴に当てて擦った。さらに今度はページを破らずに、本を見開いてそのまま数ページをクシャクシャとほぐすと、とにかく擦りつけた。 

 汚レはしぶとくて、なかなかふき取りきれなかった。肛門にまだ違和感が残っているので、今度は{規制改革のツワモノ}という本を破って、それで尻を拭いた。床には汚レがたっぷりと付着した本のページが散乱して、ひどい臭いを放っていた。いちおうの満足を得た警備員は、ズボンをだらしなく履いて図書館を後にした。



 最初に異変を感じとったのは、月刊誌{主婦のフレンズ}と{赤ちゃんクラブ}だった。両者は月刊誌が置かれた棚の一番右端に位置しており、そこから経済関係の本棚までは目と鼻の先だった。

「なんか臭くない」

「そういえば、ウンチ臭いような。いやだ、この子、お漏らししちゃったかな。さっきしたばかりなのに」

{赤ちゃんクラブ}は、自身のページに掲載されている幼児の尻をクンクンした。

「いや、この子じゃないわねえ」

「野良ネコでも入って、ウンチしたのかしら」

「それはあるかも」

 臭いの元を探ろうと、二冊は本棚を降りた。

 野良はやあねえ、などと笑いながら気楽に歩いていた。少しばかり進むと、経済関係の本棚から何冊かの本が落ちて、床に散乱しているのを見つけた。

「やっぱり猫よ。どっから入ったのよ、もうイタズラするにもほどがあるわ」

{赤ちゃんクラブ}は用心するように周囲を見た。赤ちゃんがいるので、猫に引っ掛かれでもしたら大変だと、心配していたのだ。

 あたりには、糞便のきびしいニオイが漂っていた。あら、やっぱり野良がウンチしたのよ、と{主婦のフレンズ}はしかめっ面だった。

「あそこにいるのは、経済の先生じゃないからし」

{赤ちゃんクラブ}は暗闇の中で、{勝負のグローバル経済}を発見した。ページを見開いたまま、床にうつ伏せに倒れていた。その本には、以前にグローバル経済を勝ち抜く方法を講義されていた。

「野良猫に襲われたのかしら」

{赤ちゃんクラブ}は近づこうとした。ちょっと奥さん、かかわらないほうがいいですよ、と{主婦のフレンズ}が後ろから声をかけた。 

「先生、先生、大丈夫ですか。床に寝てたらゴキブリに齧られるから、早く棚に戻ったほうが」

 そこまで言って、子育て専門の雑誌は凝り固まった。あきらかに様子がおかしいのだ。

 吐き気を催す強烈な臭気だけではなくて、タダならぬ不吉な影が、窓からの月明かりに照らされていた。

「ごぎゃあぐおうわあ」

 突然、{勝負のグローバル経済}が化け物じみた咆哮をあげると、突如として襲い掛かった。

「ちょ、な、ぎゃあああ」

 表紙の部分をビリビリと破られ、茶褐色の汚レを擦りつけられた子育ての月刊誌は、ジタバタと暴れて必死に逃げようとしたが遅かった。

 糞便だらけの経済専門書に抱きつかれ、その汚レをさんざん擦りつけられていた。か弱き抵抗もむなしく、経済的というよりは暴力的に、ただただ蹂躙されていた。

「きょえええ」

 少し離れたところでその惨劇を目撃していた{主婦のフレンズ}は、なかば腰を抜かしながら逃げた。わあわあ喚きながらページをバタつかせて、月刊誌専用の棚まで戻ってきた。彼女のただならぬ様子に、なんだどうしたと、他の雑誌が降りてきた。

「奥さん、どうしたんだ、泡吹いちゃってさあ。また亭主の悪口でも言い過ぎたのか」

{日曜日のDIY的な日曜大工}だった。物置でも造っている途中なのか、インパクトドライバーを持参しての登場だった。

「あれ、あれ」としか言わない{主婦のフレンズ}の表紙は、いつもの営業スマイルが消し飛んでいて、怨念が凝縮した幽霊みたいな空恐ろしい表情となっていた。

 もしいまの状態のまま書店に並べられると、ホラー系の雑誌だと判断されるだろう。

「はあ?」

 月刊誌{日曜日のDIY的な日曜大工}は、{主婦のフレンズ}が指し示す先の暗闇を見つめた。すると、単行本と月刊誌が、よたよたと歩いてくるのがわかった。

「あれ、奥さんの友達じゃないかよ。なんだか破れているようだけど大丈夫か。怪我でもしたんじゃないのか」

 彼は不用心にも それら二つの影に近づいていった。後ろでは{主婦のフレンズ}が、「やめ、止めて」と言葉にならぬ小言を発していた。

「奥さ~ん、大丈夫か。怪我してるみたいだけど、なんかあったか。ってか臭え。なんだ、この臭いは」

{日曜日のDIY的な日曜大工}は、じんわりとであるが確実に存在を主張しだした糞便臭に、先週特集した自作小屋の汲み取り便所からニオイが洩れだしたのではないかと、自らのページを開いてクンクンした。

「俺じゃあ、ないなあ」と一安心した時だった。

「ぐおあえじゅどああ」

{赤ちゃんクラブ}が襲ってきた。抱えている赤ん坊もゾンビと化して、母親と同じように糞だらけの歯を剥いていた。

「うわああ、な、なんだ。なんだ、おまえは」

{勝負のグローバル経済}に噛まれたことでゾンビとなった{赤ちゃんクラブ}は、その糞便面をDIY専門誌に擦りつけようとしていた。 

「ちくしょう、このっ、このう」

{日曜日のDIY的な日曜大工は}は、掴みかかろうとする{赤ちゃんクラブを}をぶん殴って蹴り飛ばした。

 糞まみれの育児専用月刊誌は、肉体労働者の馬鹿力に蹴飛ばされて吹っ飛んでいった。なお、幸いにも糞便が付いていない個所だったために、{日曜日のDIY的な日曜大工}は汚レずにすんだ。

「ぐぎゃああおう」

 それでも即座に立ち上がって再び襲ってくる様は、さすがにゾンビであった。

「こらっ、くるな。それ以上近づいたら撃つぞ」

 彼は警察や軍事関連の雑誌ではないので銃はなかったが、建築関係の道具には事欠かなかった。ページの広告欄から新品の釘打ち機を取りだして、糞まみれの月刊誌にむかって厳めしくかまえた。

 そんな脅しに屈するようではゾンビ失格である。もちろん、中年警備員の汚レだらけの{赤ちゃんクラブ}は、そんなヤワなゾンビではない。なんら躊躇することなく向かってくるのだった。

「ちくしょう、これは正当防衛だ、正当防衛」

 ぼすっ、ぼすっと音がして、クギが撃ち出された。先の尖った硬質の金属が、薄っぺらい月刊誌を何度も貫通した。

「やったか」

 だが、ゾンビの進撃は止まらなかった。

 何度もクギが貫通し、何人もの赤ん坊の頭を粉砕したが、動きが鈍くなることすらなかった。相変わらずギャオーギャオー喚き、汚い紙片を撒き散らしながら{日曜日のDIY的な日曜大工}に襲いかかろうとしていた。

「なんなんだ、こいつは。これだけクギで撃たれて、なんで平気なんだ」

 それはゾンビ化しているかである。急所を撃ちぬかなければ、その動きを止めることはできないのだ。

「この、このっ」

 撃ち出された高速の釘が、ページを連結しているホチキスの針をはじき飛ばした。

ゾンビ化した{赤ちゃんクラブ}は、バタリと倒れて動かなくなった。雑誌の脊髄ともいえるホチキスを吹き飛ばされて、ようやく絶命したのだ。

 呆然と立ち尽くす{日曜日のDIY的な日曜大工}のもとに、何ごとが起こったのかと、雑誌棚の月刊誌や週刊誌たちがやってきた。

 現場を見た雑誌たちは、{日曜日のDIY的な日曜大工}が錯乱して{赤ちゃんクラブ}を惨殺したと一瞬考えたが、死体周辺の鼻をつんざくような臭気と、月明かりに照らされた異様な雰囲気から、これはただの殺しではない、人智を超えた怪奇な現象ではないかと直感した。

