08-07S レニアーガー・フルマドーグ 勝利と凱旋式
帝国歴一〇七九年十一月九日、ヘロン高原の戦いで帝国軍は奇跡の勝利を得た。
軍人としてわずかとは言えその勝利に貢献できたことは感に堪えない。
だが、直後に判明した政治的混迷は帝国軍将兵を困惑させた。
カゲシン中央政府ではエディゲ・アドッラティーフ宰相が暗殺され、クチュクンジ公子が臨時代理を務めているという。
そして、彼は我らを売っていたのだ。
クチュクンジ公子は何を考えているのか?
次期宗主のライバルであるバャハーンギール公子とシャールフ公子を始末するためと聞けば、意味が分からないでもないが、そのために帝国軍将兵六万を生贄に捧げるとは常軌を逸しているとしか言いようがない。
バャハーンギール殿下以下の帝国軍首脳は、カゲシン進撃を決議した。
当然だろう。
相手はこちらを殺そうとしたのだ。
反撃は当然。
幸い勝ち目はある。
ヘロンの帝国軍は現在の帝国内で最も大きい。
カゲシンを守るのは帝国最強と名高いクロスハウゼン師団だが、ここは我らクロスハウゼン旅団の母体である。
今回の事情を知れば少なくとも敵に回ることは無いだろう。
ヘロン帝国軍の士気は高い。
勝利の高揚感、そして会戦で示された、クロスハウゼン・バフラヴィー様、ベーグム・レザーワーリ殿、そしてカンナギ・キョウスケらの戦闘力。
一般兵士からは誰が相手でも勝てるとの意見が出ているほどだ。
トエナ公爵家の存在、そしてそれに協力しているというスラウフ族など、子細に考慮すればまだ油断できないとは思うが、兵士たちの士気が高いのは歓迎すべきだろう。
ところでだが、今回の会戦後、ベーグム家は突然ガーベラ家と家名を変えてしまった。
ガーベラの咲き誇る高原での戦いでガーベラを掲げて戦い、勝利したことを記念してだという。
正直、理解し難い。
ガーベラの咲き誇る高原などどこにあったのか?
ヘロン高原にはガーベラが群生しているそうで、季節にはガーベラの花で一杯になるという。
だが、その季節は既に過ぎ去っている。
会戦当日にはガーベラなど数えるほどしか残っていなかった。
ベーグム家の将兵はガーベラを身に纏って戦ったというが、私が知る限り、レザーワーリ殿も、主だった武将たちも、誰もガーベラなど身に着けていなかった。
意味が分からない。
分からないがガーベラ家への家名変更は確定だという。
更に会戦の名称も『ガーベラ会戦』にしようと言い出している。
いや、勝手に『ガーベラ会戦』の名称を使い始め、既成事実化しようとしている。
全体のトップであるバャハーンギール殿下は、元々軍事系に興味が薄く、「ヘロン会戦よりもガーベラ会戦の方が風情に優れる」とのガーベラ家の意見に賛同してしまった。
良く分からないのはシャールフ殿下もこれに賛同している事だろう。
なんでも「感動した」から、らしい。
軍のトップであるバフラヴィー様も許容している。
「会戦の名称など些細な事だ。
分かればよいのだからな。
ガーベラ一族が望んでいるのであれば、それで構わぬ」
バフラヴィー様は、そして彼の第一正夫人であるスタンバトア内公女も、この話題には触れてくれるな、という態度だった。
「いや、私も会戦の名称変更に反対という訳では無いですよ。
根拠ある名称ならばそれで良い。
ただ、一般的には地名と年号で呼ぶことになっているし、『ガーベラ会戦』の根拠がさっぱりわからない。
だから、今一納得がいかないのですよ」
「まあ、確かに言われてみれば、そうかもな」
私の問いにカンナギ・キョウスケは曖昧な返答を返した。
「ただ、名称問題では、ガーベラ家は絶対に引かないと思う。
レニアーガーが主張するだけでは勝てないな。
それに、オレもあの日の思い出の半分はガーベラだからなぁ」
何でそんなにガーベラが記憶に残っているのか聞いたのだが、カンナギは曖昧な笑みを返すだけであった。
カンナギにとっては既に終わった話らしい。
カンナギの頭を占めているのは多分女の事だろう。
彼はヘロン会戦、意地でも私だけでもこの名称を使うが、そこで類まれな手柄を立てている。
そして、褒美としてネディーアール殿下の愛人、将来の婿候補とされた。
ネディーアール殿下はクロスハウゼン系の内公女で、状況から見れば殿下の方がカンナギを自分の物にしたかったのだろう。
