04-01S プロローグ
━━━帝国歴一〇七九年の春に勃発したレトコウ紛争は、両軍合わせれば三万人、一説には五万人を超える兵員が参加したとされる大規模紛争である。これを帝国崩壊の一連の事案に含めるべきかどうかは、古来議論されている。結論から言えば、この紛争は如何に大規模であっても帝国内部の紛争、帝国軍と現地住民との戦いである。ただし、単純な紛争とは言い難い側面を持っていたのも事実であった。━━中略━━レトコウ紛争が明らかとしたのは帝国内諸侯の分裂と独立志向であり、更にはそれがカゲシンのマリセア宗家に連なる諸侯にも及んでいたという事実である。━━中略━━直接参加したわけではないが、当時の長命種国家、特にフロンクハイトがこの戦いに注目し、その結果に基づいて後の戦略を修正した事実は重要であろう。帝国歴一〇七九年三月の悲劇、カゲシン闘技場でフロンクハイトの一七〇歳の上級貴族女性が処刑された、それに抗議すらできなかった屈辱は、頑迷固陋で鳴るフロンクハイトにも、わずかながら現実を直視させたのである。━━中略━━一方において、古来よりこの紛争が注目され、幾多の物語の題材となってきたという事実も存在する。━━中略━━この戦いはKKことカンナギ・キョウスケには初陣となった戦いであり、後に『雷鳴』と称されたクロスハウゼン・バフラヴィーが小規模ではあるが独立した一部隊の指揮官として実戦で初めて指揮を執った戦いであった。また、ガーベラ公爵夫妻、インヴァノル公爵らもこの戦いが初陣だったとされる。━━━
『ゴルダナ帝国衰亡記』連邦歴2022年6月22日発行より抜粋
「帝国、カゲシンのベーグム師団がレトコウに到着したとの報告が入りました」
イマムーサは緊張していた。
目の前にいるのはフロンクハイト教皇その人だ。
報告しているのは枢機卿の第五席、ウルホ・アハティサーリ。
アハティサーリが家族名になる。
現在の帝国標準と異なり、フロンクハイトでは個人名を先に、家族名を後にする。
「レトコウには、当初、クロスハウゼン師団が派遣される予定でした。
ですが、師団長が急病とのことで変更になっています。
通常、この様な場合は、出立が数日遅らされる、あるいは師団長継嗣を立てる例が多いようですが、今回は異例の対応でしょう。
レトコウは本来ベーグムの管轄地区。
クロスハウゼン師団の派遣は面白くなかったようで、自分たちが介入する機会を狙っていたようです」
教皇は何も話さない。
「まず注目すべきはクロスハウゼン・カラカーニーの急病でしょう。
カラカーニーは現在、帝国最強の魔導士です。
ですが、彼も五〇を超えています。
人族では高齢な部類。
彼の健康状態が悪化しているというのは、来る本作戦との関係においても、我らには良い知らせでしょう」
教皇の顔は目深に被ったフードと厚いフェイスベールで覆われ、表情はほとんど分からない。
「ベーグムがレトコウに派遣されたことで、そちらの状況も変わります。
ベーグムはより好戦的で、自分たちの利権を拡大する方向で動くと思われます。
元々、ベーグムがこの任務から外されていたのは、仲裁者として不適当と目されていたからです。
それが、派遣された。
何らかの戦いが起きる事はまず間違いないところと愚考いたします」
教皇だけでなく、その後ろに付き添った従者達にも動きはない。
「問題は相手となる龍神教にどの程度の戦意が有るか、言い換えるとどの程度で妥協するのか、という点です。
龍神教の後ろ盾になっている、クテンゲカイ、あるいはジャロレークがどの程度支援するか、にもよります。
ただし、ベーグムは強固な要求を出す可能性が高く、容易に妥結に至るとは思えません。
場合によっては、戦いは長期化するでしょう。
我らとしては、長期化する方が望ましいとも言えますが」
従者の女たち、魔力量だけでなく、全てが一流の女性ばかりと聞くが、やはりフードとフェイスベール完備で、目元がわずかに覗く程度。
表情は全く分からない。
「我らの計画ですが、既にケイマン族は動いております。
分隊ごとに順次、モス砂漠を越える手筈です」
イマムーサは教皇が本当に報告を聞いているのか疑問になってきた。
表情だけでなく、態度というか、気配と言うか、魔力量の変化まで含めて、全く反応が無いのだ。
だが、アハティサーリ、現在のイマムーサの夫は淡々と報告を続ける。
