064.アノ日~薔薇銀姫と従者の悲しみ~



*****

//アイネシア・フォン・ロゼーリア//



 ユエさんに会えるということが嬉しくて、足取り軽く寮への道を急いでいた私は――、


「っ……!? く、はっ……なに、これ……?」


 ――誰もいない寮の玄関ホールに足を踏み入れた途端、領内に満たされた空気に……いや、突然右胸を鷲掴みされたかのような感覚によろめき、思わずへたり込みそうになってしまった。


 体の奥底から恐怖が湧き上がってくるようなそれは、寮の外では全く感じることがなかった……というよりも、人が住む領域で感じてはいけないもの。


 闇の、気配だ。


「な、なんで……」


 こんなに強い気配だというのに、寮の外に一切漏れ出ていなかったことを不思議に思うし、昼間で誰もいないであろうとは言え、誰かが気づいて騒ぎになっていないのがおかしいくらいだ。


 私がつい先日に死を覚悟するような濃い闇の気配を感じたばかりだったから、だからこそ分かったのだろうか……?


「はぁ……はぁ……ユエさん……ユエさんは大丈夫なのっ……!?」


 私がいつからか感じているユエさんの白くて温かい気配は、今はとても希薄で……伝わってくるのは、悲しみや苦しみ……そういった私の胸まで締め付けられるような何かだった。


「いかなきゃ……!」


 空気を求める魚のように大きく息をしながら、私は恐怖で震えだしそうになる足を進めて階段を登り始めた。



*****



「この気配……上に行くほど濃くなっているわね……」


 いつも何気なく通り過ぎている階段を登るという行為が、一歩一歩を進める度に異質なものに近づいている気がして、普段の何倍もの時間がかかってしまう。


 それでも……例え今感じている気配の元がユエさんの部屋の辺りのように感じられるとしても、私はユエさんを放ってはおけないから……ユエさんが感じている何かを、少しでも和らげてあげたいから……確実に歩を進めていく。


「……ぐっ、はぁ……はぁ……ようやく、3階ね……」


 まだ昼間だというのに、空は晴れて太陽が降り注いでいるというのに、だんだんと寮の中がまるで夜であるかのように薄暗くなってきている。


 寮の上階だけが闇の領域になってしまったかのようで……明らかな異常事態だ。


 それでも、ユエさんの元へ行かなければ……!


 ――と、私が4階へ続く階段へ足をかけたとき。


「……そこでお止まりください、アイネ様」


 いつかの繰り返しのように……薄暗い階段の影から見たことがない黒装束姿のツバキさんが現れて、私の行く手を遮った。


「ツバキさん……? ねぇ、これはどういうことなのっ!?」


「…………」


 見上げる格好になったツバキさんは……私の問いに、沈黙で答えた。


 ただ行く手を遮り、ここから先は進ませないという意志だけを表している。


 その顔は、薄暗い中では分かりにくい――というよりも彼女がユエさんの言う『お仕事モード』のときは余計に分からない――けれども、どこか悲しそうな色が混ざっているように思えた。


「ユエさんは……ユエさんは、大丈夫なの……?」


「…………」


 何も言ってくれないツバキさんを前に……この間も胸に伝わってくる苦しみが、私の声に熱を入れた。


「こんなときにどうして貴女がユエさんの側にいてあげないのっ!?」


 いつもユエさんの側にいて、私が羨ましく思ってしまうくらいに通じ合っているようなツバキさんがなぜこんな時にと、私はつい責めるような口調になってしまった。


「っ……主様はっ……! ……主様は、誰もこの先に通すな、部屋に入れるなと仰せです……」


 それを聞いたツバキさんは反射的に何かを言いかけるが、一息置いて落ち着いた声に戻り、今度はその顔がハッキリと悲しみに歪むのを見てしまった。


 ユエさんがそんなことを言ったというのは、彼女が嘘をつくとは思えないので本当のことなのだろう。

 でもそれを口にする彼女の表情は……胸を抑えるような仕草は……。


「どうしてっ!? ツバキさん、もしかしたら貴女も……貴女も感じているのではないのっ!? この胸の……ユエさんの苦しみを……ユエさんの悲しみを……!」


「……感じて、おります」


 この不思議な感覚は、ユエさんと心を通わせ、ふれあいを重ねる度に強く、深くなっていっているように感じられていた。


 ユエさんと……その、すでにそういうことをしているというツバキさんならもしかして……と思ったけれども、やはりその考えは合っていたようだ。


「なら、なぜ……」


 でも、だからこそ……この胸の感覚とユエさんへの想いを共有しているツバキさんだからこそ、今のユエさんの側を離れていることに……私は彼女の表情の意味を深く考えることもせず、憤りにも近い何かを覚えてしまっていた。


「……もういいわ。通して」


「なりません」


 これ以上口を開けば、彼女にもっとひどいことを口にしてしまいそうだと思った私が先を急ごうとツバキさんの横を抜けようとすると、ツバキさんは改めて身体の位置を変えて両腕を広げて行く手を遮った。


「通してっ!」


「なりませんっ! どうか……どうか、お聞き入れください……」


「どうしてっ!? ツバキさんはユエさんが心配ではないのっ!? 側にいてあげたくはないのっ!?」


「心配ですっ! お側にいたいですっ! その重荷を、分けていただきたいです……! ……しかし、自分は……私は、生涯の忠誠を誓った身。主様がわざわざご命令と口にされたことに背くことはできません……。一人の女としての願いなど……あれほど懇願するようにおっしゃられた主様の前で、口にすることはできませんでした……」


