05-09 飲みすぎ、食べすぎ、やり過ぎ、(三)

「根本的な話として、宗主猊下の男性機能は既に限界だと考えますが」


 医師団だけになったところで、シノさんが素朴な意見を口にした。


「九月一日の儀式が最優先とのお話でしたから、少なくともそれまでは夜の活動は控えて頂くのが宜しいでしょう」


 シャイフだけでなく、施薬院講師陣が力なく頷く。

 糖尿病かどうかは別としても、宗主の体調が極めて悪い事は医師であれば一目瞭然である。

 医学的には分かり切った結論なのだ。


「それよりもシャイフ殿」


 講師の一人が手を挙げた。


「宗主猊下の夜の行為、公子を得るためとはいえ、いささか常識を逸脱しているように思います。

 主席はご存じだったようだが、何故お止めしなかったのですか?」


 シャイフが苦悶の表情となる。


「猊下は宗主に就任された頃から、男性機能の低下に悩まれていた。

 だが、宗家、そして宗主猊下ご自身が公子を熱望されていた。

 そのために猊下は『毎晩』、子づくりに励まれていたのだ。

 私が推奨した方法では『毎晩』は維持できなかった。

 そもそも、『毎晩』に拘るべきではないと申し上げたのだがな。

 これに対して、『毎晩』を維持するために、様々な者が多様な方法を持ち込んだのだ。

 基本的に私より身分が上の者の意見であったため、抵抗は困難であった。

 衛生学的な懸念から『スカトロ』というのだけは断念して頂いたが、他は無理であった」


 最後の一線は死守していたわけだ。


「先生、苦労されたんですね」


 オレが慰めると、シャイフがかすかに笑った。


「・・・分かってくれるか」


 もう、聞くも涙、語るも涙だな。

 他の講師達も、それぞれの『プレイ発案者』の名を聞いて沈黙した。

 つーか、大半が宗主の親戚だ。

 シャイフは、例のスペシャルドリンクも、明らかに害のある物、麻薬・覚せい剤系は排除していたらしい。

 変態って、基本的にルール無用で唯我独尊だからな。




 医師団の意見は簡単にまとまった。

 九月一日の儀式優先、夜間のお勤めは禁止。

 厳格なカロリーコントロールを実行して体重減少に努める。

 浮腫と心不全は明らかなため、糖尿病という病名に疑問を呈した医師もこれらには賛成した。

 体を軽くして、心臓の負担を減らさなければ二時間以上と見込まれる儀式に耐えられない。

 元の部屋に戻り、医師団の総意として意見を具申すると、宰相は渋々ながら頷いた。

 ただ、宗主に対して夜間のお勤めは『儀式までは中止』と話すことになった。

 永遠、では宗主が受け入れない可能性が高いと乳母が主張し宰相も同意したためである。

 致し方ないだろう。


 オレはシャイフとシノさんと相談の上で、高血糖性昏睡予防のために内服剤を作ることになった。

 血糖測定ができない状態でインスリンを使い続けるのは苦し過ぎる。

『最終皇帝』の医学書に載っていない薬を、オレが独自に開発すると宣言して作った。

 なんでそんな目立つことをしたのかって?

