第12話 心を守る

 次の日の日が傾き始めた頃。

 わっちと幸は老夫婦に連れられて、町の奥の奥にある薄暗い道を通り更に奥へと入っていった。

 道を抜けるとそこには、また違う雰囲気の町が広がっていた。

 赤い提灯に、派手な着物を着た女の人。

 のぼせるような熱気にも似た、なんて言うか興奮を誘発する物質みたいなものが充満している感じだった。

 『湖西屋』はその町に入ってすぐの場所にあった。


 その店に入った老夫婦に続いて、幸もその暖簾をくぐった。

 「『湖西屋』さん、わがまま言って申し訳ないね。」

 と、老爺が頭を下げた先には、老爺よりも少し若い女性が立っていた。

 「琵琶さん、わざわざこんな奥まで。わっちが迎えに行きましたのに。」

 女性が老爺に向かって言う。

 おそらく彼女が老爺の事を『琵琶さん』と呼ぶのは『琵琶薬屋』だからだろうと想像がつく。

 「いやいや、わがままをとおしてもらったんはうちの方ですから。」

 と、老婆も頭を下げた。

 「何を言いますか。琵琶さんの頼みでありんす。断る方が罰あたりますえ。」

 女性は慌てたように両手のひらを顔の前で左右にひらひらさせた。


 ─不思議な言葉を使う女の人だなぁ


 わっちはきょとんとした顔で女性の顔を見上げたでありんす。

 「この子がお幸さんでありんすか?」

 女性は幸を見て

 「なかなかの別嬪さんでありんすね!」

 と言いながら笑う。

 「ここに入るには少し遅すぎる年だとは思いますが…。」

 老婆は、申し訳なさそうに言う。

 「そんなことはありゃしません。まだまだ稼げる年でありんすよ。」

 女性はニコニコが止まらない様子だった。

 「よろしくお願い致します。」

 と、幸が深々と頭を下げると、女性は

 「おっかさんのために、おとっつぁんの代わりに女のお前さんが出稼ぎに、なんて泣かせるじゃないか。最初は怖いかもしれないけど、大丈夫でありんす。お前さんと同じ年の頃の女子もたくさんいるでありんすから。」

 と、幸の肩を「ぽん」と叩くと…。

 「…おやまぁ?三毛猫?」

 と、わっちの存在に気付く。

 「フシャー!」

 と、何となく威嚇してしまったでありんす。

 「この子は男の子でありんすか?」

 女性は興味深々で幸に聞く。

 「はい、オスで福と言います。」

 幸はわっちに笑いかけながら答える。

 「そうなのかい!そりゃいいねぇ!オスの三毛猫は『福を運んで来る』ってもっぱらの噂でありんすよ!この辺も猫を飼い始める子が増えたから、そんな噂が飛び交ってるでありんすよ。」