現在の殿下はすっかりカンナギの第一正夫人の顔をしている。
ネディーアール殿下と言えば宗主猊下のお気に入りで有名だ。
殿下がすんなりカンナギの正夫人になれるのかは疑問だが、彼がそれぐらいの手柄を立てたのも事実だろう。
問題は元から大きかったカンナギの女性問題が更に悪化してしまったことだ。
ネディーアール殿下は「毎日、七回ヤッている」と公言している。
この時点でおかしい。
更に、アシックネール殿とも毎日三回ヤッているという。
カンナギはそれだけでなく、他の夫人や侍女たちとも頻回にヤッている。
女性の相手をする回数だが、よく言われる話として、第一正夫人は三日に一度、第二正夫人は四日に一度、第三正夫人は五日に一度というのがある。
一か月単位にすれば、第一正夫人が十回、第二正夫人が八回、第三正夫人が六回、合計二四回で、残りの日は他の女に回すのだ。
ところがカンナギはネディーアール殿下と毎日七回だ。
この時点で尋常ではない。
アシックネール殿はネディーアール殿下に「ヤリ過ぎ」と注意しているが、本人も毎日三回だというのだから説得力ゼロだ。
更に、カンナギは捕虜の女性たちの相手まで始めた。
これは、各方面から以前から何度も要請されていた話であり、カンナギが強固に拒否していた話でもある。
本人によれば、追い詰められて仕方なく始めたとの事だが、客観的に見てそうは思えない。
カンナギは毎日一〇人近い捕虜を相手にしているのだ。
カンナギの捕虜は一流の筋肉系美女ばかり。
いやだいやだと言ってはいたが、実際に経験してみればとても良かったのだろう。
でなければ、毎日一〇人など有り得ない。
それにしても、カンナギの絶倫振りは驚異だ。
よく、男性の限界は一日一〇回と言われる。
だが、これは余程条件が良い場合に限られる。
性欲が有り余っている若者でも毎日となると五回程度だろう。
ところが、カンナギはネディーアール殿下とアシックネール殿だけで一日一〇回だ。
聞けば他の夫人や侍女も毎日のように相手をしているらしい。
今回、新たにカンナギの婚約者となったケイマン族の黒髪娘の侍女に聞けば、彼女は婚約者の侍女という立場であるにかかわらず、四日に一回以上を約束されたという。
下手な正夫人よりも待遇が良いと本人は上機嫌だが、カンナギは何を考えているのだろう?
下位夫人の侍女などにそんな待遇を与えていたら破綻するのは目に見えている。
更に、前述のようにカンナギは捕虜たちの相手を始めている。
正確には捕虜と、諸侯から送り込まれた女たちの相手。
合計すると、カンナギは毎日二〇回以上ヤッている計算だ。
何時、寝ているんだ?
驚異的な絶倫、異様な色狂いだ。
ネディーアール殿下は「男たるもの、毎日一〇人ぐらいの女をヒイヒイ言わせる力が無くてはのう」などと惚気ているが、問題は、カンナギがこれだけ毎日ヤリまくっていながら、部下の独身女性たちには全く手を付けないことだ。
「共に戦った私たちよりも、捕虜の女が優先されるなど我慢できません!」
部下からの怨嗟の声は以前に増して酷い。
何故か、オレが文句の矢面に立つのも同じだ。
困ったことに、ミッドストン以降、この状況は更に悪化した。
ミッドストンでは大きな改変があった。
聞けば、クチュクンジ一派は既にカゲシンから追放されたという。
何とも呆気ない話だが、カゲシンに籠城する敵軍との戦いを覚悟していた我々としては歓迎すべき話ではある。
クチュクンジは北方のトエナ方面に脱出することはできず、東方のシュマリナ方面に逃走したという。
トエナ公爵家の存在、崩壊したウィントップ領、スラウフ族の動向など懸念すべき事由はまだ多い。
クチュクンジとシュマリナ侯爵領も崩壊したわけではない。
懸念は多いから気は抜けないが、軍全体としての状況は大きく変わった。
ミッドストンからクリアワインまでの移動中に早馬と使者が頻繁に行き来し、概要が決まる。
帝国軍はカゲシンで凱旋式を挙行する形となった。
ガーベラ師団とゴルデッジ旅団はカゲシンでの凱旋式が終わり次第西部に戻ることとなる。
勿論、ケイマン族に対するためだ。
これらの部隊は、カゲシンに向うのも一部となる。
部隊の大半をカゲシン山脈の西側に留めて迅速に西に戻るためである。
クロスハウゼン旅団、タルフォート旅団など、他の部隊はカゲシンに戻り凱旋式に参加。