 そりゃ、イヤだけど、医者として出来ることはせざるを得ない。

 相手が重度の変態でもだ。

 肝心の薬だが、SGLT2を選択し、あっさりと作製に成功した。

 スルホニルウレアは使い過ぎで低血糖の可能性があるし、インスリン抵抗改善剤は効果が限定的だ。

 DPP4は、それなりに効果はあると思うのだが、作用機序が良く分からん。

 インスリン分泌促進だけでなくグルカゴンとGLP1にどうたらこうたらという話だったが、よく覚えていないから魔法では難しいだろう。

 ビグアナイドも同様で、複数の作用機序を持つ薬は魔法で作製するのが困難だ。

 詳しい分子構造が分かっていれば話は別だが、そんなの覚えているはずが無い。

 一方、SGLT2は腎尿細管からの糖再吸収抑制と作用機序がはっきりしているから魔法で作りやすい。

 利尿作用もあって心不全にも良いから一石二鳥だろう。


 ちなみに、オレは宗主の糖尿病の根本治療をする気はない。

 意識が戻った本人に問診した所、既に両手指の感覚がおかしくなっていることが判明した。

 糖尿病性末梢神経障害というやつで、もう完全に末期である。

 実は現代医学でも末期に至った糖尿病に対して出来ることは少ない。

 症状が出る前に発見して血糖コントロールを行うのが現代の糖尿病治療である。

 恐らくはHbA1c二桁に達している患者にSGLT2だけを投与しても、血糖値が充分に下がるとは思えない。

 では、何でオレが薬を作製したのかと言えば、高血糖性昏睡予防のためである。

 食事制限は厳密にやるが、恐らく、いやほぼ確実に隠れ喰いするだろう。

 それで、また高血糖に成って意識不明になられては困るのだ。

 出来ないことは出来ないが、出来ることはやらないと寝覚めが悪い。


「始祖様が書き残していない薬ですか。

 あなたは、本当に、どこでその知識を得たのでしょうね」


「さあ、最終皇帝閣下も恐らく知っていたとは思いますけど」


 SGLT2の作製をシノさんに教えていたら、他の講師たちが寄って来た。

 自分たちにも教えろという話だが、・・・まあ、無理だ、いろいろと。

 取りあえずシャイフには教えることにしたが、他の講師が、「処方箋が」とか言い出す。

 で、シャイフも困った顔になってしまった。




 以前、高級医薬品を売りさばくために『処方箋』方式を提唱し、シャイフ以下カゲシン施薬院首脳に受け入れさせた。

 あっさり受け入れてくれてたのだが、その後、処方箋方式はカゲシンの一部で既に採用されていたことが判明した。

 宗主一族と最上級の貴族にだけ行われていたのである。


 診断する医師と薬を処方する薬剤師を分離する『医薬分業』は中世ヨーロッパに始まると聞く。

 ヨーロッパにおいても、元は一人の医師が診断し薬を調剤して処方する形式であった。

 日本や中国などではこの方式が近代まで継続している。

 では、何故に『医薬分業』が行われるようになったのか。

 分離することによって薬剤師が専門に薬を管理できるとか、医師と薬剤師でダブルチェックになるとか、薬の在庫の問題とか、医師が診断に専念できるとか、色々なメリットが謳われているが、実はこれ、全て後付けの理由である。

 中世ヨーロッパで医薬分業が採用された最大の理由は『毒殺防止』であった。


 古来、権力者近くに存在した医師は毒殺に最適な立場であった。

 医師による毒殺を防止するために考え出されたのが『医薬分業』、『処方箋方式』である。

 医師は患者を診察し診断し、『処方箋』を発行する。

 出された『処方箋』は診断した医師とは別の薬剤師が調剤する。

 この時に『処方箋』の氏名欄を記号化すれば、調剤する薬剤師は誰の薬を調剤しているのか分からなくなる。

 複数の処方箋を一度に渡す、ダミーの処方箋を混入する、一つの処方箋をコピーして複数の薬剤師に調剤させランダムで使用する、などを併用すれば、薬剤師は自分が誰の薬を調剤しているかを知るのは極めて困難になる。

