本能寺の変

第29話 俺の美学

 ─『幸』の病の事を聞いたあの頃のミケはかなり荒れていた。

 仕事もせずに夜の町に『猫』の姿で繰り出して『人型に変化』しては人間を驚かせて、『化け猫騒ぎ』を起こしていたんだ。

 本人は『幸の部屋』を探してただけだと言って、それも本心だったと思うが、自分は『バケモノ』だと再確認している様だった。

 そんなミケを俺は咎める事も止める事もしなかった。

 『反抗期』真っ盛り状態で、何を言っても無駄なのが分かっていたからだ。

 ちょうどその頃、俺も紀州攻めの打ち合わせやら、魔王の側仕えの小姓『森蘭丸』が急病で亡くなった事も重なり、アヤカシ館を空ける事が多くて、ミケの事を考えてる余裕はなかった。

 『森蘭丸』の病死は正確には『病』じゃねぇ。

 おそらく魔王の『悪気』にあてられたんだと思う。

 アイツはもともと『勘の鋭いヤツ』だったから。

 『悪気』ってのは、『魔族が放つオーラ』の事だ。

 俺たち『神気(神族のオーラ)』とは違い、『悪気』は人体に悪影響を及ぼすからな。

 それを察した吸血鬼は、「蘭丸が死んだのはしばらく黙っておこう。『悪気』も魔王の『力』だから、『不可侵条約違反』って言われたらめんどうだしね。」って事で公には伏せられる事になった。

 それからしばらく経って『コイツに蘭丸になってもらう』と言って『代役』を連れて来たんだが、コイツがなかなかの『サボり魔』で、魔王と一緒にサボってるから吸血鬼を悩ませた。


 そんな夏の暑い日だった。

 ついにその時が来てしまった。


 ─『幸』が死んだ。


 その日『幸の部屋』を探して彷徨っていたミケは、ついに部屋に戻る事ができた。

 幸の部屋はいつもの様に窓が少し空いていたそうだ。

 しかし、そこに居たのはやせ細って息も絶え絶えの幸だった。

 ミケは猫の姿のままそっと部屋に入り、「ニャー」と幸に声をかけた。

 もはや、手を動かす力もミケの方を向く気力もなかった。

 多分、もう目も見えていなかっただろう。

 だが、幸は

 「福…帰って…来たの…?」

 と、言った。

 ミケは静かに幸の顔にすり寄って

 「ただいま…でありんすよ…。」

 と、声をかけると、幸は最後の力を振り絞った。

 「福…おかえり…でも…わっちは…もう駄目…みたいで…ありんすよ…。」

 細くなった腕を懸命にミケの体まで運んで

 「このまま…一人で逝くんだ…と思ってた…のに…福が…来てくれた…わっち…は…幸せ…者であ…りんすね…ありがとね…。」

 と、ミケの体に触れる。

 「幸…わっちは…幸のために、何も出来なかった…ゴメン…!」

 ミケは涙を堪える。

 幸はニコッと笑って

 「そんな…事ない…わっちは…福と…一緒に…暮らせて…、とても…幸せで…した…。」

 と、言うと、微笑んだまま手の力が抜け落ちた。

 「幸…?幸?!」

 それに気付いたミケは幸の体に乗って…そして気付く。

 幸の『魂』は今、体から抜けたのだ、と。


 幸の死に目に会った後、ミケは人の姿で帰ってきた。

 俺はお菊と夜伽の最中だったが、足音に気付いて中断して、俺は襖を開けた。


 襖の目の前には俯いて、耳を下げたミケがいた。

 俺は髪を整えながら聞く。

 「おう、ミケ。帰ったのか?幸の部屋は見つかったのかい?」

 と、ミケに聞くと、ミケは奥歯を噛み締めながら

 「幸は…さっき…逝ったでありんす…。」

 と、言われた俺は色々察した。

 だから俺はそれ以上は聞かなかった。

 しかし、沈黙を破ったのはミケの方だった。

 「ヴィリーさん、お前さんは…織田信長を監視するために天界から来たんでありんすよね?」

 俯いたままミケは言う。

 急な質問に俺は

 「え?ああ…そうだが、それがどうした?」

 と、答えたが何故そんな事を聞いたのか意味が分からない。

 ミケはポソッと言う。

 「織田信長の所に連れて行って欲しいでありんす。」

 俺にはなぜミケが信長に会いたいのか分からずに

 「なんでだ?会ってどうする?」

 ミケはやはり俯いたまま肩を震わせながら

 「わっちは…許せないんでありんす。幸は…梅や琵琶薬屋の為に働いて…自分の事なんて後回しだったんでありんすよ?それなのに病にかかった…!おっかさんが死んだのだって、延暦寺を焼き討ちなんてしなければ…!」