 女性はわっちの目線の高さまでしゃがみこんだ。

 幸はわっちが褒められてまんざらでもなかったのか、

 「そんな噂があったんですね。」

 と嬉しそうに言った。

 「でもお前さん。気を付けるでありんすよ。」

 女性は急に顔を曇らせて

 「オスの三毛猫は珍しいのもあるから高く売れるって聞いたことがありんす。ほんとに気を付けるでありんすよ?」

 と、女性はそっとわっちの頭を

 ─まぁ、撫でさせてやった。

 その女性の手も、温かかったでありんす。


 老夫婦が帰った時、すっかり日も暮れていた。

 案内された2階の部屋には何もなかった。

 四畳ほどの狭い部屋だったが、幸は十分だと言った。

 窓が一つと押し入れがあり、押し入れには布団が一式入っている。

 それを確かめると幸は窓を開ける。

 わっちはそこから外の様子を見た。

 窓には囲いと屋根があり、囲いに乗れば隣の部屋の窓の屋根に飛び移れそうだ。

 さらに言えば、隣の屋根に乗れば、家の屋根にも行けそうでありんす。

 …って思っていたら、幸が急にわっちを抱きしめてきた。

 「福…一緒に来てくれてありがとう…。お前の柔らかい毛に包まれてると、ホントに幸せな気分になる。ここでも…がんばれそうって思えるの。」

 幸があまりにもきつく抱きしめるもんだから

 「ふにぃ…」

 って、変な鳴き声になってしまったでありんすが、幸の不安が少しでも消えるのなら…、と思って我慢した。

 猫は我慢は苦手なんでありんすが。

 その時「お幸さん!」と、下から呼ぶ声が聞こえてきた。

 幸は「はい、今行きます!」と答えてわっちを下ろした。

 「福、行ってくるね。」

 と、幸は部屋を出て行った。


 ─さて、ここからは探索の始まりでありんす。


 わっちは一通り部屋の中をうろうろし、手で押し入れの襖を開けた。

 二段になっていて、上には布団、下には何もなかった。

 幸がいない時は、この布団の上で昼寝ができそうでありんす。

 さて、次は窓の外でありんす。

 わっちは窓の囲いに飛び乗って、隣の部屋の屋根に跳ぶ。

 そしてそこからさらに上の屋根に飛び乗って、振り返る。

 町は赤い提灯があちこちで灯り、町全体が赤っぽく幻想的だった。

 綺麗な着物を着た女性の数が、来た時よりも増えている。

 それに混じって男と腕を組んで歩く女性もたくさんいた。

 「…すごい…。」

 と、思わず声が漏れる。


 「おや?新入りかい?」

 突然後ろから声がする。

 わっちは思わず飛び上がった。

 「誰?!」

 と、叫びながら屋根の棟を見上げる。

 「何言ってんだい?こんな所にいるのは、猫かコウモリだよ。」

 と、どっかで聞いたことのあるセリフが返ってきた。

 棟から覗く光る眼。

 これは猫だ。

 「猫ですか?」

 と、わっちはよほど素っ頓狂な事を言ったんだろう。

 光る眼しか見えなかったが、猫が棟に飛び乗ったおかげですべて視認できた。

 黒い虎毛の猫だった。

 「お前さんだって猫じゃないか。」

 と、棟からゆっくりとわっちに近付いてきた。

 虎毛がしゃなりしゃなり歩き、香る匂いでメスだと分かったでありんす。

 「おやまぁ…。こりゃ驚いた。ホントに人間界にいたんだねぇ。」

 と虎毛がわっちの匂いを嗅きながら言った。

 わっちはその勢いにたじろいで

 「あの…おばさん…だれ?」

 と言うと、虎毛は急に耳を尖らせ目を吊り上げ背中をとげとげにしながら


 「誰がおばさんだい!!おねぇ様とお呼び!!!!!」


 と、怒られてしまった。

 その形相にびっくりして思わず尻尾を丸めて耳を伏せて体も丸くなってしまったでありんす。

 「ごごごごごめんなさい、おねぇさん!」

 と、言うと虎毛は猫座りして手を洗い始めた。

 「分かればいいのよ。」

 わっちはこの時知ったでありんす。

 女性に「おばさん」と言ってはいけないと。

 「あ、あのおねぇさんは誰なんですか?」

 わっちは恐る恐る聞いた。

 「あたしゃ『ししゃも』。あそこの部屋に住んでる。」

 と、目線で場所を指す。

 そこはわっちの隣の部屋でありんす。

 「お隣さんか…。」

 「あぁ、あんた、今日隣に来た娘の同居人かい?」

 「そうです。福です。」

 かしこまって言う。

 怒られるのはもう嫌でありんす。

 「なるほどね。うちの同居人が言ってたよ。あの年でここにきてやっていくのは大変だって。もっと若くから作法を身に着けておかなきゃ『客が付く』にも時間がかかるだろって。」


 ─『客が付く』?

 客が来るじゃなくて?


 「ここってそんなに作法とか難しいの?」

 わっちは首をかしげながら聞いた。

 「何言ってんだい?確かに『独特な作法』はあるけど、大事なのは男に気に入られる作法。それを全く知らない『素人娘』が来ても『売り物』にならないじゃないか。」

 ししゃもねぇさんも首を傾げて言う。

 「売り物って?何を売るの?」

 わっちはさらに首を傾げると、ししゃもねぇさんはびっくりした顔をして

 「なんだい?おまえさん、ここがどんなところなのかも知らずに来たのかい?」

 と言った。

 「お宿だろ?分かってるよ?」

 わっちは言い返す。

 「宿は宿でも、ここは『女郎屋』。この町は『遊郭』なんだよ。」

 ししゃもねぇさんが驚いた顔をしながら言った。 

 「なに?ソレ?」

 わっちはまだまだ小僧だったし、人間から離れて暮らしていたから遊郭とか女郎屋とか言われても訳が分からなかったでありんす。

 延暦寺でもそんな話題なんて聞いたこともなかった。

 ししゃもねぇさんは少し考えて

 「まぁ、いつか分かることだから言うけど…。気を落とさず聞きなよ?」

 と、それでも渋った。

 「分かった。」

 なんだか心がざわざわした。

 良い答えではないと察したからだ。

 「『遊郭』にいる女の仕事はね。『色を売る』のが仕事なんだ。『色』ってのは『女性の体』って事。分かりやすく言えば、『お金をもらって好きでもない男に交尾をさせる』のが仕事なのさ。」

 それを聞いてわっちは幸のもとへ走った。つもりだったが、ししゃもねぇさんに行く手をふさがれていて止まった。

 「およし!同居人に迷惑をかけたいのかい?事情があってここに来たんでしょう?」

 「で…でも!」

 「人間の事はあたしには良く分からない。お前さんは『お猫様』だから人間の心も猫の心も分かるのかもしれないけど、お前さんよりは『ここでの人間と猫との関係』は分かってるつもりさね。ここにいるあたしら猫は、同居人の心を癒す代わりにご飯を貰うのが仕事。あたしらがご飯を貰うためには同居人に仕事をしてもらわなきゃならない。仕事をしてもらうために同居人の心を癒す。持ちつ持たれつなのさ。」

 ししゃもねぇさんは続ける。

 「あたしら猫はメスにオスを選ぶ権利があるけど、人間は違うんだ。お金を出す男に権利がある。だから、男が自分が好きな男とは限らない。遊女はそれで心をすり減らしていく子が多い。心を壊す遊女だっている。だからあたしら猫は同居人の心を癒すのが仕事なんだよ。」

 わっちは無言で座り込んで動けなくなった。

 「だからね、お前さんも同居人の心を守っておやりよ。」

 そうだった。

 今度はわっちが守ると決めてここまで来たんでありんす。

 幸の心はわっちが守るでありんすよ。

 

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