 これにより毒殺の危険性は大きく低下した。


 実は、医師と薬剤師、二人の人間がかかわる『処方箋方式』は一人で全てを完結する従来の方式に比べてミスは増加すると言われている。

 近年の先進国では様々な防止策が講じられているが、近世以前では処方箋の読み間違いにより事故が多発していた。

 それでも、処方箋方式が定着したのは『毒殺防止』効果が極めて大きかったからに他ならない。

 実は、医師にとっても、これは朗報であった。

 息子を人質にされて権力者の毒殺を強要されるのは医師にとっても良い話ではないからだ。

 そんなことで、カゲシンでも毒殺防止目的で『処方箋方式』が導入されていた訳である。


 ただし、だ。


「今回の場合、糖尿病の患者は一人しかいないし、薬を作れる人間も限られていますが」


「それでも、複数の者が薬を作製できる方が望ましい」


 まあ、確かに。

 オレとシャイフとシノさんの三人だけというのは色々と問題だ。

 オレ自身、宗主の張り付きには成りたくない。


「誰をかかわらせるかは確かに問題だ。

 糖尿病患者などまず存在しない。

 宗主猊下が重篤であることを、知ることになるのだから」


 そんなことで、施薬院首脳により薬剤作製メンバーが選定された。

 オレが推した第一候補者はシマ以下のセンフルール勢だが、外国人は却下となる。

 シノさんが勝手に教えることは構わないが、宗主の治療参加は最低限にしたいらしい。

 次に挙げた、ゲレト・タイジも同様な理由で却下される。

 バフシュ・アフルーズ施薬院上級講師は、・・・宰相以下、関係者の大半が難色を示した。


「あいつが信用できるか」

「技術はあるのだろうが、酔っぱらってどこかの売春婦にでも猊下の病状を話しそうだ」

「そもそも、あの男の作った薬を猊下に飲ませるのか!」


 ・・・滅茶苦茶、評判悪いです。

 そんなんで、結局残ったのは、・・・。


「内公女殿下であれば問題は何もない」

「我儘というお話も有ったが、百日行を達成されたのは立派だ」


 第一候補として皆が賛成したのが、ネディーアール様。


「モローク家か、まあ、悪くは無い。

 娘は百日行達成者か。

 それであれば問題は無かろう」

「施薬院に入ったばかりというが優秀な成績と聞く。

『正緑』であれば将来の金色徽章獲得は間違いないであろう」


 続いて、モローク・タージョッも許可される。


「クロイトノット家か、まあ、悪くは無いが、・・・」

「他に候補者がいないのであれば致し方なかろう」


 三人目として認可されたのはクロイトノット・アシックネール。

 ただ、やむを得ずという感じである。

 なんだろう?

 百日行達成者が妙に高く評価されているのだが。

 修行と医学技術は関係ないよね。

 修行を達成したからと言って、政治的に信用できるかどうかも疑問だろう。

 つーか、ひょっとしてだが、オレがここに呼ばれたのって、医療知識と技術だけでなく、『百日行達成者』だからか?

 シャイフにこっそりと尋ねたら、当たり前だと肯定されてしまった。


「以前にも言ったと思うが、カゲシンの上層部は宗教的信仰を何よりも優先する。

 今日、ここに呼ばれている施薬院関係者は少なくとも『譲緑』以上の者だ。

 バフシュ・アフルーズは宗教修行を全く行っていない。

 よって、どんなに医療技術が良くても宗主猊下の治療に呼ばれることは無い」


「えーと、センフルールのシノノワールさんは?」


「彼女は『正緑』を獲得している。知らなかったのか?」


 聞けば、シノさんは百日行を達成していて、シマは挫折しているらしい。

 知らんかった。

 しかし、オレ、変に上級の資格を獲得してしまったのだろうか?

 意外と失敗だったかもしれない。




 それは兎も角として、オレは糖尿病薬、SGLT2を取りあえず一か月分ほど作製してから、ナディア姫の下へ向かう。

 昨日の今日で、姫様は色々とお疲れの様で、あまり機嫌は良くなかった。

 面会した直後はそれ程でもなかったが、オレが依頼内容、帝国宰相によるカゲシン宗主への助力を話し始めると、あからさまに機嫌が悪くなった。

 公的な話で、かつ、極秘の話、面倒な話だから、面白みのない話ではあるが、あからさま過ぎないかね。

 ナディア姫の性格はかなり把握したと考えていたのだが、・・・。

 不機嫌でも、こちらも仕事の話だ。

 宗主の病状を説明し、薬剤作製の難易度と意義についても説明する。

 話が終了して、・・・返事が無い。

 姫は極めて不機嫌な顔で、黙りこくったままだ。

 声をかけても反応が無い。

 なんだこれ、・・・・・・・・・・意味が分からん。

 途方に暮れて、横のクロイトノット夫人を見るが、彼女も戸惑った表情で固まっていた。


 と、その時だった。


「なんで、あの男のために薬など作らねばならぬのだ?」


 空気が凍った。


「姫様!」


 クロイトノット夫人が悲鳴のような声を上げる。

 あの男って、・・・父親、だよね?

 ここに居るのはネディーアール様本人に乳母のクロイトノット夫人、そしてオレとハトン。

 案内してくれた侍女は席を外していた。

 だけど、今の発言って、・・・?


「ああ、すまぬ。

 キョウスケ、ハトン、今の言葉は忘れよ。

 そうだな、宗主猊下の薬を作製するのはカゲシン貴族として大変名誉な事であろう。

 謹んでお受けするとエディゲ宰相に伝えて欲しい」


 なんだか良く分からんが取りあえず頷く。


「しかし、キョウスケ、頼みごとがあるのならば当然、その見返りは有るのであろうな?」


 え、いや、これ、オレの頼み事じゃないと思うんですが。

 あんたの父親の話だよ。


「其方が、レトコウに行っている間にシマクリールに剣を見せて貰った。

 武芸大会で使っていた剣だ。

 極めて高品質の素晴らしい剣であった。

 特に、剣を通してライトニングボルトを撃てるというのは驚きだ。

 それも細くはなるが距離は大幅に伸びる。

 凄まじい威力だのう」


 何で突然その話になるのかな?