その後、対シュマリナ、対トエナの軍事作戦に従事する。
東部に逃亡したクチュクンジ軍はクロスハウゼン師団本隊が追撃している。
これに関与して、クロスハウゼン旅団の一部、具体的にはシャールフ殿下とバフラヴィー様、そしてその周辺が先行する話になった。
クロスハウゼン・カラカーニー様は孫たちをクロスハウゼン師団本隊の戦いに参加させ、手柄を立てさせたいらしい。
クロスハウゼン旅団の大半はネディーアール殿下を名目上の指揮官として残存する。
実質的な指揮官はカンナギだ。
第一歩兵連隊長であるファラディーバー殿は正夫人としてバフラヴィー様に同行するし、第二歩兵連隊長だったブルグル殿は既に先行連絡員としてカゲシンに戻っている。
魔導連隊長であるカンナギしか残っていないのが現実だ。
十六歳が実質的旅団長というのも凄い話だが。
私は、魔導連隊長に任命された。
魔導連隊のもう一人の大隊長ゲレト・タイジは牙族だから連隊指揮官としては無理がある。
同時に旅団長補佐にもなった。
新たに歩兵連隊長に任命された男は、元はクロスハウゼン特別大隊の小隊長。
私より若く格下だ。
成り行きとはいえ、連隊長兼旅団長補佐。
九月の初めに中隊長になったと喜んでいた身としてはどういって良いのか。
ただ、実際に就任してみれば、いや、就任する前から分かっていた事だが、私の任務はカンナギのお守りらしい。
公平に言えば、カンナギ家にはアシックネール殿という極めて能力の高い文官がいる。
ネディーアール殿下も文官としての能力は高く、アシックネール殿の補佐としてそれなりの働きをしているらしい。
本来は逆なのだが、名目上はネディーアール殿下が指示を出している形だから良いのであろう。
バフラヴィー様が旅団官僚の多くを引き連れて離脱したにも関わらず、旅団の日常業務が滞りなく継続しているのは、驚愕だ。
カンナギも旅団業務をしていないわけではない。
ただ、時間の大半を女の相手に費やしているのも事実だ。
信じがたい話だが、ミッドストンでは大量の捕虜がカンナギを待ち構えていた。
ラト族第三騎兵旅団の捕虜、あの決闘でカンナギ個人の捕虜となった女たちである。
聞けばカンナギがヘロン会戦で、意地でも私はこの名称を使うが、手柄を立てたと聞き、更にカンナギがケイマン族捕虜の女たちの相手を始めたと聞き、カンナギの所にやって来たらしい。
時系列からしておかしいのだが、根本的な話として捕虜となった女たちが、誰にも見張られる事もなく帝国内を集団で移動してきたというのは、どうなっているのか?
クリアワインの捕虜収容所が彼女たちを解放したというのか。
「うん、あいつらすんごく早く移動してきたみたいだな。
驚異のスピードだ」
「いや、流石に変でしょう。
時間的にヘロン会戦以前に解放されていたとしか思えない。
見張りも管理者もいない。
更に言えば捕虜たちは一人も『服従の首輪』をしていない」
のほほんとしているカンナギに私は苦言を呈した。
捕虜には脱走防止のため『服従の首輪』を装着する。
今回の捕虜はクリアワインに送る前に、少なくとも主だった者にはクロスハウゼン大隊で服従の首輪をつけている。
それが、現在はない。
つまり、クリアワインで外されたことになる。
「あー、仮にだ。
クリアワインの留守居役が勝手にケイマン軍捕虜を解放していたとしよう。
あの捕虜集団はケイマン軍に復帰するはずだったのが、勝手にオレの所にやって来たとしよう。
で、そーだった場合、どーしようってんだ?」
「そりゃ、正式に告発するしかないでしょう。
敵の捕虜を勝手に解放するなど許される訳が無い」
「だーかーらー、それをやるのがオレたちにとって、クロスハウゼン軍閥にとって利益になるのか?
クリアワインは恐らくクチュクンジに命令されたんだろう。
告発しても、バャハーンギール殿下からの褒美が増えるとは思えん。
そしてクリアワインの恨みを買うのは確実だ」
私は黙ってしまった。
「そーゆーことで、オレは捕虜たちが言ったクリアワインから強行軍でミッドストンまで来たって話を信じる」
「そんな、・・・服従の首輪の件も知らなかった事にするんですか?」
「クリアワインでの捕虜の扱いにクロスハウゼン家が口を出す必要はない」
言われてみればそうかもしれないが、帝国軍人として正しいのだろうか?