 と、拳を握りしめた。

 やはり意味が分からない。

 『幸の死』と『あの女の死』を結ぶ物が俺には分からない。

 「は?何言ってんだおめぇ?」

 俺はキセルを咥える。

 そりゃ、確かに焼き討ちしたのは『人間』信長だ。

 だが、『幸の病』は関係ない。

 ミケは俺を睨みつけて

 「町に来てる侍共が噂してるでありんす。「戦場であんなに生き生きと人を殺せる魔王だから、この町の流行病だって信長がばら撒いて人を殺してるんだ」って。」

 と、言った。

 いや、まぁ、確かにアイツは戦場で生き生きしてっから、戦場で信長に会ったら、そりゃ怖いだろうな。

 戦場に行く身分の人間どもにとっちゃ『魔王信長は恐怖』でしかない。

 だからと言って、魔王に『病をばら撒く力』はない。

 するとお菊が髪を整えながら部屋から出てきて

 「いくら『信長様』でも病を流行らせるなんて無理よ?それに、病を流行らせて…。」

 とまで言ったお菊を俺は制して

 「復讐でもするつもりか?」

 と、ミケを睨み返した。

 ミケは猫の目を釣り上げて、猫の牙を覗かせながら言う。

 「そうでありんす。おっかさんと幸の仇を取るんでありんす。わっちは『バケモノ』でありんすから、人間のお望み通りに恐怖を与えてやるんでありんす!たとえ『魔王』と呼ばれていたとしても、所詮は人間でありんす!」

 いや、人間じゃねぇんだ、今は。

 それを聞いた俺は、はぁ…と、ため息をつきながら

 「自分じゃ居場所が分からない、だから他人の手を借りてか?」

 俺はキセルに火を入れて、「ふうっ」と煙を吐き出してそのまま続ける。

 「俺はお前が復讐だろうが仇うちだろうが、それをしたいなら止めやしねぇ。だが、全部自分の力でやれ。他人に頼っての仇討ちなんざ、俺の美学じゃねぇ。自分の事は自分でやれ。」

 と、ミケを見つめる。

 ミケは「ぐっ」と拳を握りしめて

 「…分かったでありんすよ…わっちは所詮『バケモノ』でありんす…わっちの力だけでやりんす!」

 と、背を向けて走って店を出ていった。

 「お前さん、いいのかい?あんな事言って。お幸の病は『彼』の…。」

 と、俺の後ろからお菊が俺の肩に手を置いて言った。

 俺はミケの後ろ姿を見送ったまま

 「いいんだよ。お前も分かってるだろうが、アイツは『お猫様』だ。このまま負の感情を抱えたままじゃ『力』は使えねぇ。『力』のねぇヤツを『天界』に連れ帰るわけにはいかない。ミケの『力』は『プラス思考』の時にしか働かない。ミケの母親は『アイツが強く生きる事』を望んでたんだ。『心の強さ』も鍛えなきゃならねぇ。」

 「そりゃそうだけど。せめて、『彼』の仕事の事を教えてあげても…。」

 お菊が心配そうにミケの出ていた戸口を見つめている。

 「それを言っても今のミケが納得するわけねぇだろ。それでなくても、幸の死の原因作った奴がこんなに近くにいたとなりゃ、ミケ自身も知らない所で恨みを買う『ヤツ』も不憫じゃねぇか。『ヤツ』は自分の仕事をしているだけで『ヤツ』が悪いわけじゃねぇし、ミケも『世界の仕組み』を知るいい機会じゃねぇかと思ってんだ。それに万が一ミケが『信長』に会えたとしても、アイツも猫派だから悪い様にはしないだろうぜ。」

