08-04S モローク・タージョッ 宗主侍医主任補佐

 帝国歴一〇七九年は帝国にとって激動の年だったが、私自身の運命も大きく変わった年だった。

 私はこの年の初めにカンナギ・キョウスケという男と婚約した。

 そして、彼と共同でネディーアール殿下の百日行の補助に入り、そのまま百日行を達成するという幸運に恵まれる。

 直後には施薬院全金徽章も獲得した。

 多分に政治的な意味合いが強い話だが、全金徽章には変わりない。

 しがない側夫人の娘であった私は一躍、一族の期待の星に躍り出た。

 私の栄達は、カンナギ・キョウスケの助けに依るところが大きかったのだが、彼との婚約は結局解消されることとなる。

 高位貴族から私に婚姻の申し込みが殺到し、父と長兄が浮かれまくったためだ。

 不義理な話だが、カンナギは特に恨みも妬みもないようで、今後も友人・同僚として普通に付き合いたいと言ってきた。

 世評の評判は変態で、それは否定し難いのだが、カンナギは悪い男ではないと思う。




 九月一日、スラウフ族の族長に対する祝福の儀が行われた。

 同日、ケイマン族の帝国内侵攻が明らかになる。

 そうして私は宗主侍医主任補佐に任命された。

 百日行を突破し正緑のストアを獲得し施薬院の全金徽章を獲得した時点で、私は宗主侍医団の一員となっていた。

 侍医団のトップは勿論、施薬院主席医療魔導士、シャイフの伯父上である。

 だが、戦争が始まると伯父は宗主猊下だけに集中する事はできなくなった。

 業務量が殺人的となり、宗主猊下個人の世話をする補佐役が必要になったのである。

 抜擢されたのが私だ。


 当然ながら反発は少なくなかった。


「其方が抜擢されたのは女だからだ。

 図に乗るのは慎むべき、むしろ辞退すべきだ」


 中でもシャイフ教室の重鎮であるトクタミッシュ殿は酷かった。

 トクタミッシュ殿はシャイフ伯父上の嫡男だ。

 私の従兄でもある。

 本人は補佐役には自分が選ばれると信じ切っていたらしい。

 私への圧力は酷い物だった。

 私の抜擢は確かに異例だろう。

 カゲシンで上位役職に独身女性が就任することはめったにない。

 逆に言えば、女性だからは、明らかに間違った意見だ。

 カゲシン施薬院では既に治療の中心が『高級医薬品』となっている。

 カンナギがもたらした『高級医薬品』は、特に高位貴族の治療では、なくてはならない物になっていた。

 私が抜擢されたのは、全金徽章と正緑のストアだけでなく、『高級医薬品』に精通し、自身でも作製できることが大きい。

 カンナギをはじめとして高級医薬品を作れる医師の多くが軍医として出征したのもある。

 トクタミッシュ殿は百日行に挑んですらいない。

 高級医薬品も一部しか作れないと聞く。

 これで選ばれるわけがないと思うのだが、本人はそうは考えなかったらしい。

 だが、私としても出世の機会を逃すつもりはない。

 トクタミッシュ殿他の反発と嫉妬の中、私は宗主侍医主任補佐となった。

 そして、三日で後悔した。




 宗主猊下の健康を管理する宗主侍医団は一〇名弱。

 全員、高い医療技術と知識を持ち、厳しい宗教審査を潜り抜けた施薬院の精鋭だ。

 一人は交代で宗主の側に侍る。

 私も宗主侍医の一員として以前からこの業務に入っていた。

 宗主侍医主任補佐はその侍医団を統括し指導する役目である。