「当方での、攻城兵器の製作も順調です。
一旦、こちらで完成させて動作確認の後、分解して運搬の予定になっています。
勿論、予備を含めて複数の兵器を、複数の経路で送ります」
今回の、本作戦、遠征隊の総指揮はウルホ・アハティサーリが執ることになっている。
イマムーサもそれに同行するのだろう。
「残念ながら遅れているのが、我らの遠征部隊の人選です。
部隊規模は二個大隊規模と決定しておりますが、志願者が集まっておりません」
アハティサーリはここで初めて言葉を区切った。
沈黙が流れる。
息が詰まる。
イマムーサが何かを言いかけた時、教皇の侍女の一人が口を開いた。
「猊下は、広く志願するよう触れを出している」
「その通りでございます」
アハティサーリが大仰に畏まる。
「ですが、現状の志願者は偏っております。猊下の管轄する中央管区、私の管轄する第五管区、ハロネンの管轄する第六管区からの志願者が大半であり、他の管区からの志願者は数えるほどです」
ハロネンはアハティサーリの補佐に任命されている。
今、アハティサーリが話した内容は正確ではない。
兵士の徴兵と編成に係わるイマムーサは現実を知っている。
実際の『志願者』は第五管区と第六管区が大半だ。
第一から第四管区まではそれぞれ三人しか志願者はいないし、中央管区も五人に過ぎない。
フロンクハイトの血族、その大半は外界に出ない。
外界に出ずに、集められた人族の配分だけを受け取る。
安全な場所でえらそうなことを言いながら長生きに耽るのが当然とされている。
今回の遠征は数百年ぶり。
血族内の評判は、勿論、大賛成。
フロンクハイトの勢力は長期続落傾向にあり、血族の誰もが危機感を持っている。
故に誰もが何とかする必要を感じている。
だが、各論は別だ。
故国の、同族の危機は分かる。
だから誰かが何とかしてほしい、自分以外の誰かが。
今回の兵士募集は、建前としては志願制だ。
だが、実際には強制しなければ志願する者などいない。
そして、直接かかわらない枢機卿たちは、自分の配下に志願を強制などしない。
侍女の一人が教皇の耳元でささやく。
教皇が微かに頷いた、ように見えた。
「もう一度、触れを出す。
特に、第三管区には、最も多くの兵士を志願させるように命じよう」
第三管区を統率するパーシキヴィ枢機卿は、セリガー共和国との折衝を担当しており、事前工作の責任者でもあった。
成功確実であったはずの作戦は完全に失敗し、現地責任者であったシェラリール・シュタールがカゲシン闘技場で処刑されるという最悪の結果に終わっている。
公式には、責任は全て、現地責任者で処刑されたシェラリール・シュタールと、副責任者で逃亡したカロリーナ・エイレンに帰せられている。
だが、教皇猊下はパーシキヴィを完全に許していたわけではないようだ。
パーシキヴィ枢機卿も、教皇の決定には逆らえない。
他の枢機卿も、自分の懐が痛まないのだから反対しないだろう。
「今のお言葉は、第三管区の志願者数を、遠征部隊中で最大にという意味で承ってよろしいでしょうか?」
再び、侍女が教皇の耳元でささやき、首が縦に、かすかに、振られる。
「それで、良い」
容赦ない。
この決定を知ったらパーシキヴィは恐らく怒り狂うだろう。
だが、部隊編成を担当する者としては大変にありがたい話だ。
これで、『志願者』は大幅に増えるだろう。
「こちらから、聞くことがある」
一息ついたアハティサーリに異なる教皇の侍女が声をかけた。
「今回のレトコウの戦い。こちらからは手を出さぬ、ということか?」
「はい、出しません。事前には」
第五枢機卿は一拍おいて説明を始めた。
「既に本作戦が稼働している現状において、本筋以外で過度な『賭け』に出る余裕はなく、利益もないと結論いたしました。
事前の攪乱が失敗に終わっているのですから、これ以上失敗の危険は冒せません。
ただし、『事後』には手を出す予定です」
教皇とその取り巻きは動かない。
アハティサーリは更に一拍おいて、追加の言葉を発した。
「決着が付いたら、その結果に応じて、工作を行う考えです。
特に今回の紛争で『負けた』側に対して、重点的な工作を行いたいと考えております」
イマムーサも参加した討論の結果である。