 俺は腕を組んでキセルをまた蒸した。

 「でも…家出なんてしたら…。」

 と、お菊がホントに心配そうに言った。

 俺は思わず鼻で笑って

 「おめぇさんはいつからアイツのかーちゃんになったんだ?大丈夫さ。ミケにはもう行く所もねぇから今は放っておいてやるのが一番だ。あとは気持ちが落ち着く時間が必要なんだ。大丈夫、すぐ帰ってくるさ。」

 男ってのはそう言う時期があるもんだ、と勝手に分かった気でいたんだが…。

 アイツの場合は『猫』でもある事をすっかり忘れていた。



 ─って何で帰ってこねぇんだよ!!!!!


 俺は番台の机に片肘をついて、反対の手の人差し指で机をコツコツならしながら「ブスッ」としていた。

 ミケが出て行ってから2週間。

 発情期で一週間帰って来ない猫ってのは良く聞くから、一週間は放っておいたが、二週間は長すぎだ。

 そして今朝も帰ってこねぇとはどういう事だよ!

 もう昼だよ!

 ミケがいないからなのか店は閑古鳥だし、お菊には「お前さんがあんな事言うからだ」とドヤされるし、もう踏んだり蹴ったりだ!

 俺は「はぁ」と、ため息をついた。

 もう、つく息すら溜まっていねぇはずなのに、溜め息ばかり出やがる。

 世の猫飼い連中が帰って来ない自分の飼い猫を待つ気持ちが少し分かった。

 別に心配なんざしてねぇがな!

 「ヴィリーさん、やっぱ見つかりませんね。全くどこ行ったんでしょうね?」

 と、白い犬が店の中に入って来た。

 『狛犬族』の『コマ』が犬の姿で帰ってきたのだ。

 『狛犬』とは言え『犬』であるには違いないから、その優秀な『鼻』でミケを探して貰っていたんだ。

 「そうか、ご苦労さん。」

 と、俺はコマを労う。

 「しかし、ホントどこ行ったんでしょうかね?困ったお猫様だ。」

 コマはそう言いながら人の姿になる。

 そんな報告を受けていると、『桃太』も戻って来た。

 「ヴィリーさん、こっちもやっぱりいません…。何か…すみません…。」

 桃太は申し訳なさそうに言った。

 「おめぇさんのせいじゃねぇさ。」

 と、ひと息つきながら言った。

 こうやって、一週間も店の連中に探させているが、ミケは一向に見つからない。


 ─迷子になってんじゃねぇだろうな?

 でもアイツは…。

 幸の部屋も10町(約1km)も離れてねぇのに迷子になってたからなぁ。

 猫のテリトリーは約2町って言うけど、アイツはただの猫じゃねぇんだから…。


 などと考えていると、白いキツネの姿で『神使』の『コン』も帰ってきた。

 走ってきた様で息があがっている。

 「ヴィリーさん!大変ですよ!」

 と、言いながら人の姿になった。

 俺は立ち上がってコンに近付く。

 「どうかしたのか?」

 「今、安土城近くの稲荷神社勤務の神使に聞いたんですが、昨日、安土城下町に大きな籠を持った商人がいたらしいんです。その籠の中から猫の鳴き声がしていて、その町の野良猫共が「お猫様が商人に捕まった」と、言っていたらしいですよ!」

 呼吸を整えることも無く、コンは一気にそう言ったとたん、その場にしゃがみ込んだ。

 「安土城下町?!商人に捕まった?!…あんの…バカが!!」

 と、俺は拳を壁に叩きつけて「ハッ」とした。

 八つ当たりしてどーすんだよ、俺は。

 そして大きく深呼吸して気持ちを落ち着けて、しゃがみ込んだコンの頭をポンと撫でながら

 「ありがとな、おめぇさんたち。後は俺が探す。」

 と、言って店を出る。

 そして、馬屋に向かって走りながら、


 ─三毛猫の雄は高く売れる。

 売られちまう前に何とかしなけりゃ!


 と言う事しかなかった。

 安土城は琵琶湖の対岸…本来なら『ひとっ飛び』なのに、ホント人間ってのは不便なモンだな。

 と、思いながら馬に跨った。

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