 常に宗主に付き添うわけではないが、呼ばれれば直ぐに駆けつけて当番の侍医と共に治療に当たらねばならない。

 これは、大半の時間をカゲシン正堂かその近辺で過ごす事を意味する。

 自宅に戻れるのは五日に一度あれば良い方だろう。

 過酷な環境だが、これは事前に覚悟していた。

 問題は別にある。


 九月一日以降、宗主猊下は控えていた『子作り』を再開していた。

 シャイフの伯父は反対したが、宗主本人の強い意向で、医師の監視下で行う事を条件に許可となる。


 宗主猊下の新たな公子を得るという思いは執念と言えた。

 宗主はトエナ系、あるいはウィントップ系の公子を切望していた。

 第一正夫人、あるいは第二正夫人の系列だが、第一正夫人も第二正夫人も三〇台後半である。

 実際に宗主の子種を注がれるのはそれぞれの側夫人たちだ。

 トエナ公爵家、ウィントップ公爵家、それぞれ一〇人以上が選ばれていて、生理周期からその日最も妊娠しやすい女性が宗主の寝室に集う。

 問題は、宗主猊下の健康が悪化しており、精的な能力も低下していたことだろう。

 宗主猊下の性欲を高めるために様々な趣向が凝らされた。

 その日のプレイ内容を確認し、許可を出すのは宗主侍医主任補佐である。

『幼児母乳プレイ』と『乳児母乳プレイ』の差異とか、『低温蝋燭』の存在とか、各種プレイで異なる鞭の材質と用途とか、拘束具の種類と体に対する負荷とか、いらぬ知識が増えた。

 シャイフの伯父からは無用な知識は直ぐに忘れるよう助言されていたが、少なくともこの仕事を続けている間は忘れることはできないだろう。

 更に、心臓への負担が大きいと思われるプレイの日は私が直接立ち会う必要があった。

 精神的負担は尋常ではない。

 特に、宗主護衛騎士団が参加した日は驚愕だった。

 事前に内容は知らされていたが、宗主の後ろに護衛騎士団の面々が連なる姿を目の当たりにした衝撃は忘れられない。

 翌日は胃が固形物を受け付けなかった。


 護衛騎士団の夜の数日後、私は父と長兄に宗主侍医主任補佐を辞任したいと訴えた。


「何を言っているのだ。

 名誉ある抜擢を数日で辞退するなど有り得ぬ。

 其方には婚姻の申し込みが殺到しているのだぞ!」


 聞けば、大半の相手は私が宗主侍医主任補佐を継続する事を望んでいるらしい。

 確かに、宗主と個人的に接する地位は稀だ。

 私はそれでも辞任したかったが、婚姻候補の話を聞いて黙る。

 エディゲ宰相家継嗣の第三正夫人、アナトリス侯爵家継嗣の第二正夫人、幾つかの少僧正家の第一正夫人、震えが来るほどの好待遇だ!




 気を取り直した私は仕事に戻る事にした。

 幸か不幸か、私の心労はその直後から減少する。

 猊下の健康が悪化したためだ。

 九月一日の時点で多少は回復していたとは言え、『糖尿病』は根本的には治癒していない。

 このため、夜の生活には様々な『趣向』が必要だったのだが、十月に入ると、それでも『反応』が鈍くなる。

 第七正夫人デュケルアール様の母乳を飲んでから宗主護衛騎士団に奉仕させるという、それまで確実だった『趣向』でも反応が薄い。

『宙づり』や『鞭打ち』、『野外プレイ』程度では全くダメである。

 宗主補フサイミール殿下は最新流行だという『白綿毛モフモフで小型でありながら筋肉もしっかりしたネコ系牙族奴隷』を引き連れてやってきて、彼女のしっぽで猊下の顔をはたかせたが、猊下の持ち物は全く反応しない。

