第1話 窓際に覗く その3

「……」

 いたたまれなくなって蒼伊は席を立った。


 何か言ってくるかと思ったが、特に反応はない。

 少女は何も言わずに見送ってくれるらしい。


 そのまま同じ車両の前方の席に移動する。


 ガラガラの車内。お粗末な乗客率だ。

 多く見積もっても人は二割も乗っていない。


 まだ夏休み前だ。片田舎の休日の列車事情など、こんなものなのかもしれない。

 

 そんなわけで何処どこでも自由に座ることができる。

 指定席を取るのがアホらしくなるくらい、自由席でも全く差し支えない。


 それだというのに、……何であの子はこの空席の多い車内で、わざわざ隣に座っていたのだろう。


 最初はいなかったはずだ。

 うたた寝している間に入り込んできた?


 だとしたら、なおさら行動心理が理解できない。

 そんなことを思いつつ、窓際の席に移動した。


 先ほどとは反対側の席になるため、窓から見えるのは田畑と民家ばかりだが。



 流れる景色をしばらくぼんやり眺めていると、前方の扉が開き、柔らかい女性の声が聞こえてきた。


「冷たいアイスコーヒー、アイスクリーム、お土産に地域の銘菓は、いかがでしょうか」


 車内販売特有のゆっくりと耳に染み入る声。

 制服を着た女性が、ワゴンを押しながらこちらに向かってきていた。


 もう一度うたた寝する気分にはなれなかった。

 眠気覚ましにアイスコーヒーでも貰おうと思った。


「すみません」と、駅員の女性に一声かけた。

 ふところから、使い古した折りたたみ財布を取り出す。

 少しだけ列車が揺れた。

 

 あれ……?

 ぐにゃりと、視界が引き延ばされるような感覚がした。


 突然の目眩めまいに、側頭部のあたりに手を添えた。

 ぐわんぐわんと、脈打つ振動がかすかに指先に伝わってくる。


 目眩はすぐに治まった。

 手を離すと、金属的な音が足元で響いた。


 見下ろす。蒼伊は足元の惨状さんじょうを見て、ゲンナリと顔をしかめた。


 ……不覚にも財布を落としてしまった。

 しかも床に叩きつけられた拍子に、中身を盛大にぶち撒けてしまったようで、あたりに小銭が散乱している。


 クルクルと足元で回っていた一円玉が、パタリと倒れた。


「あー。……すみません」

 今度は謝罪の意を込めて女性を見やれば、彼女はかすかに戸惑っている表情を浮かべていた。


 しかしすぐに取り繕い「いえ、大丈夫ですか?」と柔らかく笑う。


「はい。ええと、お構いなく」

 蒼伊は見えている範囲で落ちている小銭を素早くかき集め、アイスコーヒーを注文した。


 少しだけ間ができる。

 女性が準備している間、蒼伊は財布の腹を指先で無意味に撫でつつ、内心でため息をついた。


 しまったな。

 あとで飛び散った小銭、回収しないと。


 しかし座っているのに突然の目眩とは。

 日頃の不摂生がたたっているのかもしれない。


 もう少し栄養価のあるものを取らないと、またに余計な心配をかけるかもしれないな──。


 ちょっとしたハプニングを経て、無事アイスコーヒーを受け取った。

 一言お礼を添え、業務的な笑顔の女性を見送る。


 ふと、女性の押すワゴンに積まれていたお土産に目が留まった。


 海亀まんじゅう、と書かれた青い包装紙。

 海の背景にポップな海亀のイラストが書かれたそれは、蒼伊の住む海ノ宮うみのみや町の銘菓だった。


 海に面するこのあたりには、どこのお土産屋にも置いている印象がある。


 それで思い出した。

 水平思考ゲーム。──ウミガメ。


 ああ。そういえばそんなものがあったな、と。


 スマホを取り上げて、ブラウザを立ち上げる。

 検索フォームにウミガメと入力すると、検索候補に目的のものが挙がってきた。


 『ウミガメのスープ』。

 検索候補をクリックし、上位に出て来たリンクをクリックする。


 代表的な水平思考ゲーム、と説明があった。


 問題形式は先ほど少女が言った通り、回答者が出題者に対して、イエス・ノーで答えられる質問を繰り返し、不可解な問題の真相を解き明かしていくというもの。


 肝心の問題は、そのすぐ下に記載されていた。


 ある男が、とある海の見えるレストランで『ウミガメのスープ』を注文した。

 スープを一口飲んだ男は、それが本物の『ウミガメのスープ』であることを確認し、勘定を済ませて帰宅した後に、自殺した。

 一体、なぜ?


 つらつらと書かれた問題を見て、蒼伊は窓の縁に頬杖をつき、車窓の外を見やった。


 いつだったか。

 小さい頃、この問題を聞いた覚えがあった。

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