第二章 月の満ち欠けと薔薇銀姫の想い

030.ツーサイドアップな朝~お祈りは何処へ向けて~


 王国歴725年、大樹の月(4月)上旬。


「おはよう……ございまふ……」


 昨晩はとりあえずウジウジと悩むことは止められたものの、マリアナさんがなかなか離してくれず、さらに熱くなってしまった身体と枕が変わったせいで寝付くのが遅くなり、元から朝が弱かった僕は見事に寝坊。

 入寮初日から朝食を食べそこねた上、はっきりと目覚めない頭のままツバキさんに1から10まで世話を焼かれ、クロに急かされながらなんとか間に合うという時間に教室にたどり着いた。


「ごきげんよう……あいねしゃん……寝坊してしまいました……」


「ああよかったわ。御機嫌ようルナさん。朝食のお誘いに行ったらクロちゃんが先にいけっていうから、心配してたのだけど……くすっ。しっかり髪型も決まっているし、大丈夫だったみたいね。とても良くお似合いよ」


 僕を出迎えてくれたアイネさんがそう言って微笑みながら、僕の頭のあたりを見ている……気がする。


「御機嫌よう、ホワイライトさん。今日はとても可愛らしい感じですのね!」


「昨日の自然で凛々しい感じも良かったですが、本日の髪型もとてもよくお似合いですわ!」


 重い体をなんとか動かして席に向かう間に、何人かがそう声をかけてくれた。


「うぅ……しっかりしないと……。ん……かみがた……?」


 そういえば、アイネさんもクラスメイトのみんなも、口々に僕の髪型のことを話している。

 寝ぼけた頭でようやくそのことに思い至った僕は、自分の頭に手をやると……左右それぞれの側頭部の少し後ろあたりに、なにやら結び目が出来ている感触があった。


 これはもしや……と、急激にはっきりとしてきた頭で鞄に手鏡があったことを思い出し、自分の顔を映し出した。


「(お主がボーッとしておる間に、忍っ娘が嬉々としていじっておったのじゃ。ククッ、よう似合うておるぞ?)」


「やっぱり……」


 鏡に映し出された僕の髪型は、ツバキさんの手によっていわゆるツーサイドアップというものになっていた。横髪から後ろ髪の一部を左右それぞれで縛って、後ろ側はそのまま流した形。いつの間に用意していたのか、小さな三日月のアクセサリーが付いた髪留めがちょこんと結び目に乗っている。

 ちゃんと起きられた日は僕が遠慮してしまうので、今日みたいな寝ぼけたままの日にツバキさんはこうして僕の髪型を好きにコーディネイトしてしまうことがあるのだ。


 髪型1つでずいぶんと印象が変わるものだなぁ……なんて鏡を見ながら他人事のように思っていると、淑女らしからぬドタバタとした足音を立てて教室に駆け込んできたミリリアさんが、そのままの勢いで僕の前の席までやってきた。


「セーフッス!」


「御機嫌よう、ミリリアさん」


「おはよう、ミリリア。今日は貴女も寝坊なの? もう少し淑女として落ち着いていられるように余裕を持ったほうがいいわ……寝癖がひどいわよ? ルナさんを見習いなさい。寝坊したといっても、ちゃんと身だしなみは整えているわ」


 すみません……僕は人に任せているから何とかなっているだけです……。


「おっと、アイねぇのそれはもう聞き飽きたッスよ~。あ、おはよッス、ルナっち! こりゃまた気合が入ってるッスね~。アイねぇにちゃんと褒めてもらったッスか~?」


「ええ、まあ……」


「それは良かったッス。ニッシッシ」


 昨晩の大浴場での僕の反応を勘違いしたままなのか、まるで友人の恋路を応援するかのように言うミリリアさん。


「何よ、その意味深な目は」


「な~んでもないッス」


 アイネさんとミリリアさんが女子トーク(?)をしているのを耳だけで聞きながら、何となく朝の教室の風景を眺める。


「(ルナちゃん……かわいい……かわいい……)」


 マリアナさん……は何だか僕の方を見てウズウズしてる。今は近づかないほうが良さそうだ。近づけば確実に捕獲されてしまう……目が合ったので会釈するだけにしておこう。


「(貴様……覚えておけよ……)」


 皇女殿下は……普通にいるな。僕が視線を向けたら睨み返してきた。今日は大人しくしてくれているといいけど……あ、隣の席のメイドさん――シェリスさんがどこからともなく取り出したハンマーで殴って、皇女殿下は机に突っ伏した。ご苦労さまです、飼い主さん。

 『主が失礼しました』とばかりにお辞儀をされたので、会釈を返しておく。ところで、さっきのハンマーはどこから出てきてどこに消えたんでしょうかね。


「メイドですから」


 ……心でも読めるのだろうか。深く追求しないほうが良さそうだ。


『あ! ルナリアさん、来てたのね! 今日はルナリアさんとお話できると思って、早く来すぎてしまったわ!』


 そうして見渡していると、今度はエルシーユさんと目が合った。

 僕が来ていることに気づいたエルシーユさんはおすまし顔だった表情をぱっと笑顔に変えると、上品な足取りながらウキウキしたように僕の方までやってきた。ものすごい美人さんな彼女に似合う言葉ではないかもしれないけれど、ちょっと子犬っぽくて可愛いと思ってしまった。