 これには、猊下自身が大きく気落ちしていた。


 原因は明らかだった。

 糖尿病が悪化したのだ。

 猊下の体重は増加に転じている。

 宗主の食事は侍医団により厳格に制限されていたが、それ以外の食事、つまり『隠れ喰い』をしているのは明らだった。

 だが、私たちは所詮、侍医である。

 猊下の生活全てを取り仕切る権限は与えられていない。

 本人の自覚が必要だ。

 私は宗主侍医主任補佐として健康維持のためには食事管理が重要と何度も言上したが全く聞き入れられなかった。


「致し方ない。

 糖尿病患者は食欲が極めて大きくなるのだそうだ。

 私も、宰相閣下も、お諫めしたが聞き入られぬ。

 放置するしかないであろう。

 宰相閣下は猊下が早晩逝去されるものと想定されている。

 然るべき公子に跡を継いで頂くことになるのであろう」


「ですが、第二軍が敗北し、シャーヤフヤー殿下が戦死されたとの報告もありました。

 第一軍のバャハーンギール殿下も良く分かりません。

 ここで猊下が亡くなられれば大混乱になるのではありませんか」


「宗主補フサイミール殿下が暫定的に即位して、その後、然るべき者を即位させるとの段取りが出来ているらしい。

 これ以上は我らが口を出すことではない」


 良く分からないが宰相閣下や他の上級貴族たちの合意が出来ているらしい。

 私は、注意していた実績を作るため、その後もしばしば食事制限を意見したが、全体としては静観することにした。




 十一月一日に発生したエディゲ・アドッラティーフ宰相の暗殺は帝国を震撼させた。

 前後して入ってきた『ウィントップ公爵家謀反』と『鎮圧』の話も加わり、カゲシン内外は大混乱に陥った。

 だが、偶然一時的にカゲシンに滞在していたシュマリナ太守クチュクンジ殿下が事態の収拾に動く。

 数日後にはクチュクンジ殿下主導により、エディゲ・アドッラティーフ宰相がケイマン族に帝国を売り渡すという謀略が暴かれ、カゲシンの政治状況は安定した。

 ウィントップ公爵家はケイマン族と組んでトエナ公爵家を挟み撃ちにし、その領土を奪取しようとしたが、事前に露見し、トエナ公爵家とそれに協力したスラウフ族により逆に討伐された。

