第1話


私の娘が7歳の誕生日を迎えた時、

旦那は真剣な顔をして、私にこう言った。


「これは、私達の子じゃない」、と。

娘の顔も素質も、私達から産まれたとはとても思えない。

病院で手違いがあったのだ、と。


そんなことはないわ、そのうち似てくるのよ、

私は笑ってそう返した。


それから旦那は狂ったように病院に電話をかけたり、

周りに尋ね続けた。それでも、娘はれっきとした私達の子だった。


何をそんなに焦るの、こんなにな子はいないじゃない、と、

私はまた笑って言った。


それに、そんなことを言っても、もう遅いわ。

この子は、私達の、いえ、私の子だもの。



あら、本当は何があったか、知りたいって?

いいわ、旦那にはで、話しましょう。今から8年前のお話を。



行きかう人の服装が秋めく自由が丘駅の並木通りで、

私は緩く巻いた黄色のスカーフに少し顔を埋め、約束の相手を待っていた。

この場所は、いつも若者で賑わっている。ざわざわと広がる人々の話し声。その中で近づく小さな足音が、小走りに変わる音が聞こえる。


「お待たせ!遅れちゃってごめんね!」


美しい女性。その女性は私を見つけ、手を振りながら近づいてくる。


「久しぶりね、ハル。」


私が答えると、女性の笑顔が広がるのが、マスクの下でも見える。


「うん、久しぶり!お姉ちゃん元気だった?」


パステルカラーで統一したコーデに、ゆるくウェーブした髪の毛。マスクで顔がすっぽり隠れてしまうほどの小顔。大きな瞳に、通った鼻筋。見る者を虜にする笑顔。


―今日も、私の妹は可愛い。

妹は、本当に可愛い。姉である私も見惚れるほどの可憐さだ。

幼少期から読者モデル、お昼のニュースでアナウンサーを務める妹は、

世間的にもその可愛さが存分に認められている。


「あれ…?」

さっきまで笑顔だった妹が、私の手元を見て、驚いた顔をする。


「お姉ちゃん、今日も結婚指輪つけてないの?」

私は、はっとして左手を隠す。


ハルは細かいところ、よく見てるなあ…今日はたまたま忘れただけよ。」


「え、本当?結婚したばかりの時は、絶対毎日着けてたのに…!」


「ちょ、本当に、何も意味ないってば。そんなことより、ハル、婚活始めたんでしょ。最近どうなの?」


「それなんだけど…。」

妹は、罰が悪そうな顔をして、上目遣いで私を見つめた。


「婚活、実はやめちゃって…。私、お姉ちゃんみたいな幸せな結婚したいし、焦りたくないから、しばらくいいかなあ、って思ったの。結婚もいいけど、お姉ちゃんとの時間を最優先にしたいし。 」


妹の私の好き具合は、時々呆れるほどだ。これだけは小さいときから変わらない。

「そういえば、お姉ちゃんの個展の方はどうなの?」


私は、東京を拠点として、画家として活動している。今も、人生で3回目の個展が、代官山で開かれているところだ。

「あ、作品展のこと?初日から、お客さんの入りはまあまあかな。明日の日曜までだから、ハルも気が向いたら来たら?」


そこまで言って、私はハッとする。


「明日までかあ…。これからしばらくお仕事だから、行けないかも…。」

妹の心から残念そうな顔。困り顔でさえ、その可憐さを損なわない。


「そう…。…あっ、えっと、とても残念だわ。」



妹に、聞こえただろうか?自分から妹を誘うなんて、どうかしていた。


妹に、個展など来られてはたまらない。

一度、妹が私の個展を訪れたとき、皆私の作品などそっちのけで妹の顔をちらちらと気にして、気分を損なってから、私は妹を誘っていない。まるで、妹の顔の方が芸術作品であるかのように、妹の存在は、周りの釘付けにする。


これも全て、妹の美貌のせい。

妹は、顔も性格も素質も、私とまるで正反対だ。

例えるなら、天使と悪魔。女神と死神。

それぞれの顔は知らないけど、性格は顔に出るというから、きっと合っている。


なのだ。》》二卵性だが、顔がまるで違う。


そのせいで、私は小学生の時から嫌と言うほど罵られてきた。


―本当に双子?顔違いすぎでしょ!

―良いところ、全部ハルちゃんに行っちゃったんじゃないの?


容赦ない罵りの言葉は、私の心を傷つけるばかりでなく、妹への、私たちを産んだ両親への侮辱だった。それなのに、もともと無口な私は、何も言い返せず、毎日泣いて過ごした。私の無く姿を見て、「うわ、ブスが泣いて更にブスになった!」と、クラスメイト達が更に囃し立てる。それの繰り返しだった。


それでも妹は、私を庇い、慕った。妹は、いつも私を「一番尊敬する人」だと周りに公言し続けた。非力な姉など捨ててしまえばいいのに。奢らず、蔑まず、妹は必死に抵抗した。だが、私への哀れみの目は、私立中高一貫に通っていた私たちが、高校を卒業するまで向け続けられた。


そのせいか、私はいつからか、自分が表舞台に立つことを諦めるようになった。

その代わり、私は自分を、自分以外の要素で作り直すことにした。


私は、自分にこう言い聞かせるようになった。


"人は、レッテルを貼られ評価されるが、自分から貼ってしまえば、いつでも変われる。自分に無い要素は貰ってきて、作る。

作れば、それは永遠に自分のものだ。" と。


だけど、妹は、私が作れないものを持っている。

その美貌も、優しさも、私にはない。


―私は、妹にはなれない。妹は、作れない。



「…お姉ちゃん?」


はっと我に変えると、ハルが心配そうに私を見ている。

そうだった。私は妹と買い物に来ていたのだ。


「お姉ちゃん、また考え事してたでしょ? 眉間に皺が寄ってたよ。」


「ちょっと、今度の作品のアイデアを巡らせてただけよ。晴、とにかく、婚活は自分のペースが一番だとは思うけど、ハルも子供が欲しいなら、結婚は早いに越したことはないわよ。良い人がいたら、紹介するから。」


「本当に?お姉ちゃんが紹介してくれる人なんて、絶対素敵な人!今から、楽しみ。」


「私にばっかり頼っちゃだめよ。自分の感覚が一番大事なんだから。」


それでも妹は私を頼ることを、私は知っている。

妹は、どんな時でも、何があっても、私のことが大好きだから。


「自分の感覚かあ…。だから、お姉ちゃんも、今の旦那さんに会えたのかな?」


「旦那は、完全に下手の横好きよ。」


それから、妹とは中身のない会話をしながらショッピングストリートを歩き、妹は引っ越した新居に必要だという雑貨やら家具やらを大量に購入して、その日は別れた。


「ただいま…。」


その夕方、帰宅した私は、どっと疲れが出て、妹に合わせて買った小物のショッピングバッグをソファに放り投げた。自分の本心を抑え込むのは、本当に神経を使う。旦那がいないことを確認し、大きなため息を漏らす。



「ああああ、本当疲れた。ハルのお人好しは異常ね。」


冷たく放った私の言葉は、広すぎる住居の一室に、後味悪く響く。

うんと伸びをして時計を見ると、17時25分を示している。


旦那が帰宅するまであと5分だ。

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