 それに普段から何かと頼れる存在の{日曜日のDIY的な日曜大工}が、間違っても殺すはずはないと思っていた。

「これはいったい何が起こったのですか」

 散乱しボロボロになった{赤ちゃんクラブ}を見つめ、文学系月刊誌{濃い群青}が、青い表紙をさらに青ざめさせていた。散り散りになった赤ちゃんの破片を踏まないように、ナマンダブと心の中で言っていた。

「よくわからないが、いきなり襲ってきたんだ。ひどい臭いがするし、なんだか腐ってるんじゃないかと思うんだ。なにがしかのカビにやられて狂ったのかもれない」

{日曜日のDIY的な日曜大工}は淡々と言った。

「たしかにひどい臭気だね」

「腐っているって、どういうことなの」

 周辺が騒がしくなっていた。どの雑誌も不安の色を隠せない。皆用心して、しっかりとページを閉じている。いまだ釘打ち機を手放さない{日曜日のDIY的な日曜大工}を拘束しようとする雑誌は、皆無だった。 

 月刊誌{健康医療}が、さっそく{赤ちゃんクラブ}の死体を検分していた。ふむふむと意味ありげにうなずき、皆の方を向いた。   

「これを見てください」

{健康医療}は、死体のあちこちにへばり付いている、茶褐色で凄まじい悪臭の元凶を示した。彼は危険物に直接触らないように、ビニールを被っている。だれかが、あいつビニ本になっていると冗談を言うが、誰一人笑うものはいなく、そもそもビニ本を知っているものは、ほぼいなかった。

「この得体の知れない物質により、{赤ちゃんクラブ}は、なんらかの中毒に陥ったようです」

「それは、つまり、その臭い物質で雑誌が腐ってしまったってことか」

{囲碁世界ワールド}が詰めを急いでいた 

「腐っているという表現は微妙ですね。そもそも最近の雑誌は紙質が丈夫で、そう簡単には腐敗や腐食などしないです」

 さすがは健康の専門誌である。人間のみならず、本の状態まで把握していた。

「なるほどな、この汚いモノに触れると死ぬほど凶暴になって、他のものを襲うのだな」

「それって、つまり、ゾンビじゃない。アメリカで毎週のように出没するゾンビそのものよ」

{テレビ週刊}が、ゾンビゾンビと騒ぎ出した。衛星放送で海外ドラマのゾンビものが人気であり、ちょうどゾンビ特集を組んでいるところだった。 

{月刊ミステリースナイパー}が、なぜ善良な主婦がゾンビ化したのか、その謎を解こうと不浄物のニオイを嗅いだ。

「うっ、これはひどいなあ。赤ん坊の柔らかウンチとは、あきらかに違うものだな」

「現時点では何とも言えないですけど、これが感染源である確率は非常に高いですね」

{健康医療}が綿棒にその汚レを付けて、じっくりと見ていた。

「そうすると、なにかい。こいつが付いちまったら、ゾンビ化するわけだ」

 全員が黙り込んだ。なぜ暴力とは無縁の平和な市立図書館に、得体の知れない災禍が降って湧いてきたのかと考えていた。

 重苦しい沈黙がその場を支配していると、暗がりの向こうから、なにかが近づいてきた。

「事件が発生したって聞いたんですが」

「原因はつかめたんですか。マスコミ発表がないけど、どうなってるんだよ」

 新聞だった。新聞棚から数社が事件を取材に来たのだ。臭いものを嗅ぎつける能力は天性のものだ。

「これ、ガキの死体じゃねえかよ。うっわ、臭えなあ。なんだ、これは。早く燃やしてしまえ」

 死者に対する無礼な言い様だった。バラバラになった赤ちゃんを、さも汚そうに見下している。昨今のジャーナリストは、礼儀知らずが多くなった。

「ちょっ、押すなよ」

 数社の新聞紙が、絶好のポイントで取材をしようと、押し合いへし合いしていた。

「うっわ、踏んじまったよ。ったく汚ねえな。この靴、先週買ったばかりなのによう」

 保守系の新聞が、左翼系の新聞に押されるまま、{赤ちゃんクラブ}の死体の一部を踏みつけてしまった。

「わっ、って、押すなって言ってんだろう。シバくぞ、こらあ。って」

 さらに、多くの経営者をたぶらかしてやまない経済専門の新聞が押し出され、躓くように転んだ。そこはちょうど運悪く、死んだ{赤ちゃんクラブ}のオシメの部分で、もっとも汚レがひどい個所だった。

 新聞紙のテレビ欄の右端に、ベットリとあの汚レが付いてしまった。経済専門の新聞は、倒れ込んだまま動かなくなった。ただならぬ空気が漂い、月刊誌の多くが一歩二歩と、その場から後ずさりしていた。

「ギョガガウウ」

 立ち上がった新聞のテレビ欄は、全面が汚レに覆われていた。もはや、そこからは楽しいはずのテレビ番組を想像することなどできなかった。猛烈な臭気と醜い紙面が、皺くちゃになりながら暴れていた。

「だ、だれか、警察を」

 と言った新聞紙が次の犠牲になった。糞まみれになった新聞紙が他の新聞紙に一体となって、クシャクシャになった。汚レに感染した二紙は、すぐそばにいた他の新聞紙に次々と襲いかかり、それらはまたたく間にゾンビとなった。

「きゃあああ」

「たすけて」

 雑誌たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 しかし{囲碁世界ワールド}が転んで碁石をばら撒いてしまったために、ほかが次々と足を滑らして将棋倒しになった。そこへ、クシャクシャな紙面を汚レだらけにした新聞紙どもが、いかにも下劣な呻き声をあげながら迫っていた。

 ボスボスボス、と小気味よい音がした。あの{日曜日のDIY的な日曜大工}が、釘打ち機を連射しているのだ。

 新聞紙どもが穴だらけになった。しかし、一見して安そうな紙は意外に粘り強く、容易にバラバラにならない。穴だらけになっても、ひどい悪臭を放ちながらクシャクシャと暴れ回っていた。

「ちくしょう」

{日曜日のDIY的な日曜大工}が、これじゃ埒があかねえとばかりに釘打ち機を捨てた。代わりに広告欄から高性能チェーンソーを取り出し、エンジンをかけた。

「おらあ、くそゾンビどもー、こっちだ」

 ヴイイイイイーン、ヴイーイイイイーンとチェーンソーが唸った。そのやかましさにつられて、ゾンビな新聞紙どもが、ワシャワシャと音をたててやってきた。

 いくら値の張るチェーンソーであっても、相手が紙、しかも汚レによって湿り気を帯びた新聞紙相手には難義した。クタクタとたわんでしまい、思ったほどキッパリと切れなかった。

 もたもたしている隙に、別の新聞紙がその汚い一面を大きく広げ、まるでヒトデが小さな貝を捕食するように、{日曜日のDIY的な日曜大工}に覆い被さろうとしていた。

 その時、バアアンバアアンと、耳をつんざく連続音が響いた。あきらかに銃声だった。するとゾンビな新聞紙どもは、臭い紙片を散らしながら穴だらけになった。さらに半分になり四分の一になり、しまいには散り散りになって絶命した。

「ふう、危なかったな」

 駆けつけてきたのは、月刊誌{猟銃ファン}だった。自慢の散弾銃コレクションを撃ちまくり、ゾンビな新聞紙どもを粉々にしたのだ。

「助かったよ」

 振り上げた汚レまみれのチェーンソーをおろして、{日曜日のDIY的な日曜大工}は礼を言った。

「もうこれは非常事態です。感染の疑いのあるものは、すぐに隔離しないと」

{健康医療}が言うと、周囲にいたほとんどが頷いた。

「それは人権上の配慮が」と、その場の空気を読めぬ{日本の法曹界}が言うが、後ろにいた{世界の格闘家}が蹴りを入れた。「君っ、訴えるよ」と小声で言いつつ、{日本の法曹界}が背表紙のあたりをさすりながら遠ざかった。

