04-27S ベーグム・レザーワーリ 初陣(五)

 師団司令部はすぐそこだった。

 前線と司令部の距離が先ほどまでの師団の苦境を表しているように感じる。

 司令部は喧騒に満ちていた。

 そして、入るなり兄の怒声が響いた。


「レザーワーリか、こっちに来い。ぐずぐずするな!」


 弾かれたように兄の下に走る。


「第一魔導大隊を再編したそうだな。

 これから反撃に出る。

 魔導大隊を連れてこい」


 反撃?

 どこに?

 誰が?

 どうやって?

 何がどうなっている?

 良く分からないが、無理だ。

 うちの部隊は無理だ。


 私は、第一魔導大隊は一旦完全にバラバラになってしまった事、第一魔導大隊長も、第一魔導中隊長も戦死している事、敵の包囲から命からがら逃げて来たため気力体力共に限界な事、現時点で一個中隊規模の兵員しかいない事、などを懸命に訴えた。

 連れて行くのなら第二魔導大隊にしてほしいと。


「第二魔導大隊は魔力を使い切っているのだ。

 第一魔導大隊はろくに戦っていなかったから、魔力には余裕がある筈だ」


 確かに魔力には余裕が有る。

 第一魔導大隊の兵士は敗走で気力体力を使い切っているが、魔法はあまり使っていない。

 だが、必死で逃げ延びてきた兵士にろくに戦っていないと言い切るのは酷いと思う。

 私は抗議しようとしたが、それは幕僚たちの議論に埋もれてしまった。

 あるいは、私を気遣ってくれたのかもしれない。

 おかげで、人の話を聞く余裕ができ、しばらく議論を聞いたおかげで、やっと現状が分かってきた。




 敵は後退を始めている。

 師団司令部は、追撃を行うべきという意見と、行うべきではないという意見とで割れていた。

 追撃を行うべきという意見の筆頭は兄で、行うべきではないと反対しているのは第二歩兵連隊長以下の者達だ。

 客観的に見て満身創痍である師団の現状を見れば追撃など行うゆとりはない。

 だが、それでも兄は追撃を行おうとしていて、そして、それにはそれなりの理由と支持者が存在した。


 敵は退却しつつある。

 だが、これはベーグム師団の功績ではない。

 良く分からないが、ベーグム師団は南北から挟み撃ちに成っていた。

 南は兎も角、北の部隊が一体どこから現れたのかサッパリ分からないが、師団が南北から包囲され苦境にあったのは事実だ。

 敵は圧倒的に優位な態勢にあったが、それが現在は後退している。

 北側の敵が撤退したのはレトコウ伯爵軍が介入したためだった。

 では、南はというと、我が師団が奮闘したのもあるが、クロスハウゼンの部隊が旧川床上の砦で奮闘したのが大きかったらしい。

 残念ながらこれは敵味方に明らかだ。

 隠蔽しようにも、レトコウ伯爵軍には多くの雑多な部隊が参加しているし、旧川床上のクロスハウゼン部隊からも見えていた。

 逆にクロスハウゼン隊の奮闘はレトコウ伯爵軍や諸侯軍が証言するだろう。

 片やベーグム師団は南方で奇襲を受け、良いところなく損害を出しただけ。

 このまま戦いが終了すれば、戦争はほぼ引き分けで師団には良い所が無く、戦果も略奪品も無い。

 政治的にも厳しい話になってしまう。

 だから、退却する敵を追撃する必要が出て来る。


 既に後退している敵に追撃するだけでは大した戦果は見込めない。

 だが、少なくとも敵を追い払ったのはベーグム師団の反撃の結果だと言い張ることは可能になるだろう。

 無理してでも追撃しなければ師団の将来は無い、というのが兄の意見である。




 問題は、その追撃が成功するのか、という一点だった。

 第二歩兵連隊長は、無理すべきではないと繰り返していた。

 彼は師団でも有数の古強者で、戦場での勇敢さでは誰もが認める男である。

 だが、弁が立つ方ではない。

 理論立てて話すのは苦手らしい。

 実際、先程から「難しいです」としか言っていない。