「ちなみに、バャハーンギールとその側近たちも馬鹿じゃない。
この捕虜集団は結構な話題になっている。
何人かは気付いているだろう。
つまり、こちらからわざわざ知らせる必要はない」
「もし、気付いていなかったら?」
「そこまで馬鹿なら、なおさらいう必要はないだろう。
そもそもこの話、クリアワインがどこまで関わっていたのか分からん。
クリアワインに残っていた留守居役の独断なのか、伯爵自身も関わっていたのか。
前者ならクリアワイン家内部の問題だ。
後者なら、クリアワイン家が二股をかけていたって話になる。
オレとしては、クリアワイン伯爵家がそーゆー家だと分かっているだけで充分だ」
カンナギは本当に十六歳なのだろうか?
私は、圧倒され、黙ってしまった。
だが、後日、私はやはりあの時に告発しておくべきだったと後悔することになる。
ラト族捕虜集団は、カンナギとセックスするというただそれだけのために、一名も欠けることなくミッドストンにやって来た異常集団だ。
到着したラト族捕虜たちはカンナギのケイマン族捕虜と一緒になって部隊を編成しクロスハウゼン旅団司令部の後ろに付いてくるようになってしまった。
やたらと体格の良い発情した女性集団が旅団司令部の後ろをついてくるのである。
ヘロン会戦以前、意地でもこの名称を使うが、我がクロスハウゼン旅団魔導連隊は『淫乱連隊』という有難くない異名を取っていた。
今や、クロスハウゼン旅団全体が『淫乱旅団』と噂されている。
他からの、主としてバャハーンギール殿下周辺から来る『風紀の改善を!』との話は何故か私の所に、私の所だけに来る。
なんで私なんだ?
捕虜集団を告発してバャハーンギールの管理下に移しておけばこんなことにはならなかった筈だ!
そしてカンナギは私の悩みを完全に無視する。
「参った。こんなに妊娠しないとは」
私が注意に赴いてもカンナギは上の空だ。
「パンツを作る目処も立たない。
どーしたらいいんだ!」
もはや、言葉の意味すら分からない。
「捕虜の購入予約がべらぼうなんだ。
ネディーアールとアシックネールが勝手に受けていて、・・・アナトリス侯爵やタルフォート伯爵とかは勿論、レザーワーリとトゥルーミシュは少なくとも三人とか言ってるし、シャールフ殿下にブルグル、宗教貴族まで、・・・それぞれ最低一人は妊娠したのを提供しろって。
そもそも、このままじゃモーランの女たちすら妊娠させられそうにない!
つーか、モーランの親父も、パンツか妊娠かせめてどちらかにしてくれよ!」
理解不能だが、とんでもなくストレスが溜まっているらしい。
毎日、いいだけヤリまくっていて、それはないのでは、と穏便に諭した所、『ヤル事を強制されてるからストレスが溜まってんじゃないか!』と反論された。
本人はそうかもしれないが、傍から見ればとてもそのようには見えない、と意見すると、『それは確かに』と頭を抱え込んだ。
「レニアーガーは理解してくれるよな?
妊娠もパンツも」
「ええ、まあ」
この男は帝国軍の柱石なのだ。
味方になっておいて損はない。
パンツは分からんが。
「じゃあ、そーゆーことで、これを頼む」
カンナギが出してきた書類は、軍の論功行賞用の人事評価書類だった。
「これ、上級幹部の査定書類じゃないですか。
旅団長の仕事ですよ」
凱旋式の事もあり、カゲシンから論功査定の官僚が軍に到着していた。
一連の軍事行動での論功行賞を行い、凱旋式の席次を決めるためである。
「あー、大体は書いたから。
レニアーガーや他も大方書いた。
細かい所を頼む。
あと、カゲシンの役人とのやり取りも」
それが一番大変で時間を喰うと思うのだが。
私は、書類を受け取ってざっと目を通す。
私の事はかなり良く書かれている。
特に、軍編成時の仕事や、行軍時の指揮、そして会戦当日の指揮も『最後まで部隊の戦闘能力を維持する事に成功した』と高い評価になっていた。
一方で、ここにいない私の副官であったアスカリ・アブルハイルについては、『日常業務で怠惰な所が見受けられる』とあまり高くない評価だったのには笑ってしまった。
「カンナギ殿自身の評価が書かれていませんが?」
「本人が書いちゃおかしいだろう。
レニアーガーが客観的に書いてくれよ。
ああ、何を書かれても怒らないから安心して」
そんなことで、私は旅団長権限の最も大事な仕事を任せられることになった。
まあ、信頼されているのであろう。
人事評価を実際に書いて難儀したのはやはりカンナギ本人の物だ。
何度も行われた敵重装歩兵部隊への吶喊、フロンクハイト枢機卿の撃破、ケイマン・オライダイ討ち取りの助力と目立つ手柄に事欠かないが、個人的に評価されるべきと考えるのは、ヘロン会戦での作戦具申、そして前日夜の塹壕構築である。
塹壕線の構築は私自身も参加したのだが、多くの将兵がカンナギの指導が無かったら、ああも早く大量の塹壕は作れなかったと証言している。
「死にたくないのなら穴を掘れ」、
「籠る城が無いのだから自分たちで作るしかない」、
「一番多く穴を掘った奴が一番手柄だ」、
などなど、カンナギの言葉は多く耳に残っている。
直接指導を受けた将兵は皆、彼に感化された。
あの時のカンナギは何をしたのか?