 雑誌たちが、バラバラになったゾンビの亡骸を片付け始めた。

「触らないように気をつけて」と、{健康医療が}が何度も注意した。もちろん、誰も触ろうとはしない。どこからかビニールを持ってきて、極めて神経質に扱っていた。

 雑誌たちが顔をしかめながら作業していると、一般書籍の棚から誰かが近づいてきた。ちょっと甲高い複数の黄色い声が、徐々に大きくなっている。

 それは、{原色日本女子高生制服図鑑 改訂版}だった。

 ときおり、狙ったようにカラーページをひらひらさせながら、自慢の制服コレクションを披露する。

「すみませ~ん、すみませ~ん」

 7ページに写真が載っているセーラー服の女子高生が、大きな声で叫んでいた。

「なんか、すっごい変なニオイするんですけど」

「そうそう、ありえねえよ、これ」

 157ページ目に掲載されているのは、番外編と題された女子高生モデルだ。少しばかり不良っぽい女子高生の写真で、スカートの丈が、女性にとってデインジャーなゾーンまで上げられていた。ちなみに{原色日本女子高生制服図鑑 改訂版}は、この図書館で男子高校生及び中年男性に一番借りられている本である。

「きっとさあ、イタチがいるんだよ。イタチが屁えしてんじゃね。ってかさあ、彼氏がさあ、あたしの前で、すんごい音の屁をこくわけよ。しっかもデート中だよ。ファミレスでも映画見てても、ブヒーブヒーって、ありえねくね、これ。おまえはブタかってさ」

 不良女子高生は饒舌だった。私も私もと、この悪臭について、なにがしかの感想を述べたい他のページを押しのけて、一人で見開きを独占し、しゃべり続けていた。 

 その{原色日本女子高生制服図鑑 改訂版}の後を、不吉な本が追いかけていた。それはのっそりとではあるが、確実に獲物を捕捉している。

「おい、彼女らの後ろのヤツ、様子がヘンだぞ」

「ああ、ヤバい雰囲気だな」

{日曜日のDIY的な日曜大工}が再び釘打ち機をかまえた。{猟銃ファン}も散弾銃の弾をリロードする。

「やっべ、猛烈に臭くなってきた。彼氏の屁かな」

 彼氏の屁ではない。悪臭の元は、女子高生たちのすぐ後ろまで接近した本だった。もはや諸悪の根源と成り果ててしまった、{勝負のグローバル経済}ゾンビ版だ。 

「ぐぎゃぎゃおう」と叫びながら抱きつき、まず手始めに157ページの女子高生を汚した。口数が多かったちょっと小生意気な女子は、またたく間に汚レに犯されゾンビ化した。そして、次々と他のいたいけな女子高生たちを襲い、汚レを感染させた。

汚レが付着したページが隣のページとくっつき合い、制服姿の女子高生たちはゾンビと成り果てた。えもいわれぬ化け物じみた絶叫の数々が、暗い室内を縦横無尽に駆け抜けた。床の上でバタバタ、クシャクシャ暴れながら悪臭を放つ女子高生たちは、悲惨の一言に尽きると共に、特殊なエロティシズムを想起させた。

 ボスッ、ボスッ、と釘打ち機から硬質の矢が放たれた。それらは次々とゾンビ化した制服姿の女子高生に命中した。続いて、散弾銃から放たれた小さな銅弾が、少女たちをブッ飛ばしにかかった。

「おい、なんてことをするんだ。まだ感染してない女子高生に当たっているじゃないか。ああ、なんともったいないことを」

 血相変えて棚から下りてきたのは、月刊誌{金曜日のダンディズム}だ。

「もうやめてくれ、ちゃんと洗えば元の女子高生に戻るよ。もったいない」と言いながら{猟銃ファン}につかみかかり、射撃を止めさせようとした。

「こらっ、離せ。もう無駄だ。一ページでも感染したら、その本は終わりだ。ためらっていたら、この図書館全体がゾンビとなってしまうんだ」

「そ、そうだけど、せめて感染してない数ページの女子高生は残そうや。いや、助けようや。濡れティッシュで拭けば、なんとかなるんじゃないか、濡れティッシュで。そのあとなんとかすればいいんだよ」

 濡れティッシュでなんとかした後、制服姿の女子高生にいかなることをするのか、{金曜日のダンディズム}から具体的な言及はなかった。

「邪魔だ、離せ。おまえはダンディズムの都へ帰れ」

{猟銃ファン}は男性ファッション誌を蹴飛ばすと、間髪入れずにぶっ放した。

 しかし、すぐに{金曜日のダンディズム}がまとわり付いてしまったため狙いが定まらす、弾道は大きくそれた。数十の散弾が、一般書籍棚の一番端に位置していた{賢い都会のカラス}という本を直撃し、穴だらけにした。数十羽のカラスが、グエーグエーと苦悶の呻きを発しながら落ちていった。

 ボスボスボスと、釘打ち機から矢継ぎ早に硬質の矢が打ち出されていた。

 だが{原色日本女子高生制服図鑑 改訂版}に突き刺さったクギは、貫通することはなかった。彼女らはそれらを咥えたまま、その不気味な姿を晒していた。かなりの厚さなのと、写真ページの紙質が思いのほか硬かったためだ。

「だめだ、これじゃ威力が弱い」

{日曜日のDIY的な日曜大工}は釘打ち機を諦めて、再びチェーンソーを持った。ブイーンブイーン言わせながら、女子高生たちに突進していった。{猟銃ファン}は、女子高生大好きな男性誌にいまだまとわり付かれ、照準を定めることができないでいる。

「成仏しれやー」

 突進した{日曜日のDIY的な日曜大工}は、女子高生の前でいったん立ち止まり、雄叫びをあげた。そしてDIYで鍛えた腕力でもって、チェーンソーを振り下ろした。

 しかし、自らが打ち込んで{原色日本女子高生制服図鑑 改訂版}に突き刺さっているクギの頭に、高速回転のチェーンが弾かれてしまった。その反動でチェーンソーが手から落ちてしまい、DIY専門誌はその場に尻もちをついた。

「うう、不覚にも」

 不覚にも、高性能チェーンソーがゾンビ化した女子高生たちの手に渡ってしまった。慌てて立ち上がったDIY専門誌に、その高速回転するチェーンが振り下ろされた。

 表紙を飾っていた手製ログハウスがぶった斬られた。大量のおがくずと紙片がばら撒かれ、{日曜日のDIY的な日曜大工}は瞬時に息絶えた。

 ゾンビな女子高生がチェーンソーを振り回しながら、夜の図書館を徘徊していた。逃げ遅れた本は、切り刻まれたり、汚レを塗りつけられてゾンビになった。

 果敢にも、{囲碁世界ワールド}が碁石を投げつけながら戦っていた。普段は寡黙に碁盤を見つめるだけだが、いざとなればやれる雑誌だった。

{猟銃ファン}が、方々にぶっ放し続けていた。女子高生を愛でてやまない{金曜日のダンディズム}はすでに逃亡し、棚と棚の1センチのすき間に収まっている。ダンディズムとは程遠い姿で、嵐の過ぎ去るのを待っていた。

 チェーンソーを振り回す女子高生たちは、汚レに感染してただでさえ接触厳禁なのに、それが高性能な切り刻みマシーンで襲ってくる。他の健全な本たちは、支離滅裂な悪夢の真っただ中にいるような恐怖だった。

{猟銃ファン}は、思うように制服女子高生チェーンソーを狙えなかった。他のゾンビ化した雑誌たちの掃討だけで精いっぱいな状況なのだ。 

「ちくしょう、もう弾がないぞ。次号発売まで、まだ半月もあるのに」

 弾切れとなったため、{猟銃ファン}は仕方なく銃の銃身をもって、ゾンビ化した雑誌をぶん殴り始めた。しかし、最近の紙質はしたたかに柔軟であり、なかなか破りきることができず、逆に反撃にあって苦戦していた。

 汚レにまみれた{便利グッツ毎日}をようやく殴り殺したと思ったら、そのすぐ背後から、チェーンソーを手にした制服女子高生ゾンビが現れた。すぐさま猟銃を振り上げたが、あえなくはじき飛ばされてしまった。