 エディゲ家はウィントップ公爵家の滅亡に内紛を起こし、アドッラティーフ宰相に責任を押し付けて逃れようとしていた、らしい。


 以上は、クチュクンジ殿下の発表したところだが、数日振りの宿下がりでこれを聞かされた私は苦笑するしかなかった。

 宗主猊下の間近で事を見ていた私としては、全てが欺瞞である。

 クチュクンジ殿下は武力でカゲシン正堂に押し入り、宗主猊下を軟禁した。

 トエナ系貴族の手引きで宗主の『奥』まで侵入したのである。

 抵抗した宗主護衛騎士団は半数近くが戦死。

 護衛騎士団長も傷を受けて拘束されている。

 どう考えてもクチュクンジ殿下とトエナ公爵家が組んで、エディゲ宰相家とウィントップ公爵家を嵌めたようにしか見えない。

 だが、カゲシン中枢はクチュクンジ殿下とトエナ公爵一派で占拠されている。

 私たちに出来ることはほとんどない。


「エディケ家とウィントップ家の方々は気の毒だが、我らは淡々と仕事を続けるしかあるまい。

 クチュクンジ殿下も我らの仕事に口を出すことは多くは無かろう。

 考えてみれば、シャーヤフヤー殿下や、バャハーンギール殿下よりはクチュクンジ殿下の方がマシかもしれぬ」


 シャイフの伯父は「どんな形でも帝国が安定すれば良いのだ」と自分を納得させるように言っていた。


 伯父が予見した通り、私たち宗主侍医団の仕事は少なくとも当座の変更はなかった。

 下手に現宗主に死なれては、クチュクンジが殺したと誤認されかねない。

 そうなれば、反対派が増える。

 クチュクンジ殿下は円満な政権移譲を目指しており、諸侯・貴族の前で現宗主シャーラーン猊下から直接、次期宗主として指名してもらう予定らしい。

 少なくともその時までは現宗主に死なれては困るのだ。

 そんなことで、クチュクンジは私たち侍医団の業務を妨害することは無かった。

 逆に、宗主近辺の出入りが統制され、『隠れ喰い』が減少し、宗主の健康が改善傾向になったのだから皮肉な物である。


 ただ、宗主自身は無事だったが、宗主一族はそうではない。

 ウィントップ系である宗主第二正夫人は謹慎を命じられ、三日後、病死が発表された。

 第二正夫人系の側夫人数十人は、カゲシン正堂から追放される。

 後日、聞いたところではクチュクンジ派の貴族に『分配』されたらしい。

 カゲシン政府の『被害』も少なくない。

 エディゲ宰相家とウィントップ公爵家、それぞれの系列の貴族、官僚が処分され、追放された。

 両家とも、長い歴史を誇る大貴族である。

 一族はとても多い。

 それが、ほとんどいなくなったのだ。

 代わりとして、トエナ系とシュマリナ系の貴族が抜擢されたが、政府の業務が引継ぎもなく継続できるわけがない。

 カゲシンの混乱は収まらず、却って悪化した。


 そこに更に混乱の種がやってくる。

 あの、アーガー・ピールハンマド殿が舞い戻ってきたのだ。

 それも、柱頭行者とかいう変な集団を引き連れて、である。

 どこから聞いたのか分からないが、やたらと早い。

 一体、誰が彼に知らせたのだろう。

 本人は、エディゲ・アドッラティーフ宰相の遺言と言っているが。

 クチュクンジにとってもピールハンマドの早すぎる帰還は想定外だったのだろう。

 分かっていればカゲシンの城門で止めただろうが、城内に入り込まれては制御困難だ。


 アーガー・ピールハンマド殿と言えば事情を知る者にとっては、名門出身のちょっと困った人、だろう。

 だが、一般民衆には、名門出身で千日行を達成した次期宰相候補。

 実際、エディゲ・アドッラティーフ宰相亡き現在、帝国内で千日行達成者は彼しかいない。

 その次期宰相候補がカゲシン正堂前広場に変な柱を立ててその上に登り、祈祷を行っている。

 ケイマン族の帝国侵入に対する討伐祈願だ。

 ついでに、自分を帝国宰相にしろとも訴えている。

 民衆は拍手喝采だ。

 クチュクンジ公子もこれには困ったらしい。


 実情はどうあれ、カゲシン・マリセア教導国はマリセア正教が国家の基礎だ。

 帝国宰相は厳しい修行で悟りを開いた賢者が就任することになっている。

 少なくとも一〇〇年以上それでやってきた。

 今更、カゲシン貴族が権力を握るための方便と言っても一般市民は信じない。

 ピールハンマドは政治家には不適だと言っても、彼の身近にいない者には理解できない。

 困ったことにピールハンマド殿は演説がうまい。

 時に怒り、時に泣き、そして時に冷静に、聞く人の感情に訴える。

 現実を見ない空理空論だが。

 帝国全ての人々がマリセア正教に対する信心を取り戻し、熱心に祈ればケイマン族打倒など容易い、と言われても私としては苦笑いだ。

 だが、更に困ったことはカゲシンの一般民衆と少なくない貴族がこれに同調し始めた事だろう。

 考えてみればカゲシンには理想に走りがちな宗教貴族が多い。

 現実派の軍事貴族、実務官僚は多くが出征している。

 我が施薬院も半数以上の医師が出征しているのだ。

 元々高い宗教系の比率が現在は更に高くなっている。

 そして、第二軍が敗北し、第一軍がヘロンで包囲されているという惨状。

 皆で祈れば勝てるというピールハンマドの扇動は効果的だった。

 私の実家も宗教貴族だが、父も長兄もピールハンマドに賛意を示していたぐらいである。

 説得して、何とかその配下に参じることは止めさせたが。


 たった数日でピールハンマドはクチュクンジ公子にとって尻のとげになっていた。

 名門出身で千日行達成者という有名人だから、ひっそりと始末する事など出来ない。