両陣営の内情がはっきりとしない、特にカゲシンから派遣される『仲裁者』はクロスハウゼンからベーグムに変わったばかり。
どちらかの陣営に過度に肩入れして失敗すれば本作戦にも影響が大きい。
事後に動くのは、多くの利益は望めないが、小さな利益は確実になる。
また、侍女が教皇の耳元に囁く。
「それでよい」
侍女が端的に返答する。
アハティサーリが畏まると、三人目の侍女が言葉を発した。
「セリガーはどうか?」
「特に手は出さないと聞いております」
シェラリール・シュタールの処刑以降、パーシキヴィ枢機卿は職務を半ば放棄しており、セリガーとの折衝もなし崩しでアハティサーリが担当する形になっていた。
「セリガーでは、前回、カゲシンに送られた現地責任者が失敗の責任を問われ、降格の上、謹慎となっています。
かの国としては軽微な処分と言えますが、現地責任者の変更から混乱が続いているようです。
今回は手を出すゆとりがないかと。
ゴルダナ西部の話ですので、彼らからは距離的に遠いのもあります」
セリガーでも、現場に責任を押し付ける体質は同じなのだろう。
イマムーサは密かに嘆息した。
長生きした血族は、現場に出ることを忌避する者が多い。
フロンクハイトもセリガーも同じだろう。
また、侍女が教皇の耳元で唇を動かし、頷きが返される。
「それでよい」との言葉が出され、これで終わりかとイマムーサが考えた時に、最も後ろにいた教皇の侍女が口を開いた。
「龍神教と言えば、あの女がいる。それについては如何考える?」
あの女?
誰の事か、イマムーサには見当がつかない。
それは、ここで問われるべき事なのか?
そのように重要な話であれば、何故、アハティサーリは事前に自分たちに話していなかったのだろう?
「ご指摘の通り、あの地に、あの女がいる可能性は高いでしょう。
ですが、今回については、あまり関係ないものと考えます」
アハティサーリが微かにイマムーサを見た、ような気がした。
「当初の予定通り、クロスハウゼンが仲裁者として派遣されるのであれば、あの女は龍神教に、そしてクテンゲカイに影響力を行使したかもしれません。
クロスハウゼンはあの地域に権益を持たず、よって純粋に仲裁者として振舞えたからです。
和平路線であれば、彼女の影響力も大きくなる。
昨年の春がその例でした。
ですが、今回派遣されたのはベーグムです。
あの地域に大きな権益を持つ、持っていたベーグムは、仲裁者にはなれません。
ベーグムはレトコウ以上に当事者です。
ベーグムはあの地に持っている権益を維持しなければならない。
持っていた権益を再獲得しなければならない。
その為に、彼らは戦いと勝利を望むでしょう。
故に、あの女もまた、仲裁者にはなれません」
また侍女が教皇に囁く。
話の内容は全く分からない。
どうやって意思疎通が為されているのだろう?
後で、アハティサーリに聞いてみなければとイマムーサは思う。
「あの女自身が戦いに出る可能性は?」
「その可能性はあります」
戦いに出る?
本当に、誰の話をしているのか。
「ベーグムが最初から戦いを望むと覚悟した場合、あの女はためらわずに前に出るでしょう。
ですが、今回に限っては悪い話ではありません。
それで、龍神教が、あるいはクテンゲカイが勢力を拡大しても、我らに大きな影響はありません。
龍神教が帝国正規軍と合同して我らと戦うなどあり得ないからです。
クテンゲカイにしても、今回の我らの直接の目標ではありません。
いや、むしろ、勝ってもらった方が良いでしょう。
あの女と龍神教が勝利すると言う事はベーグムとレトコウが負ける事を意味します。
特にベーグムが負けるのは、カゲシン三個正規師団の一つが潰れるということ。
潰れないまでも、大きな損害を被ってくれれば我らの本作戦には大きな助けになるでしょう」
アハティサーリが不気味なほどの笑顔になる。
「もし、ベーグムが潰れるのであれば、私はあの女を『よくやった』と褒める事でしょう」
こうして、イマムーサがアハティサーリの従者として臨んだ最初の教皇言上は終了する。
イマムーサは、そして彼の他の女たちも、『あの女』についてアハティサーリに問うたが、アハティサーリは曖昧な微笑みのまま何も答えなかった。
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