「ああ、もうだめか」死を覚悟した、その時だった。

 見開いた157ページの制服女子高生の左胸に穴が開いた。一瞬動きが止まり、ゾンビな不良娘は、チェーンソーを持ったまま静止した。

 ボスッと音がして、右乳のちょうど突起のあたりにも穴が開いた。続いて短いスカートの真ん中、股間のツボに穴があき、そこから向こうの景色が見えるようになった。いきなり下腹部の風通しがよくなり、汚く湿ったゾンビな不良女子高生は、なんだか戸惑っている様子だった。

 さらに穴は開き続けた。穴だらけになった女子高生は、自らが振り上げていたチェーンソーを支えきれなくなり、そのまま落としてしまった。

 スイッチがオンになったままの高速チェーンソーは、背表紙を縦に切り裂きながら{原色日本女子高生制服図鑑 改訂版}をバラバラにした。床には、無数のゾンビな制服女子高生が気色悪く蠢いていた。

「危なかったな」

 そう言って一般書籍棚からやって来たのは、{世界の軍用ライフル}だった。ベルギー製の軍用突撃銃で、ゾンビ女子高生を狙撃していたのだ。

「書籍棚が大変なことになっていて、こっちに来たけど、状況はどこも同じようだな」

 まだ不気味な動きをしている女子高生たちを、フルオートでトドメをさしながら言った。

「弾切れなんだ。予備はあるか」

「ああ、ショットガン用だけどもな」

{猟銃ファン}は弾を受けとり、何度か床に叩いてから自らの銃に装填した。

「このへんはゾンビだらけになってしまった。もう、お手上げだ」

「さっき軍事関係者と話をしたら、もう収拾がつかないレベルなんで、汚染地域には大規模な空爆を始めるらしい」

「おいおい、全部が全部感染しているわけではないぞ。まだ、逃げているものもいるんだ」

 そこに{囲碁世界ワールド}がやってきた。無慈悲な空爆の話をきいて、悔しくて床に碁石を投げつけた。

「まあ、あわてるな。爆撃といっても無差別ってわけでないらしい。ピンポイント爆撃の座標を知らせるために、いま特殊部隊が出動しているんだ」

一般書籍棚の{特殊部隊}や{ネイビーシールズの事実}、{最強のSAS野郎}などが、すでに汚染地域へ展開していた。図書室のあちこちから銃撃音が聞こえている。ゾンビ相手に苛烈な戦闘をしているようだ。

「最悪でも、このフロアで食い止めなければならない。ゾンビどもが、ほかの階や外へでも逃げ出してしまったら、それこそ取り返しがつかないからな。日本中の、いや世界中の本という本が、穢されてしまう」

 そう諭されて、{囲碁世界ワールド}もしぶしぶうなずいた。ブツブツ言いながら床に散らばった碁石を拾い集めていると、血相を変えた{金曜日のダンディズム}が、その碁石を蹴飛ばしながらやってきた。

「もう隠れちゃいられない。どこもかしこもアイツらだらけだ。服を着替える暇もないよ。靴なんかもう、磨くひまもない」

 オシャレな男性誌は、めざとく床に散らばっている制服女子高生の死体を発見した。そして下半身だけになった女子高生を、とくにスカートの下のほうから興味深そうに覗いていた。「ああ、ほんとにもったいない」

「危ない、伏せろ」

 いきなりの怒号だったが、すぐ全員が床に這いつくばった。乾いた銃声が連続し、薬きょうが散らばった。 

「伏せたままでいろ」

 そう言ったのは、{ネイビーシールズの事実}だった。一般書籍棚からゾンビ本の集団がやってきて、すぐ間近まで迫っていたのだ。米海軍特殊部隊の隊員が、幸運にもちょうどそばを通りかかった。

 すぐに{世界の軍用ライフル}も加勢した。ついでに{猟銃ファン}も加わったが弾切れとなった。

 ゾンビの一団は、自然科学分野からが多数だった。銃弾で吹き飛ばされたのは宇宙に関する本が多く、バラバラに散った星々が、真夜中過ぎの図書館の闇によく映えていた。

「まずいな。一匹大物を逃がしてしまった」

 シールズ隊員が叫んだ。{超新星爆発の謎}という本が、どさくさに紛れて、「グギャウグギャ」喚きながら一般書籍の方へ戻っていった。

「さがっていろ」

 マンガコーナーから、超一流スナイパーがやってきた。彼は静かに銃を構えスコープに目を通した。不用意に背後に立った{金曜日のダンディズム}が、蹴りを入れられて吹っ飛んでいった。

 狙いを定め引き金を引いた。

 ズキューーン。

「・・・」

 しかし弾は大きく逸れて、遠く海外の文豪コーナーで海釣りをしていた老人の頭を貫通してしまった。彼は海に沈み、サメに食われてしまった。超一流スナイパーにとって、連載が始まって以来最大の失態だった。

 いっぽう、{超新星爆発の謎}は美術コーナーで立ち止まった。

「おい、なんか変なのがいるぞ。臭くて集中できない。絵の具が腐ってしまうよ」

「モデルの裸婦が洩らしたか」

 美術関係の本たちは、その得体の知れぬ汚れた本と悪臭を非難した。苛立った本の中には、精神に異常をきたして自らの耳を切り取るものもいた。ちなみに、モデルの裸婦たちはゾンビになることなく無事に逃げ出していた。そして青少年推奨本コーナーを裸で練り歩き、大人気となっていた。

 ゾンビ化した{超新星爆発の謎}は、その場で膨らんだり縮んだりしていた。その不吉な動きはなんらかの凶事を予感させ、熟達の兵士に警戒感を喚起させた。追跡していたシールズの狙撃兵が、すぐ後ろにいた{世界の軍用ライフル}に「伏せろ」と怒鳴った。

 突如としてカレーライス色の光が放たれた。

 そのすぐ後に、ドカーンと景気のよい大きな音が響いた。凄まじい爆風と、汚レ付きの紙片が撒き散らされた。{超新星爆発の謎}が超新星爆発したのだ。近くの書籍は即座に感染し、ゾンビとなって次々と棚から落ちた。

 そこへ躊躇なく銃弾が撃ち込まれた。兵士たちは撃ちまくるが、続々と湧き出してくる標的の数は減らなかった。

「これはキリがないな」

「そうだな。本体に合流しよう」

 二冊は、撃ちまくりながらも油断もスキもなく後退した。多くのゾンビ本が、糊付けされた背表紙を撃ちぬかれ、汚レを噴き出しながら絶命していた。


「ちょいと兵隊さん。これは何の騒ぎなの。なんだか哀しいね」

 絵画の写真集がやってきて、その中にある泣く女という作品が言った。人間の心の葛藤や苦悩、あるいは社会の不安や暗部といったものを表現したかのようなその絵の顔は、一見すると、いちじるしく顔面崩壊していた。

 幼児がデタラメに描いたといってもいい。もちろん、有名な画家がわざとそういうように描いているのだ。顔面がひどく崩れているので、もはや人間ではないモノに見えてしまう。ブサイクとか、そういう次元ではなくて、どちらかといえば魔物の範疇に入るだろう。だから軍人たちはゾンビであると判定して、すぐにでも撃ち殺そうとしたが、寸前で引き金から指を離した。

「それになんだかさ、さっきから臭いんだよ、このあたりがさあ。生ごみじゃあないよ。もっと肉っぽいかんじだね。ああ、そうそう、むかしね、飼っていた猫がクローゼットのなかで死んじゃってさあ。しばらく気づかなくてね、さて二週間ぶりにパンツでも取り替えるかと思って、バーッて開けたらさあ、これが臭いのなんのって、ありゃあ、鼻がもげ落ちたよ」

「ゾンビがしゃべってるぞ」

「だまされるな。あれは死んだあとの脊髄反射だ」

 ゾンビは、論理的な思考ができないとされているので、当然意味のある言葉を話すことができないはずだ。だが目の前にいるゾンビ顔の女は、四十年連れ添った古女房のようになれなれしく話しかけてくる。これはゾンビではないのではとの判断がよぎり、引き金を引ききれないでいたのだ。