 私は、父や第一歩兵連隊長、あるいは他の大隊長の意見はどうなっているのかと、幕僚の一人に聞いたが、父は未だに意識不明との話であった。

 なんでも緊急で手術を行ったらしく、手術自体は終わったのだが、まだ全身麻酔から覚めていないのだという。

 そして父に次いで、いや父以上の経験を持つ第一歩兵連隊長は行方不明のままだった。

 彼の息子である第一歩兵大隊長も同様で、第一歩兵大隊所属の兵士は数名しか確認されていないらしい。

 第一魔導大隊長は戦死しているし、第二魔導大隊長は魔法の使い過ぎで昏倒しているとのこと。

 私は師団の損害に眩暈がした。

 これほどとは思ってもいなかったのだ。


 議論は続いた。

 そして議論を制したのは、思ってもいない一言だった。


「私は、ニフナレザーさんが正しいと思いますわ」


 実を言えば兄の現在の階級は坊官補、諸侯で言えば中佐相当であり、第二歩兵連隊長の階級は坊官、つまり大佐である。

 兄は師団長代理として指揮を執っていたが、師団長が意識不明の場合は、この場の先任指揮官である第二歩兵連隊長が指揮権を握るのが普通だろう。

 だが、この場には第二歩兵連隊長よりも上位の階級の者が居た。

 チュルパマリク様である。

 国母ニフナニクス様以来の伝統として、師団長の第一正夫人は師団長に次ぐ指揮順位を有する。

 チュルパマリク様は僧将補、諸侯でいう所の少将の位を持っている。

 自護院の訓練も座学も受けたことが無く、これまで戦場に出てきたことも稀な彼女であるが、それでも名目上はこの場の最上位だ。

 彼女の言葉に幕僚たちは顔を歪めた。

 だが、兄とチュルパマリク様自身は周囲を無視して盛り上がる。


「ニフナレザーさん、私の美しく誇り高く強い息子、貴方ならできますわ。

 アリレザー様の敵を討ち、敵と味方にベーグム師団の新師団長としての武勇を見せつけるのです!」


「ああ、母上、母上の愛と慈悲が有る限り、このニフナレザーが負けることは有り得ません。

 必ずや勝利を母上の下に届けます!」


 父は重傷だが、死んではいない。

 師団長交代の話をするのは不謹慎ではないかと思う。


「自信を持つのです、我が愛しき息子よ!

 マリセアの精霊の加護と母の愛は常にあなたと共にあります!」


「母上、母上の美しき心、その類まれなる慈悲の心、その至高なる慈愛の心、私の弱き心を支え導くその愛に私は応えねばなりません!」


 チュルパマリク様と兄がこの世界に入ったらたっぷり十分間は帰ってこない。




 私は諦めて第二歩兵連隊長に相談した。

 我が第一魔導大隊の現在の人員は二〇〇名をわずかに超える程度。

 ただ、幸いなことに魔導士が多く残っており、一〇〇名を超えている。

 逆に言えば、魔導士を守る歩兵が足りない。

 第二歩兵連隊長は私の訴えに、直ぐに魔導部隊の盾となる歩兵部隊を手配してくれた。

 次いで、第四魔導中隊長を臨時の部隊長として、私はその補佐ということで承認してもらう。

 最後に、『追撃作戦』の概要を聞き、部隊に戻った。

 第四魔導中隊長と相談し、護衛の歩兵部隊と合流し、前線に出る。

 出てみれば、旧川床の分断点の南側に敵部隊が残っていた。

 会議に時間を費やしているうちに敵の退却が終了する事を願っていたのだが、何故か一個大隊程の敵が残っている。

 どうやら敵の魔導大隊らしい。

 これは、・・・あからさまに罠ではなかろうか?

 だが、追撃作戦は、いや、停止して待ち構えている敵への騎兵突撃はそのまま行うらしい。




 絶望的な気持ちになった。

 私はここで死ぬのだろうか?

 まだ、結婚すらしていないのに!

 死ぬ前に一度でいいからまともな性交がしたかった。

 生まれは庶子とは言え、私は少僧正家の正式な息子なのだ。

 世間一般では上級貴族とされる身分なのだ。

 それなのに一度もまともな中出しもできないまま死ねと言うのか!