「ツバキさん……」


 唇を震わせながら、彼女にしては珍しく大きな声と勢いで反論したツバキさんだったが、最後にはその勢いが無くなり、目の端に光るものがあるを隠すかのように俯いてしまった。


 しかし、それでもツバキさんはすぐに顔を上げると、まっすぐに私の目を見つめてきた。


「どうか、お願いいたします……。これは……今の主様に誰も……特にアイネ様を会わせるなというのは、主様がアイネ様のことを想って、心から懇願されたことなのです……」


「ユエさんが、そんな……」


 ユエさんの心からの願いだというその内容をツバキさんから聞いて、私はギュッと胸を締め付けられるような感覚を覚えた。


 これは、闇の気配の恐怖とは違う……私自身の切なさや悲しみといったものだ。


 制服の上から、ユエさんからもらった『証』を握りしめて、私は言われたことについて考えた……けれども。


「……やっぱり、ダメよ。ユエさんは……優しすぎるし、1人で抱えすぎるのよ……今だって、自分が辛いだろうに自分以外の人のことを考えてそんなことを言って……」


 あんなに辛くて大変な思いをして生きてきた人が、いつも優しい微笑みを浮かべていられるのはユエさんの良いところでもあるけれど……。


 逆に考えれば、その微笑みの裏でどんなに我慢をしていようと、変わらず穏やかでいてしまうというのは……辛いことも悲しいことも胸の内に隠してしまい、人に頼るということをしないのは、ユエさんの悪いところでもあると私は思う。


「だから、私は……ユエさんが苦しんでいるのなら……そんなときこそ、ユエさん本人から何を言われようと、側にいてあげたいのよ」


「……アイネ様……」


 まっすぐ私の目を見てくるツバキさんに、いつかと同じように譲ることの出来ない意志を乗せて見返してはっきりと自分の考えを口にすると、それを聞いたツバキさんはそっと目を閉じた。


「私は、アイネ様が羨ましいです……」


 ポツリと……普段のツバキさんとは違う、私達より少しだけ年上というだけの女の子の本音が、私の耳に入ってしまった。


 立場が違えば、出会いが違えば……そんなことが言外に伝わってくる気がする。


 同じ人を愛しているただの女としての勘、だけれども……。


 しばらく目を閉じていたツバキさんは、目を開くと道を塞ぐようにしていた両腕を力なく下ろした。


「ごめんなさい……でも、私がちゃんとユエさんに言ってくるから……。『こんなにあなたのことを想っている人がいるのだから、ちゃんと頼らなきゃダメよ』って」


 私は自分が口にしてしまった『彼女にとってどうしようもないこと』について謝り、ツバキさんの想いも受け継いでこの先に行くと告げた。


「……お願い、いたします……」


 ツバキさんはそう言うと、階段の脇にそれて道を譲ってくれた。


「……アイネ様」


「何かしら……?」


「僭越ながら……主様を……どうか主様を、お救いください……。そして、どうかお覚悟を……先日のあのときなどより、より強いお覚悟をお持ちください……」


「……わかったわ、ありがとう……」


 どんな覚悟が必要になるか、とは聞かなかった。


 ただ、ユエさんの側にいるためならどんなことでもする覚悟は、とっくにできている。


 そうじゃないと、恐れ多くも陛下に啖呵を切ったりしない。


「……あるじ、様……っ……ユエ様……」


 静かに肩を震わせるツバキさんの横を通り過ぎて、その想いを背に、私は足を動かして階段を進んだ。



*****



 濃くなる闇のせいで震える足を抓り、私自身の想いも恐怖に打ち勝つための勇気に変えて、4階へ……。


 もはや闇に覆われて真っ暗といえる廊下を進み、ついにユエさんの部屋が見えてきた……のだが。


「っ……」


 ――何かが、いる。


 廊下の突き当り、濃く深い闇の中に、バエルという闇将なんかと比べ物にならないくらい、死の恐怖を感じさせるほど濃い闇を振りまく何かの存在を感じ取った。


「――お主か。やはり……来てしまったのじゃな」


 その『何か』は闇の中から浮き上がるように、人のカタチをして現れた。


 ――それは、妖艶な笑みを浮かべた、だった。


 背が高く、肌は濃い色で、頭の横には禍々しい大きな巻角。

 夜色の長い髪がその身体から溢れ出る闇のように波打ち、激しい曲線を描く身体を露出の多い豪奢な漆黒のドレスのような衣服で覆っている。


 それは、多くの教会で女神の怨敵として描かれる、闇そのものと言われる姿で――。


「ぁ……ぁぁっ……」


 圧倒的な存在感に、私は取り繕うことも出来ずにガタガタと身体が震えてしまう。


「なんじゃ、そんなに震えおって。厠なら、ここではないぞ? 妾も失禁『ぷれい』はちょっと……いや、美少女のならイケるかもしれんのう……なんてな! ぶはははっ!」


 闇よりなお深い瞳が私を見つめ、口にされた声には……なぜか聞き覚えがあった。


 その変態的な言動……ヘンな笑い方……話には聞いていたけど、まさか本当に……。


「クロ、ちゃん……?」


 500年もの間、人類を苦しめ続け衰退に追い込んでいた存在。


 ――闇王が、古より語られるその真の姿を現し、私の行く手を阻んでいた。







――――――――――――――――――――――――――――――――

あとがき

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次回、「アノ日~新月の真実、星導者と闇王~」

アイネへ降りかかる次なる試練は……野生のラスボス?

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