 ズキューーン。

 泣く女の額に穴が開いた。遠く離れた場所で、あの超一流スナイパー漫画の放った銃弾が女の額を貫通した。なんの罪もない、ゾンビですらない女を無慈悲に狙撃してしまった。連載が始まって以来の二度目となる失態だった。 

 超新星爆発で汚レを浴びたキノコ大図鑑のキノコたちが、ゾンビとなっていた。小さいのから大きいのまで、あらゆる種類の猛ったキノコたちが、この世のものとは思えない悪臭を放ちながら、図書館の床からニョキニョキと生えていた。

 運悪く、そこへ絶賛避難中の本たちが通りかかった。

{悩める現代の女子高生}や{思春期の女子}、{女子中学生毎日日記}などの、おもにティーンエージャーな女子本たちだった。近くの書籍棚が超新星爆発の残骸に汚染され、それらの本がゾンビ化したので、どこか安全な場所を求めての逃避だった。

「イヤー。なんなのここ、あれがー、たくさんのあれが立ってるう」

「あっちにも、こっちにも、あれがいっぱい」

「一番おっきいのが、おっきいのがブイブイいわせてるう」

 タケリダケという、ただでさえ猛ったイチモツみたいな形状のキノコが、そのこんもりと山状になった先端部から、濁って粘つく膿をピュッピュと射出していた。

{女子中学生毎日日記}が不用意にもその汁に触ろうとしたが、エロい上司をメッタメタに斬りまくった傑作ベストセラーエッセイ集{シバいたろか、OLが}が、寸前で止めた。

「だめ、それに触れてはだめよ。あんたにはまだ早い」

「でも、どうしよう。ここを通っていかないと」

 通路の先に行くには、そのキノコ床を通るしかなかった。もと来た道には、ゾンビとなった本がウロウロしている。危なくて引き返せない状況だ

「袋を被せればいいんじゃね」

{台所用品活用マニュアル}がビニール袋を取り出して、蠢くそれらに触れないよう、慎重に袋をかぶせた。傘から汚レがしたたり落ちているシメジや、糞混じりのネバネバが糸を引くナメコにビニールをかぶせた。これで、そのすぐ脇を通り過ぎても感染する心配はなくなった。

「やだ、これ。おっきすぎて入らないよ」

 だが、孤高に猛っているタケリダケには、用意した袋が小さすぎた。それでも先っぽだけに無理矢理かぶせたが、それも噴出する膿汁に吹き飛ばされてしまった。

「ゴミ袋でいいか」

 ゴミ袋はほどよい大きさだったが、タケリダケがドクンドクンと波打つように動くので、すっぽりと包み込むまで少々の時間がかかってしまった。難儀している間に、いじったりこすったりしたために、先っぽからほとばしる汚レ汁の量が尋常でなかった。ようやく一仕事終えた頃には、大量の汚レ汁がゴミ袋の先端部をパンパンに膨らませていた。

 そこに{匠の包丁}が通りかかった。包丁の解説本は、ビニールに覆われているとはいえ、生で触れれば一発アウトな危険生物の間隙をぬって進んだ。

「しまった」

 床に落ちていた爪楊枝を拾おうとしたサシミ包丁の尖った鋭角が、ナメコの袋を切り裂いてしまった。汚レにまみれたナメコ汁が、後にいた{独身女性の本音}に降りかかった。  

 いまだ独身な彼女は、「あっ、まだイケメンだけど貧乏な男しかつかまえていないんだから。もっと金のある男を捕まえて、面白ろおかしく生きたかったのに」と吐露してからゾンビとなった。爪楊枝に触れた{匠の包丁}も、直ちにゾンビとなった。それは、あの中年警備員が、汚い歯糞をシーシー言いながらほじくっていた爪楊枝だったのだ。

{匠の包丁}の出刃包丁が、ガラス窓からさし込んでくる月光に照らされ、その茶褐色で臭そうな刃をギラリと光らせた。そして「ギャウギョウ」呻きながら、{シバいたろか、OLが}の前に立った。

「このエロジジイがあ、訴えるぞ」と言ったところで、エッセイ集は縦真一文字にぶった斬られた。背表紙を切断されたために、OLはゾンビにならずにすんだが、その勝気な生涯も幕を閉じることになった。

 汚レな出刃包丁が見境なく斬りまくったために、その付近の腐れキノコは次々と始末された。あの猛り狂っていたタケリダケも、その根元からバッサリと切断された。その様子を書籍棚の一番上で見ていたハードボイルドな小説{ソペンサーシリーズ}は、思わず股間を押さえてしまった。

 キノコとティーンエージャー関連の本は、元のページに何が書かれていたのか断片すらわからないほどにメッタ斬りにされた。ゾンビ化した{匠の包丁}は、出刃包丁の他にサシミ包丁、菜切包丁、牛刀、ペティナイフなどで暴れまくっている。やたらめったら叩き切りまくるので、その付近は紙片の地獄と化していた。

 そこに{ネイビーシールズの事実}と{世界の軍用ライフル}が、その他のゾンビ本を撃ち殺しながらやってきた。そして、床に散らばった少女たちの屍骸と腐れキノコを見て立ち止まった。

「これからって年頃なのに、むごいな」

「ああ、このひどさは放ってはおけない。ここで食い止めなければ」

「まず、アイツを片付けよう」

 狙撃銃と軍用のアサルトライフルから銃弾が発射された。怒れる腐れ包丁に当たるが、硬い鋼が弾き飛ばした。何度撃っても、ゾンビな包丁は銃弾を跳ね飛ばすのだった。 

「だめだ。まるで歯が立たん」

「空からやってもらおう」

 シールズ隊員は無線機をオンにした。上空には{空軍FUN}から、早期空中警戒管制機がすでに飛ばされていた。

「レッドアイからバッファロー22、爆撃要請、ポイント598NC8オーバー」

「こちらバッファロー22、ポイント598NC8に爆撃要請を確認した。これより攻撃機を向かわせる。頭を低くしてろ」

 攻撃目標となる本棚の座標を言い終えると、シールズ隊員は仲間に身を隠すよう指示した。

「バッファロー22からヤンキーマウス、積荷はまだ残っているか」

 ヤンキーマウスは、空からゾンビどもを空爆している最中の攻撃機だ。

「バッファロー22、こちらヤンキーマウス。アヴェンジャーは弾切れだ。敵の数が多すぎて、撃っても撃ってもキリがない。残っているのは、CBU87が一発だけだ」

 機関砲を撃ち尽くした攻撃機に残っているのは、手りゅう弾ほどの子爆弾を200個内蔵したクラスター爆弾一発のみだった。爆弾としての威力はそれほどでもないが、子爆弾が方々で爆発するため、広範囲に散らばった多くの目標を破壊できる。

「了解した。地上の観測員から爆撃要請がきている。ポイント598NC8を攻撃次第、基地に帰投せよ」

「了解した。ポイント598NC8を爆撃後、帰投する」

 攻撃機は、胴体尾部にある二つのエンジンをキーンと言わせながら左旋回した。そして目標の座標付近まで降下し、クラスター爆弾を投下した。「くたばれ、ゾンビどもが」

 その爆弾は、床に落ちるはるか前の空中で炸裂した。だが、それは主たる爆発の前の準備でしかない。

 散らばった200個の子爆弾が着地一歩手前でバラバラバラバラと爆発した。さすがの鉄壁包丁ゾンビも、この爆弾の連続爆発には抗しきれず、粉々になった。その他、まだ姿形の残っていた腐れキノコやゾンビティーンエージャーらも、同じく木っ端みじんになった。

「ざまあみろ。フOック」と、コックピットのパイロットが下を向いて中指をおっ立てた瞬間、野鳥の群れが攻撃機に突っ込んできた。二つのエンジンが火を噴きだした。衝突したのは、もちろん汚レによって糞まみれとなった鳥たちだ。野鳥関係の本は、すでにその大半が感染していたのだ。