 そもそも、私は『成人の儀』が酷かった。

 チュルパマリク様にお願いしたが断られ、第一歩兵連隊長の第一正夫人が相手になってしまったのだ。

 やり方を教えるという名目で五〇過ぎの女性のおもちゃにされたのだ。

 悲惨過ぎて、自護院の友人の間でもからかいの対象にすらならなかったぐらいだ。

 ああ、一度でいいから目の覚めるような美人にお相手してもらいたかった。


 当代の美人の代表として、クロスハウゼン家のデュケルアール様とライデクラート様があげられるが、私は断然、ライデクラート派だ!

 確かに魔力量はデュケルアール様が優れ神々しい程だが、純粋な美しさではライデクラート様が上だろう。

 あの太い腕、きれいに割れた腹筋、堅く分厚い胸板、太くたおやかなうなじ、どれも完璧だ。

 鋼鉄の柱のような太さと硬さ、無駄肉の一欠けらも無い太腿も!

 我が家の、闇雲に筋肉を増やしただけの、肩の筋肉が耳たぶにくっつくぐらい盛り上がった、首と肩が一体化したような体型とは全然違う!

 自護院の同志、同年代の若者であれば、皆、同意すると思う。

 ライデクラート様の娘で、その美貌を受け継いだトゥルーミシュ嬢に至っては、私の理想を具現化したとしか言いようがない。

 ああ、一度でいいから彼女と交わりたかった。

 彼女が母親から受け継いだというテクニック、その内容を聞いた時には興奮しすぎて眠れなかった程だった。

 何でも、男性の肛門に指が入るらしい。

 トゥルーミシュ嬢の、あの私の倍ぐらい太い指が、私の肛門に入る!

 一度でいいから堪能したかった!

 こんなことになるなら、ダメ元で頼んでみるべきだった!

 それは確かに、いきなり性交は無理だろう。

 だが、踏んでくれるぐらいなら受け入れて貰えた可能性はあった。

 あの一つ一つの筋肉がくっきりと浮かび上がった逞しく美しい足で、私の股間を踏みにじってくれたら、・・・いや、股間でなくても顔だけでも踏んでくれたら、・・・あの無骨な軍用ブーツの踵が私の頬に食い込む感触を一度だけでも味わえていたなら、私は躊躇なく死地に赴けただろう!

 なのに、なのに、・・・このまま、私は死ぬのか?




 だが、私の苦悩を他所に事態は進む。

 気が付けば兄が前線に出ていた。

 兄が率いるのは騎兵部隊である。

 先陣を務めるのは選抜された重装騎兵だ。

 魔法防御が施されたフルプレートの鎧と騎兵とは思えぬほどの巨大な盾。

 体格の良い魔獣馬も馬鎧装備だ。

 多少の矢どころか投げ槍は勿論、正面からのファイアーボールやライトニングボルトでも弾いてしまうだろう。

 師団秘蔵の、騎兵突撃専用装備である。

 これほどの装備は普段は使用しない。

 防御力は高いが極めて重く動きづらいからだ。

 これでの戦闘は一~二時間が限度とされる。

 兄は、十セットだけの、とっておきを持ち出してきたのである。

 この装備は使いどころが難しいため、父は今回の遠征では使用しない予定だったが、それを無理に持ってきたのが兄だった。

 私は補給物資を担当したから知っていたが、すっかりその存在を失念していた。

 ここで、使用するとは驚きだが、希望の星かもしれない。

 この鎧セットを身に付けた騎兵はスピードが遅く持久力も無いから、追撃には向かない。

 逃げる敵を追いかけることができないのだ。

 だが、取りあえず攻撃自体は失敗しないだろう。

 戦果を上げられるかどうかは分からないが、敵陣に突撃して帰ってくることだけは間違いない。

 兄も、考えなしでは無かったのだ。


 騎兵部隊が突撃していく。

 先頭は勿論、我が兄、ニフナレザーであり、その堂々とした佇まいは、弟ながらほれぼれとする。

 騎兵部隊は、真っ直ぐに敵に向かう事はせず、右側の崖沿いに進撃していく。

 敵の斜め前から突撃する形である。

 右側の崖の上にはクロスハウゼン隊の砦が有るため、上からの攻撃は気にする必要が無い。

 私達の部隊も前進を開始している。

 歩兵部隊が盾を並べ、その後ろに我が第一魔導大隊、その生き残りが呪文を詠唱しながら前進する。

 正面から魔導部隊が、斜め前から騎兵部隊が、敵はどちらに対して備えるか迷うだろう。

 単純ながら良い手だ。


 正に、そう、思っていた時だった。

 兄の体が、馬ごと空中に浮かび上がり、そして地面に叩き付けられた。

 父の時と同じ?