「シマクリールは、武芸大会のためにセンフルールから特別に送ってもらったと言っていたが、おかしな話だ。

 センフルールから最近、特別に人が来たとは聞いておらぬ。

 商人や使いの者は来ていたが、それらの者があの剣を運んできたとはとても思えぬ。

 シマクリールはあの剣でベーグム家伝来の宝剣を叩き折った。

 国宝に成ってもおかしくない出来だ。

 そのような剣を使いの者に運ばせるなど有り得ん」


 あー、うん。

 この子、妙に頭が回るんだよな。


「更に、ライデクラートが新しい剣を持っておった。

 シマクリールの剣に比べると落ちるが、それでもかなりの上物だ。

 ライデクラートはガイラン家伝来の剣よりも上だと断言しておった。

 そして、ライデクラートはその剣を其方から購入したと」


 シノさんから『少々出来の良い剣』は秘密にすべきと言われてたが、・・・やっぱり面倒な話になったか。

 しかし、シマの奴、何、自慢気に見せびらかしてんのかね。


「ライデクラートの例も見れば、シマクリールがどこからあの剣を手に入れたのか、明らかだと思うのだが」


 もう、仕方がないか。


「ライデクラート様に差し上げたのと同程度の剣でしたら、なんとか都合がつくとは思いますが」


『量産品』は予備も含めて何本か作ってある。


「シマクリールと同じか、それ以上の物がいいのう」


 オイ。


「百日行の達成祝いの会が開かれるであろう。

 その時の祝いの品に入っていればとてもうれしく思うのだが」


 ニコニコ顔でプレッシャーをかけてくる姫様。


「姫様、キョウスケは姫様と共に百日行を達成した者ですから、祝いの品を貰う方であって、贈る方ではないと考えますが」


 見かねたのだろう、クロイトノット夫人が間に入ってくれたが、ナディア姫は止まらない。


「だが、祝いの品を持ってきてはならぬという事もなかろう。

 いいのう、あの剣は。

 まさか、シマクリールよりも下にみられる事は無いと思うのだが、のう」


「あの、シマクリールと違って、ネディーアール様が戦場に出ることはまず無いと考えるのですが」


「キョウスケの言う通りです。

 カゲシンの内公女が剣を欲しがってどうするのです」


 ナディア姫が頬をぷうっと膨らませる。


「良いではないか。まさかの時に使う可能性もあるではないか」


「ありません」


 クロイトノット夫人が切り捨てる。


「うー、そんなこと言ってんなら、私、自護院で叫んじゃうわよ。

 すんごく高性能の剣を作れる者がいるってあちこちで、大声で話しちゃうんだから。

 そしたら、とんでもない騒ぎになると思うけどぉ」


「分かりました。

 降参します。

 ですが、明らかに百日行達成祝いには間に合いません。

 時間がかかります」


 オレが我儘に負けると、姫は目に見えて上機嫌になり、一枚の紙片を出してきた。


「これが、望ましい剣のサイズと重量じゃ。

 まだ身長が伸びているから、それも考慮してライデクラートと相談して決めた」


 ・・・既に用意してあったのかよ。


「キョウスケ、良いのですか?」


 クロイトノット夫人が耳元で囁く。


「もう、こうなったら仕方が有りません。

 ただ、ご希望の物が手に入るかは分かりません。

 その辺りは姫様にお話ししておいて頂ければ幸いです」


「分かりました」


 赤毛夫人が頷く。


「剣はよく分からないのですが、其方の提供する物はかなり性能が良いのですよね?」


「ええ、まあ、そのようです」


「姫様に献上するのでしたら、同程度の物をカラカーニー様とバフラヴィーにも献上しておきなさい。

 基本的に戦わない姫様に献上して、戦う者に提供しないとなるとクロスハウゼン家内部で問題になる可能性が高いでしょう」


「・・・分かりました」




 こうして、オレは姫様の同意を取り付けると共に、更に厄介事を抱え込むことになった。

 しかし、後半は剣の話で紛れたが、『あの男』発言はなんだったのだろう。

 あと、宗主の病状を説明していた時に、夜間のお勤めは九月一日まで禁止、その後も制限、との話をしたら、一瞬、物凄く嬉しそうな顔になったのだ。

 オレ、いらない『闇』を見ちゃったんだろうか?

 タイジにも相談できんよなぁ、・・・。


 オレは百日行を達成してしまった事を心底後悔しながら、露出狂が待ち構える家に帰った。

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