 ニンニクとニラ臭に安焼酎が混ざった臭気が、茶色い飛沫とともにエンジンから噴き出した。

 即座にゾンビ化したイボイノシシという愛称の攻撃機は、ブホブホ呻きながら早期空中警戒管制機めがけて突進し、その大型機の尾翼へ突き上げるように激突した。


「メーデー、メーデー、こちらバッファロー22、攻撃を受けて機体が大破した。墜落する、墜落する。これ以上管制できない。最後に、どうか妻に伝えてくれ、ペットのハムハム与太郎に、ハバネロ入り柿の種を食わすなと。次に日、ハムスターのアナルがメッチャ腫れているんだ。それと、ノートパソコンのDドライブにある新しいフォルダというフォルダを削除してくれ。中身を開くことなく削除してくれ。女子供には面白くないものだから迷わず削除してくれ。とくに絶対に娘に見せちゃいかん。あと、俺の電気カミソリでワキ毛を剃るな。顎髭を剃ろうとしたら、電気カミソリがワキガ臭くてかなわん。朝からオエーッてなったわ、オエーッて。最後にもう一つ、俺の棺にはマジカル魔法小公女アンジョリジョリーナの抱き枕を一緒に入れてくれ。あれがないと安眠できないんだ。間違っても、敵役のドロンドロンジョーは止めてくれよ。あれは貧乳すぎて、寝つきが悪い。」

「長いなあ」

 シールズ隊員に無線機からのメッセージを聞かせてもらっていた{世界の軍用ライフル}が、うんざりしていた。

「いや、抱き枕の件は重要だ。市販されるアンジョリジョリーナは限定品ばかりで、すぐに売れ切れるからな」戦士の中にも、オタクをこじらせている者が存在するのだった。

 軍用ライフル専門誌は、抱き枕の件は正直どうでもいいと思ったが、こういうマニアなやつを怒らせたら面倒だと考えた。 

「うむ。たしかに」と神妙な顔つきのまま頷いた。

 早期空中警戒管制機は、緩やかにきりもみしながら落下していた。なんとか姿勢を保とうとするが、胴体尾部が尾翼ごと吹き飛んでしまったために、どうにもならなかった。

「メーデー、メーデー、墜落するって。あ、さらにもう一つ女房に伝えてくれ。昨日、冷蔵庫の牛乳飲んだらさあ、腹痛くなって下痢三昧さ。日付見たら賞味期限が先先週のやつだったんだよ。もう、古くなった食品は早めに捨てろとあれほど言っていたの・・・」

 無線機は、そこで唐突に沈黙した。抱き枕について新たなコメントがあるのではないかと待っていた{ネイビーシールズの事実}と{世界の軍用ライフル}は、おやっ、というような表情でお互いの顔を見合わせた。

「ギャゴウギュアウウ」

 次に無線機から吐き出された声は、あきらかにゾンビ特有のものだった。空中爆発するよりも早く、ゾンビ化してしまったのだ。

「あっ、まずいぞ」

 汚レに感染した早期空中警戒管制機から主翼がもげた。胴体だけになった飛行機は、茶色く汚い見事な一本糞が、勢いよく落下しているように見えた。

 空軍関係の本や雑誌が集結しているエリアは、臨時の航空基地となっていた。そこへゾンビな一本糞が、茶色い尾をひきながらすい星のように落ちていった。

 着地の衝撃は思ったほどではなかったが、機体を覆っていた汚レが、ベチャッと汚らしい音をたてて全方位へと飛び散ってしまった。航空基地は瞬時に汚染され、ほぼすべてがゾンビ化してしまった。

「もう空爆は無理だな」

「まだ次の手があるさ」

 唯一の航空基地が使用不能になってしまった。兵士たちは仕方なく歩きだした。


周囲を警戒しながら進んでいると、前方から、あきらかに通常の本とは違うモノがやってきた。{世界の軍用ライフル}が撃とうとしたが、シールズ隊員が止めた。

「まて、ゾンビではないぞ」

「ああ、ここにいたのか。なにやってたんだよ。こっちはもう大変なんだ」

{金曜日のダンディズム}だった。間違って汚レに触れてしまわぬように、ビニールでその身を包んでいたため、異様な風体に見えたのだ。

「あっちもこっちもゾンビだらけだよ。猟銃なヤツも弾を撃ち尽くしたら、クソ新聞紙にやられてしまったよ。あのむっつり囲碁野郎もゾンビになって、汚ねえ碁石を投げつけてくるから、あぶなくてしょうがないんだ。だから、ビニールをかぶって自己防衛しないとすぐに感染しちゃうよ。さっきも、{女子大生のモノグッツ}や{月刊昼下がりの主婦たち}にビニールをかぶせてやったんだ」と言った。たしかに、二冊の雑誌が男性ファッション誌の後ろについてきている。 

 女性がおもな読者であるそれらの雑誌は、ともにビニール本となって自己防衛していた。ビニール越しに透けている表紙の女性が、なんとも妖艶な雰囲気をかもし出している。

「まったく、ビニールがあってよかったよ。おっ、こんなところにトマトが落ちてるじゃないか。ちょうどよかった。腹がへったから、トマトとバジルのパスタを作ろうかな」

「バカッ、そいつを離せ」シールズ隊員が怒鳴った。

 床に転がっているトマトは、家庭菜園のマニュアル本、{365日の家庭菜園}からこぼれ落ちたものだ。それらがなぜ床に転がっているのか。

「それはゾンビトマトだ」

{365日の家庭菜園}は、すでに腐った野菜となっていた。農薬をケチったわけではない。たとえヒ素や青酸カリのような猛毒を散布されていようと、無駄なことだ。むしろ、ゾンビの汚レの方が余程破壊力がある劇毒だった。

「ひええ」と、ダンディズムには程遠いへっぴり腰のまま呻いた。

「バカめ。感染するぞ」

「しまった。触ってしまった。ゾンビになっちまう」

 汚レなトマトを触ってしまったので、すぐにゾンビになってしまうと絶望したダンディズムは、失意のあまり屁をたれてしまった。

「あっ、そうだった。俺、いまはビニール本だったんだ。感染しないんだ」

 よかったよかった、わーいわーいと子供みたいに騒いでいる男性ファッション誌は、とりあえずカップ酒をグビグビとあおった。いつものブランデーやスコッチなどの高級洋酒でないところに、男という生き物の胡散臭くてニセモノっぽい属性を感じる{月刊昼下がりの主婦たち}であった。「だっせー」

「ったく、こんなところに堂々と転がってんじゃねえぞ、この糞トマトが」

 安酒でぐでんぐでんに酔っぱらった安サラリーマンが、道端に落ちていた空き缶をふらつく足で蹴るがごとく、ダンディズムがその糞トマトを蹴り飛ばそうとした。

 だが、これ見よがしにブランド靴をはいた足が、その腐った野菜を蹴ることはなかった。あんまりにも千鳥足過ぎて空振りしてしまったのだ。その代わり、本棚を思いっきり蹴った。

 その衝撃で、中段付近にあった本が一冊落ちてきた。そして酔っぱらってふらついている{金曜日のダンディズム}に激突した。

「痛ってえなあ。なんだよおい」

 それは{日本全国不快害虫図鑑}だった。

 日本中の迷惑で不愉快な数々の虫を、極限まで接写したフルカラー図鑑である。幸いなことに、汚レにはまだ感染していなかったが、落下の衝撃で不快な虫たちがワラワラと出てきてしまった。それらはアルコールのニオイに誘われるまま、{金曜日のダンディズム}のビニールの中に侵入した。

「なんだか突然、頭が痒いな」数十匹のシラミが頭髪の中に湧いていた。

「お、チ〇コも痒いな」さらに数十匹の毛ジラミが、パンツの中で陰嚢の薄皮をかじっていた。

「痛っ、すんごい痛い」キイロスズメバチが、その毒針をダンディーな男の尻にブスブスと刺しこんでいた。

「うわああ」

 不快害虫の王子さまことゲジゲジが眉毛に貼りついて、その長くて奇っ怪な多数の肢をワナワナさせている。

「もわああ」

 負けじとゴキブリが鼻や耳の穴に突進し、締めには便所にこびり付いた糞や湯垢をたらふく食べたカマドウマが、そのはち切れんばかりの胴体を見せびらかすように貼りついた。

 ダンディズムが泡をふいて悶絶していると、極悪な吸血ダニが、男性ファッション誌にある全てのモデルに、1ページにつき数百匹規模で突き刺さった。直ちに血を吸ったマダニは葡萄の粒ほどの大きさまで膨れた。