 ファイアーボールの爆発?

 確かに爆発はファイアーボールのものだった。

 いや、だが、正面からファイアーボールが来ても盾と鎧で弾けるはず。

 なのにどうして?

 兄が転倒し、すぐ後ろを走っていた二騎も同じ爆発で転倒した。

 その後は悲惨だった。

 密集しての騎兵突撃である。

 後続の騎兵も直ぐには止まれない。

 転倒した馬に足を取られ、次々と落馬していく。

 後方の騎兵は何とか停止したが、転倒した騎兵は五〇を超えるだろう。


「恐らくですが、ニフナレザー様の馬の腹の下でファイアーボールが爆発したのでしょう」


 第四魔導中隊長の言葉に私は絶句した。


「信じられないのは分かりますが、他に説明のしようが有りません」


 そして、私達の目の前で停止し混乱した騎兵隊に敵魔導部隊のファイアーボール一斉投擲が実行された。

 騎兵部隊の突撃は完全に停止する。

 唖然とした私たちの前で、歩兵部隊の隊長が叫んだ。


「ニフナレザー様を守れ!総員、駆け足、急げ!」


 止める間もなかった。

 歩兵部隊は騎兵部隊を救援したかったのだろう。

 だが、この状態で正面の敵に側面をさらし、駆け足で突撃するのは自殺行為に近い。

 そして、結果は私が想像したよりも酷かった。

 信じられないほど巨大な爆発が起こった。

 ファイアーボールなのかもしれない、いや、ファイアーボールなのだろう。

 火力が桁違いだった。

 中隊のほぼ全てが巻き込まれ、・・・そして、私達は逃げた。

 第一魔導大隊の兵士は恐怖に駆られて逃走した。

 自慢できる行為ではない。

 だが、味方主戦線にたどり着いた我々を、待ち構えていた兵士たちは責めなかった。

 彼らも恐怖で顔を蒼くしていたからだ。




 しばらくたって、戦場が静かになってから、回収部隊が出された。

 指揮したのは私だ。

 師団長の一族として、これぐらいはやらねばならないだろう。

 だが、そこで見た光景は悲惨だった。

 騎兵・歩兵合わせて、一〇〇名以上が戦死。

 特に騎兵の先鋒を務めていた重装騎兵は兄を除く九名の戦死が確認された。

 騎兵大隊長を含む師団最精鋭の騎兵だった。

 いくら立派な鎧を着ていたとしても、落馬して動けなくなったところを襲われてはどうにもならなかったのだろう。

 兄の遺体は無かった。


 私は途方に暮れた。

 父が意識不明、兄が行方不明。

 私が師団を?

 いや、無理だ。

 私には、経験も、能力も、覚悟も無い。

 どうしたら良いのだろう?

 周囲の目が痛い。

 と、その時だった。

 南側から白旗を持った集団がやって来た。

 白旗を持っているのならば敵ではない。

 兵士たちを制して出迎え態勢を取る。

 先頭を歩く者は、大柄な人を担いでいる。

 近づいて来るにつれ、集団がクロスハウゼンの旗を掲げているのが分かった。

 つまり、味方だ。

 先頭を歩いているのがトゥルーミシュ嬢だと分かった。

 その後ろにはバフラヴィー殿とカンナギ上級坊尉がいる。

 そして、・・・トゥルーミシュ嬢に担がれていたのは兄だった。




 後日、この光景を見ていた一族の者は口々に「屈辱だ」と言った。

 ライバルであるクロスハウゼン家にベーグム家の嫡子が救出されたのだ。

 それも意識不明で、担がれて運ばれたのである。

 だが、私自身はそうは思わなかった。

 兄が生きて帰ったというだけで私はうれしかったのだ。

 師団を背負う必要が無くなった事に、私は素直に感謝した。


 その時点では、兄を担いで歩むトゥルーミシュ嬢の姿があまりにも凛々しく美しくて、私自身が彼女に縛られて、担がれて、無造作に投げだされて、踏みつけにされて、罵られたい、とそう願ってズボンの中をドロドロにしていたから、それどころではなかったのだけれど。

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