『御機嫌よう、エルシーユさん。昨日はすみませんでした』


『いいわよ! 今日からたっぷりお友達としてお話しましょ? まずはどんなお話をしようかしら……うーん』


「およ、エルっちの登場っすね。やっぱりルナっちの前だと楽しそうッス」


 僕の前であれこれ悩み始めたエルシーユさんの様子を見て、話をしていたアイネさんとミリリアさんが僕の方を見た。楽しそうにしているのは分かるけど、やはり何を言っているかがわからないのだろう。


「ルナさん? せっかくですし、私たちも彼女とお話したいのだけれど……お願いできるかしら? お昼をご一緒しながらでも、どうかと思って。ルナさんの負担にならなければでいいわ」


「それはいいッスね~。今度こそエルっち語録を完成させてみせるッス!」


「ええ、私は大丈夫ですが……ちょっと聞いてみますね。『エルシーユさん、少しよろしいでしょうか?』」


『スリーサイズはまだ早いかしら……あら、何かしらルナリアさん! そちらの2人だけじゃなくて私ともお話してほしいわ』


『あはは……すみません。それでですね、こちらのお二人もエルシーユさんとお話したいと仰ってまして。私が間に入りますので、今日の昼食をご一緒しませんか?』


『そうなの? うーん……ルナリアさんとお話したいけど……そうね、私もお友達が増えるのは大歓迎よ! ルナリアさんのおかげで他のコともお友達になれるなら、それは素敵なことよね!』


『ありがとうございます。お二人のことは?』


『ええと……ごめんなさい。いつも話しかけてきてくれていた子達の名前くらい覚えていないといけないとは思うけれど、発音が難しくて……』


『いえ、確かに耳慣れない言葉は覚えにくいですからね……わかりました。一番の新参者の私がご紹介するのもおかしな感じですが、改めてご挨拶してみましょう?』


『わかったわ!』


 エルシーユさんに事情を伝え終わったので、アイネさんとミリリアさんにもその事を伝えると大変喜んでもらえた。

 僕が同時通訳で3人の意思疎通を補助する形で話を進めていく。


「改めまして、私はアイネシア・フォン・ロゼーリアと申します。エルシーユさん、と呼ぶのが正しいのよね? 私はアイネで構わないわ」


『ええ、そうよ! あ……あい、ね? 「アイネ」 合っているかしら?』


「あ! そうそう! ア・イ・ネ、よ……ふふっ。ちゃんと覚えてもらえたなら嬉しいわ」


「アタシはミリリアッス! ミリリア・クーパー!」


『み、みり……みりりりあ? みり……「ミリー」じゃだめかしら……?』


 あ、諦めた。『ッス』は訳さなかったけど、ミリリアさんの名前はエルシーユさんにとってはアイネさんよりも難しいようだ。


「ミリー……初めての呼び方ッスね。もちろんオッケーッス!」


「エルシーユさん、改めてよろしくね」


「よろしくッス!」


 アイネさんとミリリアさんは嬉しそうにしながら、エルシーユさんに向かって手を差し出した。


『……?』


『ああ、これは握手といって、こちらでの挨拶のようなものです。手を握って、友好を示すのですよ』


『ああ、そうなのね。よろしくアイネ! よろしくミリー!』


 差し出された手を不思議そうに見ていたエルシーユさんに握手について教えると、アイネさんとミリリアさんの手を嬉しそうに取っていた。手を取られた2人も笑顔になっていて、ちょっとほっこりしてしまう光景だ。


「ええ。お陰で一年越しにちゃんとお話ができたわ、ありがとうルナさん」


「お役に立てたなら何よりです」


「じゃ、続きはお昼ッスね。シスターが来たッス」


 ミリリアさんがそう言ったところで、ちょうど学院の鐘が鳴り教室にシスター・レイナが入ってくるところだった。

 そういえば、学院がある日の朝は礼拝の時間があるんだったっけ。


 エルシーユさんにもその事を伝えると、素直に席に戻っていった。今更だけどお祈りは他の人を真似してやってみるらしい。僕らの元を離れると表情が元のおすまし顔に戻ってしまうのは、無意識なのだろうか。


「御機嫌よう、みなさん。本日の朝の礼拝を行わせていただきます。本日のお話は――」


 どうやら礼拝の時間というのは、この世界のほとんどの人が信仰している『輝光教』の教義や聖典について理解を深めることも含まれるらしい。シスターがいま話していることも、孤児院時代の教会の礼拝で聞いたことがある内容だった。

 穏やかな声で語られるそれは不思議と耳心地が良く、クラスメイトの中には自前のロザリオを握りしめて聞き入っている子もいた。目の前のツインテール娘は寝そうになっているけれど。


「ではみなさん、最後はいつものように、私の後に続いて月の女神様にお祈りを」


 話が終わったシスターは聖典を閉じると、ロザリオを両手で握りしめてそう言った。


 月の女神様へのお祈り……か。

 レイナさんには申し訳ないけれど、お祈りするフリだけしてやり過ごそう。

 今の僕が本気で祈ってしまうと、お告げがあったり神光が差し込んだり、おそらく大変な騒ぎになってしまうだろうから……はは。


「天に坐す我らが月の女神よ、その鏡のような御心で、地上に光をお導き下さい。光在れルクシオール


光在れルクシオール


 女の子たちの祈りの声が重なり、しばしの間、教室に静謐な空気が流れた。


「…………」


 横目で見たアイネさんは目を閉じて一心に祈っている。

 その口元が小さく『殿下が無事にお目覚めになりますように』と動いたような気がして……僕は心の中で『いつか彼女の願いを良い形で叶えられますように』と曖昧に唱えるのだった。





――――――――――――――――――――――――――――――――

あとがき

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次回、「実技教官ルナリア先生?~理論編~」

ルナっち先生、爆誕?

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