 どこのページを開いても、ポーズを決めた男性モデルの身体に鈴なりにくっ付いていた。ファッション誌というよりも、ダニにたかられた人間葡萄の写真集であった。

 不快害虫だらけとなった{金曜日のダンディズム}は、「助けて助けて、ヘルプミー」と喚きながらビニールを破り捨てた。そして、近くにいる女性誌に抱きつこうとした。 

「キモいんだよ、腐れオヤジがー」

「この害虫め。よるなよるな、キショっ」

 世の淑女たちに、そういうことを言われたくないがための専門誌が台無しとなった。さんざん罵られたあげく、{金曜日のダンディズム}は腐ったトマトを素足で踏みつけて即ゾンビ化してしまった。

「悪いなジョニー、アディオス」と別れの言葉をニヒルに吐きだした{世界の軍用ライフル}が、アサルトライフルのセレクターレバーをフルオートにして、容赦なく撃ちだした。

「ドベボベゴゲゾヴィ、ボベボボベボ」

 気色悪い害虫にたかられ、ゾンビとなったダンディーな雑誌は、銃弾を受けて木っ端みじんとなった。

 ゾンビ化した不快害虫が床に蠢いていた。{女子大生のモノグッズ}や{月刊昼下がり主婦たち}が自らのビニールを脱いで、それを虫の上に被せてから、死ねチネと喚きながら踏み潰し始めた。

 汚レまみれのシラミやダニやカマドウマを踏み潰すことに、主婦と女子大生は夢中になっていた。とくに穢れた血でまん丸になったダニを潰すのはある種の快感を伴うようで、初めは恐る恐るだったが、やっていくうちにツボに嵌ったのか、ブチブチと軽快な音をたてながら嬉々として踏んでいた。

 シールズ隊員が無線でやり取りしていた。時々怒鳴るように大声をあげている。冷静沈着な兵士にしてはめずらしいことで、相当な困難に直面しているとわかる。

「本部からか。状況はどうなんだ」

{世界の軍用ライフル}からの問いに、{ネイビーシールズの事実}は首を振りながら答えた。

「一般書籍棚と雑誌漫画コーナーの大半がゾンビに感染したようだ。一時的に女子便所に避難している一団もいるが、男子便所から危険なニオイがしていて、いつまでもつか予断を許さない状況だ。それと書庫の連中は、感染を恐れて全てのドアを封鎖した。エレベーターは止まっているし、階段も防火扉がしまっている。一般閲覧室からは一歩も出られない」

「俺たちは孤立しているわけか。最悪だな」ウロチョロしているゾンビゴキブリを銃床で叩き潰して、{世界の軍用ライフル}が悔しそうに言った。

「もっと最悪がある。艦船関係の雑誌や本が南東の角に集結しているんだ」

「艦船って、海軍のか」 

「ああそうだ。大和、武蔵、金剛に比叡、ニュージャージー、アイオワ、フッド、プリンスオブウエールズ、ビスマルクやポチョムキンまでもが参加している。さらにイージス艦が地対地ミサイルを全方位に向けて発射準備中だ」

「それだけの軍艦が集結して、しかも全方位って、ようするにどういうことだ」

「艦砲射撃とミサイルで、一般閲覧室の本という本を、根こそぎ粉々にする気だ」

「そんな。まだ感染していない本もいるんだぞ。それに女子便所に隠れているのは、どうするんだ。児童文学書だって全部がやられているわけではないだろう。子供は助けてやれよ」

「総司令部は、例外なく殲滅する気なんだよ。疑わしきは殺すのが軍人の常識なのさ」

 非情なようだが、それが戦場でのルールなのだ。

「それじゃあ俺たちは、どうなるんだ」

「あと5分で安全な場所へ退避せよとの命令だ」

「そうしたいのはやまやまだが、どこを見てもゾンビだらけで身動きできねえ。とても南東の角まで行けないな。でもぐずぐずしていたら、五分後に攻撃をくらってしまう」

 八方ふさがりとなったが、二冊の軍事本は諦めなかった。とにかく活路を見出そうと射撃を続け、ゾンビ本を仕留めていた。

「シャアアア、おりゃあ」

 それは突然、棚の遥か上段から舞い降りた。

「よせよせ、そんなシケたツラしてたら、お天道様も運を与えちゃくれないぜ。それとなあ、そこのベイビーたちも、あんまりバッチいモンを触っちゃだめさ」

「何者だ、貴様は」

{世界の軍用ライフル}が、カラシニコフ突撃銃を向けながら叫んだ。

「俺か。そうさなあ、俺はな、シャケナベイビー」

 それは、とても恥ずかしいポーズをキメていた。

「有名なとんちの一休だぜ、オーマイ、ガー」

 室町時代に存在した臨済宗の僧侶、一休宗純のマンガ入り解説本{とんちで一休しちゃうぞ}という超絶不人気本であった。

 この図書館に寄贈されてから数十年経つが、悲しいことに貸し出しはおろか読まれたことが一度もなかった。図書館員からも忘れ去られてしまい、識別ナンバーすら付与されていない。一般書籍棚のもっとも上の端っこで ゴキブリやカミキリムシに齧られ、湿気で印字がぼやけ、直射日光で紙の色が変色しながら、もはや廃本一歩手前の状態だった。

「新手のゾンビか」

{世界の軍用ライフル}が、さっそくショットガンをかまえた。

「いや、ただ頭がイカれているだけだろう」

 シールズ隊員の指摘通り、汚レには感染していなかったが、見かけはゾンビとほぼ同様にひどかった。その口ぶりからは、室町時代という時代考証が少しも感じられなかった。長年のネグレクトにより、文章に重篤な異常をきたしていたのだ。

「それじゃあ、ファンキーモンキーでナウいクソ坊主のオレ様が、てめえらにバッチグーな作戦を教えてやろうじゃないか。シャケナベイビー」

 廃本一歩手前だが、テンションだけは異様に高かった。死ぬ間際に一瞬だけ元気になる現象に似ていた。

「なんなの、こいつ。昭和なやつか」

「なんか、ムカつくわ」

 主婦と女子大生には不評だった。さも汚らしいモノを見るかのごとく、少々引き気味に見下していた。

「こんなおかしな奴が一緒だと足手まといになるし、なにをしでかすかわからんな。仕方がない。殺るか」   

「ああ。ゾンビになっていたということでいいだろう。どうせナンバーもないヤツだからな」

 兵士たちが銃を向けて引き金を引こうとした。ここで一冊くらい闇に葬っても、問題ないとの判断だった。

「ちょちょちょちょ、ちょっと待ったあ。ホントにいい作戦があるんだよ、まじファッキンなアイデアだからさあ、鮭なベイビー」

 一休のマンガ解説本は、今にも死にそうな風体だったが、そういうヤツにかぎって命根性があり余っているものである。

「よし。いちおう、聞いてやろうか」シールズ隊員が銃をおろした。

「よっしゃあ、じゃあちょっと待ってろよ。いまから考えるから」

 じつはまだアイディアがない坊主だった。

「♪どいつもこいつも臭いゾンビな汚物なゾンビな俺はロンリーな窓際で修業な毎日和尚も修行で風俗な毎日アソコが痒くて性病な毎日でチ〇コの先からヘンな汁がトロリでチンコが痛くて♪」