『威圧』を使っていたのではとの意見も出たが、『威圧』を受けた者はその期間の記憶が曖昧になる。
自分の意志に反した行動をとる形になるから、威圧から覚めた時に反動が出るのだ。
それを避けるため『威圧を受けた事を忘れろ』との命令もしばしば使われるが、そのためには術者がずっと付き添っていなければならない。
あの時のカンナギには不思議な迫力があった。
言っていることが正しかったのもあるが、カンナギ自身のカリスマ性なのであろう。
この男は生まれながらの指揮官なのだ。
幸いなことに、カゲシンの査察官もこの話には賛同してくれた。
彼も官僚であり、当日の華々しい手柄よりも事前準備を高く評価する傾向にある。
逆に彼が疑問を呈したのは、ラト族相手の決闘だった。
「これは、一体、何だったのですか?
軍としての命令で行ったわけではありませんよね?
正確には上官の命に反している」
それは、全くその通りである。
だが、あの神聖決闘がラト族第三騎兵旅団の壊滅に大きく貢献したのも事実なのだ。
「そもそも、何でこんなことになったのですか?
時間稼ぎとは言いますが、カンナギ坊官が個人的な趣味で行ったとしか思えない節もあるように感じます」
冷静に指摘されれば、その通りだろう。
だが、命がけで決闘を行った人間に趣味というのは酷い。
カンナギは明らかに作戦のために命を張ったのだ。
役人と話してもらちが明かないため、私はカンナギ本人に事の仔細を伝え直接話してくれるように頼んだ。
だが、カンナギの言葉は想定外だった。
「個人的な趣味と言われれば、確かにその通りだよなぁ」
カンナギはあっさりと、あの決闘を無かったことにしてしまった。
いや、事実はあったのだが、軍の命令ではなかったから、功はなし、ただし罪もなし、全て無かったこと、それでいいと。
「もう、坊官とニフナニクス聖勲章が確定らしいから、それで十分だ。
下手に、功績を盛られて大勲章なんか貰っちゃったら、バャハーンギール殿下と同じになる。
不味いだろ」
功績を得るのが不味い?
確かに十六歳で、坊官、大佐相当というのは出世し過ぎではあるが。
こうして、あの神聖決闘は軍の記録には載らないことになった。
後世の人は、何故、あの戦いでラト族の女性たちが大量に投降したのかと悩むことになりそうだ。
色々とあったが、こうして、私たちは十二月一日にカゲシンで凱旋式を執り行うことが出来た。
私自身、ゲレト・タイジやモーラン・マンドゥールンと並んでカンナギの直ぐ後ろという位置を確保できたのは幸運だったと思う。
私は正式に坊官補、諸侯でいうところの中佐となった。
感慨深い。
今年の初めには私は坊尉、諸侯での中尉相当だったのだ。
自護院同期の落ちこぼれと言われていたのが、気が付けば同期の出世頭である。
クロスハウゼン旅団は当面存続する事となり、私は正式に大隊長となった。
これで、軍で喰っていくことが出来るだろう。
ところで、会戦の名称は何時の間にか正式に『ガーベラ会戦』になっていた。
ミッドストンでバフラヴィー様が離脱して以降、帝国軍のトップはガーベラ・レザーワーリ殿となっていた。
彼はその権限を利用して会戦名称を変更してしまったらしい。
どうやら、私は敗北したようだ。
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