 懐柔しようと試みたらしいが、例の思い込みの激しい性格である。

 クチュクンジの使者との折衝も柱の上から公開で行う始末。

 しかも、自分を帝国宰相にとの条件を一切曲げない。

 交渉自体が成り立たない。




 正直な所、私はピールハンマドとクチュクンジのどちらがマシなのかは分からない。

 クチュクンジの方が現実的だとは思うが、エディケ家やウィントップ公爵家に対するやり方を見ると好きには成れない。

 どちらも恐らくは無実だ。

 それなのに多くの者が殺され追放された。

 私の友人にも少なくない犠牲者が出ている。

 思うのだが、エディケ本家やウィントップ本家は致し方ないとしても、その係累までの処分は、やり過ぎだと思う。

 カゲシン貴族の多くが友人や縁者を失っている。

 クチュクンジ政権になって良かったことは、宗主猊下の健康が回復したことぐらい。

 ピールハンマドは理想的に過ぎるが、清廉潔白で公平なのも事実だ。

 貴族として、社会人としてどうかと思うが、トップとして風紀を正すのには向いているかもしれない。




 今一つ不人気なクチュクンジ政権と、実績は何もないが支持を広げるピールハンマドの睨み合いは、唐突に終わった。

 良く分からないが、ヘロンで帝国軍がケイマン族に勝利したという。

 そして何故か、クチュクンジ政権は窮地に陥った。


 私たちが聞いていた話では、ヘロンではバャハーンギール公子を擁する帝国第一軍がケイマン軍に包囲されていて、それの救援に帝国第十一軍が向かっていた。

 第十一軍と第一軍を合わせてもケイマン軍の半分ぐらいなので、第十一軍は決戦を行わず、交渉で打開するとの話だった。

 第一軍解放の見返りとして少なくない帝国領土と金貨が必要になると噂されていたが致し方ないとされていたのである。

 それが何故か、帝国軍とケイマン軍が決戦を行っており、帝国軍が奇跡の勝利を掴んだという。


 この時点では詳細は分からなかったが、後に聞いた話は呆れるしかない。

 クチュクンジ政権はケイマン族に取り入るため、そして、自分のライバルを消すために、帝国軍にケイマン軍との決戦を強要したらしい。

 バャハーンギール、シャールフの二人の公子の殺害、そして、ケイマン族が望む帝国軍に対する大勝利の進呈のためだ。

 ヘロン救援に向かった帝国第十一軍には、カゲシンでの政変、エディゲ宰相の暗殺やウィントップ家の謀反、そしてクチュクンジの政権掌握も知らされていなかったという。

 クチュクンジはエディゲ宰相を装って指示を出していたのだ。

 第十一軍への手紙も全て検閲して握りつぶしていたらしい。

 カゲシンの多くの貴族が政変を知らせる手紙を送っていたのだが、それは届いていなかった。

 長い間連絡が途絶していれば第十一軍側も疑問に思ったかもしれないが、クチュクンジの政権掌握が十一月二日、決戦が十一月九日である。

 誰も、クチュクンジが帝国第十一軍を生贄に差し出しているとは思ってもいなかったから、疑問に思うはずもない。

 カゲクロにいたクロスハウゼン家の当主カラカーニー殿も第十一軍に使者を送っていたが、まさか、帝国三師団師団長の使者が手紙ごと『始末』されたとは思わなかっただろう。

 期間が短かったから、返書が届かなくても疑問に思わなかったのだ。


 これでケイマン軍が勝利していればクチュクンジの計算通りになり、カゲクロのクロスハウゼン師団も動くのは困難だっただろう。

 だが帝国軍が勝利したことで話が変わった。

 帝国軍はケイマン軍司令部からクチュクンジとケイマンの内通の証拠を得たという。

 騙されたと知ったカゲクロのクロスハウゼン・カラカーニーがクチュクンジ討伐に動き始める。

 更に、何がどうしてかは不明だが、『クチュクンジ討伐の詔』が発布された。

 クチュクンジは急遽カゲシン正堂の大広間で宗主就任を強行したが、出席者は数人。

 衛兵の方が多かったという。

 そして、カゲシン正堂で再び戦いが発生した。

 後から聞いたところでは、クチュクンジは宗主猊下本人とその第七正夫人デュケルアール様を人質に取ろうとしたらしい。

 デュケルアール様はクロスハウゼン・カラカーニーの正夫人の娘である。

 だが、クチュクンジが動く直前に宗主護衛騎士団が動いた。

 私は偶然、宗主居室にいたのだが、いきなり入ってきた完全武装の護衛騎士団団長が、クチュクンジ配下の兵士を一撃で切り殺したのには唖然とした。

 だが、この蛮勇によりクチュクンジの野望が頓挫したのも事実だろう。

 直後に押しかけて来たクチュクンジ配下の兵士は宗主居室の直前で食い止められたのだ。

 そして、そこに援軍としてピールハンマド率いる兵士が到着。

 逆にクチュクンジたちが逃げだすこととなった。




 勝利したアーガー・ピールハンマドは配下の貴族と共に宗主護衛騎士団長に付き添われ、猊下に拝謁。

 そのまま、帝国宰相に任命された。

 思うのだが、恐らく宗主はピールハンマドを宰相にはしたくなかったのだろう。

 クチュクンジを追い払ったピールハンマドの功績を褒め称えたものの、その後は沈黙が続いた。

 しかし、護衛騎士団長だけでなく、多くの貴族がピールハンマドの宰相就任を求める状況では抵抗できなかったらしい。

 観念したようにピールハンマドを宰相に任じた。

 こうして、帝国宰相アーガー・ピールハンマドが誕生したのである。

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