 一休の、有名なとんちの長考が始まった。しかし座禅して考えを巡らすのではなくて、なぜかヒップホップスタイルだった。

「うるせんだよ、このクソボウズ」

 そのヒップホップのあまりのウザったさにイラついた{女子大生のモノグッズ}が、邪魔だとばかりに蹴り飛ばした。「あひゃあ」

「よし。早いとこ始末しよう」

 同じく相当にイラついていた{世界の軍用ライフル}がショットガンをかまえて、一休の坊主頭を撃ちぬこうとした。

「だから上だって。上をよく見ろ、鮭とベイビー」。

 そういわれて何気なく上を向いたシールズ隊員が、あることに気がついた。

「そうか、その手があったが」

「なんだよ。その手って」 

「スプリンクラーだ。天井に設置されたスプリンクラーを作動させたら、この部屋全体を汚染している物質を洗い流すことができるだろう」

「たしかにそうだが、俺たちもびしょ濡れになっちまうぞ」

 本にとって湿気や水気は大敵だ。カビが発生しやすくなるし、なんといっても濡れると紙が破れてしまう。

 ましてや水がシャワーのように降り注ぐなど、自殺行為に等しい。水に流されたトイレットペーパーのように、溶けてしまう本が続出してしまうだろう。

「ここに至ってはイチかバチかだ。それに、もうすぐ艦砲射撃も始まる。ぐずぐずしてはいられない。まだゾンビになっていない本にはビニールをかぶるように言おう」

「よし、やるしかないか。で、どうやるんだ」

 具体的な方法はそれほど難しくない。書籍棚のてっぺんまで登って、天井に設置されたスプリンクラーの熱感知センサーを作動させればよいのだ。

「それだったら、私にまかせて」

{女子大生のモノグッズ}が、長い松明を取り出して火をつけた。合コンキャンプファイヤー用につくられたそれは伸縮自在であり、かなりの長さまで振りだすことができた。

「それならなんとかとどきそうだな。俺たちが援護するからすぐに行ってくれ」

 うんと頷いた女子大生が棚を登り始めた時、大きな地鳴りが響いた。続けて空気をつき破るような音が連続した。戦艦からの全方位艦砲射撃が始まったのだ。

 方々で紙片がとび散っていた。ゾンビ化した本も、まだ健全な本も見境なく砲撃された。

 古いといえども、なにせ戦艦の主砲である。着弾の威力は凄まじく、多くの書籍が瞬時に粉々になった。

 イージス艦からの対地ミサイル攻撃も重なった。粉砕された汚レだらけの紙吹雪が、まるで草原に大発生したイナゴの群れのように舞っていた。

「これは水が降る前に早めにビニールをかぶったほうがよさそうだ」

{ネイビーシールズの事実}と{世界の軍用ライフル}がビニ―ル本となりながら、棚を登る女子大生へ援護射撃していた。 

{月刊昼下がりの主婦たち}は、自分がかぶるはずのビニールがない事に焦った。それは、{とんちで一休しちゃうぞ}が図々しくも、すでに身につけていた。

「あんた何やってるの、それは私のよ。今すぐに脱ぎなさい。このインチキボウズ」

「だれが脱ぐもんか、このマザーフOッカー、クソビッチが」

 ビニール本になりたい二冊は、お互いを口汚く罵って揉み合いながら遠ざかっていた。

「おい、そっちは危ないぞ」

 シールズ隊員が、女子大生にたかるゾンビ本を撃ちながら注意した。だが、そこに対地ミサイルが直撃した。主婦とクソ坊主は、引っぱり合っていたビニールごと木っ端みじんに吹き飛んでしまった。

「もう少し、もう少し」

 女子大生の松明がスプリンクラーの熱感知センサーへと伸ばされた。メラメラとした炎が天井に近づくが、その消火装置は作動しなかった。いま一つ、長さが足りないのだ。

 艦砲射撃はますます激しさを増していた。本棚の書籍は、ゾンビ非ゾンビ見境なく次々と破壊されていた。ゾンビ同様、総司令部も狂気に満ちた行動をしているのだ。

 松明の炎はいまだ届いていない。巨弾の相次ぐ炸裂にもかかわらず、大量のゾンビどもが、女子大生と下で援護射撃している兵士たちに迫っていた。

「もう弾がない。弾がない」

{世界の軍用ライフル}が悲壮な声で叫んだ。

「これが最後だ」

{ネイビーシールズの事実}が最後のカートリッジを投げたと同時に、再び対地ミサイルがすぐ近くで炸裂した。{ネイビーシールズの事実}は、ゾンビ本とともに吹き飛んでしまった。 

 仲間の悲惨な死を見て、{世界の軍用ライフル}は狂ったように撃ちまくった。次々とゾンビ本が粉々になるが、その不浄な群れが尽きることはなかった。

「こっちは、もう、もたない。クソッ、クソがあ」

 弾切れとなった{世界の軍用ライフル}は、怒鳴りながら突撃銃の銃床でゾンビどもを殴打していた。殴って殴って殴り倒していたが、体力が尽きたところに、ゾンビ化した{毎日働くロードローラー}という本に踏み潰されてしまった。 

{女子大生のモノグッズ}が、チラリと下を見た。

一瞥しただけで、その絶望的な状況を理解した。さらに自分の周囲を見た。汚レにまみれた、おもにライトノベルな文庫本どもが、ミサイルで吹き飛ばされながらも迫っていた。もう援護射撃はない。女子大生がゾンビに襲われるのも時間の問題だった。

「飛べ、わたし」

 飛べると信じていた。いつか飛んでやるのよ、といつもコラムに書いていた。

「飛ぶのよ、自由な空へ」

{女子大生のモノグッズ}が飛んだ。そして精いっぱい松明を伸ばした。その炎がスプリンクラーの熱感知センサーをペロリと舐めた。

 ブシューーーーと、水が滝のように流れ落ちてきた。

{女子大生のモノグッズ}は、落下しながらスプリンクラーが作動していることを確認した。硬質な床に激突してページがバラバラに弾けた瞬間、「やった」と小さくつぶやいてこと切れた。

 だがしかし、女子大生は知らなかった。

 ゾンビ化した{日本アリ図鑑}が汚レまみれとなった無数のアリを放ち、それらの一部が壁のすき間を通って貯水タンクへ侵入していたことを。

 天井のスプリンクラーからほとばしる清水は、すぐに濁ったドロドロのジェル状になり、さらに粘性を増したそれらは、ブリブリと不潔な音をたてながら、すべてのスプリンクラーの口からとび散っていた。  

 一般閲覧室全域に汚レが撒かれ、すべての本が感染し、そしてゾンビとなった。南東の隅に集結していた艦船もすべてゾンビ化し、糞を濃縮した砲弾をやたらめったら撃ちまくった。

 もはや救いようのない状態であった。


 

 あくる朝、図書館の職員が出勤してきた。

 本来ならば、スプリンクラーが作動した時点で消防士や施設警備員が駆け付けるはずなのだが、その信号は遮断されていた。汚レに感染した{コンピューターウイルスの恐怖}という本から、ゾンビ化したウイルスがネット回線に侵入し、警報のプログラムを糞だらけにしてしまったのだ。

 図書館司書になって十五年、やたら背の高い女性職員は、階段の踊り場で絶句したまま硬直していた。彼女のすぐ後にいた新人の職員も、同じく言葉を失っていた。

 二階の一般閲覧室は、一目見て糞、右を見ても糞、左を見たら紙混じりの糞。ニラとニンニクと安酒が強烈に臭う糞だらけ地獄と化していた。 

 司書と新人は、ヒイヒイ泣きながらも室内を見てまわった。散乱する本と紙くず、それにべっとりと付着している糞に触れないよう、バレリーナのごとくつま先立ちで歩いていた。もしズボンの裾にでも触れようものなら、即刻辞職しようと司書は思っていたし、即刻自殺しようと新人は考えていた。

 一般閲覧室のあまりの汚さと激臭に、図書館職員であるという新人の職業意識が、あえなく折れてしまった。死んでやるこの馬鹿野郎と、一人逆ギレしながら女子便所に駆け込んだ。

 すると手洗いシンクの下に、十数冊の本が固まって置いてあるのを見つけた。まだ原型を留めた本があることに心うれしくなり、そのうちの一冊を手にとった。さっそくページを開いてみるが、そこには茶色いジェル状の汚レがべったりと付いており、ニラとニンニクと安焼酎が混じった糞のニオイを沸き上がらせた。

「くっさ。この本、めっちゃくっさ」


                                 おわり

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図書館の本、オブ・ザ・デッド 北見崇史 @dvdloto

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